第二章
第14話 二人と何体かの世界
灰になった文明が、わたしの足取りを重くする。
黄色の粒子が砂のように宙を舞い、紫色に変色した太陽がそれを照らす。もう人の認知する色彩が正常であるかどうかの判断などつかない。この世界で色など視認性の善し悪しでしか役に立たなかった。
昔は小さかった星々も、今は光としてではなく、マーブル状の飴玉のような大きな惑星として空を回っている。気味の悪い光景に慣れたのはいつ頃だったか、思い出せない。時間すらもこの世界には存在しない。いや、ただわたしたちが置いていかれているだけなのかもしれない。
じゃあ一体、なにがあるというのだろう。長い年月のなか、様々なものを奪われた。文明も、大切な人も。考えても分からないし、わたしたちにその権利があるかどうかも定かではない。
だからひたすら、明瞭に視界に映る姿勢の悪い背中を追いかけた。
足音を立てたらその瞬間わたしは光に還る。見つかっても終わりだ。文明の残骸に身を潜ませながら、あとを付いていく。
やがて砂の中から腕のようなものが生えてきた。地面を探して手のひらをあてがうと、引きずり出されたようにその巨体を現した。一度対峙してしまえば命はない。そんな脅威がのそのそと地表に出る。
視界の彼女はそれを見て、驚く様子も見せずに一瞥した。
奴らは人類を憎んでいる。もしくはこの星を嫌悪している。わたしたちを見た瞬間、その鋭い爪でズタズタに切り裂いて、大きな腕で握り潰し、黒い業火で生物を燃え焦がす。
どうしてそんなことをするのか。生きている意味すら分からないわたしたちだ。殺される意味なんて求めても仕方がない。
彼女は現れた一体の『エクノン』と対峙する。
けれど互いに興味がないようで、そのまま歩いてすれ違う。すれ違う際、彼女は片手を顔の前まで持ってくる癖がある。変な癖だなと見ていると、エクノンはそのままこちらへ向かってきていた。
物陰から顔を出すと、彼女と目が合った。やる気のなさそうな、ともすれば常に思考を巡らせているような散漫な瞳だ。
合図の口笛を吹いて即座、わたしはエクノンの前に転がり出る。
対峙するまもなく、あちらが認知したのと同時、人一人分ほどある大きな爪を振りかざす。空を割くような音がして、それがわたしの悲鳴との区別がつかない。
エクノン側からすれば人を殺す手段などそれこそ星の数ほどあるはずなのに、どうして爪で切り裂くことを選んだのか。わたしを切り絵にでも使うのだろうか。そんな芸術面がこの異形にあるとは思えなかった。
けど、焼けて苦しむよりは胴体とさよならしたほうが痛みは少ない気がした。それが今のわたしたちにとって最大の贅沢だ。人が死ぬことが当たり前になったこの星で、わたしは他に良い死に方がないか模索する。
「どりゃ!」
ぼこん、とシンクが凹んだような音がした。
強靱な爪がわたしの額を切り裂いて、血が飛沫をあげる。自分が切られたことに気付いたのは目の前の巨体が大きな音を立てて横たわった後だった。傷は深くはないけど、流れる血が目に入ってしみる。
「ワンパンだ」
「ですね」
頼もしいはずなのに、えへえへと笑う彼女の表情には憧れを感じさせない。とても近く感じる強大な力に礼を言ってエクノンの首をナイフで切る。この作業が一番億劫だった。殺生に対する価値観はもう壊れてしまっているので、ただ面倒というだけだ。これならトイレ掃除のほうがマシだなと遠い過去を見て懐かしむ。
「ゆかさんって、なんでエクノンに無視されるんでしょうね」
「視認されないとか、もっとソフトな言い方ない?」
「あ、すみません」
彼女の名前は佐藤ゆかという。ずっと、ずっと前に、燃える大地の上で出会った。そのときからゆかさんはエクノンから無視・・・・・・もとい視認されないことで不思議がっていた。わたしが持っていた水を分け与えると、ありがとうと鼻水を垂らしながら抱きつかれたことを思い出す。
年上かどうかは分からないけど、わたしは住んでいた家の影響で敬語で話す。佐藤さん、じゃあなにか味気なさを感じるのでゆかさんと呼ぶことにしている。そもそも本当の名前かどうかも分からないけど、壊れかけのこの星では真実か嘘かなどささいな問題だった。
「とりあえず、ゆかさんのおかげで今日も食料は調達できました。ありがとうございます」
「え、いや~。どういたしまして」
細切りにしたエクノンは肉汁をたっぷり垂らして、要らない部分は砂をかぶせて星に食われるのを待つ。
草木も動物もいないこの星で、唯一の食料がこのエクノンだった。大量の肉汁もろ過すれば飲料水にもなるし、歯ごたえのある肉はあまりあるほどの栄養を含んでいる。
人類の存続を脅かす天敵のおかげで、今日もわたしたちは生きていられる。生態系とは不思議なものだった。
とはいえ生のままでは少々臭いがきついので、落ちていた太陽の欠片を使って焼くことにする。血潮のように蠢く赤が肉に触れると、ジュといい音がした。
「ゆかさん、見ていてもらってもいいですか?」
「えー! また私!?」
「だってゆかさん、焼き加減見るの上手なんですもん」
「そ、そうかな?」
「はい、だからお願いしますね」
「わ、わかった。任せて!」
ゆかさんは単純だった。喜怒哀楽がハッキリしていて表情からも分かりやすい。けど彼女は、多くを語らない。今を生きることに必死なのか、それとも過去は振りかえらない性分なのか、自分の素性を明かそうとはしないのだ。
以前一度だけ、わたしたちの仲間が多く死んだときに聞いたことがある。ゆかさんも大切な人を失ったんですか? と。
するとゆかさんは難しい顔をして、分からない。と言った。
記憶がないわけじゃなさそうだった。ただ本当に分からない、理解できないというような意味だとわたしは汲んだ。
わたしはこの星が焼かれたときに、姉を失った。すごく美人で、優しい。由緒正しいお屋敷のお嬢様で、けれども好奇心は忘れずに、自分で何かを成し遂げることが大事だとよく口にしていた。
そんな自慢の姉のことを話すとゆかさんは決まって悲しそうな顔をして、そのあと慰めるように寄り添ってくれる。感情が欠如しているというわけではなさそうだった。
それなら何故、あのときゆかさんは分からないと口にしたのか。
砂、としか形容のできない粒を通して水になっていく肉汁を眺めて考える。考え事をするくらいしか、自由を持て余す手段がなかった。
「下川ちゃーん!」
「はいはーい」
ゆかさんの声が聞こえたので、蓄えた水を容器に入れて運ぶ。
「ねぇねぇ下川ちゃん」
「なんですか?」
「ごめんね」
時々、ゆかさんは今みたいに謝ることがある。それもわたしにだけじゃない、昔いた仲間にも同じように頭を下げていた。申し訳ないという誠実な気持ちは、どこか気の抜けたようなゆかさんだから感じないのかもしれないけど、唇を噛む悔しそうな表情にはわたしも心が痛む。
「はい、いつものやつですね。ゆかさんが謝りたいのならいくらでも謝ってください。心当たりなんてひとつもないですけど」
「そう? じゃあ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「お肉いい感じに焼けてますね。やっぱりゆかさんは上手です」
お経のような環境音を背景に熱々の肉を頬張った。柚子胡椒なんかが合いそうだ。味を求めるくらいには、余裕があるのかもしれない。けどそれも、仲間の犠牲があったからだ。
今はわたしとゆかさんだけになってしまったけど、仲間への感謝を欠かしたことはない。
「食べたら探しにいきましょう」
人は寄り添わなければ生きていけない。わたしたちは毎日のように生き残りを探した。それくらいしか、やることがなかったのだ。娯楽のない世界で、わたしたちは生きることしか目指せない。どれほど普段、自分の未来に無頓着だったのかが分かる。
「って、ゆかさん。口に引っかかってますよ、エクノンの皮」
「え? どこどこ?」
「ほら、ここです。もう、動いちゃだめですよ」
はい取れた、と見せるとゆかさんはえへえへと溶けた笑顔を見せた。
どこか頼りない、けど放っておけない。芯に何かを宿して不器用に頑張る様子に勇気と活力を貰える。不思議な人だけど、なんだか近くにいてあげたい。
そんな人がクラスにいるんだと、まだ食卓に野菜が並んでいた頃、姉が言っていた。そのときはいまいちピンとこなかったけど、今なら少し分かる気がした。
「下川ちゃんってなんかバブみあるよね・・・・・・!」
「なんですか? それ」
人と話すのに不慣れなのか、それともただ下手なのか。万人に伝わらない単語を上ずった声で発するゆかさんを見て。
文明の破壊された砂だらけの星で、わたしは今日も笑えていた。
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