第10話 古都の情景(前編)

 藤原先輩の先導のもと、京都で最初に向かった場所、それは有名観光地の「清水寺きよみずでら」だった。


 そして、俺たちの間で、誰もここに来たことがなかったことが幸いした。

 つまり、俺たちの高校の修学旅行は、北海道だったためだ。

 すでに修学旅行を終えていた、3年生の高坂先輩や楢崎先輩。2年生の藤原先輩も、来たことがなかったし、俺も本郷も同様だった。


 清水寺には、専用の駐車場がないため、坂の下にある、観光駐車場にバイクを停めて、歩くことになった。すぐ近くには、有名な「産寧坂さんねいざか(三年坂)」もある。


 参道を歩きながら、藤原先輩が、初めてまともに解説を始めた。


「清水寺は、京都に都が置かれる前、つまり平安京遷都せんと以前からあったんだそうです。鞍馬寺くらまでら広隆寺こうりゅうじと共に、京都でもかなり古い寺ですね」

「へえ」

 高坂先輩が、驚きつつ、参道を見渡しながら答えている。


「創建は、正確には忘れましたが、700年代だったと思いますわ。特に、この清水寺は『観音霊場かんのんれいじょう』として有名で、かの『枕草子まくらのそうし』にも『さわがしきもの』として、清水観音の縁日が描かれたり、『源氏物語げんじものがたり』や『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』にも清水観音の言及があったりしたそうですわ」

 やっと、自分の出番が来た藤原先輩は、嬉しそうに、お嬢様っぽいしゃべり方で説明してくれた。


「観音霊場って、何?」

 楢崎先輩が問いかける。


「観音様を祭る霊場のことです。日本全国にたくさんありますわ」


 間もなく、有名な清水寺の大きな舞台が姿を現す。


 その有名な「清水の舞台」に立つと、京都の街並みを見下ろすことができる絶景が広がった。

 そこからは、こんもりとした緑の木々の向こう側に、京都の街並みが見えた。


「うわ、すごいね」

 初めて来た高坂先輩が、興奮気味に風景に見入っていた。


「確かに絶景ね」

 と、楢崎先輩も。


「ここが有名な清水の舞台か」

 本郷も、なんだか感慨深げに眺めていた。


 俺は、ふと気になっていたことがあったので、聞いてみることにした。

「ところで、藤原先輩。『清水の舞台から飛び降りる』って言いますが、本当に飛び降りた人っているんですか?」

 目の前に広がる、京都の街並みとは対照的に、欄干らんかんから下を見ると、結構な高さがあって、驚く。


 すると、意外な回答が帰ってきた。

「ふふふ。それがね、結構いるのよ」


 ちょっと、面白そうに思い出し笑いをした彼女は、続けた。

「今の清水寺の舞台は、江戸時代初期に建造されたものだそうですわ。清水寺は何度も火事に遭ってますからね。ただ、この江戸時代には、かなりの人がここから飛び降りたそうで、その数は累計で200人を超えているそうですよ」


「200人! みんなバカなのかしら。そんなに死にたがりが多いのかしら、日本人って」

 と少し呆れながら高坂先輩は、欄干から下を覗いていた。


 確かに高さは、かなりある。ビルの数階から飛び降りるのと変わらないから、自殺と考えていいのだろう。


 と、思ったが。

「ところがですね。これは自殺じゃないんです」

「どういうこと?」

 興味深げに視線を向ける楢崎先輩。


「一種の『願掛がんかけ』だったそうですよ」

「願掛け?」


 高坂先輩の問いに、彼女は頷いて答えた。

「そうです。元々、『清水の舞台から飛び降りる』って言葉は、決死の覚悟を表すものですよね。ですから、まだ医学や科学が発達していなかった当時、主に『病気が治りますように』って、願って、決死の覚悟で飛び降りた庶民が大勢いたそうですよ」


 なかなか興味深い話だった。さらに続く。

「さらに言うと、男女比は7対3で男性の方が多く、10~20代が70%以上だったそうですわ」


「へえ。若いのに無茶するんすね。でも、死ななかったんすかね?」

 本郷が、当然の疑問をぶつけるが。


「若いからこそ、無茶をするんです。しかも、当時は今みたいに下がコンクリートじゃなくて、木が生い茂っていたそうです。ですので、それがクッションになって、助かる人が多くて、ほとんどの人が助かったんだそうですわ」


「ふふふ。それ、平安の話じゃないのに、詳しいのね」

 楢崎先輩が、不敵な笑みを浮かべながら、藤原先輩に言うが。


「まあ、本当は私の得意範囲ではないですけど、清水寺は個人的に好きですからね。色々と調べてきました」


 そんないつもとは違う藤原先輩だったが、彼女は、

「ちなみにですね。江戸時代に『傘を差して清水の舞台から飛び降りると恋が成就する』という迷信があったそうですわ。実際に、恋を成就させたいと願った、若い女性が傘を差して飛び降りた絵が残されてますわ」

 と言った後、何故か高坂先輩の方を見て、


「高坂先輩。飛び降りないで下さいね」

 微笑みながら、彼女に声をかけた。


 声をかけられた高坂先輩は、じっと黙って欄干の下を見つめていたが、慌てたように、


「ま、まさか。そんなことするわけないじゃない」

 と苦笑いしていた。


 彼女には、高坂先輩なら本当にやり兼ねない、と思ったのだろうか。


 なお、藤原先輩によれば、ここの高さは約12メートル。現代で言えば、ビルの4階に相当する高さだという。

 確かに自殺に思われても仕方がない。


 そして、清水寺といえば、もう一つ。超有名なパワースポットがある。

 音羽おとわの滝だ。


 そこは、ひさしの上から三つの細い糸のような滝が流れており、柄杓ひしゃくですくって飲むと、ご利益があるそうだが、この三つには意味があることでも知られている。

 向かって、左側が「学業成就」、中央が「恋愛成就」、そして右側が「延命長寿」と言われている。


 ここで、女子3人の動向を俺たち男子2人が見守っていると、面白い結果になった。

 高坂先輩は迷わず「恋愛成就」、楢崎先輩も迷わず「学業成就」。ここまではある意味、予想通りだった。楢崎先輩も受験が近いし。

 ところが、藤原先輩は、何故か「延命長寿」の滝の水を飲んでいた。

 彼女だけ、ババくさいと思ってしまったが。

 まあ、この娘はバイクであれだけ無茶な運転をするから、思うところがあったのかもしれない。


 そして、俺は「学業成就」、本郷は「恋愛成就」へと向かう。

 なんだか、高坂先輩の俺を見る目が、少し怖かったような気がしたのは、気のせいか。


「ねえ、みやこちゃん。音羽の滝って、元々どんな言い伝えがあるの?」

 その高坂先輩が興味深そうに彼女に聞いていた。


「音羽の滝は、この清水寺が出来た頃からあるそうです。昔、奈良で修行を積んだ賢心けんしんというお坊さんがいたそうです。そのお坊さんが夢に出てきた、おじいさんのお告げに従って、京都の音羽山おとわやまに行き、そこで滝を見つけて修行したそうなんですけど。賢心は、修行中に出会った行叡ぎょうえいという仙人から霊木れいぼくさずかるんですけど、賢心はそれは千手観音の心が念じられたもので、観音様の化身けしんだと悟って、観音の霊地としてこの地を守ったそうですわ。それが『音羽の滝』になったそうですわ」


 彼女の長い話が終わると、

「へえ。よく知ってるね」

 と珍しく楢崎先輩が感心したような声を上げていた。



 そして、この清水寺の参拝が終わり、駐車場に戻ってくると、藤原先輩が豹変した。

「さあ、次は晴明せいめい神社に行きますわよ!」

 と気合いの入った声を上げて、バイクにまたがり、猛烈な勢いでさっさと行ってしまった。


 余程、行きたかったのか、彼女は俺たちを置いてきぼりにして、京都市街地を猛烈なスピードで疾走。

 15分ほどで晴明神社に着いていたようだった。俺たちは目的地を聞いているから20分ほどかけて、ゆっくり向かったが。


 神社の路肩に彼女のバイクを見つけ、俺たちもその近くに停車する。


「遅いですわ、みなさん」

 と、藤原先輩は、少し機嫌が悪そうだったが、高坂先輩や楢崎先輩は、苦笑いをしていた。


 晴明神社


 陰陽師おんみょうじ安倍晴明あべのせいめいの名を冠した、その神社は、京都市街の中心地、上京かみぎょう区にあり、すぐ近くには京都御所きょうとごしょがあるという立地だった。


 そこには、大きな鳥居に五芒星ごぼうせいの星が描かれ、境内に小さな橋があり、本殿にも五芒星が描かれた提灯ちょうちんがあり、安倍晴明と思われる銅像もあったが、それ以外は普通の神社に見えた。


 参拝を済ませた後、俺は彼女に聞いてみる。

「やたらと、五芒星が見えますけど、あれって魔除まよけかなんかでしたっけ?」


 すると、藤原先輩は、いつもの控えめなお嬢様っぽい性格からは考えられないくらい得意げに話し始めた。

「そうですわ。五芒星は、陰陽道おんみょうどうでは魔除けの呪符として使われてまして、安倍晴明は、この紋をよく使ったそうですわ。別名『晴明桔梗せいめいききょう』とか『安倍晴明判あべのせいめいばん』、『晴明九字せいめいくじ』とも呼ばれてますわ」

 やはり、このお嬢様、なんか「裏」がありそうで怖い、と改めて思う俺だったが。


「ここは、みなさん、ご存じの、日本史上、最大の陰陽師、安倍晴明を祭る神社です。1005年に晴明が亡くなると、時の天皇、一条天皇は晴明の偉業をたたえ、1007年にここに神社を創建したそうですわ」


 俺たちは、キャーキャーと騒ぐ、女子中学生か女子高校生たちがたくさんいる境内を歩いて回る。

 と、いうかやたらと若い女の子が多い。


 俺は、来た時から気になっていた、「一条戻橋いちじょうもどりばし」と書いてある小さな橋を指さして、先輩に尋ねてみることにした。


「藤原先輩。この一条戻橋って、何ですか? なんか聞いたことがありますが」

「さすが山本くん。いいところに気づいたわね」


 いつもは、まずそんなことを言ってこないはずの、控えめな彼女が、得意げに語り始めた。


「一条戻橋、単に戻橋と言ったりしますが、ここは『あの世とこの世を繋ぐ橋』と言われてるそうですよ」

 少し、声音を変えて、怪談でも話すかのように話す彼女。


「ええっ」

 なんだか後ろで可愛らしい声を上げていたのは、高坂先輩だった。意外にもこういう話は苦手なのかもしれない。


「この橋には、数々の怪談話が残されていて、一種の心霊スポットみたいなものですわ」


 と、怖がっている高坂先輩を、むしろ面白がるように藤原先輩は続けた。やっぱこの人、なんか裏がありそうで、怖い。


「元々は、土御門橋つちみかどばしと呼ばれていたそうですが、平安末期に書かれた『撰集抄せんじゅうしょう』という説話集によれば、この橋を渡った死者が、この世に戻ってきたそうですわ」

 今は真冬なのに、まるで真夏の怪談でも聞かせるように、声音と落として、怖さを強調するようにしゃべる藤原先輩。


 高坂先輩は、怖がっているのか、楢崎先輩の陰に隠れているのが、何だか可愛らしい。

 藤原先輩が、ちょっと性格悪く感じたし、逆に高坂先輩の意外な一面を見た気がした。


 と、一通り、高坂先輩を怖がらせて満足したのか、彼女は種明かしをした。

「まあ、もっとも。ここは当時、都のはずれだったんです。橋の北側は人が住んでない未開の土地=あの世。逆に南側は都の人が暮らす=この世という住み分けだったんですわ。昔は、人が住んでいない暗闇を恐れて、妖怪がいるとか信じられてましたからね」


 そう語った、藤原先輩の言葉でホッとした表情を浮かべる高坂先輩に、興味深そうに声をかける。


「もちろん、とびっきりのこわーい話もいっぱいありますけどね。聞きたいですか、高坂先輩?」

「い、いえ。結構です」

 何故か敬語になった高坂先輩は、怯えるように答えていた。

 やっぱ、この人、性格悪いんじゃ。そして、高坂先輩は、怖い話が苦手のようだ。


「次は嵐山あらしやまに行きましょう。あそこは、京都の街中より、人が少ないので、のんびりできてオススメですよ」

 そう言って、またさっさとバイクにまたがって、行ってしまう藤原先輩だった。

 俺たちは仕方ないから着いて行く。



 京都の市街地を20分ほど駆け抜けてやってきたのは、嵐山。京都の西のはずれだった。

 駅前の駐車場にバイクを停めた、藤原先輩は、


「ここからは歩きましょう。嵐山は風情がある場所ですから。バイクで駆け抜けるのはもったいないですわ」

 珍しくそう言った。


 そして、有名な渡月橋とげつきょうを見ながら、俺たちは遅い昼食を食べ、食後に嵐山散策を始めた。


 駅からてくてくと、10分ほど歩くと。


 京都でも最も有名な観光スポットの一つ、「竹林ちくりん小径こみち」に差し掛かる。

 ここは、道の両脇に、数万本とも言われる、竹が生い茂り、竹林のトンネルのようになっている場所だ。


「うわあ。すごいね。ここが有名な竹林の小径かあ」

 空を覆うように、そびえる竹林を見上げながら、高坂先輩が歓声を上げた。


「素敵ね。テレビで一度見て、来てみたかったわ」

 と、珍しく楢崎先輩が、俗っぽいことを言っていた。


「確かにすごいな」

 と、あまり京都に興味を示さなかった、本郷まで感嘆の声を上げる。


「そうでしょう。これぞ、『京都』らしい場所ですわ。平安時代には、この辺りは貴族の別荘地だったそうですわ。素敵なところでしょう?」

 と、藤原先輩は得意げに話す。


 俺も、天を覆うようにそびえる、この竹林には、感激して、声も出なかったほどだった。



 続いて、さらに5分ほど歩き、住宅街より田んぼが目立つようになる頃、彼女の足が止まった。


 そこには。


 常寂光寺じょうじゃっこうじ


 と書かれてあった。


 この寺は、緑が多かった。階段を上り、山門をくぐって、また階段を上ると、小高い丘になっており、そこから京都市街が見渡せた。

 境内には、小さな二重塔(多宝塔たほうとう)があり、木々が生い茂っていて、あまり観光客の姿はなかった。


 雰囲気のいい、落ち着く寺だった。


「ここは、紅葉の時に来ると、キレイだそうですよ」

 藤原先輩が歩きながら話す。


「へえ。でも、雰囲気のいいお寺だね。ここには何か言い伝えとかあるの?」

 怪談話から解放され、元気を取り戻した高坂先輩が尋ねる。


「ありますよ。元々、百人一首で有名な小倉山おぐらやまの中腹にこの寺があり、秋は見事な紅葉に包まれるそうですわ。その美しさから『常寂光土じょうじゃっこうどのようだ』と言われ、常寂光寺になったそうですわ」

「常寂光土って、何すか?」

 本郷だ。


極楽浄土ごくらくじょうど、つまり仏教でいうところの、天国みたいなものですわ」

「へえ。勉強になるっす」

 相変わらず軽い、本郷だった。


「あとは、平安時代に藤原定家ふじわらていかの山荘、『時雨亭しぐれてい』があったことでも知られていますわ」

「藤原定家って誰すか?」

 本郷の質問に、藤原先輩は、眉をひそめた。

 同じ藤原姓を持つ人間のことだからか、それとも単に本郷の無知が気に入らなかったのか。


「藤原定家も知らないとは、歴研メンバー失格ですわよ、本郷くん」

 そう目を吊り上げて言った後。


「平安末期から鎌倉初期に生きた、歌道の大先生みたいな人ですわ。『新古今和歌集しんこきんわかしゅう』、『新勅撰和歌集しんちょくせんわかしゅう』を撰進せんしんしたほか、数々の歌を残し、『小倉百人一首おぐらひゃくにんいっしゅ』の撰者でもあるんですよ。それを知らないとは、勉強不足もいいところですわ」

 すっかり機嫌を損ねている。哀れ、本郷。


「まあまあ、みやこちゃん。私はちゃんと知ってるから」

 高坂先輩がなだめていた。



 続いて、そこから10分ほど歩いた場所にあったのは。


 祇王寺ぎおうじ


 という寺だった。


 ここが、また素晴らしい情景だった。

 苔むした小さな庭園が広がり、その向こうに茅葺かやぶきき屋根の古い家屋が建っている。

 京都の有名観光地に漂っているような、人混みによる喧騒からは離れた、非常に静かな空間だった。


「ここは素敵ね。京都の観光地の喧騒から離れているわね」

 と、楢崎先輩が口に出すと。


「さすが楢崎先輩。その通りですわ。私も個人的に、騒がしい有名観光地より、こういう静かなところが好きですわ」

 藤原先輩はそう言って、苔むした大地を歩きながら、説明するのだった。


「ここ、祇王寺は、法然の弟子、良鎮りょうちんが創建したと言われています」


「祇王寺の『祇王』とは、平清盛に寵愛され、後に捨てられた白拍子しらびょうし、祇王に由来しますわ」


「白拍子って何ですか?」

 そう俺が尋ねると。


「まあ、一種の踊り子というか芸人みたいなものですね」


「でも、捨てられたって、ヒドいね」

 高坂先輩が、目を憤らせる。


「ですよね。しかも『平家物語へいけものがたり』や『源平盛衰記げんぺいせいすいき』によれば、祇王は21歳の時、17歳の仏御前ほとけごぜんに、清盛の寵愛の座を奪われ、19歳の妹の祇女ぎじょ、母の刀自とうじと尼になって、この寺で過ごしたそうですけど、21歳の若さで捨てられたということでしょう。ホント、男って身勝手ですよね」

 そう言って、俺と本郷を睨みつけてきた。

 いやいや、同じ男だからって、俺たち関係ないでしょ、と思ったが。


「結局、仏御前も『いつかは我が身も同じ運命』と悟って、出家して、旧怨も捨てて、彼女たち4人は、ここで念仏三昧ざんまいの日々を送ったそうですわ」


 やっぱ、この藤原先輩は、ちょっと苦手というか、本性を隠しているように思えてならない俺だった。



 続いて、そこのすぐ隣にあった古い寺の境内に入る。


 滝口寺たきぐちでら


 と、書いてある、同じように苔むした庭園が広がる、有名観光地にはない、物静かな雰囲気があった。

 しかも、ここは古い茅葺き屋根の家屋に入ることができるようになっていた。


 その縁側に座る俺たち。


 一息ついた、藤原先輩が語り始めた内容は。

「ここ滝口寺も、同じく法然の弟子の良鎮が創建した寺ですが、ここには悲しい悲恋伝説が伝わっていますわ」


 彼女の好きな恋愛話だった。


 それによると。

「平安時代末期に、斎藤時頼さいとうときよりという侍がいました。彼は平清盛の息子の重盛しげもりに仕えていましたが、ある時、清盛と共に花見をしていたそうですわ。そこで彼は建礼門院けんれいもんいんという、重盛の妹に仕えていた横笛よこぶえという女性の舞を見ます」


 なんとなく先の展開が読めてきた俺だったが、彼女は黙って耳を傾ける俺たちに続けた。

「その横笛のあまりの美しさと、舞の素晴らしさに、時頼は彼女に一目惚れをしてしまいます」


 こういう話は、男の俺と本郷は、あまり興味を示さないが、女子2人は、熱心に聞き入っているようだった。


「時頼は、横笛に恋文を何通も送り、求婚。横笛も無骨だけど、愛情にあふれる時頼に惹かれ、愛を受け入れることにしたのですが」


「それで、それで?」

 珍しく、高坂先輩が、目を輝かせて、その恋愛話を聞いていた。やはり女子というのは、こういう話、好きだなあ、と思う。


「ところが、身分違いの恋に、時頼の父は大反対。傷ついた時頼は、横笛には何も伝えずに出家し、滝口入道たきぐちにゅうどうと名乗って、この寺で仏門修行を始めてしまうのですわ」


「ああ、だから滝口寺なのね」

 楢崎先輩も、普段こういうのに興味を示さない割には、熱心だった。


「ええ。そして、これを知った横笛は、時頼を探しに、あちこちの寺を訪ね歩きます。ある日の夕暮れ、この嵯峨さがの地で、横笛は念仏の声を聞きます。ついに時頼に会えたんです」


 情景を思い浮かべるように、物語を話す彼女。意外と、話し方が上手かった。


「ところが、時頼は、『会うのは修行の妨げになる』と、涙ながらに横笛を返したそうですわ」


「ええ、横笛ちゃん、かわいそう」

「それで、横笛はどうなったんですか?」

 女子二人が食いついている。どうでもいいが、歴史上の人物に「ちゃん」づけする高坂先輩が面白い。


「横笛は都へ帰る途中、自分の気持ちを伝えたくなり、近くの石に『山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け』と詠み、自分の指を切って、その血で書き記したそうですわ」


「ええ、血で! 痛そう」

 痛い話も苦手なのか、高坂先輩が、小さく声を上げていた。


「なげーな。まだ終わらないのかなあ」

 先程、藤原先輩に、たしなめられた本郷が、つまらなさそうに、ただ藤原先輩には聞こえないように、俺にそっと愚痴を言ってきた。


「まあ、黙って聞け」

 俺はそう言うしかなかったが。


「滝口入道は、横笛に、これからも訪ねてこられては修行の妨げになる、と女人禁制の高野山清浄院せいじょういんに居を移してしまいます。それを知った横笛は、悲しみのあまり、大堰川おおいがわに身を投げたとも、奈良の法華寺ほっけじに出家したとも言われていますわ」


 ようやく話が終わったようだが。


「かわいそう、横笛ちゃん」

 と何故か、「ちゃん」つけで呼ぶ高坂先輩と、

「そうね。その時代は、身分が絶対視されてたとはいえ、報われない話ね」

 楢崎先輩もそう言っていたが。


 俺は、男として、別のことが気になっていた。

「それで、滝口入道はその後、どうなったんですか?」


 すると、藤原先輩は、ちょっと意外だ、とでも言いたそうな驚いた表情を見せたが、

「横笛の死を聞いた、滝口入道はますます修行に励んで、その後、高野聖こうやひじりになり、大円院だいえんいんの住職になり、やがて重盛の子の維盛これもりの代まで生きていたそうよ」

 そう教えてくれた。


 女子は、「かわいそう」だの「身分違いの恋」だのと言っていたが、男の俺から見れば、この斎藤時頼、いや滝口入道は、そんな悲恋に遭いながらも、しっかりと仏の道に邁進しているように見えて、立派な人に見えるのだった。


 この辺りが、きっと男と女の物事の捕らえ方の違いだろう。


 一通り話が終わり、立ち上がった藤原先輩は、何故か高坂先輩を見て、ニヤニヤと笑い、


「高坂先輩。この近くに、あだし野念仏寺っていう面白い寺があるんですけど、行きません?」

 と問いかけていた。


 ああ、これはあれだな、と予想していると。


「いいけど、そこに何かあるの?」

「ふふふ。そこで写真を撮ると、高確率で心霊写真が写ると言われてる、有名な心霊スポットですよ」

「えっ。いやいや行かないよ。行きたかったら、みやこちゃん一人で行ってきなよ」

「いや、ここはやっぱり高坂先輩も一緒に」

「だから、私はいいの!」

「怖いんですね?」

「こ、怖くなんてないよ!」

「じゃあ、行きましょう?」

「も、もう遅いし、そろそろ宿に向かおうよ」


 嬉しそうに、高坂先輩を怖がらせていて、逆に高坂先輩は向きになっていた。

 絶対ドSだな、藤原先輩。



 その日は、結局、あだし野念仏寺に行きたそうにしていた藤原先輩を、怖がりな高坂先輩が押し止め、そのまま宿に向かった。


 宿は、京都駅近くにある普通のビジネスホテルだった。

 本当は、古民家を改装したような、オシャレで京都らしいところがいいと言っていた高坂先輩だが、部費の関係で、諦めたという話だ。


 そして、長距離走行と観光で疲れ果てた俺たちは、その夜は特に何事もなく、ぐっすりと早めに眠りについたのだった。

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