第12話 古都の情景(後編)

 俺たちの京都滞在もついに3日目。


 今日は、奈良に向かって、奈良で泊まる予定だったが、その前に。


「まず比叡山ひえいざんに行こう!」


 と、朝から元気な高坂先輩に連れられて、まだ朝の8時なのに、バイクを飛ばして、比叡山に向かった。


 比叡山に車やバイクで向かうには「奥比叡おくひえいドライブウェイ」という有料道路を通ることになる。


 意外に高い通行料を払い、朝9時に開くという延暦寺えんりゃくじに、9時前に到着し、俺たちは時間潰しに展望台や駐車場を回る。


 そこからは、京都の市街地が一望できるのだった。


「うお、すげえな」

「絶景ですわ」

「来た甲斐があったわ」


 それぞれ本郷、藤原先輩、楢崎先輩が、溜め息交じりに呟く中、高坂先輩は、


「ここ、夜に来たら、夜景がキレイなんだろうな。ロマンチック」

 などと、珍しく乙女っぽいことを言っていた。


 比叡山延暦寺


 標高848メートルにあり、比叡山全域を境内とする巨大な寺院で、天台宗てんだいしゅうの総本山と言われている。

 1994年には、「古都京都の文化財」として、「ユネスコ世界遺産」にも登録されている。


 その巨大な根本中堂こんぽんちゅうどうを見ながら、俺は、


「比叡山と言えば、やっぱり織田信長の焼き討ちですよね」

 と、一番最初に思いついたことを高坂先輩に話していた。


 すると。

「まあ、そうだよね」

 と頷いた後、彼女は意外なことを言い出した。


「でもね、これは織田信長が一方的に悪いって言われてるけど、当時の比叡山はなんというか、堕落してたんだって」

「堕落ですか?」

「そう。元々、室町時代くらいから、この延暦寺は、僧侶が武装して、僧兵になり、それが数千人規模になって、一種の独立国家状態だったんだって」


「政教分離がまだ曖昧だったのね」

 楢崎先輩が、思うところがありそうな、複雑な表情を浮かべていた。


「そう。それが戦国時代になると、さらにヒドくなって、僧兵4000人が、強大な武力と権力を握ってね。本来、妻帯や肉食も禁じられていたのに、やりたい放題だったらしいわ。だから、信長は、この仏教の政治腐敗が、天下布武てんかふぶの妨げになると思ったから、武装を解除しろって再三に渡って通達したんだけど、拒否されて、怒って焼き討ちしたってのが真相らしいよ」


 さすがにその辺りには詳しい高坂先輩だった。


「だからと言って、殺しまくるのもどうかと思いますけどね」

 珍しく藤原先輩が、その意見に真っ向から異を唱えていた。


「まあ、みやこちゃんの言いたいこともわかるわ。それに、織田と浅井に挟まれて、延暦寺は進退きわまっていた、なんて説もあるしね」



 そして、次の目的地、奈良へと向かうことになった俺たち。

 結局、これで京都観光は終了したが、超有名な金閣寺、銀閣寺、竜安寺、京都御所、八坂神社にすら行っていない俺たちだった。


 もっとも、

「そんな有名どころなんてつまらない」

 と、ウチの部長殿は言っていたし、


「京都は1日や2日で回れる街じゃありませんわ」

 と、藤原先輩も言っていたが。



 比叡山から奈良までは、大体1時間あまりで到着。

 最初に向かったのは、藤原先輩が行きたいと言っていた場所だった。


 平城宮跡へいじょうきゅうあと


 そう呼ばれる、そこは巨大な史跡公園兼博物館みたいな場所だった。

 かつて、奈良にあった都、「平城京へいじょうきょう」。それを模して復元した建物がいくつもあり、資料館や歴史館がある、ちょっとしたテーマパークのような場所だった。


 藤原先輩は、

朱雀門すざくもんまであるとは、すごいですわ! ここ、最高です!」

 と、一人テンションを上げていて、色々と回りながら、解説をしてくれるのだった。


 もっとも、奈良時代はさすがに古すぎて、わからないことも多いのだが。


 続いて、向かったのは、こちらも超有名な観光地。


 奈良公園


 だった。

 しかも、みんな何故か東大寺には行こうとせず、奈良公園の鹿と戯れて、エサをやっていた。


 俺も仕方なく真似してエサをやっていると。

「鹿之助くんが、鹿にエサやってるよ。おもしろーい。鹿ちゃん同士だね」

 とか言って笑っている、高坂先輩。鹿にエサをやっていた俺は、彼女に勝手に写真を撮られていた。


 俺は、内心、

(だから、鹿ちゃんって言われるの嫌いなんだよ、姉ちゃん)

 と今は近くにいない姉に対して、愚痴をこぼしていた。


 そのまま、奈良公園を奥に入ると現れた大きな社、そこが、


 春日大社かすがたいしゃ


 だった。

 朱色の柱が支える本殿は、色鮮やかで美しいものだった。


 そして、ここもやはり藤原先輩の出番だった。


「ここは、創建が768年。全国に1000社もあるという『春日神社』の総本山ですわ。世界遺産にも登録されています」


 そして、さらに彼女は興味深いことを話してくれた。

「元々は、中臣なかとみ氏や藤原氏を氏神うじがみとして祀っていたそうですが、主祭神のタケミカヅチが鹿に乗ってきたから、今も鹿が神の使いと言われ、奈良公園では大切にされているそうですわ」


 なるほど。やたらと鹿を放し飼い状態にしているのには、そういう訳があったのか。


「藤原不比等ふひとが藤原氏の氏神のタケミカヅチを春日の御蓋山みかさやまに祀り、春日神と称したのが始まりで、以降、藤原氏の隆盛と共に発展したそうですわ」

「へえ。それじゃ、みやこちゃんのご先祖様が造ったかもしれないんだね」

 高坂先輩の嬉しそうな一言に、


「ですから、我が家は傍流です。直接的には何の関係もありませんわ」

 と言ったが、その顔はなんだか、照れ臭いのを隠しているようにも見えた。



 その後、ちょうど昼時だったので、奈良公園内にある、日本料理店で昼食を取った後、藤原先輩が向かった場所は、そこからほど近い、小さな丘のような小山だった。


 若草山わかくさやま


 標高が342メートルの山で、なだらかな山腹が芝に覆われている、美しい山だった。


 歩きながら、藤原先輩が口を開く。


「みなさん、授業で習ったと思いますが」


 と言った後。


「『あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも』の歌で知られている、三笠山がこの山と言われていますわ」


 和歌、というより教科書にも載っている有名な百人一首を詠んだ。

「さすがね、みやこ。スラスラと出てくるのね」

 と珍しく楢崎先輩が、藤原先輩の名前を呼んで褒めていた。


「いえいえ。このくらい、『歴研』部員として当然ですわ。ということで、これを現代語に訳してくれるかな、本郷くん」


 いきなり振られた本郷は、

「えーと……」

 と考え込み、


「はい、時間切れ。『天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は奈良の春日にある、三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ』くらいの意味ですね。作者は阿倍仲麿あべのなかまろ、『古今集こきんしゅう』に載っていますわ。これくらい、わからないとは『歴研』部員失格ですね」

 

 やたらと、本郷には厳しい藤原先輩だった。

 お前、もう脈なしだぞ。諦めて、楢崎先輩に乗り換えろ。そっちの方がお似合いだ。

 と、俺は内心、本郷を哀れに思いつつ、そう勧めたくなった。



 さて、だいぶ回ったが、行くところがなくなった、どうしよう、などと話している彼女たちを見て、俺は思い出していた。

 藤原京ふじわらきょうのことを。


 なので、彼女に提案してみた。

「藤原先輩。どうせなら、藤原京の跡に行ってみませんか?」


 すると、

「まあ、いいわね。私も自分の名前と同じ昔の都の跡、興味あるわ」

 とあっさり賛成してくれた。


 なので、俺たちは、藤原京の跡があるという、奈良県橿原かしはら市に向かった。


 現在は、「藤原宮跡ふじわらきゅうあと」とされているその場所へは、バイクで奈良から1時間ほどで行ける場所にあった。


 だが、実際に行ってみると、藤原京の跡は、ただの広大な原っぱで、礎石上に土をかぶせて模擬柱が並んでいるだけだった。


 時期がよければ、菜の花や桜、コスモスが見えるそうだが、今の時期は、草原以外、何も見えなかった。


 藤原先輩は、がっかりするかと思っていたら。

「まあ、藤原京自体が、たったの16年間の都でしたからね。仕方ないですわ」

 などと言っていたが。


「藤原京っていうのは、どんな都だったの?」

 と、高坂先輩が興味ありそうに尋ねると。


「日本史上、最初の条坊制じょうぼうせい、つまり碁盤ごばんの目の街並みだったそうですわ。唐の都風の街ということです。ただ、『日本書紀にほんしょき』には新益京しんえききょうと書いてあり、藤原京とは呼ばれていなかったそうですわ。期間は694年から710年に奈良の平城京に移るまでの、たった16年間のはかない都です」

 丁寧に解説をしてくれる藤原先輩の目は、儚く消え去った、遠い過去の都の跡を寂しそうに見つめていた。



 再び奈良市街へ戻る道すがら、休憩に立ち寄ったコンビニで。

「なんか、ちょっと時間余ったね。まだホテルに行くにはちょっと早いかな」

 と時計を見る高坂先輩に対し、


「でしたら、ちょっと面白いところに行きましょうか」

 そう言って、先導してくれた藤原先輩が向かった先は、有名な大仏がある東大寺でも、聖徳太子で有名な法隆寺でもなかった。


 興福寺こうふくじ


 だった。

 こういう、ちょっとメジャーな観光地から外れたところに行くのが、むしろ俺には興味深かったが。


 そこは、多くの国宝や重要文化財となっている、古い建物が立ち並ぶ広大な寺だったが、興味深かったのは、文化財になっている仏像だった。


 国宝になっている、多くの彫像が立ち並び、見る者を圧倒する迫力と、非常に精緻せいちな仏像は興味をそそられるものだった。


 藤原先輩は、

「ここも、先程の春日大社と同じく、藤原不比等のゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺うじでらと言われているそうですわ」

 と語った。


「やっぱ、なんだかんだ言っても、自分の先祖だから、興味あるんだね」

 なんて高坂先輩は言っていたが。


「あ、そういえば、思い出したよ。宝蔵院流槍術ほうぞういんりゅうそうじゅつってのは、興福寺の僧侶が作ったものだった」

 突然、その高坂先輩が大きな声を出した。


「宝蔵院流槍術? 武術ですか?」

「そう。胤栄いんえいっていうお坊さんが作ったもので、かの有名な宮本武蔵も、その宝蔵院流槍術を使う、胤舜いんしゅんっていうお坊さんと戦ったらしいよ」


 妙なことにも詳しい高坂先輩だった。

「へえ。あの宮本武蔵が」

「まあ、フィクションに近いけどね。小説で描かれたものだし」


 とは言っていたが、女の子とは思えないくらい、変なところに詳しいのだった。



 ホテルに着いた俺たちは、ロビーで明日のことを話し合った。

 とりあえず、いきなり出発直前に「伊勢神宮に行こう」と言い出した高坂先輩だったが、ノープランだったようだ。


「どうして、いきなり伊勢神宮に行くって言いだしたんですか?」

 まずは、その気になる理由について尋ねたのだが。


「うーん。まあ、『お伊勢参り』っていうくらい有名だし、個人的にお願いしたいこともあるしね」

 と何だか彼女は歯切れが悪かった。

 言いたくないことでもあるのだろうか。


「でも、伊勢神宮って結構広いのよね。内宮ないくう外宮げくうってのがあって、大きく二つの神社に別れてるから、どうせなら二つとも回らないとね」

 と、楢崎先輩が補足説明する。


「内宮? 外宮? どう違うの?」

「簡単に言うと、神様が違うんです。内宮は『天照坐皇大御神あまてらしますすめおおみかみ』、一般には『天照大御神あまてらすおおみかみ』として知られる女神ですね。外宮は『豊受大御神とようけのおおみかみ』という、こちらも女神ですね」

 日本神話にも詳しいのか、藤原先輩が代わりに説明していたが、高坂先輩は、


「へえ。どっちも女神様なんだ。じゃあ、余計にがんばらなくちゃ」

 などと、気合いを入れていたが、一体何をお願いする気なのか。そして、彼女がこんなに信心深いとは初めて知ったのだった。


「ちなみに、回る順番は、外宮、内宮と決まっているとか聞いたことがありますわ」

 という藤原先輩の言葉にも、

「うん。わかった」

 なんて、妙に力を入れて答えていた。



 そして、この時の高坂先輩の想い、そして翌日の祈りが、もしかしたら、俺たちの運命を変えたのかもしれない。

 そう、その時は迫っていた。

 それは、恐らく「運命の分岐点」だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る