第一章
第4話 とりあえずフリから!
跳ねた寝癖もそのままに、垂らした前髪で光を遮る。
瞼をつつく痛みと痒みはもどかしいこの世界を体現しているようで、厭世的な私の視界に輝きはない。
扉を開けても私の登校を歓迎する声は聞こえず、いつもの談笑が背景に溶け込むそれを日常というのなら今日も今日とていつも通り。ぼっちの学校生活の幕開けである。
机にカバンをかけて視線だけを上にあげると、ストーブの前でたむろしている女子グループが目に入る。
机に座ったり、お菓子を食べたり、手鏡を持って化粧をしたり。思う存分朝を楽しんでいる彼女らは言うまでもない、クラスカースト最上位に位置する陽キャさんたちだ。
立ち振る舞いだけじゃない。みんな可愛いし、おしゃれだし、スカート短いしパンツ見えそうだし!
そんな私とは正反対の生命体に目を向けていると、その中にふわりと桜が舞った。
昨日私と百合星人を撃退して地球を救った英雄。ん? この場合は英雌? なんて読むんだろう。
まだ手のひらに彼女の温もりが残っている。
陽キャさんたちの中で咲くように笑う浅倉さんは男子からもすごく人気があって、そういう話に疎い私でも情報が伝わってくるくらいには可愛い女の子。
そんな浅倉さんの家に突然アポもなしに訪問して私の家に連れて行ったなんて、今思うと私はとんでもないことをしていたのでは?
昨晩、あのあとは時間も遅いということもあってすぐに解散したから詳しい話はできていない。
あの白滝宇宙人もまた明日来るなんて不吉なことを言ってたわけだし帳尻を合わせるためにもう一度ミーティングをしたいんだけど。
「話しかけられるわけ・・・・・・ないよね」
あんなお花畑みたいな空間に、私みたいなダンゴムシが入っていく余地など微塵もありはしなかった。
おはよー! みんな元気ー? てか昨日の夜さー。
頭の中でシミュレーションすると妄想の中の私がクラスにハブられて屋上から飛び降りた。
うん、これはやめとこう。
だけどそうなると困った。
こんな急ごしらえの百合カップル。ずっと続けていればボロが出るに決まってる。だって、百合星人だよ? 私と浅倉さんの関係なんて絶対バレちゃう。
それに浅倉さんだってずっとこんな関係、嫌だろうし。
そんなことを思っていると、集団の中の浅倉さんと目が合った。
ドキン! と胸が跳ねて背中に冷や汗が伝う。
制服も着て、化粧もバッチリ決めた浅倉さんは私がずっと眺めていた手の届かない存在で、それが今私を見て、近づいて、近づいて・・・・・・。
「おはよ、田中」
「近づいてぇぇぇえ!?」
「うわ! なに!?」
「画面端ィ!」
「ちょっと意味わかんないけど。おーい、こら田中!」
パニくっている私の頭を浅倉さんの拳が小突く。
「いきなり大声出したらびっくりするじゃん」
「ひぃ」
肩に手が置かれて、すぐ横に浅倉さんの顔があった。
クラスのみんなもなにごとかと私を怪訝に見つめていた。
あ、私ハブられる。おわた。
ん? でももともとぼっちだからハブられたとしてもたいしたダメージにならないのでは? やば! 私ムテキじゃん!
「うーん」
まぁそんな私の独白も全て心の中で行われているものなので実際には目を回してのぼせているだけなんだけど。
「一回外でよっか」
故障している私を見かねてか、浅倉さんがそんな提案をしてくれる。
まるで勇者についていくスライムのようにひょこひょこと教室を出て人気の少ない踊り場に着く。
はたから見れば完全に私がイビられてる現場だ。
「ぷっ、あははは! ちょっ、田中。マジ話しかけただけなのにキョドりすぎ! ひぃ、ってなんなんひぃって! どんだけビビってんのっ、あははっ!」
「わ、笑わないでよ! 教室で誰かに話しかけられるのとか、その。、はじめてだったし! なんかみんなに見られてたし! 私ダンゴムシだし!」
「やー、どっちかっていうとワラジムシじゃね? ・・・・・・あ、ゴメンゴメンそんな睨まないでって」
ひとしきり笑った浅倉さんがふぅ、と息を吐く。
「で、昨日の話っしょ? 田中の用事って」
「う、うん」
「ぶっちゃけ昨日はビビったよ。いきなり田中がウチに来て私を好きになって! とか言ってさ、どうしちゃったんだろと思って付いてったらマジで好きになんないと地球滅ぶんじゃん! って内心ハラハラってかさ、ちょーウケる」
「だよね、ウケるよね」
ほんと、笑ってしまうほどバカけだ話だ。でも、それが今現実に起きていて、だからこそ私たちは困っているわけで。
「で、今日も来ると思うんだけど」
「あー言ってたね。どうする? また夜に田中の家にでも行けばいい?」
「そ、そうだね。なんとか百合星人が満足するまで仲のいいフリしないと・・・・・・地球が滅んじゃうから」
地球が滅ぶって、口に出せば出すほど意味不明なスケールの話だ。
「責任重大だね、あたしら。そしたらさ、呼び方も名字じゃなくて、名前のほうがいいんじゃね?」
「たしかにそっちのほうが百合っぽいかも」
百合っぽいなんて浅い発言。あの白滝に聞かれたら解剖されて月の肥料にでもされそうだ。
「だよね! じゃあ、えっと。・・・・・・ゆか?」
「
「そっか、ゆかはあいつか。あちゃー! また外した! でもちょっと惜しくなかったくない?」
「『か』しか合ってないよ!」
ほんと、私って今の今まで浅倉さんの眼中になかったんだなぁ・・・・・・。
「ごめんごめん。じゃあ、奈々香。うぅん? 奈々香ってめっちゃ可愛い名前じゃん、ずる! ほら次は奈々香の番」
「あ、うん。えっと」
咲良。咲良。頭の中で呪文のように詠唱する。
「しゃくら」
噛んだ。
舌が麻痺して動いてくれない。
「しゃ、しゃくら!」
ひいいぃぃ! 私の舌どうしちゃったの!?
私ってここまでダメダメだった!? 人の名前も呼べないくらいにコミュ障だったっけ!? ・・・・・・だったかもしれない。そもそも誰かを呼ぶという行為を長らくしていない。気を抜いたらお母さんって呼んじゃうかも。
「なんかしゃくれてるみたいでやなんだけど、もっかい言ってよ。奈々香」
「う、うん。咲良、咲良ね。咲良・・・・・・さん」
「呼び捨てのほうがいいっしょ」
「だよね! 咲良」
よ、呼べた!
こんな私の口から出た音なのに『さくら』という単語が外の空気に触れた途端、形を持って美しく煌めいた。
すごく綺麗な響き。可愛い浅倉さん・・・・・・咲良にぴったりな名前だなぁ。
キーンコーンとホームルームを知らせる予鈴が鳴って、顔を合わせる。
「奈々香さ、放課後って時間ある?」
「あるにきまってるよ」
「・・・・・・なんでそんな自信満々なん?」
放課後に予定があったことなどない。
部活にも入っていないしバイトもしていない。友達もいなければ彼氏もいないので学校が終わったら家に帰るだけ。しかしあまりにも帰るのが早すぎるとパン屋の手伝いをやらされるのでゲーセンで時間を潰す。それが私の虚構の放課後だった。悲しすぎる。
「まぁいいや。学校じゃあんまり話せないことだし、帰りにマッグでも寄ってかね? そこでこれからのこと相談しようよ」
「ま、マッグ」
放課後に、マッグ。友達と、マッグ。
おやおや。ちょっと私、リア充の世界に片足突っ込んじゃった?
「よ、よろしくお願いしますっ」
「ん。じゃそういうことで。放課後ね、奈々香」
「う、うん。しゃくりゃ」
舌が蝶結びになった。
会話の中に自然と名前呼びを混ぜるのは今の私には高等技術すぎる。
教室に戻るとすでに先生がいて遅れたことを咎められた。
咲良はのらりくらりと慣れたように躱して、私は。
「す、すみませんッッ!!!!」
バカでかい声で勢いよく頭を下げた。
いつもは声を出す機会なんてないから掠れた声しか出ないんだけど、さっきまで咲良と喋ってたから妙に喉の滑りがよくて制御ができなかった。
くすくすと声が聞こえ、周りからの視線を感じながら席に着く。
恥ずかしくて顔を上げることができずに俯いていると背中に感触。
そのあと床に丸められた紙が落ちて、それを拾う。
『ドンマイ!』
くしゃくしゃの紙に書かれた丸文字がじわりと滲む。今まで向けられることのなかった優しさに触れて涙腺があっぱらぱーになってしまった。
軽く振り返ると、咲良がこちらを見てピースをしていた。
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