第16話 繋がっているかぎり

 いつものようにわたしとゆかさんで砂を蹴って歩いていたときだった。


 やたらめったら大きな斜面に足をとられ、わぁぎゃあと声をあげて下に落ちていく。動揺したゆかさんがわたしの体にへばりついて身動きが取れないままごろごろ。ようやく止まった頃には体が砂だらけで、服の中にまで入ってきて気持ちが悪い。


 スカートをめくると魔法のように砂がどっさり落ちてきて、わたしと違ってジーパンを履いているゆかさんはジャリジャリと音を鳴らしながら目を回していた。


「あ、あれ? ゆかさん、見てください!」


 肩を揺らして指を指す。仰け反った体を起こしてゆかさんもそちらを見る。


「い、遺跡・・・・・・?」

「みたいです」


 岩と砂以外の物体をみるのは初めてだった。明らかに人の手で作られた建造物は角を欠けさせながらも形を保っている。薄黄色のそれはレンガのようなもので積まれていて、教科書やらテレビやらで見た覚えのあるものだ。


 ゆかさんも首を伸ばして静かに佇む遺跡を興味深そうに見つめていた。ほえー、はえー、なんかすごそう! と漠然とした感想もそのままにズカズカと領域に入っていく。


 エクノンのアジトかもしれないし迂闊に近づくのはよくないという忠告は結局外に出ることはなかった、かくいうわたしも遺跡の中はやはり気になったので足を進める。


 天井には所々穴が開いているがそのおかげで視界が照らされる。少し寒い中は一本道のようで迷う心配はなさそうだった。


 やがて大広間のような場所に出るとそこにはたくさんの人が寝転げていた。野原で仰向けになるように統率を感じさせない、赴くままに各々が地に伏せている。


 ゆかさんが足元に落ちた胴体につまずいて転ぶ。よく転ぶ人だった。


「私たち以外にも生き残りがいたんですね」

「うん、いたみたい」


 あくまで過去形だった。寝転ぶ人の顔は土のように暗く切り離された胴体と首の切れ目は赤黒い血で固まっている。後から付いてきたような悪臭に鼻をつまみながらゆかさんと顔を合わせる。


「結構経ってるのかな」

「かもしれません。全滅、でしょうか。それにしてもこんな」


 こんな大広間に集まって、多くの人が同じ場所で殺されている。あぶり出された虫のように殲滅されたのだろうが、どうにも不可解だった。


「見たところ食糧も水も、寝る場所もあります。武器もこれだけあるということはエクノンを撃退できる術を持っていたということです。人もたくさんいたようですし、小さな文明を築いていたような人たちがどうしてこんな惨状になっているのでしょうか・・・・・・」

「下川ちゃんなんか探偵ぽい」

「ゆかさんも考えるんですよ」

「えー!」


 こめかみをぐりぐり回して、お手上げというように本当に両手を挙げるゆかさん。彼女が頭脳派ではないことは百も承知だけどそれでも考えなければ、次にこうなるのはわたしたちかもしれないのだ。


「えっと・・・・・・埋める?」


 雑多に散りばめられた物言わぬ人たちを見てぼやくのは、きっと人の死に対して慣れてしまったからなのだろうか。これだけの惨劇を見てせり上がってこない胃液も随分と図太くなったものだ。


「そう、ですね。でもまずは散策を進めましょう。もしかしたら武器以外にもなにか使えるものがあるかもしれません」

「ゲームあるかなぁ」

「そもそも電気が通ってないと思うんですけど」


 わたしの言葉にくじけずに、ゆかさんはふんすと鼻を鳴らして先人を切った。こういうときは妙にたくましい。


「ゲームボーイなら乾電池だし」


 ポジティブなのは悪いことじゃないし、わたしもその背中を追いかける。悪臭と惨状から逃げるように広間を出て、細い廊下を歩いた。


 逃げる途中だったのか、背中を裂かれた胴体が多く見受けられた。なるべく踏まないようにして、何度も悲鳴をあげるゆかさんも蹴らないように慎重に奥を目指す。


 ぽた、ぽた。


 それが水の音だと気付くのに何秒かかかった。二人して顔を合わせると急いで出所を探す。涼しい風が頬を撫でて、逆らう。


 額に滴が落ちて、上を見る。黒ずんで固まった砂を伝い、冷たいものが降る。くるぶしまで浸る水に気付いて足をばちゃばちゃ。ここだ! とゆかさんがはしゃぐ。


「すごーい! 温泉だ!」

「冷たいですけどね。でも・・・・・・気持ちいい」


 水の感触なんて久々だった。体に浴びるのなんて砂か、返り血か、仲間の悲鳴だったから。透き通った水滴が手のひらで踊るのが新鮮で楽しかった。


「せっかくだし体洗っちゃいましょうか」

「おー! 洗っちゃおう! 淀んだ心も一緒に流しちゃおう!」


 心が洗われるとはよく言ったものだが、するとゆかさんは心が汚染されていると自覚があるのだろうか。こんな星で汚れ一つ付かない心のほうがどうかしているので少々安堵する。


 黄ばんだシャツを脱いで、よれよれのスカートを下ろす。汗でべたついた体を水で流すとゆかさんの言うとおり、体の中身もスッと抜け落ちていくようだった。上から滴る水もシャワーのようで心地がいい。


 ゆかさんといえば、服に手をかけたままわたしをじっと見つめていた。


「ゆかさん?」

「あー、あー。あ~、あ?」

「え、なんですか?」

「な、なんですか?」


 オウムのようだった。開けたままの口に水が入って、ゆかさんがむせる。顔を赤くして苦しそうに胸を叩いた。叩いて、またゲホゲホと咳こむ。


「ちょっと冷たいですけど気持ちいいですよ? 服はあそこに置いて、ゆかさんも浴びちゃったほうがいいです。いつまで長居できるかも分からないですし」

「そ、そうだね! うん、わかわかった!」


 呂律が回らないのはいつものことだった。ゆかさんの舌は意思を持たないのだろう。だらんと力なく垂れていた。


 脱いだ服を投げて、白い肌を手で隠す。そうやって恥ずかしそうに目を細められると、こちらもくすぐったい気持ちになる。なんだか微妙な空気がわたしたちの間を流れた。


「下川ちゃんって結構・・・・・・脱ぐとすごいんだね」

「あの、ゆかさん。見るなら見るでいいですけど、そうやって盗むように見るのは・・・・・・」

「ひぃ」


 咎めるように睨むと背筋をピーン! と伸ばして縮まってしまう。そんな様子がおかしくて頬を綻ばすと、冷たい水が少し温かく感じた。


「なんだかこうしていると忘れてしまいそうです」


 今の日常から、昔の日常へと。あったはずの安寧を思い出して景色に重ねる。今度は温かいお風呂に肩まで浸かってみたい。欲というのは一度沸いてしまえば次から次へと沸いてくるものだ。これ以上幸せを知れば、わたしはきっと有り得もしない未来を望む。


 誰かが死にゆく中、生きているだけでも充分なはずなのに、わたしはずっとゆかさんとこうしていたいと思ってしまう。有限であるはずの命はきっと無限の欲に溺れてしまう。ぶくぶく。顔を水に浸して隠れるように水面を見る。


「下川ちゃん?」


 腰にゆかさんの体が当たって、波が起きる。冷たい水の中にあるゆかさんの温もりが今のわたしにとってひどく心強かった。


「わたしが姉を失ったのも幸せの最中でした。こんな日が続けばいいのになって思った矢先に、目の前でそれは壊された。もしかしたら人間、多くを望まないほうがいいのかもしれません」

「た、確かにそれは分かるよ。なんか、死亡フラグっていうか! そんな感じだよね!」

「ゆかさんには風情というものが足りないです」

「え! そ、そうかな」


 頬を膨らますわたしにどうしていいのか分からないようでゆかさんはおろおろ両手を動かす。「あ」「え」と細切れに喋りながら結局それは言葉にならない。


「こうしている間にもエクノンがわたしたちを襲うかもしれません。ゆかさん、これで何回目になるか分からないですけど」


 会ったときから今まで、目の前で仲間が仲間でなくなるそのたびに。言ってきたこと。


「そうなっても絶対に、わたしを助けようとしないでくださいね」


 するとゆかさんは動きを止めてわたしを見る。これもいつものことだった。反論も合点もない。


「・・・・・・うん」


 静かに肯定するのを確認して、わたしも安堵する。


「ゆかさんは人類の最終兵器なんですから、それを自覚してください。エクノンに見つからない特殊能力なんてゆかさんだけなんです」

「さ、最終兵器! なんだかカッコイイね!」

「はい。だからカッコイイゆかさん、どうかそのことを頭に入れておいてください」


 そうして同時に、わたしも頭から離さない。いつか自分が死ぬことと、ゆかさんの前で死に顔を晒すこと。


 顔を水ですすいで、脂と汚れを流した。これで少しは、綺麗になったかもしれない。


「だから今は、生きていられる今は。生きていたいんです」


 死への覚悟ができただけで、諦めたわけじゃない。


 体を寄せて肩を預けるとゆかさんが僅かに反応する。けど離れることはしない。困惑に表情をあちらこちら動かすけど、震えた手でわたしの手を握ってくれた。


「この時間を、ずっと」


 透き通った水が、寄り添うわたしたちを映し出す。


 今もきっとどこかで人が死するなか、ゆかさんの手を握って離さない。


 触れ合う肌があるのなら触れ合っていたい。首と胴体が繋がっているうちはまだ話していたい。幸せを追うたびに、胸がキュッと締め付けられた。鼻の奥がツンとして、唇が震え出す。


 頬を滴が伝い、それが水でないことに気付くと溢れないように天を仰ぐ。


「だ、大丈夫だよ」


 励ます言葉はぎこちない。それでもよかった。わたしはまだゆかさんの言葉を咀嚼して、飲み込むことができる。まだ届くのだ。


「私、ちょう強いから!」

「やっぱりゆかさん、どこかズレてるんですよね」

「がーん!」

「いいですけどね。らしいといえばらしいですから」


 褒めたつもりではないのだけど、ゆかさんは嬉しかったらしくえへえへと笑っている。きっとこの人との間に涙は似合わないのだなとわたしも笑う。けど、一瞬が充実すればするほど目尻は重くなるばかりで。


 笑いながら泣く。天気雨の原理はいまだによく分からないけど、虹がかかることだけは知っていた。


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