第31話 悪玉善玉
こみどりちゃんの告白に理解が追いついていない中、曖昧に返事をしていたらとんとん拍子に話が進んで案内されたのが、魔法少女事務所の隣に建つテナントビルだった。
五階、スナックむらさき――表向きは。
しかし知る人ぞ知る怪人側の根城である。
怪人となりお姉ちゃんの前に姿を見せるというのは悪い案ではない。
確かにそれなら逃げるわけにもいかず、真っ正面から向き合う状況へ持っていける。
ただ、怪人側につくということは魔法少女を裏切るという意味を含む。
いや、裏切るもなにもきらなは正式に魔法少女になったわけではない。
心はそこにあれど、今に限れば宙に浮いている状態だ。
今思えば、魔法少女に憧れているようでその実、魔法少女の姿をしたお姉ちゃんに憧れていたのだ。
……わたしを助けてくれた、かっこいいお姉ちゃんに――。
繋がりを取り戻すためなら魔法少女か怪人かなんて些細な違いなどどうでも良かったのだ。
「些細な違い、ね……知って知らずか言い当てるじゃあないか――さて、あんたの目的は分かった。怪人になりたい、でいいんだね?」
「……うん!」
「はい、だ。あたしはあんたの上司になるんだから、敬語は覚えておきな」
付いてきな、と乱暴な手つきで手招きされ、カウンターの内側、さらに棚の裏に隠れていた扉の中へ入る。
薄暗い部屋から、もっと暗い部屋へ――なにも見えない暗闇だった。
その中に淡く、白く光る球体が見えた。
「確かこのあたりに……あったあった、電気点けるよ」
ぱっと光を取り込み眼球が悲鳴を上げた。
ゆっくりと目を開けると、まるで会議室のような簡素な部屋だった。
表向きのスナックの方がよほど凝っている。
「カモフラージュの方を手抜きにしてどうするんだい。まあ、ここは本当に打ち合わせ程度にしか使わないから最低限のものでいいんだ。折りたたみテーブルにパイプ椅子、一応布団もあるから仮眠も取れるよ。かと言って家出少女を匿うほどあたしも親切じゃあないからね、頼られても困るよ」
言いながらきらなとこみどりちゃんに料理を振る舞ってくれる彼女の根は優しいのだろう。
「あの、……それは」
「これかい?」
テーブルの上に置いてある水晶玉。
暗闇の中で淡く光っていたものの正体がこの水晶玉である。
「――悪玉、ってんだい」
水晶玉の中には、青い煙のような流動体が音に反応して伸縮する波長のように動く。
「こっちへ来な、きらな」
水晶玉――もとい悪玉の前へ立たされる。
彼女がきらなの怯えを感じ取り、
「まだ大丈夫さ」
「まだって……」
慰めようとしているらしいがさらに不安を煽っているだけだ。
「あんたが思っている通りにはならないよ、ただ単にこいつは、あんたが怪人となるに相応しいかどうかを確かめるだけなんだからね」
「こ、殺されないよね……?」
「なに考えてんだい。そんなリスキーなものをこんな場所に置いておくわけがないだろうに」
さあ、ときらなの手が取られ、悪玉へとそっと促される。
「小さな子供の頭を撫でるように手を置いてやるんだ。後は勝手に、こいつがあんたの才能を見てくれる」
「ねえ、ママ――」
表向きスナックなので、自分のことはそう呼ぶようにと言われたのだ。
まるでずっと前から呼んでいたかのように耳と口にしっくりとくる。
「魔法少女の方にも、こういう水晶玉があって才能を見てくれるの……?」
「そうだね、向こうは善玉と言ってね、中の煙が赤……よりかはピンクだろうね」
らしい。
……様々な点が、魔法少女と怪人とで一致している。
「どうした、きらな?」
「あ、うん。――今やる」
長考を遮られて、分かりかけていた疑念が霧散してしまう。
今更一から考え直すのも時間がかかる……今はそれよりも自分の才能が怪人に適性があるのか、確かめるべきだ。
きらなの手の平が、悪玉へ置かれた。
一つ一つの指先が、悪玉をがっしりと掴む。
すると、悪玉の中でたゆたっていた青色の煙がきらなの手を突き抜けて腕へ絡みつき、喉元へと迫ってきた。
「うわ!?」
「落ち着きな、あたしにはなにも見えていないよ」
つまりきらなだけが見ている幻覚である。
実際にどうこうされていないと分かっていながらも、煙が口を塞いだ時にパニックになってじたばたともがいてしまう。
「だいじょーぶ」
と、後ろから抱きしめてくれたこみどりちゃんのおかげで、落ち着きを取り戻した。
口を塞がれたと言っても呼吸ができなくなったわけではない。
煙は口だけでなく、きらなの顔、全身を包み込み、まるで青色の繭のようになっていた。
こみどりちゃんとママは、ただきらながそこにいるだけのように見えているが。
……きらながゆっくりと目を開けた時、青色に染まっていた視界が晴れていた。
きらなにしか見えていなかった繭が綺麗に消え去っていたのだ。
「あら、可愛いじゃないか。魔法少女の才能はなくとも、怪人の才能はあったわけだ」
きらなの頭部には、顔の大きさ以上に長い、真っ赤な二本の角。
背中が重たいと感じて気づいた、大きさを自在に変えられる二枚の翼。
先端が矢印の形になっている長い尻尾が意識しなくても左右に揺れている。
両手の先には鋭い爪が伸び、全身が薄い黒装束で包まれていた。
足はまるで鳥類のように骨格が変わっている。
「小さな悪魔ってところかね」
ママが姿見を出してくれる。
鏡に映った自分の姿を見て言葉を失った。
ショック、なのではない。
確かに、ママの言うとおり、可愛いと思う。
……怪人にしては、である。
怪人は見た目が異形であったり、人型であっても顔は変形していたりと匿名性が高かったが、きらなの場合は素顔である。
怪人の中には素顔のままの者もいたのだが、いざ当事者になってみないとこの気持ちは分からない。
この格好で人前に出るのはいいが、素顔のままでは抵抗がある。
「でも、きらなはそっちの方がいいと思う……」
「か、可愛いから……?」
「うん。可愛い。でもね、きらなが話したいって言ってたお姉さんに気づかれないと意味がないと思うし……」
あ、と、それを失念していた。
確かに、顔を隠したままお姉ちゃんと向かい合っても自分がきらなであるという証明がなければ、会話が先に進まないだろう。
素顔であれば、お姉ちゃんは絶対に気づいてくれるはずだ。
「じゃあ、顔はそのままでいいのかい?」
「うん、これでいく!」
きらながそう決めた後、撮影会が始まった。
こみどりちゃんはスマホでぱしゃぱしゃと何枚もデータフォルダに収めてだらしなく顔を緩めていたが、ママの方は真剣だった。
専門的な機材を出し始め、パラボラアンテナのような照明まで出てきてきらなもさすがに緊張してきた。
「そんなに真面目に撮るものなの……?」
「宣材写真だからねえ」
その後、緊張しながらも、ママとの世間話のおかげか自然体の表情で写真が撮られた。
データを加工し、見映えの良い写真にするため一時的にママが預かることになる。
怪人化を解いたきらながパソコンでデータを見つめるママの隣へ寄り添い、
「その写真はなにに使うの?」
「なにって――ああ、そうだね、それを説明していなかった」
加工途中の写真データを一旦閉じ、ママがきらなへ向き直した。
「これからの話をしようか、きらな」
外に連れ出されたきらなは電車に乗って隣の地区へ向かう。
ママは研修、としか言ってくれず、これからなにをするのか予想もつかなかった。
こみどりちゃんに聞いてみても、
「実際に怪人の活動を見て覚えろ……ってことなのかも」
と推測に過ぎず、ママの意図を知りながら隣にいるわけではないらしい。
ママが手帳を見ながら、
「時間はそろそろ……場所も駅近くで……ここで合ってるね」
駅を出てから足を止めたママの背中に、きらなが鼻を強くぶつける。
「きゅ、急に止まらないでよ……!」
「前を見ないでお喋りしてるからそうなるんだよ。ほら、見な。もうすぐ始まるよ」
きらなが周囲を見回していると、真後ろから爆音が轟いた。
両肩が飛び上がって振り向くと、ビルから黒煙が上がっていた。
「え、今――、あれって怪人がやったの!?」
ママが頷いた。
衝撃によって欠けたビルの中に見えるのは、両手の先がハサミ型になっているザリガニの怪人だった。
モデルは人型で、顔はザリガニそのものである。
全身が赤い甲殻に覆われていた。
「この地区は他と比べて犯罪が多いからね……犯罪そのものやグループを捕まえたところでやる気のある奴を全員引っ捕らえない限りはいたちごっこになるのさ。となると、脅しが必要になるね。怪人が犯罪者を狙っている、と実際に見せるしかないわけだ。ああ、安心しな。今の爆破で倒れた犯罪者グループの人間は全部、あたしらが雇った実力のある俳優たちだからさ」
働かないで親を頼り生活をするパラサイトシングルと呼ばれる二十代から三十代の男性女性を、怪人が狙い始めたことでその数を減らしたという実績がある。
実際がどうあれニュースやネットサイトで被害者が実際に出ていると書いてあれば人は信じるものだ。
次は自分かもしれない……、
そういう心理が現状から変わろうとするきっかけになる。
被害者はおろか、怪我人の一人もいないのに、だ。
嘘を本当のように報道しただけで、自覚ある者は命惜しさに働くようになった。
完全に、とはいかないが、大多数を逆転させただけでも目的は達成できている。
今回もそれと同じだ。
犯罪を減らすための演出はこれまで何度もおこない、事実犯罪は減っていたのだが、それでも自分は上手くやれる、と続ける者は一定数いるわけだ。
そういう取りこぼしをターゲットにしている。
この地区だけ多いのは、犯罪予備軍が多いのか、もしくは犯罪グループの本部のようなものがあるのだろうか……恐らくは氷山の一角だろうが、今破壊されているビルの一室が、数日前まで実際に犯罪グループが使っていたビルというわけだ。
「嘘の場所を襲撃しても、犯罪予備軍には響かないだろうからね。ついこの前までそこは確かに犯罪グループの本部であり、組織の幹部やボスがいた……そこが襲撃されたとなれば真実味が帯びるだろう?」
ママは手帳からスマホへ持ち替えていた。
「犯罪グループメンバー及び予備軍の顔と名前は既に知っているしどこに潜伏しているかも分かっているが、ただ捕まえて刑罰を与えても釈放されてから同じことを繰り返すバカは多い。だったら怪人に襲わせ、恐怖を叩き込んでから魔法少女に救わせて心酔させた方が政府は操作しやすいと企んだのだろうね」
「…………ねえ、ママ、さっきからなにを言ってるの……?」
「歴史のお勉強、と言っても二〇年もいかない程度の昔話だけどねえ」
襲わせる?
救わせる?
それでは、まるで――、
「そうさ、全ては台本通りなんだ」
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