第5話 夏合宿(前編)

 8月27日、木曜日。

 今日を含めて、夏休みが残りわずか5日というところで、ようやく俺たち「歴研」の夏合宿がスタートした。


 待ち合わせ場所は、最寄りのインターチェンジ近くのコンビニだった。


 ちなみに、過保護な姉に過度な心配をされ、世話を焼かれて、持ち物チェックなどをやっていた俺は、時間ギリギリの5分前に到着した。


 当然、コンビニの駐車場に入ると、俺以外の全員のバイクが並んでおり、コンビニ前のベンチで、みんなが楽しそうにダベっていた。


 フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。今日の俺の格好は革ジャンにジーンズ、ショートブーツという格好だった。

 なお、俺のバイクは、赤と黒を基調としたデザインのホンダのVTR250。赤いトラスフレームという三角の形状=trussを組み合わせたフレームが特徴といえば、特徴だが。


 空は晴れ渡り、入道雲が出ており、夏本番だ。


「バイクは危ないから、ちゃんとした格好で行きなさい」

 と姉に言われ、渋々こんな格好で行ったのだったが、正直真夏のこの時期に、この格好は暑かった。


「おっそーい、鹿之助くん」

 俺の姿を見つけた、高坂先輩が、頬を膨らませ、釣り目がちな眼を若干釣り上げて怒っていた。


「すいません」

 そして、みんなに謝りながら、格好を見渡すと。


 高坂先輩は、薄手の白いメッシュのライダースジャケットに、黒のレザーパンツ、ショートブーツ、そして脇には大事そうに緑色のフルフェイスヘルメットを抱えていた。

 彼女のバイクは、カワサキのニンジャ250。色はライムグリーン。ヘルメットはそれに合わせたものだろう。


 楢崎先輩は、薄い水色のジージャン、ジーンズ、バイク用のスニーカーに近い靴に、赤いジェットヘルメット。

 バイクは、ヤマハのマジェスティ250。色は鮮やかな白一色だった。


 そして、藤原先輩。

 彼女の格好が一番驚いた。

 なんと、バリバリの黒いライダースーツ上下を着込んで、オレンジ色の珍しいフルフェイスヘルメットを持っていた。

 まるでこれから峠にでも走りに行くような格好だった。

 バイクは、オーストリアのKTM RC250という、確かに見た目は非常にレーシングなタイプの機体なのは確かだが。色はKTMを代表する色のオレンジ。それに白のラインが入っている。


「藤原先輩。めちゃくちゃ気合い入ってますね」

 そう言うと、彼女は微笑みながら、


「ええ。だって、初めての『ツーリング』だし。父に言ったら、このセットを全部用意してくれたの」

 絶対勘違いしてると思うが。


みやこちゃん。『ツーリング』じゃなくて、合宿だよ」

 高坂先輩に突っ込まれていたが、


「え、でも、結局目的地までは、バイクで走るから似たようなものじゃないですか?」

「違うよ。メインは歴史探索だよ」

 と高坂先輩に言われていたが、一番運転が下手なはずの彼女が、この格好。先行き不安だった。


 本郷は、派手な赤と黒のスカジャンを着て、黒いジーンズに、白いジェットヘルメット姿。こいつは「横須賀」が好きだからと想像がつく。

 バイクは、青一色のスズキのスカイウェイブ250。


 俺は、とりあえず一安心する。


 一応、免許を取る際、自動車教習所でも言われたはずだが、バイクは、もしものことがあるから、どんなに暑い時でも、常に長袖、長ズボン、そして、できれば専用のグローブや専用のブーツを身に着けるのが正しい。


 まあ、藤原先輩だけ、方向性がとんでもないところに行ってる気もするが。


 で、お互いのバイクを披露し、感想を言い合った後、いよいよ出発になったが。


 ここで、問題なのは、みんなマスツーリングなどやったことがないということだ。


 マスツーリング。つまり、大勢で行くツーリングのことだが、この場合、大抵、一番慣れている奴が先頭と最後尾を任され、慣れてない奴を真ん中あたりに置くらしい。


 ところが、俺たちには、誰もその「慣れている」奴がいない。


 困った末、俺はマスツーリングの説明をしながら、提案した。

「高坂先輩が先頭を走って下さい。俺は最後尾に回ります」

「私? なんで?」

「高坂先輩がグループのリーダー、つまり部長だってのもありますが、バイクの扱い方が上手いからです」

 そう言うと、彼女は、少し照れたような笑みで、


「そうかなあ。でも、ありがとう。じゃあ、がんばってみんなを導くよ」

 と言った。


 俺が最後尾なのは、一応、他のメンバーより、多少はバイクの知識があるからだ。


 そして、高坂先輩、楢崎先輩、本郷、藤原先輩、俺という順番が決まった。

 後ろの二人は、若干不安だから、俺が見ておきたいという気持ちもあった。


 走行は、「千鳥ちどり走行」という、一般的なフォーメーションを組んで行う。これは、二列縦隊で、左右列のバイクが、「千鳥の足跡」のようにズレて走る走行で、万が一、前車に何かあっても、後車は巻き込まれないで済むし、ミラーにも移りやすいからだ。


 一応、高坂先輩には念を押す。

「先輩。初めてなので、あまりペースを上げずに慎重に走って下さい。あと、1時間に1回くらい、必ず休憩を取って下さい。バイクは走ってるだけでも、疲れる乗り物なので」

 気を付けて欲しいと思い、忠告したつもりが、彼女は、

「はーい。わかったよ」

 と軽い口調で言ってきた。

 なんだか心配だった。



 そして、いよいよ走り始める俺たち。

 一応、みんなに最初から高速道路を走れる250ccを用意してもらったから、全員にETCが装着されていた。

 ナビは先頭の高坂先輩が、いつの間にか取り付けてもらっていた、スマホホルダーにスマホをつけて、地図アプリで行う。


 高坂先輩は、

「とりあえず、中央道、長野道経由で、長野インターで降りるからね」

 と言っただけで、一気に加速して走り出した。


 走り出して、すぐ俺の心配は、的中した。


 バイクで走ってると、個性が出るのだが。


 中でも、高坂先輩は、なまじ技量があるだけに、速いというか、「攻める」走りをするのだ。


 高速道路に入ると、ガンガン、追い越し車線に入り、どんどん車を追い抜いて先に行ってしまうのだった。


 そして、藤原先輩。この娘は、技量はないくせに、機体がいいのと、ライダースーツに身を包んで、気が大きくなったからなのか、前方の二人を追い抜いて、一気に加速して、高坂先輩に負けじと追いすがっていた。


 最初から、俺の計画が狂っていた。


 意外だったのが、楢崎先輩で、普段の怪しい言動とは違い、一番安全運転をしていたし、無理な追い越しや、すり抜けは絶対にやらず、マイペースで走っていた。

 本当は、彼女みたいな走り方が、理想なのだが。


 そして、本郷。こいつも意外にも、まともな走行をしていた。初心者ゆえの不安定さはあったが、まあ、走り屋っぽい走り方をする前の二人よりはマシだった。


 俺たちは不安な気持ちのまま中央高速道路を走り抜ける。


 やがて、4、50分も走った頃、前方の案内板に「諏訪湖SAサービスエリア」の案内表示が見えてくる。

 すると、その入口付近の路側帯に、高坂先輩のニンジャと、藤原先輩のRC250が、俺たちの目につくように止まっていて、手を振っていた。

 要は待っていてくれたのだが。


 俺はSAに入ってすぐ、ヘルメットを脱ぐと、彼女たちを名指しで、批判した。黙っていられなかったのだ。

「高坂先輩、そして藤原先輩。飛ばしすぎです! 初心者なんですから、もう少し気をつけて下さい。あと、あんな路側帯で停まったら危ないです。次からはちゃんと、次にどのSAやPAパーキングエリアに停まるか、あらかじめ言って下さい!」


 俺が興奮気味に、長い説教をすると。

「ごめんごめん。でも、バイクって、めっちゃ楽しいね!」

 高坂先輩は、満面の笑みを見せ、


「そうですね。私もちょっとハマりそうですわ」

 と藤原先輩まで、言ってきた。


「あのですねえ。俺たちは、『走り』に来たんじゃないでしょ。事故ってからじゃ遅いんですよ!」

 そんな俺に対し、


「まあまあ、落ち着け、山本。お前、小姑こじゅうとみたいだぞ」

 本郷の声がかかり、


「誰が小姑だ!」

 と俺が反論したら、みんなは爆笑していた。


 ひとしきり笑いあった後、

「で、でもいろは。本当に気をつけてね。事故もそうだけど、スピード出しすぎて、警察に捕まるのも厄介だから」

 と、楢崎先輩が珍しく、まともなことを言うと、


「わかった。気をつけるよ」

 ようやく高坂先輩も反省したようだ。


 一通り、SAの中を見て回る俺たち。


 この諏訪湖SAは、名前の通り、長野県を代表する湖、諏訪湖のすぐ近くにあり、テラスのようになっている部分から諏訪湖を見下ろすことができる。


 その風景を見て、高坂先輩が、

「うわあ、すごい! キレイね。これが諏訪姫で有名な諏訪湖か!」

 一際嬉しそうな声を上げ、例の如く、戦国時代を例えに上げて、はしゃいでいた。


「高坂先輩。諏訪湖は初めてですか?」

「うん。私、どっちかというと、フィールドワークより、文献読む方を中心にやっていたから」

 そういえば、独自の論文が、地方新聞に載ったとか聞いたな。


「そういえば、ここには『ハイウェイ温泉』っていう温泉もありますよ」

 俺が知っていた知識を挙げると、

「マジで!」

 何故かみんなハモったように喜んでいたが。


「いや、まだ出発して1時間も経ってないでしょ。今度にしましょう」

 釘を刺したら、みんな残念そうにしていた。


 そんなに入りたかったのか、温泉。

 まあ、バイク乗りと温泉ってのは、ある意味、切っても切れない関係だからな。

 バイクで走って、長時間走行風を浴びていると、思っている以上に体は冷えるし、疲労感も増すから、ライダーは温泉を好むと、父から聞いたことがある。



 とりあえず、一通り休んで、飲み物などを飲んでから、俺たちは再び中央高速に戻る。


 今度は、さすがに高坂先輩は無茶な走りはせずに、一応後ろの俺たちを気遣いながら走ってくれたが、どうも走りづらそうにしている。


 やっぱり、彼女は、バイクの楽しさに目覚めてしまったようだ。その目覚めのきっかけを作ったのは俺なのだが。


 やがて、高坂先輩に従い、俺たちは、長野自動車道に入る。


 そのまま、松本の街を抜け、安曇野あずみのの平野を横目に走り、山を抜けて、1時間半近く走り、長野インターチェンジで、高速道路を降りる。


 そこからは、物の5、6分ほどで、目的地に着いた。

 高坂先輩が行きたがっていた場所、「川中島古戦場史跡公園」だった。



 バイクを降り、ヘルメットを脱いだ、高坂先輩が、一言。

「いや、バイクだとあっと言う間だね。もう着いちゃったよ」

 嬉しそうに声を上げた。


 そして、俺たちは、かの有名な、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの銅像の前に行く。


 周りは、夏休みってこともあり、観光バスで乗り付けた、観光客の団体が溢れており、集団記念撮影などを行って、はしゃいでいる。


 まるで、京都の有名観光地のような雰囲気だった。


 ある意味、これは「風情」がないと俺が思っていたら。


「ま、こんな一騎打ちなんて、所詮は創作の話よね」

 感動するか、と思っていたら、意外にも一番つまらなさそうにしているのは、高坂先輩だった。


「そうなんですか?」

「当たり前じゃない。三国志の世界じゃないんだよ。戦国時代の戦いってのは、もっとこう、泥臭いというか、必死だったの。華々しい一騎打ちなんて、まずなかったと考えられるわ」


 冷静に彼女はそう言った。


 そして、若干驚く俺たちを尻目に、「戦国オタク」の彼女は話し始めた。

「川中島の戦いってのは、全部で5回行われたっていう話はみんな聞いたことあるよね?」

 とりあえず、みんなが頷いた。

 良かった、一応常識的に知っていたんだ。


「中でも、一番の激戦が1561年に行われた、第4回の戦い。武田信玄は、約2万の兵を引き連れ、最初は、ここから西にある茶臼山ちゃうすやまってところに布陣。一方、上杉謙信は1万3000の兵を率いて、千曲川ちくまがわの対岸にある、妻女山さいじょさんに布陣したと言われてるわ」


 彼女の、朗々としたわかりやすい説明は続けられる。

「で、一向に動かず、睨み合っていたんだけど、先に業を煮やして、武田信玄が兵を動かして、ここから川向かいの南側にある、海津城かいづじょうに入ったの」


 そう言って、指をさす。

「それでも、一向に動かない上杉謙信に対して、武田信玄は、軍師に命じて、ある戦法を思いつくの」


「聞いたことがあります。『啄木鳥きつつきの戦法』ですよね?」

 俺が発言すると、彼女は、嬉しそうに答えた。


「そう。武田軍の軍師、山本勘助が思いついたって奴ね。これは兵を二手に分け、一方を妻女山へ、そしてもう一方をここ、つまり八幡原はちまんばらに置いて、上杉軍を強襲し、挟撃しようって策だったんだ」


 すると、珍しく本郷が、

「俺、知ってるっす。上杉謙信が、その前に気づいて、山を下りて、武田軍を攻めたんすよね」

 と得意げに説明した。


 まあ、この話自体が、割とよく知られていて有名だからな。


「そう。本郷くんの言う通り、謙信は、海津城から上がる、ご飯を炊く煙の量がいつもより多い、つまり信玄が動く、と察知して、先に動いたの」


「え、それじゃご飯がいつもより多いから、バレたってことですか?」

 これも珍しい、藤原先輩が質問していた。


「まあ、俗説だけどね」

 そう言って、一旦切った後、高坂先輩は続けた。


「で、この八幡原で激戦が展開されたんだけど、武田軍の本陣は8000人、上杉軍は1万3000人。しかも戦上手で知られる謙信が直接率いて、『車懸くるまがかり』の陣、つまり波状攻撃で一気に攻めた。武田軍は大苦戦して、信玄の弟の信繁のぶしげや、山本勘助が討死しちゃったの」


「た、確か妻女山に旗しかなくて、やっと気づいた別働隊が上杉軍に襲いかかって、形勢逆転したんだよね」

 楢崎先輩が、恐る恐る発言する。


「そう。さすがに挟撃された謙信は、不利を悟って退却したわ」


「結局、どっちが勝ったんですか?」

 俺が聞くと。


「どっちもどっちかしらね。両軍ともに多数の死傷者を出しているし。ただ、結果的には、この辺りの支配権を獲得したのは、武田だったから、広い意味では武田の勝ちかもね」

 理路整然と述べる彼女の説明はわかりやすかった。


 その後、土産物屋などを見て回った俺たちだったが、あまりにも人が多いからか、先頭を行く高坂先輩は、若干、疲れたような顔をしていた。


 バイクに戻ると、先輩は。

「こんなところより、多分、もっと面白い場所があるから、連れて行ってあげる。ついてきて」

 そう言って、また猛烈な勢いでバイクを走らせた。


 目的の場所は、そこからほど近く、わずか10分ちょっとで着いた。

 川を渡り、高速道路側道の細い山道を登っていく。


 着いた場所は、「妻女山展望台」。

 そう。高坂先輩の話に出てきた、上杉謙信が本陣を置いたという場所だ。

 ここは、先程の史跡公園みたいに有名じゃないからか、人がいなかった。


 ここは、非常に興味深い場所だった。

 その名の通り、展望台になっている場所に上がると、眼下には、長野市周辺が見渡せる。

 しかも「川中島合戦図」と書かれた案内版に、当時の合戦の、両軍侵攻図が書いてあり、わかりやすかった。


「おお、いい見晴らしっすね」

 本郷が反応する。


「いいところでしょ。ここから、長野盆地が一望できるんだ」

 そう言った後、高坂先輩は、指で、


「あそこがさっきいた八幡原ね。で、あっちにあるのが海津城。今は『松代まつしろ』っていう地名だけどね」

 と丁寧に説明してくれた。


 しばらく、この風景を眺めて、悦に浸り、往時を偲ぶように目を閉じて、何やら考えていた、高坂先輩は。


「よし、じゃあ次は、海津城ね」

 また、バイクに乗って先導。


 そして、また10分ほどで目的地に着く。


 松代城


 と書かれた城跡で、門や櫓、土塁があった。


 早速、中に入ると。

「ここは、後で復元された城跡ね。当時は『海津城』、後にここに真田氏が入り、松代って言われたの」

 そう言って、彼女は、また海津城や松代について説明してくれるのだった。

 

 彼女によれば、元々この辺りは「松代町」と呼ばれた独立した町だったそうだが、今は長野市に合併され、長野市松城町になっているという。松代の名が消えたみたいで寂しい、と彼女は呟いていた。


 そして。

「で、松代と言えば、『真田宝物館』よ。みんな行くわよ!」

 説明もそこそこに切り上げて、そう言ってめちゃくちゃテンション上げていた。


 連れられた場所、「真田宝物館」。

 ここは、武田家の家臣だった、真田家が後に治めた土地で、真田家にまつわる様々な貴重品が収納されている博物館だった。


 収蔵品は、武具・刀剣・調度品・絵画・古文書など多岐に渡る。


 そんな中、子供のように目を輝かせながら、高坂先輩は心底楽しそうに博物館を見て回り、俺たちはそれについて行った。


「嬉しそうですね、高坂先輩」

 その後ろ姿を眺めながら、呟くと。


「あの子、ずっとここに来たがってたからね」

 いつの間にか、近くに来ていた楢崎先輩が返した。


「そ、それよりこの近くに『松代藩文武学校』っていう面白い場所があるよ」

 そう提案してきたので、俺は興味を惹かれ、高坂先輩に提案。


「もちろん、いいよ。真田に関係するものでしょ」

 熱心に見て回りながら、彼女は答えた。


 ちなみに、ここの土産物コーナーで、高坂先輩は、鮮やかな緑色、正確には浅黄色っぽい扇子を手に入れていた。

 真田家の家紋、六文銭が背景に入っている。

 なんだかんだで、彼女は緑色や真田家が好きらしい。


 そして、次に向かった場所が、そこから歩いて行ける、「松代藩文武学校」だった。


 ここからは、幕末専門の楢崎先輩の独壇場だ。

「文武学校ってのは、藩校の一種よ」

「藩校って、何すか?」

 本郷が尋ねると。

「藩校ってのは、簡単に言うと、江戸時代に、各藩で作られた学校ね。主に藩士の教育のために使われたの」


 で、彼女は、この古い建物や歴史について、説明してくれた。

「いろはも言ってたけど、江戸時代にこの辺りは真田氏が治めていたんだけど。8代藩主の真田幸貫ゆきつらってのが優秀な殿様だったみたいでね。1850年代にこの藩校の建設に着手して、9代藩主の幸教ゆきのりの頃に完成したって言われてるわ」


「へえ。やっぱ真田ってすごいのね」

 初めて聞くのか、高坂先輩が感心するように呟いていた。


「しかも、ここでは文学、しつけ、医学、軍学などの勉強の他にも、西洋砲術、弓術、剣術、槍術、柔術と言った武芸まで、みっちり教えてたそうよ」


「すごいですわね。まさに文武両道ですわ」

 と藤原先輩が。


「おまけに、今も残るこの建物は、開校当時のままなんだって。すごく貴重らしいよ」

 いつも、どもっていたり、怪しい動きをしている割には、この楢崎先輩は、幕末のことを語り始めると、饒舌じょうぜつだった。


 俺たちは、貴重な当時のままの、木造の古い家屋の内部を見て、説明文などを読んでいく。

 その途上、気になっていたことを、高坂先輩に聞いてみる。


「ところで、高坂先輩。今日の宿って、どこですか?」

 そう。この合宿に関しては、ほとんど彼女に任せきりだったから、少なくとも俺は何も聞かされていなかった。


 すると。

「あ、大丈夫だよ。ちゃんと予約してあるから。ここから割と近くに、『国民宿舎 松代壮』っていう宿があるんだ。温泉がいい、って書いてあったから、そこにしたの」

 まともな答えが返ってきて、一安心した。


 普段の言動や、バイクの走行から、破天荒な人だと思っていたが、まともなところもあるようだ。


 やがて、いつの間にか昼を回り、午後2時近くになっていた。

 みんな、集中していたから、昼飯も忘れていたのだろうか。


 すると。

「とりあえず、昼ご飯も兼ねて、長野市の中心部に行こうか」

 高坂先輩が発言し、また彼女の先導の元、俺たちは、長野市の中心部に向かった。



 彼女が向かった先は。

 善光寺から真っすぐ伸びる商店街、というか善光寺の参道だった。


 ここには道の両脇に土産物や飲食店が並ぶ、いわば長野市最大の観光スポットだった。


 とりあえず、みんな腹が減っていたので、先に昼食を取ることにして、近くの蕎麦そば屋に入った。


「やっぱ、長野といえば、蕎麦っすよねえ」

 と本郷が勧めたのもあるが。


 注文を待ちながら、高坂先輩が口を開いた。

「長野市ってのは、元々この善光寺の門前町が発展したものだからね」

「へえ。そうなんすか?」

 と返しつつも、興味なさげな本郷は携帯をいじっていた。


 やがて、運ばれてきた信州蕎麦。なんだかんだで、やはりここは蕎麦が有名な土地。美味かった。


 食後、元気を取り戻した、というか元気が余りまくっている、高坂先輩は、女子2人と土産物店をはしゃぎながら回り、俺は本郷とつるんで歩いて、店先を冷かしていた。


 そして、やっと善光寺に到着する。

 善光寺の参道は、結構な距離があるので、意外と時間がかかるのだ。


 目の前にそびえる、巨大な本堂を前に、俺は言葉を失うくらい驚いていた。

 初めて来た場所だったが、善光寺の本堂は、想像以上に大きく、古く、壮大なものだった。

 なんでも、説明書きによれば、この本堂は「国宝」なんだとか。


 すると、またいつものように、高坂先輩の解説が始まった。

「この善光寺の創建はね、なんと644年なんだって」

「644年! それはまたすごいですねえ」

 俺たちの中で、最も古い年代に興味がある藤原先輩がびっくりしていた。


「もっとも今の本堂は江戸時代に造られたものだけどね」

 楢崎先輩がそう補足する。


「そう。だから、まだ仏教が日本に入ってきて、すぐだから、宗派が分かれる前だったらしく、ここの特徴は宗派が関係なくて、誰でも参拝できたし、当時は女人禁制にょにんきんせいが多かった寺にしては、珍しく女性も自由に参拝できたらしいよ」


 そう言って、彼女を先頭に参拝する。


 参拝が一通り終わると。

「江戸時代には『一生に一度は善光寺まいり』なんて、言われるようになったんだって。確か伊勢神宮もそうだよね、蛍」


 振られた楢崎先輩がが補足する。

「そうね。『お伊勢参り』のことね」


「もちろん、戦国時代にもここは特別な場所でね。武田信玄もここを手厚く保護してるわ。当時はこの辺りは『善光寺平ぜんこうじだいら』って呼ばれてて、特別な場所だったらしいよ」


 結局、多少興奮気味に説明する、高坂先輩にならい、俺たちは境内を色々とみて回っているうちに、陽が傾いてきた。


「じゃ、ちょっと早いけど、みんな疲れてるだろうし、宿に向かおうか」

 という高坂先輩の一言で、俺たちは、今日の宿へ向かった。


 彼女が予約した、「国民宿舎松代壮」は、先程行った松代城や真田宝物館、松代藩文武学校にほど近い場所にあった。


 受付でチェックインし、各自部屋へ向かう。

「まずは、みんな疲れたと思うから、温泉に入りに行こうよ! ここの温泉はすごいんだよ」

 興奮気味に、女子二人に語りかける高坂先輩。


 俺と本郷は、同室で、残りの女子3人組とは別だったが、俺たちもとりあえず、荷物を部屋に置いて、一息つくと温泉に向かった。


 彼女の言う「すごい」の意味はすぐにわかった。


 温泉の色だった。特徴的な黄金色の天然温泉で、何でも全国でも有数の炭酸ガス、カルシウム、鉄分、塩分を成分を含んでいる、貴重な温泉なんだとか。


 女子3人がキャーキャーと叫ぶ、楽しそうな声が、壁一枚を隔てて、聞こえてくる中。


 野郎2人の俺たちは、まったりと温泉に浸かっていたが。

「なあ、山本。お前、あの3人じゃ誰が一番好きなんだ?」


 いきなりそんなことを本郷が小さい声で聞いてきた。


 俺の頭には、真っ先に高坂先輩の顔が浮かんでいたが、

「そ、そんなのわからないよ」

 咄嗟とっさに、嘘をつき、動揺を悟られないようにした。


「そっか。お前は高坂先輩狙いだと思ってたけどな」

 見透かすように言ってくる本郷。


「そういうお前は、誰なんだ?」

 そう聞き返すと、意外な答えが返ってきた。


「俺か。俺は、藤原先輩かな」

「え、なんでまた?」

 てっきり、こいつも高坂先輩が好きなのかと思った。


「だって、可愛いじゃん」

 実に単純明快な回答だった。


 まあ、可愛いと言えば、彼女は可愛いんだろうが。

 俺に言わせれば、彼女、なんか危なっかしいと思うし、どこか「裏」がありそうに見える。


 本心を隠しているというか、猫を被っているというか。

 よくわからないところがある娘だった。


 実際、大人しそうな外見に似合わず、バイクに乗ると、強烈なスピード狂になるし。


 ある意味、高坂先輩よりも、バイクに乗ると、本性が出るというか、豹変ひょうへんするのが藤原先輩だった。


「そっか。まあ、がんばれ」

「ああ」


 俺にはそれしか言えなかったが。


 風呂上り後、部屋に戻り、豪勢な夕食を食べ、慣れないバイクによる長距離走行と観光に疲れたのか、修学旅行の夜のように、はしゃぐこともなく、俺たちは割とあっさり眠りに着いたのだった。


 こうして、合宿1日目は無事に終了した。

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