第2話

 パチパチと木が燃える音がする。すぐに側には川が流れておりさらさらと水面が揺れていた。周囲の木々は青々としており、生命力に溢れていた。暖かい日差しが降り注ぎ、時刻は正午になろうかというところだった。

 周囲に敵性反応はなく警戒レベルを下げても問題ないと判断したケイジはフルフェイスヘルメットを脱いだ。

 それを見たアルフは驚きの声をあげた。

【お主、人族であったのか】

 人間ではなく、人族。なるほど、この世界には人以外にも知的生命体がいるらしい、とケイジは判断した。

「そんなに驚くことなのか?」

【ああ。人族は弱い。それなのにケイジはこの辺りの食物連鎖の頂点に立つゴールデンゴールドベアをいとも容易く始末した。驚くべきことだ】

 迷わず人助けに走ったケイジを目の当たりにし、アルフはすでにケイジのことを気に入っていた。彼こそが待ち望んだ主君だと。

 そしてそれはケイジも同じ。こんな何も無いところで自分を待ってくれていたのだ。猫の見た目も相まって、アルフのことを気にいっていた。

「なるほどね」

 少し考えこむかのように唸ったのも無理はない。ケイジはバトルアーマーがなくてもこのくらいの芸当はできる。バトルアーマーは過剰戦力なのではなかろうか?どうやらこの世界の人族は相当弱いようだと目星をつけた。手加減は必須、本気を出せば化け物扱いされるだろう。

 その時、もぞもぞと人が動く気配がした。どうやらご令嬢が目を覚ましたようだ。ケイジは音がした方へ驚かさないようにそっと近づいた。

「ううん、ここは・・・どこ?」

 まだ意識がはっきりと覚醒していないのか、気だるそうな声で言った。取り敢えずは命に別状はなさそうだと判断し、ケイジはホッと息をついた。

「ここはライエンス川の畔ですよ、お嬢さん」

 その声に聞き覚えがあったソフィアはハッと我に返り、声のした方を見て息を止めた。

 そこには黒く艶やか髪に意志の強そうな濃い茶色の瞳、キリリとした眉の美丈夫が柔和な顔でこちらを見ていた。身に纏っているのは先ほど見た真紅のプレートアーマー。自分を助けてくれた人に間違いないと確信した。

「あ、あの、先ほどは助けていただき、ありがとうございます。わ、私、あの」

「落ち着いて下さい。私の名前は鴻上圭二です。ケイジと呼んで下さい、ソフィア・ブラウン伯爵令嬢」

「私の名前をご存知で?」

「え、ええ、もちろんですよ」

 安心させようと名乗りを上げたが、相手の名前を呼んだのは失敗だったか。しかし、画面に表示されていましたとも言えずに答えに窮した。

【さすがにこの辺りの情報は調べてあったか。結構、結構】

 勝手に納得したアルフだったが、ケイジは猫がこの場でしゃべっても平気なのかと危機感を覚えた。猫がしゃべるのが普通じゃなかったら非常にまずいのではないか。

「まあ、真っ黒な猫ちゃん。ケイジ様の飼い猫ですか?」

【飼い猫というよりかは相棒だな】

「う~ん、さっきからニャアニャアと泣いてますが、お腹が空いているのでしょうか?」

【まさか、こちらの声が届いておらんのか!?おい、小娘!】

 ソフィアはうんうんと唸っている。どうやら本当に聞こえていないようだと分かり、ガックリとアルフは肩を落とした。

「先ほどご飯を食べさせたので大丈夫ですよ。それよりも、どこか痛いところはないですか?」

 そういえばそうだ、自分はクマに追いかけられていたんだったと思い出したソフィアは、その時の恐怖を思い出し、身震いしながら自身の無事を確かめた。

 その時、あることに気がついた。怪我していたはずの足が綺麗に治っている。そして、泥だらけだったはずの服も綺麗になっている。

 ソフィアの顔が真っ赤に染まった。

「もう、お嫁に行けませんわ」

「え!?」

 突然泣き出したソフィア。何のことだかさっぱり分からないケイジはソフィアが泣き止むまで辛抱強く待った。


【なるほど。ケイジに全部見られたと思っているようだな。ちょうどいい。嫁にもらっておけば良いではないか。伯爵にでもなれば、将来安心だぞ】

 などと勝手なことを言うアルフの言葉を右から左に受け流し、ケイジは事情を説明した。

「ソフィア様、まずは落ち着いて聞いて下さい。まず、貴女の足の治療についてですが、このメディカルキットを使いました」

 そう言って白地に赤の十字が入った箱を取り出した。

 ソフィアには何も無いところから突如出現したように見えたが、実は小型化していた物を元のサイズに戻しただけである。

 ケイジの世界では狭い空間に少しでも物を詰め込むことができるように小型化する技術があった。

「この中には軽い怪我ならすぐに治すことができる塗り薬がありまして、それを使ってソフィア様の足の怪我を治しました」

 本当は塗りというよりかはジェルなのだが、この世界の技術水準を考慮すると分からないだろうと結論付け、塗り薬にしておいた。

 このスライム状のジェルは止血と共にちぎれた細胞同士を繋ぎ合わせ、皮膚が再生するまではその代わりもするという大変優れたものであった。

 渡された小瓶をまじまじと見つめるソフィア。気が逸れている間に次のアイテムを取り出した。それは人一人が楽々と入れる大きさをした箱のような装置であり、装置の一部に小さな覗き用の窓があるだけのシンプルな構造をしていた。

 突然現れた大きな箱にギョッとしたソフィア。口をパクパクさせており、あまりの驚きに声が出ない。

 その事にケイジは気づいたが、一気に説明してしまおうと話を続けた。

「これは浄化装置と呼ばれるものです。この中に入ってスイッチをいれると、装置内の汚れが全て分解され、綺麗になります。ソフィア様も随分と汚れておりましたので、この装置を使って綺麗にしました。決してソフィア様の服を脱がせて洗ったわけではありません。完全な誤解ですよ」

 そうはいったものの、ケイジの世界では当たり前の誰もが持っているものでもこの世界の住人には信じがたい代物だった。

 これは実際に見せた方がよさそうだ。そう思ったケイジはアルフを見た。

 アルフはすぐに後退りしたが、すぐにケイジに捕まり、耳元で小さな声で「すまん、犠牲になってくれ」と頼まれたため観念した。

 実際のところ、アルフは自分でも少々汚れてきたと思っていたので、それも良いか、と軽く思ったのだが、まさかケイジがさらに汚してくるとは思わなかった。

 泥だらけになったアルフは恨めしげにケイジを見ていた。

「それではソフィア様、これからアルフをこの装置に入れて綺麗にしますので、よく見ていて下さいね」

 そう言ってアルフを装置の中に放り込むと装置のスイッチを入れた。小窓からはソワソワと動き回るアルフの姿が見えた。装置からはすぐに小さな音か聞こえ、小窓から淡い光が溢れた。その光景は、ソフィアからすると、まるでお伽噺の中でよく見る浄化の光の描写とよく似ていたため、はっと息を飲んだ。

 光はすぐに収まり、浄化完了を知らせる音がピロピロと鳴った。

 おもむろに中から出てきたアルフはツヤツヤでピカピカ、フワフワでモフモフだった。あまりの変貌ぶりに二人してポカンと口を開けた。

「すごいでしょう、この浄化装置。どんなに汚れていてもこんなに綺麗にモフモフになるんですよ」

 モフモフのアルフを触るため、ケイジはバトルアーマーを仕舞い込み、国際警察の制服姿になっていた。黒に近い紺色を基調とし、シックな装いをしている。

「浄化装置など初めて見ましたわ。ケイジ様はすごい魔道具をお持ちなのですね。早とちりしてるしまって恥ずかしいですわ」

 ソフィアもアルフをモフりながら話していたが、アルフのご機嫌は徐々に悪くなってきていた。

【いつまでそうやっているつもりだ。いい加減に移動せんと、森の中で夜を迎えることになるぞ】

 アルフの言うことはもっともであり、日は既に傾き始めていた。取り急ぎ、と言うほどではないが、ゆっくりもしていられない。

「もうすぐ日が暮れますね。我々は街へ向かおうと思っているのですが、よろしければ一緒にどうですか?」

「はい。よろしくお願いいたしますわ。・・・あの、ケイジ様は、街での宿はどうなさるおつもりですか?もしよろしければ、私の屋敷へ助けていただいたお礼も兼ねて招待したいのですがいかがでしょうか?」

 チラリとアルフを見るケイジ。アルフはコクンと頷いた。問題なしと判断したケイジはお礼を言って厚意を受けることにした。

 街への道すがら、なぜ熊に追いかけられるような事態になったのかを聞いた。

 なんでも、この近くの村に野生生物が多く出没するようになったため、その調査も兼ねてこの辺りに来たのだが、そこに現れたのがあの熊だった。

 本来ならばこんな森の外縁には決して姿を見せないはずであり、まさかそんな凶悪な動物が現れるとは思ってなかったため、連れていた護衛も装備も貧弱だった。村に逃げると被害が大きくなると判断したソフィア達は、あえて森の中へと散り散りになって逃げた。

 そして運悪く熊が追って来たのがソフィアだったということらしい。

「しかし、よく熊から逃げることができましたね。とても足が速そうには見えませんが・・・あ、失礼しました。そんなつもりでは・・・」

 明らかに深窓のご令嬢にしか見えないソフィアに、思わず声が溢れた。

「いいえ、構いませんわ。実はこの魔道具を使ったのです」

 ソフィアは胸元からエメラルドの宝石の付いたネックレスを引き出した。思わずソフィアの胸の谷間に目が行ってしまったケイジは、慌てて目を逸らした。

「こ、これは?」

「これは自分の身を軽くすることができる魔道具ですわ。これのお陰で逃げ切れると思っていたのですが、途中で効果が切れてしまって・・・ケイジ様が助けに来て下さらなかったらどうなっていたか」

 思い出したのか、ソフィアは手で自分を抱きしめながら、ブルッと犬のように震えた。相当怖い思いをしたようだ。

「そうだったのですね。ですが、諦めずによく頑張りましたよ。助けが間に合ったのはソフィア様の頑張りのお陰ですよ」

 ケイジは未だに震えるソフィアの頭を優しく撫でた。

 ソフィアの頬が朱に染まったのは言うまでもない。

 先の話で出た村の近くまでやって来ると三人頃兵士が急ぎ駆け寄ってきた。ソフィアの護衛である。三人ともまだ若く、とても屈強とは言い難い幼さの残る顔立ちだった。

「ご無事でしたか、ソフィア様!万が一のことがあればどうなっていたことやら」

 兵士の首ぐらいなら軽く飛ぶであろう。たとえソフィアの命令だとしても、証拠が無いのだから。

 安心した兵士達にことのあらましを話し、命の恩人だとソフィアはケイジを紹介した。

「ゴ、ゴールデンゴールドベアを倒した?まさか本当ですか!?」

「ああ。それにしても、主が熊に追われているのに助けに行かなかったのか?」

「も、もちろんすぐに気がついて追いかけましたよ。でも、魔道具を使ったお嬢様の足が速くて、とても追いつけなかったんですよ」

 それに鎧も重かったですし、となおも言い訳をしていたが、鎧を脱ぐだの、飛び道具を使うだの方法があったのではないかとケイジは思った。つまりは単純に覚悟がなかっただけではないかと。

 憮然とした態度になったケイジをソフィアがなだめた。自分の命令なので彼らを許してあげて欲しいと上目遣いで頼まれてはさすがのケイジも矛を納めるより他なかった。

 村にはソフィア達が乗ってきた馬車があったため、村から街までの移動は夕暮れ前には終わった。

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