第24話 再始動

「…………行きましょうか、先輩」


 言葉少なく、森下が先に足を踏み出した。

 そんな後輩を、高原が背中を見送りながら溜息を吐く。

 決して腕を上げない彼女の我慢を察して、追い越すことはしない。


「相変わらず、素直ではないようだね。そこがまさきの美点と言ったところか」


 返事もないので、さて、と高原が視線を戻し、


「れいれも――」

 言ったものの、しかし、高原は途中で口を閉じた。


 きらなの背中を見つめる彼女の表情が、不可解なものを見るように歪んでいたからだ。


 このまま一緒に連れて去ってしまえば、彼女の中に生まれたわだかまりが消えることはないだろうと思い、あえて言葉にしなかった。


 それでも機会は与えた。

 今のタイミングで共に去るなら、彼女の選択を尊重しよう、と。


 だけどれいれは残った。

 残留した意味がそのままきらな側につくとは限らない。

 が、もしそうなったとしても、れいれを責める気はなかった。


 それに、きらなを変えるか、導くか、それらができるのはれいれしかいないと思っている。

 高原自身も、森下が言う通りに自覚がある。

 きらなに甘く、優しい。

 

 森下のように厳しいフリができても、本当に厳しく接することはできない。

 さっきの対応がその証拠だろう。


 だけどれいれなら――、

 姉や妹目線ではなく、対等に見ている彼女なら。


 高原たちより、可能性が高い。



 ――分からない。


 きらなが……、いや、諦めるしかない状況でも頑張れるその強さが。


 好きなだけでは決して成功しないと分かり切っているのに、一生懸命になれる心の柱が一体なんなのか。


 他人の想いがあるから? そんなわけない。


 綺麗な言葉だから建前で言っているだけに過ぎないだろう。


 誰かの気持ち次第で揺れてしまう自分の意思など地に足ついているとは言えない。


 結局、その人にとっては代替の利くものだった……。


 きらなにとっての魔法少女が、取って替われる半端なもののはずがない。

 近くで見てきたれいれ自身がそう答えを出せるのだ、間違ってはいないはず。


 だから分からなかったのだ。……どう乗り越えたのか。


 それともきらなにとっては代替の利くものだった、とでも言うのだろうか?


 ……他人の言葉では揺らがないからこそ、自分が最も大事にしているものなのに……。


 諦めずに乗り越えようと足を踏み出したその一歩が、れいれには出来なかったのだ。


 嫉妬? 

 羨望? 

 

 もちろんある。

 暗い感情だってきらなに抱いている。


 だけどそれらを打ち消すほどに、れいれはさっきから何度も、生まれた感情を一心不乱に呟いていたのだ。


「……分からないよ」


 と。


「どうして……頑張れるの? 先へ進めるの? 才能がないと否定されて、取り返しのつかないような失敗をして、大事なものを失う結果になっても、なんで――」


 転校初日にきらなと出会い、すぐに仲良くなれたのは、魔法少女という共通の話題があったからだし、きらなの積極的な性格が主に影響しているだろう。

 だからと言ってれいれが常に受け身だったわけではない。


 れいれだって、望んできらなと一緒にいたのだから。


 ……似ている、と思ったのだ。


 好きなものに対して全力投球で頑張る姿が昔の自分と重なって見えた。


 いずれ見え始める普通の壁ならば、きらなならば乗り越えるだろう。

 だけど、どうしようもない障害の前で諦めるしか道が残されていないとしたら、さすがにきらなも……。


 空っぽになるだろうと共感した。


 だけどきらなは、れいれが立ち止まっていた場所には留まってはくれなかった。


 れいれを追い越し、れいれが追いつけない場所まで既に進んでしまっている。


 きらなが振り向いた。

 彼女の目は立ち止まるれいれを責める気配は一向になく、かと言ってこの場から引き上げてくれるような慈愛に満ちているわけでもなかった。


 当たり前だ、れいれが前に進みたいと願っているのならばまだしも、きらなの方を留めたいと自分勝手に思っているれいれを、どうこうしたいと思うのか?


 きらなは施さない。

 単純に、質問に言葉を返しただけだ。


「……好きだから、じゃあ、頑張れない?」

「いくら好きだからと言っても、大切な人との縁を切ってまですること?」


「そう言われると、なんだか悪いことしてるみたいだけど……、もちろん好きなだけじゃないよ。さっきも言ったけど、わたしを信じてくれてる女の子とか……」


「嘘」

「嘘じゃないのに」


「ううん、言い方を変える。本当の部分をきらなは隠してる。多分、夢を見ている小さな子に言ったら幻滅されてしまうような、そんな相応しくないこと」


 言いながらもれいれはなんとなく分かっていた。

 答えの予想がついていながらも、きらなの口からそれを言わせたかった。


 ――自分で思う……性格が悪い。


 まるで夢を追う姿勢だけなら完璧に近いきらなの、汚れた部分を見たいのだから。

 言葉を詰まらせたきらなが、……言わなきゃダメ? と視線で訴えてくる。


「私は小さな子供じゃないよ。だから、どんな答えだって理解できる」


 きっと、一番理解できるのではないかと思えた。


「いや、まあ、ね……」


 両手の指を絡ませ、手元で遊び始めたきらなは、まるで怒られて言い訳をしている小さな子供のように見えた。


「ずっと、ずっと魔法少女のことばかり考えて、憧れて、目指してて――」


「うん」


「だから、わたしにはこれしかなかった」


 もしも、ここで諦めてしまったのなら。

 これまで費やした年齢分の時間が、無駄だったと感じてしまう。


「今更、後には退けない、そう思ってる部分も、確かにあったりはするけど……」

「うん……ありがと、教えてくれて」


 それが聞きたかった。


 今まで費やしてきたものが急になくなった時の喪失感、それ以外のことに熱中しようとしてもできないもどかしさ。

 挙げ句の果てには胸に大きな穴がぽっかりと開いたまま、埋められるものが現れずに、毎日をなんとなくで過ごしてしまう。


 それが日常化してしまうと、全てに対してドライになる。


 人間関係さえもそうだ。

 深くは入り込まず、浅く接して、だけど弾き出されないように最低限の繋がりを保ち続けていたい。


 目的がないのに、だ。

 どうして維持しているのか分からなくなる。

 繋いでおくことが義務みたいな強迫観念めいたものがあるのかもしれない。


 熱中しなくてもいいから、打ち込めるものが欲しかった。

 無理やりでもいいから目の前のなにかに集中せざるを得ない状況に押し込んでほしかった。


 れいれが今になって、憧れてもいないのに魔法少女の世界に入ったのは、両親が娘を心配して知り合いの魔法少女関係者に話を通した結果だった。


 皮肉なもので、魔法少女に無関心だったれいれには、才能があったのだ。


 その後、話しがとんとん拍子に進み、れいれも拒否しようとは思わず、なら……と新沼小隊への配属が決まった。

 そうしてまず出会ったのが……きらなだった。


『れいれ、今話したルールは、決して誰にも言ってはならないよ?』


 高原の言葉が思い出された。

 れいれも、さすがに約束を破ろうとは思っていない。


 どちらかと言えば、考え方はきらな寄りになってきたのかもしれない。


 ルールを破らず、立ちはだかる壁を迂回するように目的を達成させる。


 きらなは壁を乗り越えたが、同時に乗り越えずに回り込んだっていいじゃないかと教えてくれたりもしたのだ。


 ……わたしはもう、諦めた人間だから……。


 今更、戻りたくともブランクがある。

 実際、戻りたいとは思っていなかった。

 無理なものはもう無理なのだと、受け入れてしまったのだから。


 違和感が残っている片腕を触りながら。


 ……久しぶりだったのだ、何事にもドライだったれいれが、こうも熱くなったのは。


 きらなと出会ってから、れいれはつまらない日々が少しだけ、楽しく感じられた。


 ――今は、きらなに巻き込まれたいと、そう思っている。


「ねえ、きらな」

「……今度はなに。まーた言いにくいこと言わせようとか」


「手伝ってよ、怪人退治」


 きらなが目を見開き、しかしすぐに警戒を露わにした。


 一度、高原側に回ってしまったので、きらなとの信頼関係も揺らいでしまったようだ。


 どうやら高原たちに指示された監視役なのだろうと疑われているらしい。

 警戒を解くのは簡単ではなさそうだが、まあ、今のれいれにとって苦ではない。


「きらなに頼みたいことがあるの……きらなだからこそ、できることだよ」

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