第38話 vs骨組みテディベア

 ……完璧な姉に徹しなければならない……。


 そんな強迫観念が高原を長い間、苦しめていた。


 きらながいるからこそ頑張れた場面もあったが、きらながいるからこそ逃げられない苦痛もあった。

 頼られる存在でいるべき……つまり、高原自身は誰にも頼ってはならなかったのだ。


 強がる必要はないのに、きらなに格好良いお姉ちゃんと見られたいがためだけに。

 次第に高原は、自分で吐いた嘘によって八方塞がりに追い込まれていたのだ。


 だけど弱音を吐いたりはしなかった。

 高原がきらなのために作り上げた素の姿を、今更崩すなんてできない。


 妹に見せるために演技をし続けた彼女は、演技が演技でなくなっていた。

 たとえ気を抜いても、これまでと変わらないだろう。


 本音を晒け出す方がかえって演技臭くなってしまうだろうと思えた。

 ……ただし、それはきらながいることが前提での話だ。


 高原に迫られた二択は、きらなを退治するか、しないか、である。


 きらなが憧れる姉の姿は、この場で、怪人と化したきらなだろうとも退治する魔法少女になるだろう。

 感情論に左右されず、魔法少女に徹して、だ。


 だから当然、きらなに手を差し伸べたりはしない。

 したとしても魔法少女と怪人の関係性に沿って、戦いとして白黒つけるはずだ。


 その場合、やはり経験則で高原が勝利する結果は予測できる。


 高原はそう予測できてしまったからこそ、踏み止まった。

 きらなもそう予測した上で、そうなってほしいという破滅願望がある。


 きらなの前では毅然として立っていなければならない。

 なのに、きらなのためを想えば想うほど、きらなを退治する方向へ話が進んでしまう。


 ……それでは意味がない。


 きらなのために……、なのに、その先になぜきらながいないのか?


 結局、完璧に思えた『お姉ちゃん』も、他人と変わらない普通の『人間』だった。


 当たり前である。

 妹が、姉の自由を奪っていて、決して姉は弱音を吐かなかったのだから、妹は姉が抱えた苦悩を知る由もなかった。


 だけど、それも我慢の限界だった。


 妹のためか、自分のためか。

 魔法少女としてたくさんの子供たちを救い、夢を与えてきた彼女も、最後には自分を選ぶ。


 それが悪いとは言わないし、誰も言えないだろう。

 自分が一番可愛くてなにが悪い。

 自分を犠牲にする奴は状況が変われば他人だって犠牲にするだろう――、


 自分を守れないくせに、誰を守れると言うのか。


「――私、だって……!」



 きらなの鼻孔をくすぐる甘い匂い。

 幼少時代を思い出す懐かしい感覚だ。


 昔はよくきらなの方から寄っていき、彼女の胸に顔を埋めていた。


 だけど今日は違う。

 ――初めてだ。


 お姉ちゃんの方から、甘えるように抱きついてきたのは。


「本当は、いやなんだ。きらなのためを想って姉離れさせようと突き放したけど、どうやら私の方がきらなと離れたくなかったらしい。……きらながいない毎日なんて考えられない……きらながいない世界なんて、守る価値なんてないじゃないか!」


 完璧な人間なんていない。

 いるのは完璧なように見せている人間だけだ。


「……ガッカリしただろう? これが私さ。私なんだ。昔はもっと、きらなと同じような喋り方だったのだけどね、この喋り方以外を忘れてしまったよ」


 完璧なように見せている人間が抱える苦労や苦悩が一体どれほどのものなのかはきらなには想像もつかない。

 ほっとしたように、心身共に力が抜けてリラックスしているお姉ちゃんの姿を見れば、その苦労の度合いも少しなら推測が立つ。


 冷静沈着に振る舞い、感情が滅多に動かない彼女がこうも取り乱しているのだから、抱えていたものの大きさはきらなだったら数え切れないほどパンクしていただろう。


 抱えて我慢しようとも思わなかったはずだ。


 ……ずっと、頑張ってくれていたのだ。

 きらなの憧れを壊さないように、きらなの前では綻びを見せないように集中して――いつ、心が折れていてもおかしくないはずなのに。


 胸に押しつけられた頭に手をあてる。

 銀色の髪を手櫛で整えながら、


 ――きらな自身、操れなかったはずの怪人の姿が、今では自由自在だった。

 傷つけたくない、という強い想いが怪人化した長い爪を引っ込めさせていた。


 きらな自身の手で、お姉ちゃんの頭を何度も撫でた。


「……ありがとう、お姉ちゃん」



 骨組みの巨体が僅かに足を鈍らせたのは、敏感に感じ取ったからなのか。

 彼女にとって大事なものが、己の手から離れてしまった感覚――。


 だが、そんな心境の変化など知る由もなく、寸でのところで生き延びた二名の魔法少女が、高原が張っておいてくれていたロープ地帯を通り抜けていく。


 巨体の足止めになればいいが……引き千切られるのがオチだろう。

 期待はしない。

 若干戸惑ってくれればいい。


 大した時間稼ぎにもならないが、高原がきらなの元へ向かったと連絡があった。

 後は彼女がきらなを説得してくれるのを待つだけだ。


 きらなが止まれば友人であるこの巨体の操縦者もきっと止まってくれるはず……!


 確かな勝算はないが、腕で抱えている海浜崎が使い物にならない以上はそれに賭けるしか、今の新沼にできる策はなかった。


 まぐれが二度も三度も続くわけがない。


 海浜崎を押し潰そうと振り下ろされた巨体の腕をハンマーで押し返す、なんて自分でもどうやってそんな力を出せたのか不可解だった。


 二度目は当然のように押し負けて危うく死にかけた。

 立ち向かうには勇気が足りない。

 だからこその逃亡劇である。


「みにぃ! しっかりしなってば!」

「…………勝てるわけない、あんな奴に立ち向かうなんて馬鹿げてる!」


「うん、だから今、必死に逃げてるよ!」

「高原の方に邪魔がいかないように引きつけてるんだろ!? いいから、あたしを置いていけよ! あたしを巻き込むな!」


「みにぃだって、新沼小隊の仲間でしょうがッ!」


 今は無きチームだが、形式上に限っての話だ。

 いくら時間が経とうと、距離が離れようと、それぞれの心の中にはチームだった思い出がある。


 四人が集まれば、誰がなんと言おうと新沼小隊なのだ。

 臆病風に吹かれている海浜崎も、さすがにそれを否定する気はないようだ。


 新沼の腕から逃れようと暴れさせていた手足を落ち着かせる。

 力が抜けたので、ぶらぶらとまるでカバンにくっついているキャラクターキーホルダーのようだった。


「…………恐く、ないのかよ」

「恐いよ! だって、あの子、本気でアタシたちを殺しにきてるからね!」


 彼女、寸止めなどする気がないようだ。

 誰かが助けに入るだろうと見越していたにしても、その助けごと押し潰す勢いがさっきの一撃には込められていた。


 毎度毎度それが繰り返し振り下ろされていれば、嫌でも気付く。

 魔法少女自体か、新沼と海浜崎に個人的な恨みがあるとか、そんなの関係なく、


 誰だろうと潰すという、怪人としての目的、世界征服に意識を全て振ってしまっている感じである。


 彼女が信じている者は言わずとも分かるが、きらなだろう――しかし新沼には一つの懸念があった。

 きらなを説得すれば彼女も止まると思っていたが、彼女からすればきらなが魔法少女に『懐柔』されたと思うのではないか?


 つまり、きらなを奪い返すため、攻撃がさらに激しさを増すのではないか? と。


「恐いのに、どうしてそこまで必死になれるんだよ……!」


 新沼小隊に在籍していながらその理由に気付かないとなると、海浜崎は怯えて出動できなくなったその他の魔法少女となにも変わらない。

 彼女たちも、どうして戦えるのか、中継されている映像を見ながら思っているはずだ。


 彼女たちは気付けない。

 世界征服を宣言した怪人が、新沼小隊の妹だということには。


「きらなだからなのか……?」


 新沼が頷いた。


「妹、だからかよ……」


 新沼が頷きながらも、


「仲間だからだよ」


 たとえ、魔法少女でなくとも、才能がなくて認められなくとも、こうして四人が再び集まり形式上は存在しないチームが自分たちの裁量で復活したのと同じように、きらなだって新沼小隊の一員だった。


 毎日、同じ空間にいたはずだ。

 遠くない過去、五人の思い出だ。

 目を瞑れば五感の全てがその日の詳細を一つ一つ再現できる。


 海浜崎にとっても、失いたくない輪であるのは確かだった。


「仲間のためなら、恐くても頑張れる。……みにぃは、違うの?」


 ――後ろから、ロープが引き千切られる音が連続して聞こえてきた。


 骨組みの巨体が、足音を響かせて着実に距離を縮めてきていたのだ。


 ロープに引っ張られたビルが次々と倒壊していく。

 一般人の避難が既に済んでいたからいいものを……今のところ死者数はゼロだが、出てもおかしくない被害状況だ。


 巨体の足に当たったのだろうビルの瓦礫が前方へ飛んでいき、逃げる新沼たちの前方進路を塞ぐように落下してきた。


 間一髪、走る新沼の額が瓦礫に丁度激突するくらいのタイミングだ。

 後少し急いて逃げていれば、新沼は瓦礫によって押し潰されていたはずだ。


「おい、下ろせ! 上だ! 早くしないと押し潰されるぞ!?」


 海浜崎の言葉に新沼が自分の足下が陰ったことに気付く。

 真上には振り下ろされた巨体の拳があるはずだ。


 しかし前方が塞がれているため後ろへ一旦切り返さなければならないのだが、一瞬の差で勝負が決まる今において、行動が一つ増えただけで完全に詰んでしまっている。


 ……間に合わないっ!


 せめて、みにぃだけでも! と小柄な体を横へ放り投げようとしたが、今度は手元から、


「離すな!」


 という怒声が聞こえて離すタイミングを逸してしまった。

 下ろせと言ったり離すなと言ったり、瞬間的な思考の変化は海浜崎の方が得意なようだ。


 彼女が落としたのは複数のゴムボール。

 これらをクッションにして拳の威力をゼロにするのか――と思った矢先、新沼の視界が激しくぶれて、気付けば巨体の股下を通り背後を取っていた。


 だが、ついた勢いに踏ん張れず、何度も後転してしまう。

 体勢が整った時にはもう遅く、巨体が振り向いたところだった。


「ゴムボールの膨らむ勢いを使ってあたしらの体を飛ばしただけだ! 後の事情は考えない緊急回避でしかない! この手はどこに飛ぶか分からない、二度も三度も使えないぞ!」

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