第23話 本当の覚悟

 きらなの言葉を遮ったれいれの声には、冷たさがあった。


 彼女の目に臆してはならないと、きらなが肩をすくめて、上から目線の態度を変えようとはしなかった。


「部外者かどうか? そんなことを言ってる場合? 部外者どうこうよりも襲われている人の命どうこうの方が重要でしょ」

「……警戒区域に一般市民は入ってはいけないって決まりでしょ」


「へえ。なら、元々中にいた場合の人は問答無用で違反者になったりするんだね?」


 れいれが、ぐっ……、と返す言葉を失った。

 もちろん、きらなは自分で言っておきながら、後から侵入した違反者である。


 それがばれないように強気の態度で言い返したのだ。

 もしも違反者であるとばれたら一気にきらなが劣勢になってしまう。


「……現場にいたのは、仕方ないけど……でも、きらなが手を出す必要はなかった!」

「でもあの女の人、結構ぎりぎりのタイミングだったよ?」


 きらなが怪人めがけて石ころを投げなければ、綺麗な肌に傷がついていたはずだ。


 死なないなら、軽傷くらいは見逃すテキトーな仕事をしているのだろうか?


「そうじゃない、けど……あの女の人は怪我をしなかったから大丈夫なの!」

「……? え、なんで?」


 きらなは素直に疑問を抱いた。

 れいれの方も、きらなの純粋な質問に、今日二度目の、言葉に詰まってなにも言い返せない反応を示した。


 助けは間に合わなかったけど、被害に遭った女の人は怪我をしないと言い切っている。


 ……ん?


 もしかして、女性が襲われることを知っていた? 

 だとすれば知っていながらも助けに入らなかったことになる。


 知ってはいても現場に間に合っていなかったのならば、やはりきらなが助けに入って正解だった。


 はず、だが……なんだろう、ときらなが目頭を指でつまむ。

 喉元まで出かかっているなにかがあると自覚した。


 しかし答えは出ないまま、強めに地面を叩いた足音によって意識が遮られた。

 ……きらなが真っ正面から戦わなければならない、もう一人の相手だ。


 今日は魔法少女の姿ではなく、真っ白な制服に身を包んでいる。

 彼女が徒歩で移動をしているのをこうして見るのは珍しい。


「……先輩、謹慎中のはずじゃ……」


「ええ、そうよ、貴重な休みよ。ゆっくりしたかったのだけど……、そうもいかないでしょうよ。約束を守らない悪ガキが見えてしまったのだから、私が出向かないと一度見逃したという甘さになってしまうじゃない」


 彼女は今気づいたかのように、視線をれいれからきらなに向けた。


「あら、きらな。今日はどうしたの? 最後のお別れでもしにきたの?」


 警戒区域に入ってはならない。

 避難指示を受けたら素直に従う――そういう約束だった。

 

 今日もきらなは警報が鳴ったら独断行動に出て、区切られる前の警戒区域の中へ入った。


 約束を破れば、きらなは彼女と縁を切られる――。


 ……まさ姉。

 ――共に過ごした時間は、決して短いわけではなかった。


 森下は高原が中学に上がり、二年生の時の後輩だ。

 きらなともその時に知り合った。


 つまりきらなが小学五年生の時から関係が続いている。


 新沼と海浜崎とは最近知り合ったようなもので、まだ付き合いは短く、互いに余所余所しい部分が多くあったりもする。


 だけど、……まさ姉は違う。

 本当のお姉ちゃんのように、頼っていた。


 高原とは違った、年が近く感性が似ている姉妹のように仲良しだった。


 きらなはまさきちゃんにそっくりだねなんて、近所の人に言われたこともあったのだ。

 今では考えられないが、昔の森下は、まるで今のきらなのようだったのだから――。


 ……いつからか、森下は今のように落ち着いたのだ。


 同時に、現実を見るようになり、理想を毛嫌いするようになった。


 理由は分からない。

 聞いても教えてくれなかったのだ。


 ……いずれ分かるわ、なんて、そんな風にはぐらかして。


「言ったわよね? 約束を破れば、縁を切るって」


 妹でもなんでもないって。

 きらなは、うんと頷いた。

 ……覚えている。


 森下は不服そうに目を細めた。


「なによ、いいって言うの? 私と縁が切れても、いいってッッ!」

「切る覚悟があったから、言ったんじゃないの?」


 きらなは覚えていたのだ。

 覚えていながら約束を破った。


 それは、つまり、

 ――覚悟の上、だ。


「いいわけないよ……わたしだって、まさ姉とはずっと姉妹みたいにいたかったよ……」

「ならッ!」


 と、森下が自分の立場を忘れて叫ぶ。


 これではまるで、縁を切ることを森下の方が嫌がっているようだった。


「約束を、守りなさい!!」


「ごめん、まさ姉。……今までさ、わたしは自分だけのために魔法少女になりたいって思ってたんだ……この前、そう分かったんだ。だってまさ姉と縁を切るって言われて、わたしはそれは嫌だなって思って、魔法少女になりたい夢を一度は諦めたんだから」


 実際は、れいれが指摘した通りにまったく諦められていなかったが、意欲が下がったのは事実だった。


 自分だけのためだったから、覚悟が足りていなかった。

 全てを切り捨ててでもその道を目指すような必死さがなかった。

 だが、きらなの気持ちを変えたのは、被害者である女の子だった。


 彼女の言葉は、きらなに原点を思い出させてくれた。


 魔法少女になりたいとどうして思った? 

 憧れだった。


 自分を助けてくれたお姉ちゃんを見て、将来自分もこんな格好良い魔法少女になりたいと願った。

 そして、かつて夢を見た自分と同じように、次世代の子たちに同じ夢を与えたかったから。


 たった一人の女の子が、きらなを見て夢を持ってくれた。

 ……理由はそれだけで充分だった。

 一体他に、なにが必要だろうか。


 姉との縁と天秤にかけて一人の女の子の夢を壊すのは、魔法少女でなくとも、夢を見せたきらながしていいことではなかった。

 責任と言うなら、これだって同じ。


「まさ姉、昔言ってくれたよね? きらなが信じてくれている限り、私は情けない姿を見せるわけにはいかないって」


「……ッ、あんな、セリフをまだ……っ」


「嬉しかったんだ。今でも覚えてる。まさ姉がうんと輝いて見えて、格好良かった」


 森下が歯噛みする。

 彼女の言葉が途切れたのは、当時の気持ちを思い出したからか。


「今ね、わたしを信じてくれている子がいるの。その子を裏切るわけにはいかないんだ」

「私よりもその子を選ぶのね?」


「――そうだね、だからこうして、まさ姉との約束を破ったんだから」


 肩を震わせ始めた森下が、今にも駆けてきそうだった。

 怒らせることは承知の上だった。


 ……にしても、今にも泣き出しそうな森下の表情に、きらなも若干の罪悪感が生まれた。


 彼女のこんな表情を見たのは、初めてだった。


「はい、そこまで」


 震える森下の肩に手を置き、クールダウンさせた人物がいた。

 すぐ後ろにいたことさえ、森下はおろか見えるはずのきらなさえも気づけなかった。


 れいれは知っていたが、当人に、しっ、と指で口を封じられていた。


「……先輩」


 プライベートなので、学校での呼び名のままである。


「落ち着きな、まさき。きらなの言っていることに納得できないわけでもないだろう?」


 ふっと肩の力が抜けた森下が、現れた高原の言葉に、弱々しく頷いた。


 納得できたけどしたくなかったからこそ、返す言葉ではなく手が出そうになったのだ。


 高原が森下の手の甲を優しくだったが叩いたのは、直接手を出しそうになったことを反省しろという意味か。


 意図に気づいた森下が、珍しく顔を俯かせて分かりやすく落ち込んでいた。


「やあ、きらな」

「お姉ちゃん……」


 毎日会っているので森下のように久しぶりではない。


 そのため、ここ数日のきらなの様子を知っている高原はある時からきらなの表情が変わったことに気づいていた。

 だから今日のきらなの行動も、予測できなかったわけではない。


 彼女がきらなを止めなかったのは、選ぶのはきらなだと思っているからだ。


「私は最初から、まだ反対と言っているだけで、全面的に反対と言ったわけではないよ」 


 したいようにすればいい……ただし、


「私たちは手伝わない」


 結局、干渉しないという関係性は変わっていなかったが、独自で動いてもいいという許可が出たわけだ。


「先輩ッ、いいのですか!?」

「隠れてこそこそされるよりマシだろう。どこかにきらながいると割り切っていた方がこっちも動きやすいだろうし」


「いや……ッ、あの子の我儘を許してもいいのかって話で……っ」

「いいさ。あの子をこんな風にしてしまったのは、私たちだって原因だろう」


 妹が姉の背中を見て学び成長するのは当たり前で、それを止める術はなかったりする。 

 誰が悪いでもないが、背中を見せていた高原たちの影響なのは間違いない。


「だから、責任さ」


 気が済むまでとは言わないが、挑戦するくらいは、見逃してやるべきだろう。


「先輩は、やっぱり甘いですよ……」

「縁を切ると言いながらする気のなかったまさきに言われたくないね」


 とは言え、甘いが、優しいとは限らない。

 森下はきらなを魔法少女から遠ざけ、傷つかないようにしている。


 しかし高原は、きらなが傷つくことを避けようとはしておらず、その逆を望んでいるようにも思える。


 そんな大きな違いを、今のきらなは一片たりとも気づけなかった。

 だからこそ、こんなセリフが出たのだろう。


「お姉ちゃん……ありがとう」

「お礼を言うには早いだろう。……お礼を言わせるつもりだってなかったのだけどね」


 高原と目が合わないことにきらなが首を傾げた。

 ……妙な反応をしている。


 後ろめたいことでもしているような……罪悪感を抱えているような。

 まあ、きらなを野放しにするというのは違反者を見逃すようなものなのだから無理もないだろう。


「まさ姉」

「知らないわ」


 まだなにも言っていないのに……。

 彼女は既にきらなに背を向け、話す気はないと意思表示をしていた。


 ……覚悟していたはずだが、いざこうして縁を切られたと実感したら、やはり胸が苦しくなってくる。

 でも、たった一歩でこっちが折れるわけにはいかなかった。


「まさ姉と縁まで切ったんだから、わたしは絶対に諦めないから!」

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