第10話 私にできること

 しばらくすると『ついたー!』という元気いっぱいなメッセージが届いて、私は待ち合わせ場所の服屋に向かった。


 入り口には私服姿の咲良がいて、ロングスカートも似合うなんてズルいなぁと羨む。羨むけど、羨むほどなにかをしているわけでもない私はえへえへと可愛い咲良の私服姿に見惚れながら小さく手を振った。


 私がくるまで口をとんがらせてスマホを眺めていた咲良だったけど、こちらに気付いた途端パッと笑顔になって体を跳ねさせた。


「やー! マジでごめんね!」

「ううん、大丈夫。えへ」

「ん? どしたん? なんかにやけてるけど」

「あっ! これは、名残だから気にしないで」

「名残?」


 よく分かっていないようで咲良が首を傾げる。


「奈々香なんか用事あったん?」

「え、なんで?」

「せっかく家近いんだから一緒に向かおうって思ってたんだけど、奈々香が先行ってるって言うからさ。なんかあんのかなって思って」

「あー、あー」


 それは、たしかに。


「あー!」

「あははっ、なにそれ」


 大きく開けた私の口の中を見て、咲良が笑う。恥ずかしくて、すぐに口を閉じた。カバみたいだった。


「でも、それを言うなら咲良もなにかあったの?」


 なんの気なしに咲良の方を見ると、キョトンと目を丸くした。


 そういう私は、咲良が待ち合わせに遅れるのって意外だなぁなんて思っていたのだ。


 別に遅れたことにぷんぷん怒っているなんて彼女面をするわけではないけれど、私のイメージとしてはギャルって付き合いに機敏だから遊びとかの用事には遅刻しないものだと思っていたから、咲良もきっとなにか外せない用事があったのかな。なんて無駄にアンテナを張っていたのだ。


「うん、ごめんね。ちょっとウチの弟がさ、熱だしちゃったみたいで・・・・・・」

「そうなんだ。というか弟がいたんだね」

「弟一人と、妹二人」


 人差し指を立てて、もう片方の手でピースをつくる咲良。私も真似をしてピースをすると、咲良が「なにそれ」と笑う。自分でもよく分からない。


「弟は大丈夫なの?」

「うん。もう微熱程度だし、一人でご飯も食べれるみたいだから。置いて来たった」

「スパルタだ」

「まぁ昔からほとんどあたしとチビ達だけで住んでるからさ、ちょっとは頑丈に育ってくれてるワケ」

「え、そうなの?」


 店に入って、服屋独特の香りを嗅ぐ。それより少しばかり甘い、咲良の首元を見た。


 咲良は「あ」と小さく声をこぼしたかと思うと、困ったように笑って息をついた。


「ごめんごめん。デート中にする話じゃなかったわ。忘れて!」

「で、デート!」


 そうかこれはデートなのか。そう思うとなんだか足取りが浮ついて、視線がバランスを失ったようにぐらぐら動く。


「もしかして時々パンを買いにきてくれたのも、弟と妹用に?」


 そういえば咲良が買っていたのは甘い、子供が食べるようなものばかりだった。うちの店が菓子パン中心のパン屋だということもあるかもしれないけど、もしかしたらと聞いてみる。


「もう奈々香、忘れてっていったのに」


 見上げる私の肘を咲良がつつく。わひゃぁと声をあげて数歩離れると、咲良が上着を広げて私に見せた。


「これなんかいいんじゃない? 奈々香に似合うと思う」


 落ち着いた灰色ベースのチェック柄。あまり着たことのない色に尻込みしてしまう。


「ちょっと羽織ってみようよ」

「え、うん」


 買う前から着ちゃっていいの? 店員さんに怒られない? 危惧するも、咲良が一緒にいてくれるのならなんだか大丈夫な気がした。


 咲良が上着を広げて「手、入れて」と言うのでちょっとドキドキして変なことを考えつつ袖を通した。


 キュっと背中を引っ張られ、ピシっと脇を締める。


「おー、いい感じじゃん!」

「そ、そうかな」


 自分ではよく分からない。見えないとかではなく、よく分からない。


「うんうん! なんか清楚系ってカンジ! うわー憧れるわー」

「えぇ?」


 口にする言葉が反転する呪いでもかけられたのだろうか。私が、清楚? はじめて言われた。そんなの。


 咲良といると、はじめてのことばかりだ。何もかもが初体験で、初体験。えへえへ、と頬が緩んで自分でも気色悪いなぁと俯瞰して思う。


「うふふ、私、清楚かしら」

「そのキャラはちょっとちがくない?」


 違うらしかった。清楚ってなんだろう。


「あのさ、奈々香」


 上着を脱がすために後ろに回った咲良が私の耳元で囁く。


「あたし、奈々香のこと好き、なんだけどさ。信頼もしてる。だからさ、今度。今度でいいんだけど、ちょっとだけ頼りにしてもいい?」

「えっ?」


 バッ、と振り返ると。


 顔を赤くして俯いた咲良がそこにいた。


 私よりも背丈の大きいはずの咲良がすごく小さく見えた。


 手を伸ばして、触れてみたくなる。


「な、なんてね」

「いいよ?」

「うぇ」


 私が特に間もなく答えると、虚をつかれたように咲良が背筋を伸ばした。変な声もあげて、私みたいな反応だ。・・・・・・自覚はある。


「私にできることなら、全然いいけど」

「そ、そっか。あはは、うん。ありがとね」

「なんにもできないけどね」

「そんなことないよ。奈々香がそう思ってくれてるってだけで、すっごい安心できる」


 はにかむように笑う咲良の頬が朱に染まる。服を探しても、どれが良いとか分からない私だけど。この色は綺麗だな、って思った。なんだかこっちまで幸せな気分になる。なんでだろう。


 結局選んだ服は紺色のシャツとベージュの上着。あとは白っぽいスカートに真珠のアクセサリー。いや、真珠じゃないかもしれない。なんなんだろこれ。プラスチックの玉? 途端に風情がなくなった気がする。


 そんな普段着ないような服を見繕ってもらい、色とりどりになった紙袋の中を覗くと誰かの荷物持ちをしているような錯覚に陥る。けど、これは私が着るもので、咲良が私になら似合うと選んでくれたものだった。


 お値段のほども手頃でこれだけ買ったのに思ったより安く済んでいる。金銭面にも気を使ってくれたのかもしれない。


「ぜったい! かわいいから!」


 店を出たあとにも太鼓判を押されて、恥ずかしさから「奈々香のほうが可愛いよ」とよくわからない逃げ道を作ってしまう。


 すると咲良の頬が再び朱を作って綻んだ。


 ああ、選んでもらった服も綺麗だけど。この色が、一番好きだな。


 そう見惚れるように歩いていたものだから。


 私は前にある電柱に気付かずに、額をぶつけて咲良の前でひっくり返ったのだった。



 家に帰った私はキッチンの前でマフィンを作っていた。


 他のパンは難しくて、デニッシュは形がまだ綺麗にできない。生地を折った時はいいのに、焼くとなぜかずんぐりむっくりになってしまうのだ。


「あら奈々香、珍しいわね。どうしたの?」

「うん。ちょっとね。友達が、わかんないけど。なんか困ってる風だったから、私にできることってなんなのかなって考えたらやっぱりこれかなって」


 咲良が私を頼りにしてくれると言った。優しい咲良だからきっと詭弁なのかもしれないけど、私を好きでいてくれる人のために何かしたいとは思う。思える良心がまだ自分の中に眠っていたことにほっと胸を撫で下ろす。


「ふーん。あんたにそんなマトモな人間性があったなんてね」

「や、やっぱり? 私って実は優しい? 頼りがいあるのかな!」

「すぐ調子に乗るところは相変わらず、我が娘ながらため息がでるけど」


 前のめりになった姿勢を正されたようだった。結局背筋は曲がり気味に、生地の入った搾り袋をにぎにぎする。


 パンを作るのなんて実際そこまで好きでもないし、今までお客さんのことを考えて気持ちを込めたこともない。けど、今は生地を搾るたびに綺麗に焼けてくれと願いながらキッチンに立っている。


 それがどういうことか。誰かのために何かをしたいという気持ちの行き着く先はなんなのか。


 好きという感情であれば、きっと地球も救われるし最善なんだろうなぁと思う。


「よーし! いっぱい作るぞー!」

「あ、でも材料費はあんたの小遣いから引いておくわね」


 お母さんの言葉に力が入り、ぶちゅ。と生地が飛んで顔にかかった。


 汚れた手で、濁った汁が滴る前髪を払う。


 その瞬間。厭世的な視界に鮮明な光が差し込んで、目の奥が鼓動に合わせるように痛くなる。


 見えるすべての景色が透明で、在るはずのものが空気に溶け込むように見えない。昼間の星を眺めるように目を細め、眩しさにカーテンを閉めた。


 暗いのは、やっぱり落ち着く。視界が黒に覆われると海の底に落ちたようで、どうせもがいたところで助からない。息をするのは疲れるからそのまま楽に沈んでしまおう。そう思えるようになる。 


 ぽこ、ぽこ。


 オーブンの中で踊るように回るマフィンを眺める。


 黄土色の生地が電光に照らされて映るその様はまるで水面に映る月のようだった。


 けど、それはおかしい。だって私は水面を見れない。底に沈んでいるのだから。じゃあこれはなんなんだろう。考えて、いやマフィンでしょと答えに辿り着く。


 ――ボガン!


 ぼーっとしていると上の方で鈍い音が聞こえた。


「え? なにいまの音? 二階・・・・・・ううん、屋上?」


 晩ご飯の用意を始めようとエプロンの紐を結んでいたお母さんが怪訝に見上げる。


「ちょっと見てくるわね」

「あー! いやいや! 大丈夫大丈夫! 私の知り合いだから!」

「・・・・・・そうなの?」

「・・・・・・うん」


 妙な間を宿した互いの会話が細切れに続く。


「ま、友達が増えるのはいいことね。この調子で早くぼっちから卒業しなさいよ」


 友達・・・・・・。


 天井を見上げて、更にその上。星空の下で今頃うねうね蠢いているであろう白滝みたいなシルエットを思い浮かべてげんなりする。


 ここ最近は毎晩合ってるからもしかしたら友達なのかもしれないけど、うーん。


 けど、仲良くなればもしかしたら地球を滅ぼすのをやめてくれるかもしれないし。


 この後会ったら、ちょっと友達になれるか交渉してみようなんて考えてみたりもした。 

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