第19話 海の世界
七白さんが、ポツリ、ポツリと話し始めた内容は、確かに彼女にとっては、辛いものだった。
月の女神として、シャンパングラスに月の光を注いでいたのは、七白さんの姉の月夜〈ツキヨ〉さんだった。
七白さんは、神と変わらない大きな力を持ってはいたが、何の役割も無く気楽に生きていた。
七白さんの様に神と変わらない、むしろ神よりも強い力を持つものは、太古の昔から、数は少ないが、存在した。
それが、ゴウライさんであり、風の竜だ。そして海の星の海もそうだった。しかし、彼等は例外無く穏やかな存在で、最も活動的だったのが、七白さんだったらしい。
あるとき、月の寿命が来て、ヒビが入ってしまった。それに気付かなかったツキヨさんが、いつもの様に、グラスから月を取り出そうとしたとき、割れた欠けらがひとつ手から滑り落ちた。
欠けらは、海の星へと落ちていった。
今まで太陽の光しか、自分を満たす物を知らなかった海は、月の欠けらが、産みだす光を吸収した事で、一気に変わった。
進化したと言っても良い。あらゆる事に活動的になり、その欲望を満たすために、積極的にエネルギーを求め始めた。
海で平和に暮らしていたものを吸収して、近くにあった星屑を残らず食べて、彗星を取り込み、2つあった太陽の内、ひとつを呑み込んだ。
そんな事が、起きていると知らなかった、月の女神は、海の星に月の欠けらを求めて降り立った。
月の光で、欲望に目覚めた海にとって、月の女神は、最も魅力的な獲物だった。
海により、ほとんど全ての能力を吸い取られた月の女神は、記憶まで無くして、廃人同様になり、囚われの大陸の何処かに幽閉されているとの事だった。
月の女神を取り戻そうと、神は、天使の軍隊を差し向けたが、全滅した。直々に出向いた神も自慢の雷撃が、海水の膜に防がれ、すごすごと戻ってきた。
もちろん七白さんと風の竜、ゴウライさんで、海の星に攻め入ったが、海の戦闘能力は、攻守共に懐が深く、神より力があると、言われた彼らの攻撃にも対抗してみせた。
海の水が、宇宙まで飛び出し、薄く広がり星全体を覆った。神の雷すら防ぐ水の膜を竜が送り出した波動とゴウライさんの突進で破壊したが、囚われの大陸が、意外なほど大きく力を失ったツキヨさんの存在を感知出来なかったのだ。
海は、大陸ごと覆う様な津波で、襲いかかってきた。
波を風の竜の力で押し戻すが、この大陸の何処かに幽閉されている、力を失ったツキヨさんが、溺れる危険を避けるため、仕方なく海の星から引き揚げてしまった。
七白さんたちですら失敗した事に、怖じ気づいた神たちは、それ以降、救援に向かってくれず、まして風の竜の力が無い今では、七白さんたちもどうすることも出来ず、今に至っている。
「だから、無理なのよ。欠けらは、諦めましょう」
いつの間にか、ゴウライさんが、近くに来ていた。
「我々の中では、竜の力は、圧倒的だった。その竜がいない、今となってはどうすることも出来ないのだよ。はじめが、風の竜の全ての力を使えるとしたところで、前回と一緒だ」
「そんな事はないさ。僕には、意思のある海というものが、良く理解出来ないから、様子だけ見に行こう」
「ダメよ!とても危険だわ」
七白さんは、本当に不安そうだった。
「でもね、七白さん。もう何処にいても、意思のある海からの驚異は、避けられないみたいですよ」
僕の前方の空間が、裂けて、大量の水が、槍のように襲いかかってきた。
渦を巻いた風が槍と化した水を巻き込み、散り散りして吹き飛ばした。
風は、咄嗟に僕自身から出た力という事に後から気付いた。風の竜の力が少しずつ、僕自身になじみ始めている。
吹き飛ばされた水は、再び集まり、人型に変わった。
「やはり、風の竜が消滅したというのは、本当の事だったらしいな」
海水で出来た人型が、喋った。口の様な物まで出来ている。
「確かめに来たらしいな」
「あの竜の力を残したものが、こんなちっぽけな人間とは。笑ってしまう。すぐに吸収してやる」
「よく言う。一部分を切り離して送り込んで来たという事は、おそらく世界の壁を越える力が、不完全という事だろう」
人型の腕が、形を変え、細長い槍のようになり、猛スピードで伸びて来た。
僕の手が、勝手に動き槍と化した水を捕まえた。厳密に言うなら、僕の手の中の風が、槍のようになった水の動きを止めた。
捕まえた槍から、人型の本体まで、徐々に崩れだし、文字通り霧散した。
「これくらいまで、バラバラにすると、元には、戻れないようだな」
僕自身が、言っているのだろうかと、いう疑問が僕の中に湧き上がるが、竜の記憶も頭の中に流れ込んでいるのだろうと考え、納得する事にした。
実際に、水蒸気までいかなくても、ある程度バラバラにしてやれば、統一された意識を保つ事が、出来ないらしい。
もちろん再び集まれば、海本体と意識が繋がるだろう。しかし、今の状態ですでに、自力では、何も出来ないらしい。
全ての水に、風を繋げたので、僕の意思で、再び集合させる事が、出来た。
「風の竜という呼び名が、気に入っていたそうだ。しかし、彼も竜だからな」
水が再び人型をとった時、僕は、手を伸ばした。
人型に向けた手のひらから、炎が噴き出し、人型を包み込んだ。動く事の出来なくなった人型に、追い打ちをかけるように火球が襲いかかり、消し飛ばした。
海が送り込んだ海水は、全て水蒸気となり、再集合は不可能になった。
「さてと。ずいぶん小さな通路ですが、僕には、意思のある海が、壁に明けた穴が見えます。どうされます?一緒に行きますか?」
ゴウライさんと七白さんは、しぶしぶ承知した。
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