第7話 近代日本の礎

 夏休みが終わり、9月になったが。


 この年の9月は、昨今の異常気象の影響なのか、天気が酷かった。

 あちこちで台風が発生し、日本列島各地に甚大な被害を残していた。当然、雨に弱い、俺たちバイク乗りにとって、苦難と忍耐の季節だった。


 なので、10月に入って、それらがなくなって、すぐ、奴が大声で発言した。


「みんな、横須賀に行きましょう!」

 そう、本郷だった。


 奴は、夏合宿で横須賀に行けなかったのが、相当悔しかったようで、リベンジをしたいと言っていたが、ここで仕掛けてきた。


「わかったよ。そんなに行きたいなら、私も興味あるし、次の土曜日に行こう」

 部長の高坂先輩が承認し、他のメンバーも追随した。


 俺たちは、時間も取りやすい、土曜日に横須賀へと向かうことになった。



 当日は、いつもよく使っている、中央高速インター入口付近にある、コンビニだった。

 珍しく、いつも以上に早く起きた俺は、一番乗りにコンビニに着いていた。

 さすがにまだ約束の時間まで30分近くある。

 ちょっと張り切りすぎたか。


 やがて、

 爆音を響かせながら、ニンジャ250がコンビニの駐車場に滑り込んできた。

 相変わらず強気な運転をしているようだが、不思議と危なっかしさは感じない。

 何しろ、その持ち主は運転が上手いのだ。早くもきちんとニーグリップを決め、結構な角度にバイクを傾けながら旋回して、きちんと俺のバイクの隣に停まった。


「おはよう、鹿之助くん。今日は珍しく早いね!」

 フルフェイスのヘルメットを脱いだ彼女が、元気に挨拶してくる。高坂先輩だ。前回と同じようにライダースジャケットにレザーパンツ姿だった。


「おはようございます。昨日、あまり眠れなくて」

「私もだよ。今日、楽しみだねえ」


 もう会話が、これからツーリングに向かう連中の会話にしか聞こえないだろう。実際、他の人から見たらそうなんだろうけど。


 続いて、またも爆音を響かせながら、駐車場に入ってきたのは、KTM RC250だったが、こちらは高坂先輩とは違い、運転がかなり荒々しくて、危なっかしい。タイヤがロックするんじゃないか、という勢いでブレーキングしていた。

 言うまでもなく、藤原先輩だった。

 しかも、またレーシングスーツで来ているし。


「おはようございます。お二人とも早いですね」

 同じくフルフェイスヘルメットを脱ぎ、ロングヘアをうっとうしそうにかき上げる仕草をした藤原先輩だった。傍から見れば、ちょっと絵になるが。


「おはよう、みやこちゃん」


 そして、物静かな音で、いかにも安全運転で入ってきたのが、楢崎先輩。

 バイクというよりも、初心者が軽自動車を運転するような慎重さで、何度も後方確認をしている。

 ヤマハ、マジェスティに乗る楢崎先輩は、

「お、おはよう」

 またいつものように、何だか自信なさげに、どもりながら呟いた。

 今回は、黒の革ジャンに、ジーンズ姿だったが、彼女は長身なので、それが妙に似合っていた。


 約束まで残り時間5分。

 前回、ギリギリだった、俺が言えた義理ではないが、ギリギリの時間に奴は来た。


 青のスズキ・スカイウェイブが慌てたように滑り込んできた。

 そして、今日もやっぱりスカジャンを着ていた。

「ちーす。すいません、寝坊しました」

 少しも申し訳ないと思ってない声で、本郷が挨拶した。


「もう。君、言い出しっぺでしょ」

 さすがに高坂先輩はたしなめていたが。


 軽く軽食を取った後、俺たちは出発した。


 今回は、さすがに距離があるのと、交通量が多い都心部を通過するため、時間のロスを気にして、高速を使うと宣言した高坂先輩。


 前回のように、はぐれないようにルートを軽く説明した。


「中央道で八王子JCTジャンクションまで行って、圏央道。そこから東名高速、保土ヶ谷ほどがやバイパス、横浜横須賀道路と走るわ。休憩は圏央道の厚木PAで1回ね」


 携帯で調べると、時間は約2時間と少し。

 まあ、妥当なコースだった。


 そして、今回も先頭は高坂先輩、続いて藤原先輩、本郷、楢崎先輩、俺と続く。

 前方に藤原先輩を配したのは、どうせこの娘、調子に乗って先に行ってしまう傾向があるからだ。



 走り出すと、やはり予想通りだった。

 かろうじて、俺たちの視界に入る範囲にはいたが、かなり前方に高坂先輩と藤原先輩が飛び出している。


 高速道路の制限速度は、時速100キロで、新東名高速が110キロなんだが、彼女たちは、ほとんど110キロ以上は出していると思われた。


 そして、やはりというか、走り始めてしばらくして、笹子ささごトンネルの長いトンネルを抜けた頃には、前方のどこにも二人の姿はなかった。


 とりあえず、目的地はわかっているので、俺たち残り3人は、マイペースで厚木PAを目指した。


 圏央道厚木PA


 圏央道自体、後で作られたし、片側1車線しかない区間が多い高速道路というのもあり、大幹線の中央高速や東名高速のように、大規模なSAやPAはあまりないのだが。


 ここは、そこそこの大きさがあるPAだった。


 そこには、待ちくたびれたようにジュース片手に携帯を見る高坂先輩と、手鏡で髪の乱れを直している藤原先輩がベンチに座って待っていた。


「相変わらずですね、二人とも。飛ばしすぎじゃないですか」

 俺が声をかけると。


「そうですか。みなさんが遅いんじゃないですか?」

 藤原先輩は、ちょっと不満げに俺たちを睨んだ。

 この娘は、全く、大丈夫かな、と思ったが。


「いや、それにしても都会だね。途中からもうビルだらけ」

 と不満を言いつつ、何故か楽しそうに微笑む高坂先輩だった。


 一休みした後、再び高速に乗る。

 海老名JCTから東名高速の東京方面に乗り、横浜町田ICインターチェンジで降りて、国道16号のバイパスである保土ヶ谷バイパスに乗る。ここは無料道路だった。


 左右の風景はビルばかり。

 東京周辺がいかに人が密集しているかがわかる。


 いつの間にか横浜横須賀道路に入り、横須賀ICで降りて、俺たちは横須賀市街地に入る。


 駐車場はあらかじめ本郷が調べておいた、市役所北口駐車場。

 ここは、市役所が開いてない、土日でも一般開放され、使えるし、バイク駐車場もあるからだった。


 そう、バイク乗りにとって、都会は特に走りづらい。

 信号機が多いから、ミッションバイクはいちいちその度にシフトチェンジを強いられるし、そもそも駐車スペースがない。


 バイクは、車と違って、社会的に認められてない、というか、立場が悪い。

 有名な観光地なら何とか専用の駐車スペースがあったりするが、都会だとそれすらもなかったりするのだ。


 なので、今回はこの駐車場から歩くことになった。



 今回は、念願の横須賀行きがかなって、うきうきしている本郷が先導する。

 まずは駐車場に近い、三笠公園へと向かった。


 ここには、「記念艦三笠」がある。

 本郷が、目の前にそびえる大きな船を見上げ、

「おお、これがあの三笠か! 日露戦争の天王山、日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を破った船だ」

 と早くも興奮している。


「バルチック艦隊?」

 戦国時代以外には、疎い、というか特に近現代が弱い高坂先輩が聞き返していた。


Baltic Fleetバルティック・フリート、つまりバルト海の艦隊のことよ、いろは。当時、ロシアはそのバルト海に海軍を展開していてね。世界最強の艦隊の一つだったのよ」

 楢崎先輩だった。

 俺も意外だったが、高坂先輩も同じように思ったようで、


「へえ。蛍、幕末だけじゃなくて、近現代も詳しいんだね」

 と言うと。

「いろは。『幕末』だって、世界的に見れば、近現代よ。それに、幕末と明治、大正って結局つながりがあるからね。東郷平八郎だって、元は倒幕側の薩摩藩士だし」

 さすがに詳しいというか、頼りになる楢崎先輩だった。


 最も、ここに係留されている「三笠」は後に復元したもので、しかもそもそもこいつが海に浮いてない。

 陸に完全固定されて、すでに「船」ではなくなっているのが、俺には少し哀れに思えた。


 とりあえず、チケットを買って、5人でこの「記念艦三笠」に入る。


 中は、ちゃんとした軍艦の形をしていて、デッキがあり、マストもあり、操舵室や艦砲も置いてあり、さらに船室が、歴史を伝える史料館のようになっていた。


 この史料館がなかなか立派で、日本が明治維新以降どうなったかを詳しく解説、日露戦争までの経緯、そして日露戦争自体もかなり詳しく取り扱っていたから、あまり知識のない俺たちでもわかりやすかった。


「んじゃ、ざっくり説明しますわ」

 面倒くさそうにしながらも、まずは甲板上のベンチに座って、今日の主役の本郷が説明を始めた。


「日露戦争の10年前に日清戦争ってのがあったのは、教科書で習いましたよね?」

 みんなが頷く。


「ここで、日本は清、今の中国に勝ったんで、中国の遼東りょうとう半島と、台湾と澎湖ほうこ諸島を手に入れたんすね」


 本郷にしては、割とまともな説明だった。

「ところが、これも教科書で習ったと思うんすけど、ロシアとフランスとドイツが、遼東半島は清に返せ、と言い出したんすよ。まだ立場の弱かった日本は、諦めて遼東半島だけ返したわけっすね」

「ああ、三国干渉よね」

「そうっす」


 まあ、この辺は教科書通りだが、いつも適当な奴にしては、わかりやすい説明だった。

 さらに続く。


「んで、問題は朝鮮半島なんすよ。ここが一種の緩衝かんしょう地帯になってたんすけど、ここの領有権を日本が主張。当時は帝国主義の時代だったんで、食うか食われるかの時代だったんすけど、ロシアが南下政策って奴で、この朝鮮半島を奪おうとしたんすね」


 みんなは、黙ってこの珍しい本郷の解説に聞き入っていた。

「ロシアは満州まんしゅう、今の中国東北部を手に入れ、一気に朝鮮半島も奪おうとした。でも、ここを取られると、日本は安全保障上、かなりヤバいわけっすね。なので、仕方ない、ロシアと戦争やろうって話になったんすけど」


 と一旦、切ってから、質問を投げかけてきた。

「当時の日本とロシアの国力って、どのくらいの差があったか、知ってるっすか?」


 みんなが首を振る。俺も知らなかったが、その後、驚くべき回答が奴の口から出た。

「ざっくり言うと、陸軍は歩兵だけでロシアは日本の6倍、騎兵で13倍、予備部隊も入れたら、大体10倍くらい差があったらしいんすね」

「10倍! 勝てるわけないじゃない」

 この辺りの歴史の知恵に浅い、高坂先輩が想像以上に驚いているのが面白かった。


「まあ、そう思いますよねえ。なんで、当時、日本の中でも『ロシアと戦争やって勝てるか、バカヤロー』って奴らはたくさんいたんすよ。確か、長州閥ちょうしゅうばつ伊藤博文いとうひろぶみとか井上馨いのうえかおるとかがそうっすよねえ、楢崎先輩」


 楢崎先輩に話を振ると、

「ええ。逆に長州閥でも桂太郎かつらたろう山県有朋やまがたありともは主戦派、外相の小村寿太郎こむらじゅたろうも主戦派だったかしら」

 と言うと、


「さすが楢崎先輩っす。その通り」

 なんだかんだで、幕末と近現代は近いから、この二人は案外、意見が合うらしい。


「で、結局、日本はイギリスと同盟し、世論もあったから、仕方なくロシアと戦争をやったんす。ただ、やってみたら、やっぱ苦戦に次ぐ苦戦だったらしく、遼東半島の旅順ではボロボロになって、やっと203高地を手に入れて、勝ったけど、旅順攻略に半年もかかって、陸軍は壊滅状態。海軍は、なんとか日本海海戦で、バルチック艦隊を破ったんすけど、もう日本には、戦う力も金もなくて、仕方なくポーツマス条約で講和して戦争は終わったって感じすね」


 本郷の長い話がやっと終わった。

 だが、俺は少しこいつを見直していた。


 ただの「艦隊マニア」好きのゲームオタクというわけではなかったのだ。これだけの知識をもって、説明できるのは、ある意味、すごい。


「あ、203高地って、なんか聞いたことある」

 高坂先輩が元気な声を上げた。


「まあ、有名っすからね。この旅順要塞ってのが、またエゲツない大要塞で、それを落とした乃木希典は、『英雄』扱いされたんすけど。めちゃくちゃ犠牲を出したから、作家の司馬遼太郎しばりょうたろうなんかは作品の中で、『乃木は無能』って批判してるんよ。その辺、どう思います、楢崎先輩?」


 まさか、司馬遼太郎の話まで持ち出すとは思わなかった俺は、ちょっと面食らっていた。


 すると、振られた彼女の回答は意外だった。

「私はそうは思わないわ。乃木希典は、若い頃、長州藩の兵学者で、吉田松陰よしだしょういんの叔父の玉木文之進たまきぶんのしんに弟子入りしてるし、頭もよかったの。しかも彼は当時のヨーロッパの主要な軍事論文をすべて読破していたという理論派だった。つまり、当時は塹壕ざんごうを突破して、要塞を陥落させるなんて方法は、犠牲を強いられる歩兵突撃以外にはなかったの。多分、誰がやっても同じだったはず。後世の人が批判しても、それは所詮その時代から見た評価だから」

 理路整然と、自説を展開していく、楢崎先輩。

 こうしてみると、幕末だけにとどまらないその知識、識見が頼もしく見えるから不思議だ。


「さすが楢崎先輩っす」

 そう本郷に褒められた、楢崎先輩が珍しく、照れ臭そうに視線を逸らしていた。


「俺も大体、楢崎先輩と同じ意見っすね。無理なもんは無理なんすよ。司馬遼太郎が生きた時代と、乃木希典が生きた時代は違うっすからね。現代は平和なんで、やたらと戦争反対とか言ってるすけど、これも同じく、当時はそんな生ぬるいことは言ってられなかった。日本が生きるか死ぬかの時代っすからね」


 こうして、本郷の長い話は終わり、俺たちは一通り、そういう知識を得た上で、改めて史料を見て、勉強するのだった。


 結果的には、わかりやすい説明のお陰で、日露戦争のことを少しわかったような気がした。


 なお、この「記念艦三笠」がなぜ海に浮かんでいないのか、と本郷に聞いたら。


「ああ、それは元々三笠って、事故でぶっ壊れて、横須賀に連れてこられたんだけど、廃艦扱いになって、戦後もほとんど放置されたままだったんだわ。んで、それを見たアメリカ人やイギリス人が『こんな偉大な船にもったいねえことすんじゃねー』って怒って、日本はやっと復元させたらしい。ただ、もう当時みたいには復元できんから、無理矢理陸とくっつけたんじゃないかな」

 まあ、何とも奴らしい、面白い説明ではあったが、わかりやすくはあった。



 一通り、見終わって、船を出る。

 すると、本郷は、


「じゃ、次は猿島さるしまっすね」

 と言った。


「猿島?」

「あの沖に浮かんでる島っすよ」

 高坂先輩の疑問に、本郷が指をさして答える。


 その先には、小さな島があった。

 しかもその日は、天気もよく、晴れていたから、よく見えた。


 猿島へは、横須賀から船で行くツアーに参加するということになった。

 楽しみにしていた、という本郷がすでに5人分予約していた。


 猿島は、横須賀の沖合に浮かぶ小さな無人島で、ここへは船で片道わずか10分でたどり着ける。


 降りた先には、不思議な島があった。

 そこには、苔むした古いレンガに覆われたいくつもの建物が、道の両脇に建っていた。


「うわあ、なにここ。すごいね。ちょっとカッコいい!」

 珍しく高坂先輩が、戦国とは関係ないところで、はしゃいでいた。


「本当ですね。素敵な雰囲気ですわ」

 藤原先輩も、なんだかうっとりとした表情を浮かべているが。


「なるほど。東京湾要塞ね」

 楢崎先輩は、妙に納得した顔で、そのレンガ造りの建物を見上げていた。


「そうっす。確か最初に造られたのは、幕末っすよね。ここには、東京湾を守る東京湾要塞のうち、猿島砲台ってのが置かれてたんすよ。ただ、ここのレンガは、今ではかなり貴重なものらしいすよ」

 本郷が説明する。


 確かに、ものすごく幻想的な風景を醸し出していた。

 どこか、歴史に取り残されたような、時が止まったような空間だった。


 島を堪能し、再び横須賀に戻った俺たちは、昼食も兼ねて、どぶ板通りに向かった。


 そこで、本郷は本場の「スカジャン」の店に興奮して、店をはしごして、スカジャンを実際に買っていた。

 俺たちは、横須賀名物という、「ネイビーバーガー」や「横須賀海軍カレー」を食べて、昼食を済ます。



 午後、今度はヴェルニー公園に向かった。

 公園に入って、遊歩道を歩き、海沿いの看板の前で、本郷の足は止まった。

 そこに案内版があり、「近代日本のルーツ 横須賀製鉄所」と書かれてあった。


「ここからは、楢崎先輩にお任せするっす」

 そう言って、本郷は引き下がる。


 改めて、楢崎先輩がその案内板を見ながら、感慨深そうに説明を始めた。

「幕末の1865年、当時の幕府勘定奉行かんじょうぶぎょう小栗上野介おぐりこうずけのすけの進言で、フランスからヴェルニーという技師を招いて、日本初の本格的な製鉄所として開かれたのが、ここね。というか、今は対岸のあのあたりだから、在日米軍基地になってて、入れないけどね」

 そう言って、対岸の基地を指さした。


「ああ、だからここ、ヴェルニー公園って言うんだね」

 高坂先輩が、明るい声で反応する。


「そうね。でも、結局出来た後、すぐに幕府はなくなってしまったから、事業は明治新政府が引き継いで、後に横須賀鎮守府ちんじゅふの直轄になって、ここで多くの日本の軍艦が造られたそうよ」


「先輩。鎮守府って、何ですか?」

 あまりその辺は、詳しく知らなかったので、試しに聞いてみた。


 すると、横から声がかかる。

「バカだなあ、山本。鎮守府ってのは、日本海軍の根拠地のことだろ。そんなもん、常識だぜ」

 と、本郷が言ってきたが、いや常識ではないと思うのだが。



 その後、次にどこに行こうかで迷う本郷に対し、楢崎先輩が何故か、こっそり本郷に耳打ちしていた。


 ひそひそ話を始める二人。なんだか怪しい。


 すると、

「ああ、いいっすね、それ」

 あっさり本郷はOKしたみたいで、次の目的地が決まった。


「んじゃ、次は観音崎かんのんざきに行くっすよ」

 そう言って、本郷はバイクが置いてある場所まで、先導した。


 再び、バイクに乗った俺たちは、横須賀中心部からはわずか15分ほどの距離にある「観音崎公園」に到着。


 バイクを降りる。


 少し歩くと、古ぼけた灯台があった。

 それを見上げながら、


「なんかレトロで素敵な灯台ですね」

 藤原先輩が呟く。


「ここも、どっちかというと、楢崎先輩っすね」

 本郷に譲られた、楢崎先輩は。


「しょうがないなあ、もう」

 とか言いながらも、語りだした。


「観音崎灯台はね、日本最古の洋式灯台って言われてるの」

「へえ。最古。すごいねえ」

 大袈裟に喜ぶ高坂先輩。


「造られたのは1869年。設計は、さっきも出たヴェルニーよ。今のは3代目だけどね」

「へえ。すごいんだね、ヴェルニーさん」

「まあね。元々、幕末の幕府はフランスと結びつきが強く、逆に薩摩や長州などの倒幕派はイギリスと結びつきが強かったの。でも、このヴェルニーは明治になってからも、日本の近代化に尽力。確かここの他にも3つくらい東京湾の灯台の建設に関わってるわね」

 後で調べたところ、今は現存していない品川灯台、千葉県の野島崎のじまさき灯台、そして神奈川県の城ケ島じょうがしま灯台の建設にも関わっていたとか。


 その後、同じく観音崎公園内にある、観音崎砲台の跡を見たが。

 ここも東京湾要塞の一部らしいが、正直、猿島を見た後だと、物足りなかった。

 ここは、猿島の砲台ほど、遺構が残っているわけではなく、ほぼ台座しか残っていないためだ。



 横須賀歴史探索、最後のスポットは、俺たちにとっては、意外なところだった。

久里浜くりはまに行くっす」


 とだけ、言い残し、バイクで俺たちを先導する本郷。


 やがて、たどり着いた場所は。


 ペリー公園、そして敷地内に建つ「ペリー上陸記念碑」と、ペリー記念館という小さな博物館があるだけだった。


「ここも、やっぱ楢崎先輩っしょ」

 結局、また楢崎先輩に譲る本郷だった。

 こいつ、面倒臭いだけで、押し付けてる気がしなくもないが。まあ、ペリーと言えば幕末だから仕方ない。


「みんな、さすがにペリーは知ってるよね?」

 渋々ながらも説明に入る楢崎先輩。


「もちろん」

「知ってます」

「はい」

「当然っす」

 さすがにみんな頷くが。


「でも、ペリーが来て、当時の人は、めちゃくちゃ驚いたと思ってるでしょ」

「え、違うの?」

「一般民衆は驚いたと思うわ。でもね、実は幕閣、つまり幕府の中枢にいた、お偉いさんたちは、当時通商をしていたオランダから、ペリーが日本に来るという話は聞いていて、事前に知ってたらしいの」


「え、そうなんですか? じゃあ、なんで対策をしなかったんですか?」

 俺の当然の問いに、彼女は、少し寂しそうに答えてくれた。


「そこが、日本の悪しき伝統なのよ。脅威が来るとわかってるのに、先延ばしにして、ロクな対策を取らなかった。しかも、『1年後にまた来いって、追い出せばもう来なくなるだろう』って考えて、また先延ばしにした。まるで、今の日本のダメな政治家みたいでしょ」


 その例えがちょっと面白かったが、確かに日本の政治家のダメな部分はそこかもしれない。

 決断力がない。


「でも、アメリカ人には、そんなこと通じるわけがない。だからまた1年後にペリーはやってきて、日本は仕方なく、やっと重い腰を上げて、開国したのよ」

「かー、日本人、情けねえ!」

 何故か、本郷がそう叫んで、悔しがっていたが。


「ふふ、そうね。でも、ペリーって、日本では有名だけど、アメリカだとどうだか知ってる?」

「え、有名なんでしょ?」

 高坂先輩が当然のように答えると。

「それが全然そんなことないの。試しにアメリカ人に聞いてみればわかると思うけど、『ペリー? 誰それ?』って言うと思うわ。日本じゃ、教科書に取り上げられるくらい有名で、写真まで知られているのに、不思議よね」

 そう言って、彼女は「ペリー上陸記念碑」を見上げていた。


 ちなみに、久里浜ってのは、この辺の地名で、当時、この辺に「浦賀奉行所うらがぶぎょうしょ」が置かれていて、それでペリーは「浦賀」に来航したと思われているそうだが、実際にペリーたちが上陸したのは、この久里浜だと楢崎先輩は教えてくれた。



 とりあえず、すでに陽が傾いてきていた。

「んじゃ、これで帰るっすかね」

 本郷が呟く。


「そうね。なかなか興味深かったわ、本郷くん」

 楢崎先輩が答える。


「ですねー。特に猿島、素敵でしたわ」

 と、藤原先輩も。


「色々と勉強になったよ、本郷。お前にして上出来だ」

 と、俺が。


 そして、部長殿は。

「いやあ、面白かったよ、本郷くん。幕末や明治もいいもんだね。有意義な時間をありがとう」

 と素直に、喜びを表現していた。


 本郷は、

「よかったっす。結局、幕末も明治もそうっすけど、批判はあっても、なんだかんだで現代に続く時代っすからねえ。過去は変えられないけど、過去から学ぶことはできるんす」

 そう言うと。


「ふふふ。本郷くん。たまにはいいこと言うね。そうよ。ここ横須賀は『近代日本のいしずえ』みたいな街なの。面白いところよね」

 楢崎先輩が、いつもの不気味な笑顔ではなく、ちょっと晴れやかな笑顔で言ったのが印象的だった。


「たまには、は余計っすけどね」

「ふふふ」


 なんだかんだで、見ていると、幕末好きの楢崎先輩、近現代好きの本郷は、好みの時代が近いからか、意気投合していた。


 意外に、この二人、似合ってるかもしれない。

 なんて、思う近現代歴史探索だった。

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