chapter2

第11話 怪人遭遇

 怪人警報発令中。近隣住民の方は速やかに避難してください。


 そんな放送を聞いて一方通行に流れる人の波ができつつある道からはずれ、すぐ隣の狭い路地を、人の流れに逆行して進んでいる少女がいた。


 塀を越えて人の家の庭を遠慮なく横切って再び塀を越える。

 それを繰り返して何軒か跨ぐと、目標が見えてくる。


 今日の怪人は不快な羽音を立てている蜂だった。とは言っても本物の蜂ではなく、人型の姿をし、全身が黄色と黒の模様で染められていた。

 ただ、顔だけは本物だった。


 尾が膨らみ、先には太い針がある。

 滴る液体が地面に触れた瞬間、煙を上げて地面が陥没していた。


 凹んだ地面の器に溜まる液体がぐつぐつと煮立っている。

 塀の陰に隠れながら覗くきらなには、怪人はまだ気づいていないようだった。



「あ……、あれ――」


 すぐ近くに逃げ遅れた一人の女性がいた。彼女は腰が抜けてしまい、その場で這うことしかできないでいる。


 ゆっくりと動くことで怪人には気づかれていないようだが、倒壊した塀の瓦礫が落下し、音を立ててしまい、彼女が這っている方向へ怪人が視線を向けた。


 一歩、怪人が踏み出した。


「い、いやぁああああ!?!?」


 女性が恐怖のあまりがむしゃらに走り出した。抜けていた腰がなんとか持ち直したようだが彼女は運動神経があまり良くないらしく、走ってもあまり速度が出ていない。


 女性に向かって一直線に加速した怪人が、彼女の後頭部を掴んで地面に押し倒した。

 怪人の両足が、女性の二本の腕を地面へ縫い付ける。


「うぐ……、っ!」


 動きを封じられた女性の背に、滴る液体があった。

 その液体が服だけを溶かし、女性の肌色を外気へ晒す。

 怪人の針が、その肌に狙いを定めていた。


「や、嫌だ、やめて! まだ、まだ死にたくない! 友達もいない孤独なぼっちのまま死にたくなんて――――ッ!」


 女性の命乞いに当然ながら怪人は興味を示さなかった。

 針が無慈悲に女性の肌にゆっくりと下りていき……、

 寸前で、怪人の頭にこつん、と、石が当たった。


 怪人が振り向いた。


「う……」


 女子だが、昆虫が苦手ではないきらなでも、さすがに人間大にまで姿を変えた昆虫の本来の顔を間近で見れば、鳥肌が立つ。

 右手で投げた石とは別に、左手に持っていた石を、震える手がこぼしてしまった。


 あ、と言うよりも早く、怪人がきらなに狙いを定めた。


 ……れいれがいなくても、わたし一人でなんとかしてみせるッッ!


 背を向けて逃げ出したきらなを追いかける怪人が、曲がり角を曲がったところで、きらなを見失ったようだ。


 周囲を見回すが、やはり中々、真下は見ないらしい。

 灯台下暗し――完全な死角である。


「はあっ――やぁ!!」


 学校から(勝手に)拝借した槍投げの槍を、マンホールの中から怪人の腹部めがけて突き上げるきらな。その手に手応えが感じられ、だが、気を抜いたのがいけなかった。


 手応えはあったが、それが怪人に効いているかはまた別の話だ。


「いっ、しまっ――!」


 槍を掴まれ、思い切り引っ張り上げられる。途中で手を離したため宙高くに放り投げられることはなかったが、受け身も取れずに地面に叩きつけられてしまう。


 そして、武器を奪われた。

 きらなの手には身を守るための道具が一つもなかった。


 だが、


 ……さっきのお姉さんは……、うん、もう逃げたみたい――。


 当初の目的は達成されている。後は、怪人を倒せないのはいい、手傷くらいは負わせておきたかったが、仕方ない。とにかく今は逃げ延びることだけを考えよう。


 とは言え、状況は絶望的だ。生身の体でどうこうできる戦力差ではない。

 さっきは隙を突けたからいいものを、一撃入ったことで怪人を警戒させてしまっている。

 この相手を出し抜くのは至難の業だ。


 だけどきらなは無理やり笑みを作った。


 ……とは言え、


 ……やばい、ほんとどうしよう……?


 結局、れいれの方が正しかった。いや、それは分かり切っていた。今更、向こうが正しくてこっちが間違っていると論争する気はない。

 ……できると、きらなが信じたかっただけだ。


 れいれがいなくても、きらなだけでも、魔法少女の役目は務まると。


 現実は、こうも容易く希望を打ち砕いてきたが。


「あ痛っ」

 ――と、きらなの頭にこつんと落ちてきたもの……真っ赤な、小さなゴムボール。


 駄菓子屋にあるようなスーパーボールよりはもう少し柔らかい。

 気づけば、周囲の地面の上でバウンドを繰り返しているゴムボールがたくさんあった。


「……これ、って……」


 その一つが、一瞬にして膨らみ、巨大化した。


 うわっ、ときらなが驚いている間にさらに巨大化したゴムボールが増え、怪人の体がゴムボール同士に挟まれ、身動きが取れなくなっていた。


 怪人が抜け出そうと足掻いていたが、ゴムボールを押しても腕が中へ沈み込み、同じ力で弾かれてしまう。

 力が全て吸収されていたのだ。


 さらに巨大化するゴムボールが道を圧迫し、怪人の体を完全に固定させた。


「おいこら、魔法少女の仕事を邪魔すんなこのバカ」


 ステッキの叩き心地を手の平で確かめるように、ぱしっ、ぱしっと音を立てる。

 血濡れたような真っ赤な衣装を身に纏う、小柄な魔法少女だった。



『あのねえ! 毎回言ってるけど、やり過ぎなのよ! 怪人はできるだけ負傷を少なくしてこっちに回せって言ってんでしょ!』

「だから加減してるじゃん。こっちは加減してるのに負傷するのは向こうの問題なんじゃないの? そっちの問題をあたしに押しつけないでくれるかなあッ」

『……ああ、そう。なら報酬ギャラから差し引いておくから』

「おいこら……っ、ふざけんなッ!」


 事務所内にいる受付嬢オペレータと連絡を取る魔法少女が、スマホに向かって怒鳴りつけていた。

 彼女は毎回毎回、子供たちの魔法少女像を壊す行動しかしない。


 問題行動が多い魔法少女で有名だが、その分、実力は申し分ない。

 きらなのように書類を送って応募する志願組が多い中、彼女、海浜崎かいひんざきみにぃは、事務所が直々にうちに欲しいと言って誘ったスカウト組である。


 そのため、どこでも態度が大きいのだ。

 ……小さいくせに。


「あぁん? 今あたしのこと見て小さいって言わなかった!?」

「言ってないよー」


 電話中なのにもかかわらずきらなの胸中を言い当ててきた。

 コンプレックスに対しては敏感過ぎるというか、その域を越えてまさに魔法のようだ。


「で」


 怪人を縛り上げ、護送車に入れる作業中の隊員や、倒壊した建物や塀の後処理に関わる作業員が周囲を忙しく動く中、海浜崎がきらなを呼び止める。


 面倒なことになる前に撤退しようと考えていたきらなの行動の出鼻を挫かれた。


「なにやってんの、おまえ」

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