第8話 桜と一緒に雪踏んで

 しゃこしゃこと口を泡立てながら鏡を見る。


 目にかかった前髪が朝だというのに私の視界を暗くする。


 誰も見たくなくて、誰にも見られたくなくて、小さい頃に定着した私の髪型。家族や親戚からはすこぶる不評で、髪を切れとよく言われる。


 一度、椅子に縛り付けられてムリヤリ前髪をちょんぎられたことがある。


 明瞭な視界で光る世界の輝きに、私の目は潰れた。眩しくて、瞳と心が焦げていくようだった。


『やっぱり奈々香さ、前髪あげたほうが可愛いよ』


 まさかね。


 自分の手で髪をすくって鏡に映る自分を評価する。


 平均以下、と。


 化け物のように醜悪な面相じゃないだけ良しとしよう。人生ポジティブ。私が言えたことか。1人ツッコミもむなしく一緒に水に流す。


 口を拭いて陰った視界を認めると、玄関で待っている咲良の元へ駆けた。


「お、おまた!」

「んー? 待ってないよ、気にしないでー」


 なるほど。おまたにはそう返せばいいのか。勉強になるなぁ。


「奈々香をよろしくね、さくちゃん」

「いえ、こちらこそですー。おかあさん」

「え、いつのまに2人仲良くなったの」


 さくちゃんって、おかあさんって。歯を磨いているおよそ数分の間にそこまで仲というものは進展するものなのか。


「あんたには内緒よ。ねー?」

「ねー」


 ふーん。まぁいいけど。仲良くなるのは決して悪いことじゃない。是非このままお母さんの機嫌をコントロールしていただきたい。


「じゃあ、いってきます」

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい! さくちゃーん!」


 まるで旅にでる娘を送る母親のノリだ。っていうか私は?


 外に出ると、地面に雪のカーペットが敷いてあった。


 積もっているわけではないけど、黒いコンクリートは完全に覆い尽くされている。でも、これもお昼頃になれば溶けてるんだろうなーと遠くで光る太陽を見て思う。


「うーさぶ」

「奈々香、おっさんみたい」


 体を震わせ寒さに愚痴っていると咲良に笑われた。


 お父さんのお古であるベンチコートで身を包んでることも相まって、そう思われるのかもしれない。内心ショックだ。この年で、お、おっさん。


「咲良は寒くないの?」


 対して咲良は防寒着は纏っておらず、マフラーと手袋。それに申し訳程度にもこもこのついたブーツだけが咲良の体を守っていた。


 スカートから伸びた生足が見るからに寒そうでちょっと心配になる。


「ちょー寒い」

「だよね!?」

「でもこの制服可愛いじゃん? コート着るのも勿体ないし、あたしはずっとこのスタイル貫き通してるんだよねー。だから慣れっこ、むしろこの寒さが心地いい、的な?」

「へー、。咲良ってMなの?」

「はぁ」


 円滑に進んでいたはずの会話が突然途切れる。


 さすがの私でもその原因が自分自身であることに気付いた。


 Mなの? じゃないが。今そういうことを話していたんじゃないが!


 私はやっぱり、どこまで言ってもコミュ障だった。会話が下手すぎて、失敗に気付いた頃には背中を冷や汗が伝う。だめだこりゃ。


「うーん」


 咲良が唸る。なんかほんと、ごめんなさい。


「奈々香」

「はい」

「あたし、奈々香のこと好きなんだけど」

「なるほど」

「なるほどって、えっとさ。答え、聞きたいんだけど」


 私は前を向いたままだけど、隣から咲良の視線をばちこり感じる。


「答え、答え」


 好きなんだけどという式に対しての解がさっぱり分からない。どういう公式を使えばいいの? 分からない。


「あ、付き合うかってことか!」


 マンガやアニメの知識を引っ張り出して、憶測をたてる。


 すると咲良の体が一瞬ピンと伸びた気がした。


「あー、うん。そうなれるといいなーとは思う。あたしたち今ニセの恋人やってんじゃん? でもそれもやっぱりいつかはバレるかもしれないし、そしたら地球もヤバいじゃん? だからマジで付き合っちゃえばその危険もなくなるワケだし、あたしも・・・・・・奈々香と付き合いたいし、一石二鳥じゃん」

「たしかに。ふむふむ、たーしかに」

「でっしょ? まぁ、それは奈々香次第だけどさ」


 咲良にしては珍しく、不自然に目を離して頬をかく。それが照れている際の仕草なのだとしたら、私はきっと。


「えっと、い、いよ?」


 イエスと肯定するのが正解なんだと思う。


「えっ」


 咲良の小さな口から、小さな声が漏れる。


「いいとこなんて1つもない私だけど。それでもよければ」

「そ、そっかー! マジ、ちょー嬉しいかも。やばい」

「ははは」


 咲良の鼻の上に雪が乗っていた。だけど気付いていないのか、それを取ることはせずに「えへへ」と笑う。


 ギャルの純朴な笑顔ってズルいと思う。なんていうか、悪役が主人公を助けにきてくれた時みたいなギャップというか、カタルシスのようなものを感じる。いいねボタンがあったら是非押したい。


 ・・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


「って、え!? 冗談じゃないの!?」

「えっ? なんで?」

「なんでじゃないよ! 咲良が私を好き!? は!? 意味わかんないよ! だって私たち前まで顔も知らない赤の他人だったんだし!」

「それはこれから知っていけばいいんじゃない? お互いにさ」

「いやいや! ていうか私女だから! 咲良も女! 私も女! しかもこの私だよ!? この私! 好きになる要素皆無じゃん! ありえない! ありえないの数え役満だよロイヤルストレートフラッシュだよ! あ、もしかして咲良って実は男? そんなわけあるか!」


 堪えていた感情が土砂のように雪崩れ落ちいく。


「咲良、もしかしてあの宇宙人に変なビーム浴びせられた? そしたら大変だよ! えっと、病院? 病院行けば治してくれるかな! でもなに科に行けばいいんだろうね、ひ、泌尿器科? それとも産婦人科!? エイリアン産まれちゃう!?」

「奈々香!」


 大きな声で制されて、私の口が萎縮する。パクパクと開閉して、空気だけを漏らす。


「あたし、マジだかんね」

「だ、だからそんなの」

「マジで、奈々香のこと好きだから」


 咲良が手袋を外して、冷たい手を私の頬に添えた。


 昨日とは対極にある温度。だけどそれが、混乱する私の頭をリセットしてくれた。


「好き、だから」


 真っ直ぐ、見つめ合う。


 長いまつ毛が上を向いて、唇は赤い。この気温だというのに肌に艶があって、髪もいつもより多めにカールしてあった。


 女子として、綺麗でありたいというのは当然だ。だけど、今日の咲良がいつもより気合いを入れて化粧をしている理由がどこかにあるとしたら、きっとその、潤んで揺れる瞳の奥にあるのかもしれない。


「ほ」

「ほんとに、好き」


 いつもの砕けた口調ではない、溢すように紡いだ言葉が私の鼓膜を撫でていく。


 咲良が私を、好き。ほんとのほんとに。冗談でもなく。


 えっと。


 信じられない。信じられないけど、今はきっと信じなければいけない時で。


「うぁ」


 ボンッ! と自分の顔が熱くなるのが分かった。


「昨日の続き。もっかいギュッてしてもいい? いいよね」


 返事を待たず、咲良が私の背中に手を回し、抱き寄せた。


 咲良の胸に顔が埋もれる。


 防寒着のせいで体温を感じることはできなかったけど、体を包む得たいの知れない何かが全身の力を奪っていく。


 両手が宙ぶらりんに行方を失い、それでも預けた体重を咲良が支えてくれる。


 好きと明確に伝えられ、理解した直後の抱擁は明らかに昨日とは違うものだった。


 や、え。なにこれ。


 恥ずかしい。恥ずかしくて死にそうなのに、何故か離れることができずに咲良の熱を探すように触れてしまう。


 鼓膜の横に心臓があるのかと思うくらいに鼓動がうるさく、なのに降りしきる雪のはらはらとした音がBGMとなり場を盛り立てる。


「嬉しかった。あたしをハリボテじゃないって言ってくれて。ぶっちゃけさ、あたしあん時ケッコー参ってたんだよね。もうやめよっかなって、全部ほったらかして逃げちゃおうかなって」

「あのとき? あ、マッグの」

「そう。でも、奈々香のおかげで踏ん張れた。あの日の夜、あいつらに言ったよ。もうあんたらに関わる気は無いから諦めてって。それを言う勇気を、奈々香はくれたんだよ」


 え、えー? 私なんか言ったっけ?


 なんとなーく。適当に返事をしていたのがバレて、詭弁を撒き散らしたことは覚えてる。


「って、え? もしかしてそれがきっかけで私のこと好きになったってこと?」

「そうだけど?」


 やだ! この人チョロい!


 今時のアニメでもそんなヒロインいないよ! 


「奈々香はあたしのことどう思ってるわけ?」

「えーっと」


 答えを問われるのはこれで二回目。咲良は知りたがっている。私の気持ちを。


「ふ、ふつう!」

「がーん! ケッコーショックなんですけど!」

「だって! ふつうなんだもん! 嫌いなんかじゃないし、好きっていうのもちょっと違うし・・・・・・あ、でも可愛いなーとかエロいなーとかは思う」

「エロ」

「あ! いや! ぐへへそういうんじゃなくてね、ふひ。なんていうか、うん。だからふつうなの! ふつうって言ってんじゃん!」

「なんで逆ギレ?」

「キレてないっすよ?」

「古いよ」


 こういう感情を処理するアプリは私の脳内にはインストールされていないので、結局具体的な返事は出来なかった。


 でも、今ままでだってそうだった。


 嫌いな人なんてそうそう出来ないし、かといって好きな人も出来たことはない。じゃあ、その二択は私の中ではすでに除外されていて結局普通というカテゴリ内で何個にも分けられた序列に当てはめるのが最も手っ取り早い。


 咲良はその中でも一応はトップクラス評価であることは間違いないんだけど、それを言語化するには私の人生経験が足りなすぎる。いったいそのアプリはどこで手に入るんだろう。有料だったらいらない。


「そっかー、ふつうかー」


 咲良が私から体を離す。その瞬間は、やっぱり少し寂しいものがあった。


「まぁいいや。教えてくれてサンキューね」


 ハッキリしない私の物言いに言及することはせず、咲良はいつものギャルっぽい笑い方で白い歯を見せた。・・・・・・ギャルっぽい笑い方ってなんだ?


「そしたら、これから奈々香に好きになってもらえるよう頑張るわ」

「そ、そっか」

「うん。そういうわけだからヨロシク。あ、こういうのもさ、百合に入るんかな? だとしたらあの宇宙人にも話した方がいい系だったり?」

「今まで騙したのかー! って怒られそうな気がするけど」

「あーたしかに。じゃあ内緒のままでいこっか。いつか嘘がホントになるまでね」


 素敵な言い回しに、私は呆けたまま頷いた。


 朝の覚醒しきっていない脳では、怒濤の展開についていくことができなかったのだ。


 果たして、私が咲良を好きになる日は来るのだろうか。


 情の欠損した私を、好きになってよかったと咲良が思える日は来るのだろうか。


 まるで宇宙の果てを覗き込むようだった。


「にひっ、ねね。今日もどっかいこーよ。あっ、あたし奈々香と服見に行きたい! 奈々香に似合う服あたしが探してあげるよ!」

「そんな服ある、かなぁ?」

「絶対ある!」


 咲良がそう言って、私の手を取った。


 周りの視線を感じて、雪道を駆ける朝。


 こんなにも私を好きでいてくれる咲良のために、寄り添ってあげたい。


 でも、それは本当に好きと言えるだろうか。


 それで互いに付き合ったとして、綻びのない道が続いているだろうか。


 うーん。


「奈々香どしたん? 難しい顔してるよ」


 もっと楽観的に考えた方が、私たち的にも地球的にもいいのかもしれない。


「やっぱり、私も好きかも!」

「・・・・・・嘘こけ」


 バレバレだった。


 肩にかかった雪のように軽いノリも、JKらしく。これでいいのだと自分に言い聞かせる。


 難しいことはよく分からないから、今は地球を救えればそれでいい。咲良の柔らかい手のひらにえへえへしながらどうせ今日で消える雪道に足跡をつけて回った。

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