第6話 夏合宿(後編)
翌8月28日、金曜日。
天気は曇り空だった。
合宿2日目。というかもう最終日だけど。
この日の朝、高坂先輩の先導の元、向かった先は。
長野市中心部から北西にある、山岳地帯だった。目的地は「
どういう場所か、俺はよく知らなかったのだが、着いてみて、駐車場にバイクを降りてからが大変だった。
戸隠神社とは、この辺りの山に点在する神社を総称したもので、実際には
全部回る時間がなかった俺たちは、一番有名な奥社に向かったのだが。
そこは駐車場から2キロもの長い参道の先にある。
徒歩だと、なんだかんだで片道20~30分はかかるし、ウチには女子が3人いるから、結局30分かかった。
まあ、健脚な高坂先輩は元気だったが、俺と本郷はヘバっていた。
「せっかくバイクを手に入れたのに、また歩きっすか」
と、恨み言のように呟く本郷に対し、
「まあまあ、本郷くん。ここの杉並木はすごいでしょ」
そう言って、得意げに道の両脇に立つ杉を指さす高坂先輩。
確かに、参道の両脇には、巨大な杉並木が広がっていた。樹齢何百年か、わからないが、ものすごく古そうな杉並木がズラっと一列に立ち並び、荘厳な雰囲気を作り上げていた。
「戸隠ってのはね、元々
高坂先輩が嬉しそうに言う。
「修験道って、何すか?」
「山に籠って、厳しい修行をする、日本古来の山岳信仰のことよ。
「山伏っていうのは、聞いたことありますね」
藤原先輩が、相変わらず呑気な声で答える。
「そう。だからものすごく歴史が古いの」
「どれくらいですか?」
「ここの奥社の創建が、一説には紀元前210年とも言われてるわ」
「紀元前! もう訳わからんすね」
と、本郷が息も絶え絶えになりながらも、驚いていた。
「あと、戦国時代には、戸隠忍者の本拠地としても有名だったの」
「忍者って、伊賀と甲賀しかいないんじゃなかったんすか?」
本郷が浅知恵で言うが。
「そんなことないわ。もちろん、その二つが二大派閥だけど、他にも伊達家の
高坂先輩は、得意げにそう説明していた。
そうして、やっと奥社にたどり着く。
もっとも、そこには意外に小さな社があるだけだったが。
そして、また同じく来た道を30分かけて歩く俺たち。
続いて、
「先輩。さすがにもう歩くの勘弁っす」
と本郷が疲れた顔で発言した。
リーダーの高坂先輩は、
「大丈夫。今度はしばらく走って、私の大好きな城を見に行くから」
そう言ったが、俺はほとんど高坂先輩の趣味に付き合わされている感じがしてきていた。
向かった先は。
上田城だった。
しかも、
「高速代がもったいないから」
という理由で、高坂先輩はオール下道で、向かったから、着いた時にはもう昼近くになっていた。
結局、2時間くらいかかっている。
途中、休憩を挟んで、上田城の南側にある上田城跡公園駐車場にバイクを停める。
目の前には大きな石垣とその上にある櫓がそびえ立っていた。
「おお、ついに来たね、上田城!」
早くも興奮気味に、声を弾ませている高坂先輩。
早速、階段を上って、上田城の中心に向かう俺たち。
「上田城って、真田の城ですよね。確か徳川軍を2回撃退したんでしたっけ?」
道すがら、彼女に問うと。
「そうだよ。ただ、この城が造られたのは1583年と割と遅かったんだ。真田昌幸が小領主として独立して、他の領主から攻められないような堅固な城を築いたの。あ、今残ってる城は江戸時代初期に改修されたものだけどね」
高坂先輩が明るい声で説明する。
そして、正門に当たる本丸東櫓と、東
虎口というのは、中世の城における入口のことだそうだ。
「真田氏は、この城で1585年に徳川軍8000を、そして1600年に徳川家康の息子、秀忠の38000を破ったことで有名ね。しかも真田の兵はいずれも2、3000くらいだったらしいよ」
「マジっすか! 2000や3000で38000を破るとかありえないっすよ」
本郷が大袈裟に驚いている。
まあ、こいつが好きな近現代戦でも、そんな話はまずないだろうな。
「でもね、真田って幸村ばかり有名になってるけど、この昌幸はすごかったの。豊臣秀吉から『
その辺りの話は、俺も時代劇や本で多少知っていたが、確かに「真田」と言えば、「日本一の
やがて、櫓門をくぐり、城があった中に入るが、今は建物自体があまり残されてはいない。
ただ、彼女の興味を惹かれる物があった。
真田神社
歴代の上田城主を
高坂先輩のテンションが一気に上がった。
「きゃー。なにこれ、すごい!」
と言っては、お守り売り場で売り物に、大はしゃぎし、売り場の巫女さんを困らせるくらい、質問責めにしていた。
結局、彼女が買ったのは「
一体、ここでいくら金を使う気なのか。
絵馬に願い事を書いて、吊るす高坂先輩。
それを横目に、境内にある、真田幸村が身に着けたと言われる巨大な兜を見ながら、
「しかし真田幸村はすごい人気っすね。神になっちまうとはね。まあ、近現代でも、戦争に勝ったお陰で、神扱いされてる奴はいるっすけどね」
その本郷の一言に、高坂先輩は珍しく興味を引かれたようだ。
「へえ。例えば誰?」
「そうっすね。有名なところだと、東郷平八郎、
「前の二人は聞いたことあるけど、広瀬武夫って誰?」
「日露戦争で活躍した軍人っすね。
意外にも、俺も知らなかったことを、あっさり披露している本郷。
こいつはこいつで、その辺りの知識は意外と豊富らしい。
「へえ」
珍しい物でも見るように、高坂先輩も、楢崎先輩も、藤原先輩も、本郷を見ていた。
「そうそう。広瀬武夫と言えば、ロシアに留学した時に知り合った、ロシア人の美人な恋人がいたんすよ。敵味方になっても、ラブレターを交わして、遠距離恋愛してたらしいっすよ」
そう言うと、
「素敵ね。想いの届かない二人の恋愛なんて……」
と藤原先輩がうっとりとした表情を浮かべていた。
「興味あります? 今度、詳しく教えるっすよ」
藤原先輩に気があるという、本郷が嬉しそうに、彼女に声をかけていた。
本郷の、ちょっと意外な一面を見た。ただの「艦隊マニア」オタクじゃなかったらしい。
広瀬武夫の下りは、実は俺も知らなかった。
次に向かったのは、そこから下道でおよそ30分。
ここは、門が立派だった。
「この三之門、あと来る時に通った大手門は、重要文化財なんだよ」
高坂先輩が、うきうきしながら教えてくれた。真田神社で土産物を手に入れた彼女は上機嫌だった。
大手門は、確か来る時にバイクで近くを通った。立派な古い門だった。
ここ、小諸城は、元々戦国時代からあったそうだが、今の城は江戸時代初期に、ここの領主だった、
この城の敷地内には、特に遺構らしい遺構は石垣くらいしか残っていないのだが、展望台になっている、ベンチがある場所からの眺めがよかった。
俺たちはそのベンチに腰かけて、眼下を見ろして、休憩した。
目の前に見えるのは、千曲川。そして、のどかな山野の風景が広がっている。
「なんだか落ち着く風景ですねー」
買ってきたペットボトルのお茶を飲み、藤原先輩が呟く。
「そうっすね。都会の喧騒を忘れる風景っす」
本郷だ。
「いいところね」
と、楢崎先輩が。
「ずっといたい気分ですね」
と、俺が。
すると、高坂先輩は。
「みんな、どう? 楽しかった?」
おもむろに口を開いて、質問していた。
「楽しかったですよ。バイクがあると楽に回れますし」
と、俺がまず答えた。
「そうね。事故にさえ気をつければ、バイク旅もいいね」
楢崎先輩も、いつもとは違い、どもらずまともな感想を呟いた。
「そうですね。ツーリング最高ですね! もう『歴研』やめて『ツーリング部』に変えましょうか」
「それ、いいっすね! 俺も歴史よりツーリングメインでいいっすわ」
藤原先輩と、本郷だ。
「もう、みんな。ツーリングの感想じゃなくて、歴史探索の感想だって」
と、言いつつ、高坂先輩も笑っていた。
ちょうど、昼頃。
俺たちは、小諸城址を出て、またも蕎麦を食べ、そして、少し早いが帰路に就いた。
これには理由があり、
「ここから甲府までは山越えになるから、慣れない俺たちは、陽が暮れる前に山を越えた方がいいです」
と俺が提案したからだ。
ただでさえ、バイク慣れ、ツーリング慣れしてない俺たち。
しかも、高坂先輩や藤原先輩は無茶な走りをする。
そんな状態で、街灯すらロクにない山道を越えるのは、危険だと判断した。
ということで、俺たちは、再び高坂先輩を先頭に、ナビを頼りにしながら、千鳥走行を続けた。
帰りも下道で行く、という高坂先輩について行くと。
やがて、国道141号に入った。
小諸から甲府へは下道で、山を越え、つまり国道141号を走り、
順調にいけば、バイクなら2時間半くらいで帰れるはずだ。
出発して、およそ1時間後。先頭の高坂先輩が妙なところでバイクを停めた。
そこは何の変哲もない、小さな駅があるだけだった。
しいていえば、その駅舎が、ちょっと戦国時代チックな瓦屋根の屋敷みたいな感じだっただけだが。
駅名表示には、
と書かれてあった。
「高坂先輩、こんなところで休憩しなくても、コンビニか道の駅でいいんじゃないですか?」
と俺は疑問を呈したので、呼びかけたが。
「ここが海ノ口か」
と彼女は、俺の質問を無視するように、バイクを降りて、駅へ向かった。
俺たちは仕方なく後をついていくことにした。
ここは
実は彼女、鉄道マニアでもあったのか、と一瞬思ったが、違った。
「ここはね、武田信玄が16歳で
と彼女は、駅舎を見ながら感慨深げに呟いた。
「そうなんですか?」
さすがに俺は知らなかったのだが。
「うん。『甲陽軍鑑』によれば、武田信玄、当時はまだ
さすがは、武田信玄マニア。
そんな妙なところにまで詳しい彼女だった。
「でも、城跡はないのかな」
そう言って、駅前をうろつく彼女。
俺は、携帯で調べてみたら、少し離れた山の中に「海ノ口城跡」というのがあった。
「先輩、これじゃないですか?」
携帯の画面を見せると、
「そうそう! これ」
心底嬉しそうな笑顔を浮かべる彼女だったが。
「でも、ちょっと遠いですね。今から寄り道してる暇はありません。今回は諦めて下さい」
俺がそう言うと、
「うーん。悔しいけど、仕方がないか。じゃ、ちょっと休憩したら、先に進もうか」
なんとか諦めてくれた。
山道はさらに急になり、
後で知ったことだが、この辺りには「JR最高到達地点」があり、標高が1375メートルにもなる。
なので、夏とはいえ、涼しいくらいだった。
清里は、かつて、バブルの頃には、高原の別荘地などがあったりした、シャレた町だったが、今は少し寂れている。
この辺りは、もう山梨県だ。
ようやく地元に戻ってきた俺たち。
そして、夕方。
完全に陽が暮れる前に、俺たちは甲府に戻ってきた。
幸い、誰も事故もなく、スピード違反による切符を切られることもなかった。
こうして、俺たちの「夏」は終わった。
同時に、これが俺たちにとって、最初の「ツーリング」であり、高坂先輩と楢崎先輩にとっては、「高校生活最後の夏」だった。
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