第15話 海がみたい

 砂の上を歩くゆかさんの足取りは重く、なかなか前に進まない。単純に筋力が関係しているようで、ぜぇはぁと息を荒くしている。武器であるゴツゴツとした棍棒を杖代わりにして、哀愁漂う背中は年老いて見えた。


 先ほどのエクノンの血が付着しているその棍棒は大人半分ほどの大きさで、一度持たせてもらったこともあるがなかなかに重い。けれど殺傷力は確かなものであの強靱な生物をも一撃で倒してしまえるほどのものだ。腐りかけの死体から漁って手に入れたものだが、鼻をつまんで拝借した甲斐はあったらしい。


 大丈夫ですかと声をかけると、もにょもにょとなにか返ってくるが聞き取れない。そこまでいくとゆかさんの足が砂にすくわれるのに時間はかからない。「ぷぎゃ」とくぐもった声と共にわたしの前に転げるのだった。


 この星に地という地はない。灰のように砂のように、小さな粒が延々と続いている。最初は仄かに感じる熱に砂浜のようなものを見てわくわくした。けど、進む先に海はなくって、果てのない景色はわたしが想像するようなものではないのだと後に気付く。


 実はもう一周したのではないだろうか。そう思えるくらいにわたしたちは歩いた。歩いたけど、結局直線的でしかない散策は漏れなく探すことはできやしない。この星を何周しようが大した成果はでないのだった。


 それでも時間を惜しく感じないのは、きっと未来を描けないからだなのだろう。わたしたちが今何をすべきなのかが分からない。眼鏡をかけた、なんだか頭のよさそうなお兄さんももう死んでしまったので聞く人もいない。転げて、突っ伏したまま動かないゆかさんに聞いてもそれは分からなそうだった。


 大会を目指さない部活のように惰性で生きる私たちに希望はあるのだろうか。もし人類の生き残りが私たちだけなのだとしても実感は沸かない。


 ただ、わたしは生きたかった。


 姉が言っていた。自分で何かを成すことが大事なのだと。


 運命に身を任せてこっくりこっくり船を漕ぐのもきっと一つの生き方なんだろうけど、何も無いこの星でせめて、姉の残した言葉を繋いでいきたいと思う。


「休憩しましょうか?」

「寝たい」


 聞こえづらかったけど、なんだかそのようなものだと思う。眠そうに瞼をこするゆかさんは見た目よりも幼く見え、長い前髪にくっついた黄色い粒を払ってあげる。パラパラと舞った粒は変色した太陽の光を浴びて妖しく煌めいた。


「小岩を見つけたらそこに座って睡眠をとりましょう」

「下川ちゃんはいいの?」

「わたしはまだ大丈夫です」


 奴らエクノンは基本的に砂の下に潜んでいる。ということはつまり、この星の全域に蔓延っているということになる。寝てしまうと、次に目を覚ましたら隣で一緒に寝ていた仲間が真っ二つになっているということもざらにある。


 なので休息をとる場合誰かが起きていなければいけないのだがこれもまた大変で、こちらからは視認できないのにあちらは砂の中から寝息を立てるわたしたちを察知して待ってましたとばかりに姿を現す。


 故に眠れるのは多くても1時間ほどで、およそ猫のような細かな休息をとることになるのだが人類が適応するのにはまるで時間が足りない。常にぼんやりとした意識のなかわたしたちは異形の化け物と戦わなければならないのだった。


「うにゅ、あそこでねう」


 目を半分瞑ったままゆかさんが指を指す。睡眠が不足すると酔った状態と同じになるのだという。呂律が怪しくなってきたゆかさんを見て、なるほどなぁと静かに頷く。


 ゆかさんが見つけた本当に小さな岩まで来ると、ベッドに飛び込むように体を沈める。ぐぇ、と背中を沿わせたゆかさんが気絶するかのように目を瞑った。


 寝心地が悪いようで、快適な寝息は聞こえてこない。代わりに「むーん」と変なセミみたいな声で唸る。


 鼻の穴がひくひくと動くそんなおもしろおかしい様子を近くで眺めながら、わたしも近くに腰を下ろす。


 ・・・・・・本当はゆかさんの場合、見張りなんて要らないのだ。どういうわけかゆかさんはエクノンから視認されない不思議な力? かなにかを持っているのでむしろわたしがいたほうが邪魔になる。


 前に一度、ゆかさんが寝ている間に場所を離れたことがあるのだけど、少ししてから「わーん!」と泣き声が聞こえてきた。戻ってみるとわたしを探したゆかさんが鼻水を垂らして右往左往していたのを今でも覚えている。貴重な水分を目から流されては困るので、結局わたしはゆかさんの隣にいることにした。というのは建前だったのかもしれない。

 

 やがて聞こえてきた一定間隔の呼吸にわたしは「よし」となんの確認かしっかりと声にまで出して、仰向けになるゆかさんの顔を覗き込む。


 まだ少し黄色い粒が付いている前髪をかきわけて、その中に眠る寝顔を見た。


「綺麗」


 

 普段は隠れていて見えないし、髪を触ると「どひゃあ」と仰け反るし、見せてくださいと言うわけにもいかないのでこうして寝ているときに盗み見ることしかできない。


 娯楽も芸術も何も無いこの星で、唯一美しいという感情が生まれるのがゆかさんだった。白い肌に整った鼻先。上向きのまつげが精密に交差して綺麗な曲線を描く。


 何もかもが燃やし尽くされ灰となったこの世界で、仲間を失い、家族を失い。当たり前だったものが遠い過去となり今まで見ていた色ですら偽りだと知った上で、こんなにも変わらず形を保っていられるのが羨ましかった。みんな痩せこけて、顔色は褪せていくのに、ゆかさんはまるで時間が止まっているかのように後退しない。ともすれば前に進むこともなく、これだけの死線をくぐりぬけたゆかさんの顔つきに勇敢の二文字はいまだにない。


 それもこの世界では新鮮で、珍しく、手にしがたいものだ。触れると、確かに熱を帯びている。くすぐったそうに身をよじるゆかさんをわたしは追いかける。


 滅亡が放った炎に囲まれても歪まずに形を保持し続けているゆかさんの心はきっと、鉄のように硬さを帯びていない。ならいったい、どんな材質でできているのだろうか。


 ゆかさんにだって家族や友達、愛する人だっていたはずだ。・・・・・・断言はしづらかった。熱い情熱が宿っているようにはとても見えない。けどそれは今だって同じことで、とするとやはりゆかさんの根底には過去が行き来しているはずだった。


 なくしたものを探すように、今日もこうしてわたしたちは行き先もなく歩く。


 ふと砂が盛り上がったのを見て体を起こす。手から落ちた髪がカーテンのようにゆかさんの顔を覆う。


 まず先に腕から、そのあと頭がぼこっと飛び出し足をかけて全身を引っ張り出す。プールからあがるおじさんのような動作はもう何度も見た。食傷気味な光景に肩を落としながらゆかさんを起こす。


「ううん・・・・・・」


 全然寝てないと抗議するように目を擦った。ふわ、と口を大きく開けて夢心地にわたしとその背後のエクノンを見る。


「あの、ゆかさん。もし生き残っている人類がわたしたちだけだとするじゃないですか」

「ほぇ、ふんふん」

「でも、わたしたちは女の子同士だから子孫を残せないですよね。あれ、残せましたっけ?」

「え!? た、試してみる?」

「試してくれるんですか?」


 聞くと、ゆかさんは少し考えたあと顔を赤くして「えへへ」と頬をかいた。


「わたしたちがこのまま生き続けていても、いつか人類は滅びますよね。・・・・・・どうしましょう」

「どうしましょうって?」

「生きる意味ってあるんでしょうか」


 眠気も覚めたのか、ゆかさんの瞳は明瞭に透き通っていた。黒い幕越しでも分かる鮮烈な網膜に惹かれるようにわたしも瞼を上げる。


「このあたりでわたしたちも死んじゃったほうがいいんですかね?」


 ゆかさんが答える前に後ろで飛沫があがる。熱い炎が頬を焼き、生きる心地と死の予兆を連れてきた。鉄と鉄が擦れるような音が不快に鼓膜を揺らし、来るぞ来るぞと心臓が手を引くようだった。


「し、死にたくないよ!?」


 風を切る轟音が私の肉を裂く前にゆかさんがわたしを押し倒してゲホゲホと咳き込む。


「は、早く逃げないと!」


 わたしの手をカブでも抜くように引っ張ってエクノンの攻撃をかいくぐるゆかさん。といってもわたしの巻き添えでしかないのでゆかさんだけ逃げればそれでいいのだが、彼女はわたしを連れて行こうとする。


 エクノンは強固な装甲に覆われていて、後頭部以外。それもエクノンがわたしたちを攻撃する際に開く首と胴体の僅かな境目を狙わないと倒せないというアクションゲームのような弱点がある。


 ゆかさんはエクノンに視認されないため、その境目をさらけ出すことができない。ゆかさんがエクノンに殺されてしまうことは基本ないだろうが、唯一の食料であるエクノンを倒すこともできないのでいつか餓死することは必至だろう。

 

だからゆかさんはわたしの腕を引く。わたしもゆかさんがいないと生きていけないし、ゆかさんも囮となる私を必要としている。


 生きるための希薄な関係にも見えるが人と人との繋がりとはそういうものだったかもしれない。そこは草木が散った今も変わらないのだろう。


「ひぃ、ひぃ~!」


 いそいそと尻尾をまいて逃げるわたしたち。けれど砂に足を取られて振りきることはできない。エクノンはそれほど敏捷性に優れているわけではないが、それでもどこかで反撃に転じないと勝機はないだろう。生きることが勝利と呼ぶかどうかは置いておいて。


「し、下川ちゃんは・・・・・・生きたくないの!?」

「わたしですか? えっと、生きたいですよ」


 話している間にも背中に殺意を感じる。焦げるような臭いと重い足音に、ゆかさんが「死んじゃう死んじゃう!」と何度も叫ぶ。


「じ、じにだくないよぉ~!」


 あげく泣き出す始末だった。びしゃびしゃと水分が糸を引いて風に乗る。それが少しでもエクノンの目くらましにでもなればいい。腐った果実みたいな目に効くかどうかは知らないけど。人の涙というものはいつだって奇跡を起こすものだ。


「私も、死にたくないです!」


 合図をして、わたしは身を屈めて横に転がる。


 エクノンは当然、わたしに狙いを定める。身を振りかぶって大きな爪を振るう刹那、その後ろでゆかさんが跳ぶ。戦士のようにではない、下水で跳ねるカエルのようにビタ、と鈍重に砂を蹴った。


 不格好に生きるわたしたちはきっと誰かに自慢できるほどのものでもないけれど、どうせ自慢するその誰かもいないわけだし。


 互いの求めるものをただ探し続けていければそれでいいと思えた。


 わたしの求めるものは海のように果てのない、変わらず凪いでいる綺麗な景色。対してゆかさんの求めるものは、なんなのだろう。


 寝起きのゆかさんは一度エクノンのお尻であろう部分に頭突きをして、はらほれと目を回しながら棍棒を適当に振っていた。


 ・・・・・・なるべく早めにお願いします。

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