第14話 武田の最期
せっかく、高坂先輩と仲良くなれたと思ったら、もうその日がやってきた。
3月1日、月曜日。
俺たちが通う高校の卒業式が行われた。
式が終わり、ホームルームが終わった後、下級生の生徒たちが卒業生の3年生s生徒たちを見送るように、校門前に集まっていた。
そんな中。
「歴研」メンバーも集まっていたが、2年の藤原先輩が、
「高坂先輩ー。楢崎先輩ー」
と涙ぐみながら、二人を見つめていた。
なんだかんだ言っても、この娘は、先輩たちのことが好きだったんだな、と思っていたら。
「
「
少し感極まっている感じの高坂先輩と、いつも以上に冷静な楢崎先輩だったが。
「高坂先輩。もう『心霊スポット巡り』できないなんて、寂しすぎますー」
と藤原先輩が言い、
「いや。そもそも行ってないよね。っていうか、私は行かないよ、そういうとこ」
と、苦笑いしていた高坂先輩。
「楢崎先輩。来年から野郎たち2人で『歴研』なんて寂しすぎます。早く女子を入れたいです」
と楢崎先輩にも訴え、
「まあ、そう二人を邪険にしないことね」
と、楢崎先輩まで苦笑いしていた。
俺と本郷もそれぞれ、高坂先輩、楢崎先輩と向かい合った。
「高坂先輩……」
「鹿之助くん……」
少し涙ぐんだような、無理矢理作った笑顔を向ける先輩。
「この1年、楽しかったです。俺を『歴研』に誘ってくれたのは、高坂先輩です。ありがとうございました」
そう伝えると。
「私もだよ。君と一緒で、楽しかった……」
なんて、少し潤んだ瞳を向けてくるから、俺も感極まっていた。
楢崎先輩とも挨拶をかわし、礼を述べ、二人の先輩は、学び
ところが。
先輩たちを見送って、帰ろうとしたら、俺の携帯のメッセンジャーが着信の音を鳴らした。
見ると、高坂先輩から俺宛てだけの個人的なメッセージだった。
「今日の5時。武田神社に来てほしい」
それだけだった。
何の意図があるか、わからないが、なんだか「告白」でもされそうな雰囲気だ。
大体、俺一人を呼ぶのが、嬉しくもあり、恥ずかしくもある。
と、いうことで、胸の高鳴りを感じながら、一旦帰宅して、夕方の5時にバイクで武田神社に向かった。
すでに陽が傾いており、観光客もまばらな武田神社は、夕闇に包まれ、西の空にオレンジ色の弱い光があるだけだった。
高坂先輩は、敷地内にあるベンチに座っていた。
考えてみれば、そこは約1年前、俺が彼女と出会い、初めて彼女の方から俺に声をかけてきた場所だった。
緊張した面持ちで向かう俺を見つけた彼女は、照れ臭いような笑みを浮かべていた。
私服姿だった。革ジャンをまとい、下はジーンズだった。格好から恐らく彼女もバイクで来たんだろう。
だが、思っていたのとは、少し違うことがそこでは起こった。
「鹿之助くん。3月11日に、私と一緒に行ってほしいところがあるの」
彼女はそう言った。
「いいですけど、何故3月11日なんですか?」
その日は平日だった。当然、俺には学校がある。
その日付に真っ先に不審な点を見出したのだが。
彼女は、暮れようとする西の空の陽を見つめながら、少し寂しげに声を出した。
「その日は、『武田氏が滅んだ日』だから」
彼女は、語りだした。
「君と初めて会った日以来、武田家の
「でも、その日、平日ですよ。学校があるんですけど」
そう訴えると。
彼女は、意外な反応を示した。
「サボっちゃえばいいよ」
そして、
「それとも、鹿之助くんは、私といるより、つまらない学校の授業を受ける方が楽しいの?」
挑戦するような、そしてからかうような視線を投げかけてきた。
最初に会った時、姉に聞いたら、高坂先輩は「変わり者」だからやめた方がいい、なんて言っていたが。
1年経った今、考えは変わっていた。
確かにこの娘は「変わって」いた。同年代の女の子がみんな興味を示す、ファッションや音楽、スイーツなどより、まず一番に「歴史」に興味を示すし、行動力も体力もあった。
だが、姉が言うような「破天荒」な感じはあまりなく、むしろ礼儀正しい部分もあるし、年頃の女性らしい美しさと、怖がりという可愛らしさもあった。
何より、俺自身が彼女といることに、楽しさを感じていた。
人の噂話なんて、所詮は尾ひれがつくものだから、本人と交流しないと、人間の本質なんて物は見えてこないものだ。
歴史探索を通しても、感じたことと同じことを彼女にも感じた。
要は、俺は彼女に惹かれていたのだ。その限りない魅力に。
「わかりました。行きましょう、高坂先輩」
そう、決意と共に告げると、彼女はクスクスと笑い出し、
「ありがとう。でも、私はもう君の先輩じゃないけどね」
彼女の横顔が夕陽に照らされて、とても可愛らしく見えた。
3月11日。
二人だけの「歴史探索」が始まった。
待ち合わせ場所は、俺たち「歴研」がいつも遠出する時に、待ち合わせに浸かっていた、最寄りのインター近くのコンビニだった。
今日は、あまり遠出はしないと聞いていた俺は、午後から体調不良と嘘をついて、早退していた。
一度、家に帰り、着替えてからそこに向かうと、すでに彼女の、ライムグリーンのニンジャ250が駐車場にあり、彼女がコーヒーを飲みながら待っていてくれた。
「すいません。お待たせしましたか」
と、バイクを降りて挨拶すると。
「ううん、大丈夫だよ」
軽くそれだけを言って、笑顔を見せる彼女。
こういう、あけっぴろげで、屈託のないところは、彼女の長所だと思った。
軽く世間話をした後、彼女の先導で向かった先。
細い山道のような道の途中で、階段のすぐ近くで彼女はバイクを停めた。
と、案内版には書かれ、そこから長い石段が伸びていた。
「新府城跡……」
俺が呟き、階段を見上げると。
「そう。武田氏の最期を語るには、まずここは欠かせないからね」
そう言って、彼女は、俺を先導するように前に立って、長い階段を上って行った。
その長い階段の両脇には、木々が生い茂り、自然に溢れている。と、いうより少し怖いくらい、日中なのに薄暗い。
鳥居をくぐって、さらに階段を上りきると、広場に出た。
だが、そこには、古ぼけた社と、墓石と、まるで墓標のように並び立つ、細い木の柱がいくつも並んでいた。
異様な光景に見えた。
何よりも、ここは昼間なのに、暗く、重苦しい雰囲気に満ちている。
恐らく、霊感が強い人なら、何かしら感じるのかもしれない。
なんとなく、彼女が、俺をここに連れてきた、というか俺と二人で来たかったという理由を察した。
そう思っていたら、俺はいきなり彼女に、自分の服の裾を、ぎゅっと掴まれていた。見てると、まるで小さな女の子が親の手を掴んでいるようにも見えてしまう。
「高坂先輩?」
声をかけると、彼女は苦笑いで、
「いや。べ、別に怖くなんてないけどね。ここ、ちょっと暗い雰囲気あるし、お墓みたいなものだから……」
なんて恥ずかしがりながら、照れ笑いしていた。
そんな彼女が可愛らしく見えた。
だから、俺は彼女の好きなようにさせておいて、説明を促した。
「ここはね。武田信玄の跡を継いだ、息子の勝頼が造った城だよ」
俺の服の袖を掴んで、離さないまま、彼女はしかし、いつものように淀みのない、よく通る声で説明を始めた。
「武田信玄の跡を継いだ、息子の勝頼は、色々と頑張ってはいたんだけど、知ってると思うけど、武田家は
「それでも、勝頼は、偉大な父、信玄を越えるためか、この新府城を築いたの。ここは天然の要害でね。武田流築城術の集大成って言われてるくらい、すごい城だったんだ」
彼女の説明は、わかりやすい。そして、俺はそんな彼女の説明を聞くことが、いつの間にか好きになっていた。
「でも、かわいそうなことに、城が出来上がって、勝頼がこの城に入ってから、たったの2か月ちょっとで、甲州征伐が始まった」
「甲州征伐って、織田信長が攻めてきたって奴ですか?」
「そう。1582年2月。天下統一を目指す、織田信長が軍勢を率いて、武田領に侵攻を始めたんだけど、もうその頃には武田家の力は相当弱まっていたから、裏切り者が出たり、逃亡したりで、まともな抵抗をしたのは、勝頼の弟の
彼女は、置き忘れたように残る墓石、そして細い木の柱を見つめながら、人気のない城で話し続ける。
「勝頼は、劣勢を悟り、この新府城に火をかけて、逃亡したの」
「それで、勝頼たちはどうなったんですか?」
その先を促すも、彼女は。
「それは、また後で話してあげる」
と、いたずらっ娘のように、微笑んだ。
「武田勝頼って、信玄に比べて、劣るって言われてますよね?」
聞きかじった程度だったが、そんなことを思い出して聞いたら、彼女の反応は意外なものだった。
「それは、後世の評価ね。江戸時代に『
「それに、勝頼は、父・信玄が果たせなかった、
「へえ。それは知らなかったです」
というより、彼女はその『甲陽軍鑑』を書き始めた高坂昌信の末裔のはずだが、やたらと先祖の書いた書物を否定するような気がする。
前にもそんなことを言っていた。
「歴史ってね。よく『後世の人が評価する』って言うじゃない? でも、他の時代はわからないけど、戦国時代に関しては、後世の人の評価なんて、当てにならないの。むしろ、同じ時代を生きた人の評価の方が、
「後の人は『話を盛る』からですよね?」
そう言うと、彼女は、嬉しそうに破顔し、
「そう。結局、後世の人、まあ戦国時代の場合は、ほとんどが江戸時代だけど、『歴史の勝者の末裔は、先祖を必要以上に高く持ち上げる』し、逆に『歴史の敗者の末裔は、勝者に遠慮して、先祖のことをあまりよく言わない』って傾向にあるからね」
と、解説してくれた。
なるほど。それには一理あるかもしれない、と思った。結局、昔の人は、「権威」が何より大事だから、自分たちの先祖のことを必要以上に「盛って」伝えることもあるし、逆に負けた場合は、権力を持っている勝者の末裔に遠慮するからだろう。
一通り、話しを聞いた後、俺たちは城跡の敷地内にある、例の墓石と、細い木の柱を回った。
墓石は、木の柵に囲まれ、「武田勝頼公霊社」と書かれてあった。
ここは、武田勝頼の墓だった。
彼女は、しゃがみ込んで、丁寧に墓に手を合わせて、真剣に祈っていた。俺もそれに
次いで、そのすぐ近くにあり、個人的に気になっていた、いくつもある木の細い柱を見に行くが。
見ると、そこには、武将らしき名前と「霊位」と書いてあった。
しかも、某歴史シミュレーションゲームでも、聞いたことがある名前の武将ばかりだった。
中には、武田四名臣の「
「これは?」
「武田勝頼に仕えた家臣たちの墓ね。まあ、勝頼に比べたら随分小さいし、質素なのがちょっとかわいそうな気がするけどね」
そう言って、彼女は、今度は、この細い木の柱に向かって、一つ一つ手を合わせ始めたのだ。俺もそれに倣う。
祈る時以外は、ほとんど俺の服の袖を掴んでいた彼女が、可愛らしくて、
「高坂先輩。やっぱり怖いんですね? だから俺を誘ったんでしょう?」
と聞いてみたが、
「いやいや。こ、怖くなんてないよ。それに、私は武田家を愛する者として、ここにはちゃんとお参りに来てみたかったし」
と言って、必死に否定する彼女が、可愛くもあり、面白くも見えた。
多分、一人じゃ怖いから、今まで来なかったんだろうな。
だが、彼女に関しては大丈夫だろう、と思った。
「霊」というのは、実在・不在の有無は別として、「不用意に死人を貶めたり、からかったりする者に対して現れる」と俺はどこかで聞いたことがあり、自分でも納得していた。
つまり、よく「心霊番組」や「心霊スポット巡り」で、面白半分に、そういうスポットに真夜中に行っては、面白がる連中がいるが、むしろそういうところに「霊」が出やすいとか。
しっかりとお参りしたり、真摯な気持ちでお祈りをしている人に、「
続いて、彼女の先導で向かった先は、そこから1時間ほどの距離にある、山あいの小さな寺だった。
山梨県中心部から東京方面に向かう時に、必ず通る、大動脈の甲州街道、つまり国道20号。
勝沼を越えて、坂道を登り、甲斐大和駅を越えてそのまま進むと、長い「新笹子トンネル」に入るが、その少し手前の細い道を進んだ先に、人知れず建つ、古い寺があった。
という。
そこは、風林火山の旗や、武田家の家紋「武田菱」の旗がひらめいていたが、山あいの小さな、そして落ち着いた雰囲気の、人気のない寺だった。
そこにある、目立つ3基の墓の前で、彼女はしゃがみ込み、祈りを捧げたので、俺も倣う。
そして、小さな柱に、辞世の句が書かれてあった。
勝頼公辞世
「おぼろなる 月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の
北条夫人辞世
「黒髪の乱れたる世ぞ はてしなき 思ひに消ゆる 露の玉の緒」
二つの辞世を前に、俺は、疑問に思ったことを聞いてみる。
「北条夫人?」
「そう。いつだったか話したよね。北条氏康の娘で、勝頼に嫁いだ女性。彼女は夫を慕いつつ、19歳の若さで夫と一緒に自害したの」
「でも、名前は?」
「名前は伝わってないの」
何とも物悲しい物だ。これだけ夫を慕っていたのに、名前すら伝わっていないとは。
彼女は、ゆっくりと説明し始めた。
「勝頼のは『雲にかすんだ月がおぼろに見える。やがて霞は晴れて
「北条夫人のは『黒髪が乱れるように果てしなく世は乱れ、あなたを思う私の命も露のしずくのようにはかなく消えようとしています』くらい意味ね」
「何とも物悲しいですね……」
その辞世の句を見つめながら呟くと。
「ええ。武田家の最期は、悲惨なものだったからね」
「そういえば、さっきの話の続きは?」
すると、彼女は、目を細め、思い出すように、ゆっくりと語ってくれるのだった。
「新府城から逃げた勝頼は、重臣の
そう言って、彼女が指さした方向に、こんもりとした森があった。それが天目山だろう。
「一般に、天目山の戦いと言われてるけど、実際には、その天目山にたどり着く前に、勝頼一行は、織田軍の追手に追いつかれたの」
「そして、この近くの
「数十人。それはヒドいですね」
「うん。家来の
俺は、天目山の戦いで、武田家が滅んだということは、知っていたが、詳しくは知らなかったから、驚きを隠せなかった。
と、同時に、あれだけ隆盛を誇った、名門の武田家の最期が、こんなにも寂しいものだとは思わなかったのだった。
ちなみに、3基あるうちのもう一つが、勝頼の息子の信勝の墓で、彼はまだ16歳だったという。
いつの間にか、境内を歩きながら、そんなことを話していた俺たち。
俺は、改めて彼女の歴史、特に戦国史に関する知識の豊富さと勉強熱心な態度に敬意を表しながらも、別のことを考えていた。
(今度は、俺の番だ)
ということだった。
つまり、いつも彼女にリードされ、彼女に解説される俺だったが、もう気軽に会えなくなるのなら、せめて最後くらいは、こちらからリードしたい。
それに、そもそも彼女とこのまま別れて、関係が断ち切られるのが怖かったのもあるが。
意を決した俺は。
「高坂先輩。春休み、空いてますか?」
「えっ。空いてるけど」
彼女は、ちょっとびっくりしたように、目を丸くし、そのちょっと釣り目がちな眼をこちらに向けた。
「なら、俺と一緒に旅に行きませんか?」
「二人で?」
「もちろん」
力強く答えると、彼女は、少しはにかみながら、
「うん。いいけど、どこに行くの?」
その先は、俺にとっても、彼女にとっても、まさに未知の領域だった。
だが、俺は決断しなくてはならない。
己の名前の由来となる、その地への旅を。
「中国地方です」
「中国地方?」
「はい。山中鹿之助の史跡巡りです」
俺が、はっきりとそう宣言すると、彼女は、ものすごく驚き、のけぞるようにしながら、
「ええっ。それって泊まりになるの?」
そう言ってきたが。
「そうなりますね。バイクで行きますが、さすがに1日では回れないので」
俺が、
戸惑いの見える瞳を、向け、伏し目がちに。
「……わかった。いいよ」
そう呟いた。
俺は、内心、嬉しい気持ちを隠しきれず。
「それでは、3月後半の春休みに行きましょう。詳細は後でメッセージを送ります」
そう、まくし立てるように、早口で言うと。
「うん! 楽しみにしてるね!」
そう、元気な声を上げ、はにかむ笑顔を見せる彼女が、最高に可愛らしく見えた。
俺と彼女の旅は、最終局面へ向かって、ようやく歩みだした。
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