第7話 おはよう私を好きな人

 学校でやった性格診断で『芸術家タイプ』と評されたことがある。


 誰にも理解されず、凡人からかけ離れた感性の持ち主。言い換えれば天才。それこそが『芸術家タイプ』だと先生に言われ、浮かれていた私はそれから三年ほど経ってから真実に気付いた。


 あれは遠回しに『社会不適合者』と言われていたのだ。


 社交性もないし地頭もいいわけではない。かといって運動が得意なわけでも機械に詳しいわけでもなく働く意欲もない。そんな私は、そう。『芸術家タイプ』。皮肉が効いている。


 でも私は芸術にも興味がなくって、特別なものも持っていなくて。


 それらは夜に見上げる星のように遠く、小さな問題であったから考えないことにした。


 友情、なし。愛情、なし。


 誰とも手を繋ぐこともなく、抱きしめられることもなかった私は愛を知らない。愛を知らないまま生きてきたから、誰かを愛したこともない。


 味のしない生地をぐるぐる巻きにして、中身の入っていないクロワッサン。


 誰もこんなパン、食べたがらない。


「こら奈々香ー! 起きろー!」

「ぎゃあ!」


 空中で一回転した。


 布団を引っぺがされ、クッションを失った私はそのまま床に顔面からダイブする。


「ぐぅ」

「寝たフリしたってダメだよ。気絶したって起こしてやるんだから。ほら、しゃっきりする!」


 目覚ましのアラームとお母さんの声がデュエットとなって、鼓膜が採点を下す。34点。耳障り。不協和音。


「なによその目は。お母さんに文句でもあんの?」

「ないですよ、ないです」


 ハイハイと生返事をして体を起こす。


 それを見届けたお母さんは、相撲で飛ぶ座布団みたく布団をぶん投げた。怪力め。


「ご飯もう出来てるからあったかいうちに食べちゃいなさいよ」

「どうせパンじゃん」


 ギロ、と睨まれた。その目力はあの地球外生命体にも負けていない。


 腕を組んだお母さんが、スンと鼻を鳴らして上を向く。


「最近隙間風が多いわね・・・・・・奈々香、天井きちんと閉めたの?」

「閉めたよ・・・・・・?」


 すみません、本当は穴空いてます。しかも二つ。


「なにか隠し事でもしてるんじゃないでしょうね」

「ひゅー・・・・・・ひゅー・・・・・・」


 口笛で誤魔化した。


 百合星人のことは、お母さんには言っていない。


 なんとなく、恥ずかしかったのだ。


 実はこの前百合星人ってのが来て、地球を滅亡させるって言うから同じクラスの咲良と恋人のフリしてるんだー!


 お母さんの蔑むような視線が目に浮かぶ。


 というか絶対信じてもらえない。百合星人ってなに。もっと名前ひねって?


 猫みたいに伸びて、冷たい床に体をくっつける。ちょっと気持ちいい。


「たるんでる」


 呆れたようなため息と一緒にお母さんの渇が降り注ぐ。


 ドアノブを回す音が聞こえて、頬を床につけたまま聞いてみた。 


「ねぇお母さん」

「なによ」


 太い首元を億劫そうに回してお母さんが振り向く。  


「私のこと、愛してる?」

「朝番も手伝ってくれるようになったら、愛してるわよ」

「そっか」


 ふむ、考えてみる。


 朝番となると、今より2時間ほど早く起きなきゃならなくなる。


「じゃあいいや」


 愛なんていらなかった。


 それよりも私が欲しいのは睡眠時間だ。


 鳴りもしないお腹をさすって、パジャマ姿のまま下に降りた。


 案の定、朝食はパンだった。


 昨日売れ残った食パン。賞味期限の切れたマーガリンと砂糖をまぶして申し訳程度の味をつける。甘い。こだれだから太るんだ。私は悪くない。


「ちょっと肉があったほうが愛嬌あっていいじゃない」


 腹をつまんだ私を見てお母さんが言う。 


 ・・・・・・そうかなぁ。


 やっぱりモデルさんみたいにボンキュッボンな体型が1番綺麗だと思う。思うだけで、なろうなんて思わないし多分なれないけど。


 胸が大きくて、くびれていて、お尻も大きい。腰を引く仕草だけで艶めかしく、シルエットだけで人を魅了する。


 頭に浮かんだのは咲良だった。


 身近にあんな可愛い子がいて、そんな子と最近仲良くなって。しかも手を繋いでハグをして、好――。


「ゲホッ! ゲホッ!」

「なーにむせてんのよ。落ち着いて食べなさい、まったく」


 そんなお母さんの声なんてどこ吹く風。


 私の脳内に広がるのは昨晩の甘い情景だった。


 ピンク色の花びらが舞う中、咲良が私を抱きしめた。いや花なんて舞ってなかったかもしれない。でもそれぐらいに、情熱的な言葉と想いを受け止めた。


『あたし、マジで好きになっちゃったかもしれない』


 へぇ、そうなんだ。なるほどね。


 まぁ、敵を騙すにはまず味方からっていうしね。


 だからって、あそこまで顔を真っ赤にして言わなくてもいいのに。


『そんなつもりじゃなかったんだけど。抱きしめたら、想いが溢れちゃって』


 溢れちゃって、って。溢れるほど貯蓄しないでほしい。というより、そこまで蓄える期間あった? だって私たちはまだ知り合ったばっかりで。


『好き。好きだよ。奈々香』


「おひょ」

「キモい声出さない」

「だ、誰が」

「あんた意外に誰がいるのよ。自覚ないの? 家の外でやらないでよ? それ」


 口に触れる。


 私は昨日、なんて答えたんだっけ。


 どれだけ棚を開けても答えは見つからなくて、屋上に立ち尽くしたんだっけ。


 もしや夢だったんじゃないだろうか。そんな夢を見る精神状態もやや心配だ。つまりどっちにしたって、落ち着いてはいられない。


 食パンの耳を口に詰めて、牛乳で流し込む。


 甘い。


 ――ピンポーン。


 食器を片付けていると玄関のチャイムが鳴って、お母さんがパタパタと駆けていく。


 こんな時間に誰だろう。珍しい。


「なっ! 奈々香ー!!」


 ドタドタと走る音と叫び声が交互に聞こえる。何事か。


 見ると顔を真っ青に、汗を滝のように流したお母さんが肩で息をしていた。


「た、大変よ!」

「だから、いったい何が!」

「あんたの友達だって言う子が・・・・・・玄関に!」

「え?」


 私の、友達?


 私に友達なんていただろうか。


 友達の定義がいまいち分かっていない私だけど、勘違いでなければ1人、心当たりがある。


「あー、多分それさく――」

「あんたに友達なんているわけないでしょ! あれはきっと変装した強盗よ! 学校の友達ですって嘘をついて家に上がり込む気だわ! ああでもよかった、あんたに友達がいなくて。おかで騙されずにすんだわ」

「いやだから! それ私の友達だから! 実の娘をなんだと思ってるの!」

「嘘おっしゃい! あんたに友達がいたことなんて中学校以来なかったでしょ!」

「そんなこと・・・・・・!」


 そんなこと、あった。あるけど。それにしたって、私の言うことくらい信じて欲しい。いつから私はオオカミ少年。もといオオカミ少女になったのだ。


「ああもう、私出てくるから」

「おいおい死んだわうちの娘」


 そんなことを呟きながら1人で逃げる準備をする薄情なお母さんを尻目に玄関へと向かう。


 そこではやっぱり、桜が咲いていた。


「あ、奈々香。おっはー」

「お、オハー」


 ぎこちない挨拶もそこそこに、扉を開ける。


 薄桃色の毛先に雪が乗っていて、風情を感じた。こういうの、雪桜って言うんだっけ。


 マフラーに押し上げられてもふぁっと膨らんだ髪の毛が羊毛みたいで指を入れてみたくなる。


「なんかお母さんに挨拶したら逃げられちゃって、あたしってそんなに怖いかな・・・・・・」

「あ、いや。それは私がオオカミなせいで」

「よくわかんないけど、まぁいいや。てかご飯食べた? 一緒に学校行かない? ・・・・・・って」


 咲良の視線がパジャマ姿の私に注がれる。


「ご、ごめん。今食べたとこ。歯磨きと着替えはまだで」

「あー、いいよ。あたしも来るの早すぎたし、連絡もしなかったしね。あたしここで待ってるよ」

「そんなこと言わずに! 是非中に入ってちょうだい! お茶くらい出すわよ!」

「うわっ!」


 いつのまにか隣にお母さんがいた。


 ビックリした・・・・・・。忍の者か?


「ぜひぜひ!」

「そしたら、はい。お言葉に甘えてお邪魔しまーす」


 言葉遣いは丁寧に、だけど口調はフラットに。


 なるほど。咲良は目上に対してこういう態度なんだ。


 これは年上からもモテるよなぁ。


 チラ、と咲良と目が合う。


 誰からも好かれて、魅力しかない女性として完璧な咲良の好きな人が私・・・・・・?


 考えれば考えるほど、ありえないことだった。宇宙人に脳みそ弄くられたんじゃないだろうか。


 すれ違い様、耳元に咲良の口が近づく。


「あとで昨日の続きするから、ヨロシク」

「はひ」


 やっぱり夢じゃなかった! 


 やっぱり咲良は、私のことが好き。


 階段を昇るたび、スカートが靡いて、長い足が交差する。見えそうな付け根に影が落ちて、私を前のめりにさせる。


 えぇ?


 そんな咲良のシルエットを見れば見るほど、信じられなかった。

 

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