第11話 体が硬くて届きません

 今年の冬はどうにもやる気というものが欠けているようだった。


 確かな冷気を宿しながらも雪を地上に積もらせる気など更々ない。灰色に染まった空は閉鎖的で、一切の文句を受け付けませんと言ったその様子に親近感を覚える。


 空に舞うだけの雪は地上を終わりとしてまばらに降る。小さく、儚い。肩に乗ると延命できるけど、指で触れる頃には水になっていた。


 どうにかしてふわふわの雪を掴みたい。獲物を探すようにキョロキョロ。眼が前についているということは、私は肉食なのだろうか。草食動物は逃げながら視界を確保するために眼が横についているらしい。


 犬歯を舌でなぞり、ぐへへとよだれを垂らすフリをした。


 自分の表情筋がキリキリと痛むのを自覚して、誰かに見られていなかったか辺りを見回す。体操服に着替えたクラスメイトと目が合った。シャツが冷や汗でくっついて、気持ち悪くて私も着替える。


 廊下に出ると教科書を持って移動する人や壁によっかかって談笑する人。なんだか楽しそうに追いかけっこする人や厚めのファイルを抱えて笑顔を振りまく先生の姿があった。


 どれにも属さない私はそろそろと、まるで盗みを働いた泥棒のように人目を気にして歩く。ぶつかりそうになるたびに「ぎゃあ!」と飛び上がり、すれ違うときはわざとらしくスマホのロック画面を眺めた。


 雪が積もれば今日は体育館でバレーボールだったのに、やる気のない冬のせいでグラウンドで持久走をすることが決定した。


 そんな話を前を歩く人から盗み聞く。やっぱり泥棒だ。自分にないものを、他人から貰う。けど、情報が生徒全員に行き渡っていないのも悪い。誰が発信して、誰が拡散しているのだろう。


 どちらにしても、蚊帳の外である私は文字通り離れたところでぷんぷん飛んでるだけだった。風に乗るように、その人たちに付いていく。


 外は太陽も隠れていい塩梅の彩度を保っていた。冬のこういうところは好きだった。キラキラと輝くものがなく、雪さえ降らなければ世界は灰色に閉ざされるばかりだ。寒さは布団で顔を隠す口実にもなるので私にとって都合のいい季節。


 はっはっは、歓迎しよう。と両手をめいっぱい広げて笑う。一人で。


 向こうにいる人が私を見ていたけど、指を指して笑うこともなく一瞥してすぐにどこかへ行ってしまう。過干渉と無干渉、どちらが生きていく上で大きな障害となり得るだろうか。


 別に人と関わりたくないとか、人が嫌いで心底憎んでいるというわけではない。上手に喋れたら嬉しいし、うまく会話を繋げなかったときは落ち込む程度に私の心は正常だった。


 ただ、痛いだけ。


 日差しが痛くて、焼けるような目の奥の痛みに私は怯えているだけなのだ。


 もしかして、病気? 一度眼科に行ったこともあるけど、眼精疲労と診断されて目薬を処方された。生まれてはじめての目薬は眼球に着地することはなく頬ばかりを流れていった。


 二週間分出されたはずの目薬がものの一週間でなくなったのを今でも覚えている。


 芸能人みたいにサングラスでもかけようか。こめかみがむずむずしてすぐに外しそうだった。


「な~なかっ!」

「ぼびゅ!」


 突然後ろから抱きつかれて自爆する敵キャラみたいな声が出た。前によろけつつおっとっと。後ろの咲良もおっとっと。


 二人してステップを踏んで、踊るようによろめく。けど咲良はバランスを正そうともせずに重力に身を任せたせいで私もろとも地面に着く。


 柔らかい土に背中をついて、咲良と一緒にごろごろ・・・・・・するのは、はしたないので手をついてグギギと耐える。


 首筋に咲良の吐息と髪がかかってくすぐったい。おひょ、と声をあげて背筋をピーン! と張る。咲良の肉感が跳ね返ってきてドキドキする。


「び、びっくりした! いきなり襲いかからないでよ!」

「あははっ、ごめんごめん。奈々香が一人で寂しそうに歩いてたからさ、我慢できなくて」


 その理屈だと私は分刻みでで襲いかかられることになる。私が一人寂しく歩くなんて、それくらいの頻度だった。


 腰をつくと、咲良の細い腕が目の前に差し出される。両手で引っ掴んで、おいしょと立ち上がる。お姫様が王子様に手を引かれるよう・・・・・・な光景にはならなかった。主に私のせいなんだけど。


 およそおばあちゃんの足取りでよろめく私と咲良でグラウンドを横断する。


 軽口を叩いているとすぐに先生が来て授業が始まる。


 準備体操でペアを作るように言われたのでいつものように私はお腹が痛くなった。最初は逃げるために演技をしていたつもりだったけど、いつのまにかほんとに痛むようになった。


 先生も察しているのか肩を落として私のほうへ視線を向ける。


「奈々香~! 一緒に組も~!」

「おぎゃあ!」


 今度は横からだった。


 肩を抱かれて、異国のようなスキンシップに全身の筋肉が硬直する。


 目をまん丸にした先生が私を見て、笑顔になる。よかったなぁと囃されて、私はいやぁ~と頭をかいた。


「えへえへ」

「じゃあ最初奈々香が座って、あたしが押したげるから」

 

少しひんやりとした地面がお尻を伝う。ともすれば背中には咲良の体温を感じて、寒暖差で風邪を引きそうだった。


「奈々香さ、昨日はありがとね」

「え? 昨日?」

「玄関にマフィン置いていったの、奈々香でしょ」

「あ、うん」

「やっぱり。あたしの大好きな味だったもん。・・・・・・直接渡してくれればよかったのに」

「な、なんか恥ずかしくて、玄関の前で尻尾巻いて逃げちゃった」

「ごんぎつねみたいじゃん」


 確かに! と同意して、午後一の授業が国語だったことを思い出してげんなりする。


「弟も妹も、めっちゃ嬉しがってたよ。なんか最近落ち込んでたみたいなんだけど、ちょっとは元気出たみたい。だからほんと、ありがとね」

「そ、そう? なんか、そう言われると作った甲斐があるかも。えへえへ」

「あはは、奈々香のそういうとこ」


 言葉の続きはでなかったけど、咲良も顔を綻ばせ――。


「いでででっ!」

「あ、あれ? 奈々香?」

「ちょ、ちょ! もう曲がんない! 咲良! タンマタンマ!」

「えぇ!? あたし全然まだ押してないよ!? って、奈々香!?」


 ちーん。と咲良の腕から逃れた私は前屈姿勢を解き、引かれたカエルみたいに地面に突っ伏した。


「奈々香・・・・・・体硬くない?」

「いや、自分でやるともっと曲がるんだけど・・・・・・」


 じゃあやってみてと言われて再び前屈。背中を曲げて、手を伸ばす。


「ほら!」

「思いっきり膝も曲がってんじゃん」


 私の不正がバレて、咲良に睨まれた。自分に枷をかけることのない性格がこういうところに出てしまう。楽が大好き。楽をするために楽をしたいみたいな思考が姿勢に現れて、つい後ろめたさで咲良にすんませんと謝る。


 交代して、私が咲良の背中を押す。背中に触ると、凹凸があって、うわブラだ。と心の中で呟く。別にはじめて触れる感触でもないのに、人のだからだろうか、それとも咲良のだからだろうか、違って感じた。


 押すと、咲良が海老みたいにくにゃりと曲がっていく。うわ柔らかいなーって肌をむにむにと触りながら思う。


「んっ、奈々香さ、すごいよね」

「え? なにが?」

「んしょ、人のためにさっ、んっ・・・・・・なにかできるのって、すごいことだよ」

「そう、かなぁ」

「そうだよ。あたしはさ、前もっ・・・・・・い、言ったけど、自分を変えたくて、ギャルになったんだよね、ん、でも。誰かのためになったわけじゃ、ないからさっ」


 吐息混じりの咲良が体を起こす。背中を押す距離にいたから、振り返った咲良の顔が眼前にあって、ストレッチのせいなのか上気した頬が艶めかしく見えた。

 

「憧れるよ、すっごく」

「咲良が私に、憧れる!?」

「うん」


 私の憧れる咲良が、私に憧れる? なにそれ無限ループ? 


 何回かくにゃくにゃして、前屈を終える。


「ほら、もっかいやろうよ」

「えー! ムリだよそんなの!」

「大丈夫だって! あたしが優しくして教えてあげるから」

「えっ? 優しく?」


 その言葉に官能的なものを覚え、てれてれと地面にお尻をつける。


「体柔らかいといろいろ楽だよ? 痛まないし、血行もよくなるし。血行がよくなると顔色もだいぶ明るくなるからさ、いいことづくし」

「ふぎぎ・・・・・・」


 言った通り優しく添えられた手のひらに背中を押される。物理的にも、精神的にも。


 咲良のそばにいると、ムリなことでも頑張ろうって思えた。きっとこの手は届かないけど、いつかは届くようになるのかなって希望を抱くこともできる。


「あたしも奈々香のためになにかしたいんだ。お返しとかそういうんじゃないよ? なんてーかさ、そういう関係って素敵だなって思うから」

「な、なるほど・・・・・・ぴぎゃ!」


 股関節がビキ、と軋んだ。


 もうギブアップしたかったけど、咲良の眩しいくらいの良心に口を閉ざして代わりに悲鳴をあげる。


「空は明るいほうがいいよ」

「・・・・・・え?」


 振り返ろうとするけど、首が曲がらない。


「だからほら! ファイトファイト!」

「そ、その心意気は他のことに活かしてほし・・・・・・ぎゃあ!」


 咲良の言ったことが一瞬気になったけど、そんなもの消し飛ぶくらいにひん曲がった部分が熱を帯びて汗が滲む。


「ふぎぎぎ!」

「お、おー? 奈々香! 曲がってる! 曲がってるよ!」


 声に押されて、手に押されて。私は手を伸ばした。


 普段なら絶対届かないし、届く前に諦めてしまうその場所に指先が着地して、湿った砂を撫でる。

 

 背中から聞こえる達成感溢れる声に、自然と私も顔が綻ぶ。


 体の力を抜くと自然に体が倒れ、やってやったぜと天を仰ぎ見る。


 灰色に隠れた僅かな光だったけど。


 そのとき私は、久しぶりに太陽というものを見たのであった。

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