第13話 いろは
ダラダラと続いてきた、この物語はようやく「運命の分岐点」を迎える。
翌朝、4日目。
奈良のホテルをチェックアウトし、下道で3時間ほどかけて、昼頃に伊勢神宮に到着。
幸いにも内宮にも外宮にも、バイクの駐車場があり、俺たちは、渋滞を作っている車列を横目に難なく観光できることになったが。
この日は、土曜日で、天気も快晴だったため、伊勢神宮はめちゃくちゃ混んでいたのだ。
その影響か、俺たちはいつの間にか、はぐれていた。
というか、高坂先輩が、不注意にも携帯を人混みの中で落として、一緒に探し回っているうちに、気がつくと3人はどこにもいなかった。
携帯電話は幸い見つかったが。
俺と高坂先輩、楢崎先輩と藤原先輩、本郷という形ではぐれた。
はぐれたのは、外宮の参拝が一通り終わり、内宮に向かって歩いている最中だった。
しかも高坂先輩は、一応、楢崎先輩に電話を入れたが。
「ああ、蛍。今、どこにいるの? えっ、もう参拝終わって駐車場?」
と驚いた様子を見せながらも、電話を切った後、
「とりあえずせっかくだから内宮をちゃんとお参りしよう」
と言い出した。
ただでさえ、はぐれて、人を待たせているのに、呑気なものだと思ったが。
結局、人混みに紛れながら、せめて彼女とははぐれないように気をつけながら、20分以上かけて、やっと内宮の御正殿まで行き、彼女は長い祈りを始めた。
その横顔を見ながら、早く帰らなくていいのかなあ、と心配になっていると。
やがて、参拝を終えた彼女の元に楢崎先輩から電話が入った。
「え、
「なんですって?」
「うん。
俺は、嫌な予感がしたのだが、高坂先輩は笑顔で、何だかあまり心配していないように見えたのが気になった。
そして、伊勢西ICから伊勢自動車道に乗り、高坂先輩を先頭に俺たちは二人で帰ることにした。
しかも、急いでいるかと思えば、いつもは強気の運転で、かっ飛ばしている彼女が、まるで俺のことを気遣うように、ゆっくりと制限速度ギリギリで走っていた。
約1時間10分後、東名阪自動車道の「御在所SA」に到着。
しかし、楢崎先輩と本郷のバイクはどこにもなかった。
彼女は再び楢崎先輩に連絡する。
「え、もう
電話を切った彼女に聞くと。
「もうだいぶ進んでるみたい。多分もうがんばっても追いつけないなあ」
と言ったが、その割には、笑顔だった。
その表情が、不安を隠すためなのか、それとも別の何かなのか、空元気なのか、俺にはわからなかったが。
しかも、不可解にも。
「ねえ、鹿之助くん。どうせなら、ちょっと寄り道して帰らない?」
と提案してきた。
しかもその場所とは。
関ヶ原
だった。
そう、京都へ行く最初の旅程で、彼女がやたらと気にしていた場所だった。
(やっぱり行きたかったんだなあ)
と思うも、時刻はもう3時を回っていた。
携帯の地図アプリで計算してもここから関ヶ原までは約1時間はかかる。
「っていうか、あの二人はどうするんですか?」
「ああ、もう完全にはぐれちゃったし、先に帰るって」
と、彼女はあっさりそう言った。俺は冬の陽は早く沈むから心配だったが、乗り気な彼女には勝てず、俺はその関ヶ原行きに付き合うことにした。
というより、これはもう完全にはぐれた「二人旅」になっていた。
1時間後、俺たちは、関ヶ原にいた。
「
「史蹟 関ヶ原古戦場」と書かれた石碑にだいぶ夕陽が当たっている。
すでに夕闇が迫る中、そこから関ヶ原盆地を見下ろす、高坂先輩のテンションは高かった。
「おお! これがあの関ヶ原か! すごいね。こんな狭いところで20万近くの兵が戦ったんだよ」
と言って、丘の上からの風景を楽しんでいた。
確かに、ここから初めて見た関ヶ原は、思いのほか狭く、山あいに囲まれた盆地だった。
それも、田舎だから、人家も少なく、まだ往時の面影を残している。
しかも、
「ねえ。『大一大万大吉』の意味って知ってる?」
呑気にもそんな質問を投げかけてきた。
「いいえ」
「『一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々はみんな幸せになれる』。そんな意味だって。なんだか『One for all,all for one』みたいで、ちょっとカッコいいよね」
なんて、笑顔で言いながら、さらに。
「どうせなら、決戦地にも行こう!」
と言い出し、すぐ近くにある、「関ヶ原古戦場 決戦地」へとバイクを走らせた。
そこは、田んぼの中に突如出現し、先程とは対照的に、徳川家康の「葵」の御紋の幟がかかげられていた。
「ここかー! なんだかすごいところだね。ちょっと感動!」
と、相変わらずテンションが高い。
というか、無理してがんばってるような笑顔に見えた。
彼女は、本当はもっと回りたかったみたいだったが、さすがに陽が暮れていたので、関ヶ原に名残惜しげに目を向ける彼女と共に、立ち去ることにした。
辺りはすっかり暗くなっていた。
しかも。
「あーーっ!」
突然、彼女が叫びだした。
「どうしました?」
と聞くと。
「携帯の電源切れちゃった。モバイルバッテリーも切れてる。鹿之助くん、モバイルバッテリー持ってない?」
と悲しそうに聞いてきたから、俺は持ってきて、入れておいたウエストポーチに入っているモバイルバッテリーを取り出そうとして。
そのウエストポーチの口が開いており、そこにあるはずのモバイルバッテリーがないことに気づき、
「ああ!」
と同じく叫んでいた。
「どうしたの?」
「落としました。しかも高速で」
と言うと、
「ええっ! どうしよう?」
さすがに彼女は動揺していた。
「しょうがない。コンビニで買います」
と言ったが、
「ごめんね。実は今、あまりお金なくてね……」
と申し訳なさそうに手を合わせてきた彼女。
しかし、そう言う俺も、財布の中身は、残りのガソリン代くらいしかなかったし、キャッシュカードもクレジットカードも持ってきていなかった。
「すいません。俺も」
一気に二人ともピンチに陥っていた。
が、冷静に考えれば戻れないことはないはずだ。
俺は策を巡らす。
慣れない土地で、携帯も使えない、金もない。こういう時こそ冷静になるべきだ。
ましてや、一緒にいる相手は女の子だ。危険にさらすわけにはいかない。
「まずはコンビニを探しましょう」
「どうして?」
「俺たちには、この辺りの土地勘がないです。だからまずは地図を手に入れて、それを元に帰るんです。大丈夫です。高速にさえ乗れば真っすぐ帰れますよ」
不安な気持ちであろう、彼女を励ますようにそう言うと。
「頭いいね。よし、それで行こう!」
空元気を出したかのように、彼女は元気よく言った。
このIT全盛時代に、まさかのアナログな旅が始まった。
しかも、関ヶ原町にはコンビニがあったのに、暗くて、勘だけを頼りに進んでいた、俺たちはそれを見逃し、気がつけば隣の
ようやく一軒のコンビニに入り、地図を購入。
しかし、当然ながらこの地域、つまり近畿、東海地方の地図しかない。
まずはコンビニを出て、その明かりの下で地図を見る。
「現在地は、この辺です」
コンビニの店員に場所を聞き、俺が示した場所は、岐阜県の国道21号沿いだった。
「高速道路は?」
「ここから一番近いのは、大垣西インターですね。そこから名神高速に乗り、中央高速にさえ入れば、後はまっすぐですよ。なんとかなりそうです」
彼女を元気づけるように、そう言った。
「よかった……」
やはり心細かったのか、少し安心したように、彼女は微笑むのだった。
そこから先は、もう手探りで進むしかなかった。
何とか名神高速道路に入り、案内板だけを頼りに、俺は
だが、中央高速道路に入れば、あとは道は一本道だ。
行きでも使った恵那峡SAに入る。
時刻は、だいぶロスしたから、午後6時30分を回っていた。
「おなか空いたね」
と、少し元気のない笑みを浮かべる彼女。
仕方がないので、お金はなかったが、幸いここにはコンビニがあったから、コンビニでおにぎりを二つだけ買ってきた。
所持金は残り1000円もなかった。給油したらもうギリギリだ。
おにぎりの一個を彼女に手渡す。
「お金払うよ」
申し訳なさそうに言う彼女に。
「いいですよ、安いし」
と言うと、
「ごめんね。迷惑かけて……」
いつもの強気の彼女からは考えられないくらい、低い声で申し訳なさそうに呟いた。
「こっちこそすいません」
「ううん。私が悪いの。鹿之助くんは気にしなくていいよ」
と優しい声音で言ってきた。
二人でSAのベンチに腰かけて、おにぎり1個という寂しい夕食を食べることに。
「でも、良かった。鹿之助くんが一緒で……」
高坂先輩が、小さな声でそう呟いた。
「えっ」
「だって、私一人じゃ、やっぱり心細かったから。やっぱり男の子だね」
などと言ってくるから、少し照れ臭い気がしたが、悪い気はしなかった。
再び暗闇の中を走り抜ける俺たち。
残りわずかな所持金をケチるため、ギリギリまで給油を引っ張り、次の休憩ポイントまでがんばることにした。
約1時間30分後。
時間はもう8時を過ぎていた。
諏訪湖SAに到着。
ここまで来れば、甲府まではあと少しという安心感が出てくる。
高坂先輩が夏に「入りたい」と言っていた、ハイウェイ温泉はまだ営業中だったが、所持金が心もとない俺たちは、入ることもできず、ベンチで休憩する。
すると、彼女は、俺に対して不思議な話を始めた。
「ねえ。私の名前の『いろは』って、実は鹿之助くんと同じく、戦国時代にちなんでるんだけど、わかるかな?」
「えっ。すいません。わかりません」
と正直に答えると。
「ふふふ。そうだよね。普通はわからないか」
と、微笑み、
「いろは姫って聞いたことない?」
と聞いてきた。
「いろは姫?」
俺の知る限り、その名は記憶になかった。
「そう。正確には『五郎八姫』って書いて、『いろは姫』って読ませたんだけどね」
「ごろうはちひめ? すごい男らしい名前ですね」
と感想を伝えると、彼女はクスクスと笑い出し、
「ホント、そうだよね。五郎八姫は、伊達政宗の娘だよ」
「へえ。そうなんですか?」
「うん。実は私の父が、伊達政宗が大好きでね。『男の子が生まれたら、絶対政宗って名付けるぞ』って言ってたらしいの。でも、生まれたのは私だけだった。だから悩んだ末に、政宗の娘の名前をつけたんだって。平仮名にしたのは、さすがに『五郎八』だとかわいそうだと思ったからだって、言ってた」
やっと、少し元気を取り戻したように、笑顔を見せながら、彼女は自分の名前の由来を語ってくれた。
「山梨県に住んでるのに、伊達政宗が好きなんですか?」
「そう。ちょっと変わってるよね」
「でも、私はこの名前が気に入ってるの。ほら、『いろは』って、昔のいろは歌の最初の3文字でしょ。歴史を感じる名前だから」
彼女の歴史好きは、こんなところにルーツがあったのか、と思うと、ちょっと感慨深いものがあった。
「それで、その『五郎八姫』はどんな人だったんですか?」
気がつけば、聞いていた。
きっと、俺は不安な気持ちを紛らわせたいという気持ちがあったのと、単に彼女と話していると楽しいと感じていたからだろう。
「徳川家康の六男、
「へえ。それで再婚はしたんですか?」
「ううん。父の政宗の元に戻って、ずっと仙台で暮らしていたって。忠輝との間に子供はいなかったそうだけど、仲のいい夫婦だったみたい」
気がつけば、会話は弾んでいた。
きっと、俺自体が彼女と話すことの楽しさを通じて、彼女自身に惹かれ始めていたのだろう。
「この『五郎八姫』ってのはね。政宗が結婚15年目にして、やっと正室の
「いえ、面白いというか、かわいそうでは?」
「あはは。そうだよね」
彼女は、心底楽しそうに笑っていた。
俺は、そんな彼女の言葉の先を聞くのが楽しみになっていた。
「でもね。『五郎八姫』はとても美して、聡明な人だったんだって。政宗も『男子だったらなあ』って悔しがったんだって。弟で、政宗の跡を継いだ仙台藩2代藩主の伊達
「知らなかったです」
いつの間にか、時間は8時半を回っていた。
さすがにそろそろ出発しないとヤバい、と感じ俺は彼女との会話を切り上げて、先に進むことを提案する。
彼女は、渋々ながら了承した。
最後の給油をここで行うが、金がないので、節約のため、所持金分までしか給油しなかった。
ここから先は、真っすぐ高速を走り、順調なら1時間くらいで甲府に到着できるはずだ。
ところが。
やっと最寄りのインターを降りて、そのまま真っすぐ帰ろうかと思ってたら。
信号待ちの間に、隣にバイクを近づけてきた彼女が、フルフェイスのシールドを開け、
「ねえ。もうちょっとだけ付き合ってくれない?」
そう言って、勝手に先に行ってしまうのだった。
仕方がないからついて行くことにした。
まあ、この辺りはもう甲府市だし、慌てる必要もなかったから、というのもあったが。
向かった先は、甲府市の北西にある県道104号。
彼女のバイクはどんどん坂道を登っていく。このまままっすぐ進むと、観光地の
と、思っていたら、途中の曲がりくねった坂道の脇にあるスペースに入って、バイクを停めた。
そこは、「和田峠 みはらし広場」と呼ばれる、展望台になっており、眼下には甲府市内の夜景が見渡せる場所になっており、ベンチが置かれてあった。
時刻は10時を回っていた。もちろん、こんな時間だったから、誰もいなかったが。
「キレイ!」
夜景を見つめながら、高坂先輩は、柵の前まで走って行って、こっちを振り向いて、微笑んだ。その笑顔が可愛かった。
「ホントですね」
俺は、そんな彼女の隣に立って、一緒に夜景に目を向ける。
すると。
「鹿之助くん……ありがとう」
そんな、ちょっと切ないような、穏やかな声が隣から聞こえてきた。
「いいえ」
ちょっと照れ臭くなり、彼女から目をそらすと。
「君と一緒で、本当によかった。今日のことは絶対忘れないよ……」
そう言って、彼女は少し潤んだような瞳を向けてきた。
これは、ヤバい。というか想像以上に可愛い。
そして、こんなチャンスはきっと滅多にない。
そう思い、もう胸がドキドキしてきていた、俺は彼女の、少し潤んだような瞳を覗き込みながら、自然と顔を近づけていた。
そのまま、この場の雰囲気に飲まれ、キスができるかというところで。
轟音と共に、いきなりバイクが、この広場に滑り込んできた。
というか、突っ込んできた、が正しい。
俺と高坂先輩は、ビックリして振り向いていた。
見たことのあるバイクだと思ったら、PCXだった。
降りてきた髪の長い女性のシルエットだけで、俺は気づいてしまった。
「鹿ちゃん!」
予想通り、姉だった。
まったく空気を読まずに突っ込んでくる、というか邪魔してくるな、と少し不快感すら感じていた俺だったが。
いきなり彼女は、俺に思いきり抱き着いてきた。
驚くのは、高坂先輩だが、俺自身も大げさな姉に驚いていた。
「よかった! ホントによかった! 何かあったんじゃないかって、すごく心配したんだよ!」
もう泣きそうなくらい、声を震わせている姉を見ていると、さすがに申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、姉ちゃん」
一言謝ると。
「ううん。いいんだよ、無事なら」
そう言って、ようやく体を離してくれたが。
俺には聞きたいことがあった。
「でも、どうして俺たちがここにいるってわかったの?」
そう。それが一番謎だった。
携帯は、とっくに電源が切れてるし、俺たちが誰かに見られた形跡もなかったはず。
電源が切れていれば、GPSでの追跡も不可能なはずだ。
「鹿ちゃんが時間になっても、全然帰ってこないし、電話もつながらないから、甲府中を探し回ってたの。そしたら、たまたまこの坂を登って行く鹿ちゃんのバイクといろはちゃんのバイクを見かけたからさ。追ってきたんだよ」
何という執念だろう。
と、思ったが、いつの間に見られていたのか。全然気づかなかった。
もっとも、俺の両親は、仕事に没頭しすぎて、子供には割と無関心というか、放任主義なところがある。
家族の中で、本当の意味で、俺のことを一番心配してくれるのは、この姉だけだったのだ。
それは、気恥ずかしいが、同時に嬉しい感情でもある。
子供は、親や家族から愛されてないと感じるのが一番ツラいのだ。
姉だけは、いつでもどんな時でも、俺のことを案じてくれる。
少し潤んだ瞳を向ける、この姉に対し、
「そっか。さすが姉ちゃんだ」
と言うと。
「もう、何よそれー」
と、安心したのか笑い出した。
そんな俺たちを見つめる高坂先輩に対し、
「いろはちゃんもよかった、無事で」
と姉は、彼女にも優し気な笑みを見せた。
「ご心配をおかけしてすいません」
素直に頭を下げる彼女に。
「ううん。二人でこんな暗がりで何してたか、知らないけど、とにかく無事でよかったよ」
若干トゲがある言い方だったが、微笑んだ。
一方、高坂先輩は、一瞬で頬を赤く染めて、うつむいてしまったが。
こうして、俺たち二人の逃避行、というか、「二人きり」の旅は終わった。
あと少しでキスできそうだった。
という事実が、俺の胸の鼓動をまだ収まらせてはくれなかったが。
そして、これが高坂いろは先輩が高校生である時の、最後の思い出になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます