第3話 幕末・甲斐への誘い

 戦国時代の甲斐国の史跡巡りを終えた後、しばらくは平穏な日々が続いていたが。


 6月初旬。

 ある日、放課後の部室で、楢崎先輩が珍しく自分から発言した。


「い、いろは。あと、みんなも。今度は幕末史跡巡りをしよう」

 いちいちどもり気味に、そして不気味な笑みを浮かべながら言う、この人がちょっと怖かったが。


「お、いいね。幕末史跡巡り。付き合うよ」

 部長の高坂先輩は、あっさりOKしていた。


「ええ、私も構いませんわ」

 藤原先輩も頷く。


「でも、この山梨県に、幕末史跡なんて、あるんすか? 幕末っていえば、東京か京都じゃないんすか?」

 本郷がもっともらしいことを言ってきた。

 だが、それはある意味、真実を突いている。


 幕末の中心といえば、江戸、つまり今の東京、京都、そして長崎あたりが有名だが。


「ふふふ、甘いね、本郷くん。ここにもちゃんと幕末史跡はあるんだよ」

 いつもの気味の悪い笑い方を返す楢崎先輩だった。


 ということで、翌日の放課後のフィールドワークは、楢崎先輩が先導した。


 一体、どこへ行くのか、と考えていると。


 彼女は甲府駅から東京方面の電車に乗り、勝沼ぶどう郷駅で降りた。辺りにはぶどう畑や農家ばかり。


 こんなところに何があるんだろうか、と思った。


 すると、ずんずん歩き出す彼女。


 そこからは登ったり、下ったりの坂道だった。

 やがて、幹線道路の甲州街道、つまり国道20号に入り、再び上り坂。


 さすがに、俺と本郷がヘバってくる頃、ようやく目的地に到着した。

 約40分はかかったか。


 そこは、田舎にある、ただの交差点だった。

 ただ、その交差点の脇に小さな広場があり、中国人のような格好をした銅像が置いてあり、近くに案内板もあった。


 よく見ると、「近藤勇こんどういさみ」と書いてある。


「もしかして、新撰組しんせんぐみ関連ですか?」

 近藤勇と言えば、幕末に活躍した、幕府側最強の剣客集団、新撰組の局長だ。そこから推察した。


「そう」

 彼女にしては、割とはっきりと言い、息切れしている俺たちを後に、彼女は案内版の方に足を向け、そして、おもむろに説明を始めた。


「ここはね、新撰組が1868年に、鳥羽・伏見とば・ふしみの戦いで負けてから、江戸に帰った後、勝海舟かつかいしゅうの依頼で、甲陽鎮撫隊こうようちんぶたいというのを率いて、新政府軍と戦った場所なんだ……」

 感慨深げに呟く彼女の横顔が、いつもとは違う雰囲気に包まれていた。


「甲陽鎮撫隊?」

 聞き慣れない名前に、俺が尋ねると、彼女は俺たちを「近藤勇 柏尾かしわお古戦場」と書かれた白い柱の前に移動させて、おもむろに語り始めた。


「そう。ま、名前なんて正直どうでもいいんだけどね。新撰組って、京都で大体5年くらい活躍したんだけど、その後、鳥羽・伏見で新政府軍に負けてからは、江戸に引き返したの。その話は大体知ってるよね?」


 確認するように、みんなに言うと、みんなは頷いた。

 確か、新撰組の残りのメンバーのうち、局長の近藤勇が捕らえられて処刑された後、副長の土方歳三ひじかたとしぞうが率いて会津から北海道の函館に向かったはず。

 と俺は思い出す。


「で、結局彼らは、新政府軍と戦うことを主張していたんだけど、幕府内では将軍の徳川慶喜とくがわよしのぶが恭順に傾いていた。つまり、恭順派の人間にとって、主戦派の新撰組は邪魔だった」

 少し悲しそうな眼を近藤勇像に向ける彼女。

 こんな彼女の表情は初めてだった。


 そして、せつなそうな表情で続けた。

「で、あろうことか、陸軍総裁だった勝海舟が、新撰組をきつけて、新政府軍が甲府に入る前に、奪ってしまえ、と言ったの」


 なんだか聞いていると、悲しくなってくる話ではあった。仲間内に裏切られたというか、邪魔者使いされたわけだ。


「でも、これがまたかわいそうな話でね。申し訳程度の兵士300人くらいと旧式大砲2門、旧式小銃500ちょうくらいは与えられたらしいけど、実際には、まともに戦えない農兵みたいなもんだったんだって」


 いつも、どもっていたり、不気味な笑い方、しゃべり方をする彼女にしては、珍しくまともに話を続けていた。

「彼らは最初は、甲府城を目指していたんだけど、結局、1日早く、新政府軍の板垣退助いたがきたいすけが甲府に入ってしまったの。かわいそうな甲陽鎮撫隊は、入城も果たせず、しかし黙って帰ることもできず、この柏尾の地で、新政府軍を迎え撃ったの」

 案内版を見ながら、悲しそうな声を続ける彼女。いつもと様子が違って見えた。


「でも、結局所詮は農兵だし、新政府軍が官軍という名目も持ってしまっていたから、恐れをなして、兵士は次々に逃亡。300人もいたのに、100数十名になって、たった2時間で敗走して、江戸に逃げ帰ったの」

 珍しく、感情を込めるように、訴えかけるようにそう言う彼女の姿が印象的だった。


「かわいそう……」

 藤原先輩が、悲しそうな声を上げた。


「考えてみれば、ヒドい話ね。仲間だと思ってたのに、裏切られたわけでしょ」

 と、高坂先輩。


 でも、楢崎先輩は、

「新撰組ってのは、いつもそういう役回りだったからね。『歴史のあだ花』とでも言うのかな。結局、歴史ってのは、勝者の歴史だからね。敗者にはスポットライトが当たらないんだよね」

 と悲しそうに呟いたが。


「そんなことないっすよ、先輩」

 珍しく本郷が声を上げていた。

「えっ」

 ちょっと驚いた顔の楢崎先輩が珍しい。


「勝っても負けても、いい物はいいし、悪い物は悪い。その証拠に現代じゃ、新撰組、大人気じゃないすか」

「ふふ。たまにはいいこと言うね、本郷君」

 意外な一言に、楢崎先輩は嬉しそうに笑っていた。

「たまには、は余計っすけどね」

「ふふふ……」


「そうだよ、蛍。敗者で言えば、武田家だって、歴史上では敗者だし。しかも、武田に勝った織田信長だって、結局はすぐに本能寺の変で死んでしまった。歴史なんて、そんなものよ。どっちが勝とうが、負けようが、後の人がちゃんと評価してくれれば、それでいいのよ」

 高坂先輩が、得意の戦国時代を例に上げ、フォローしている。


「俺もそう思いますよ。新撰組って、確か明治くらいまでは、逆賊扱いされて、生き残った人は、肩身が狭かったって聞いてますが、それが今じゃ老若男女関係なく人気ですからね。ある意味、近藤勇も、あの世で驚いてるんじゃないですか?」

「そうね。今や歴女たちの間でも、ものすごい人気だもんね。ある意味、土方歳三もビックリでしょうね」

 そう言って、珍しく楽しそうに笑う楢崎先輩だった。


 その後、その「柏尾古戦場跡」の川沿いにある、当時の戦の様子を伝えるパネルを見ながら、俺たちに解説していく楢崎先輩。


 彼女は、本当に新撰組が好きなようだった。



 そして、

「次は大善寺だいぜんじに行くわ」

 そう言って、再び歩き出す楢崎先輩の横に、友達だという高坂先輩が並ぶ。


「大善寺?」

「いろはったら、知らないの? ぶどう寺のことよ」

「ああ、ぶどう寺ね。来る時通ったよね。そっか。そういえば、大善寺って名前だったっけ」

「もう、いろはったら」


 楽しそうに話す二人。全然性格似てない割には、あの二人は不思議と仲がいいようだ。


 甲州街道を甲府側に少し戻ったところ。


 坂の途中にその大きな寺はあった。


 大善寺


 楢崎先輩が言ったように、通称「ぶどう寺」とも言うらしい。なんでも、境内でぶどう酒を作っていて、参拝者に振る舞うからだという。もっとも未成年の俺たちには関係がない話だが。


 入口で拝観料を払い、大きな山門をくぐって、階段を上ると、本堂がある。

 かなり古い本堂だ。


 俺たちが本堂に入ると、運よく、ボランティアか何かの案内役の人がいて、説明してくれたので、それを聞くことにした。


 それによると、大善寺の創建は718年、行基ぎょうきという坊さんによるものだというから、相当古い。


 本堂は、国宝に指定されており、屋根は寄棟造よせむねづくり檜皮葺ひわだぶき

 さらに薬師如来やくしにょらい像、木造十二神将もくぞうじゅうにしんしょう立像、木造日光・月光菩薩ぼさつ立像が国指定の重要文化財、その他にも山梨県指定有形文化財がいくつもある、つまりは、かなり歴史のある、価値の高い寺だった。


 そして、楢崎先輩はもちろん、俺でも興味を引かれたのが、この人の次の言葉だった。


「甲陽鎮撫隊を率いた、新撰組の近藤勇は、この寺に徳川家ゆかりの宝があると聞いて、戦火に巻き込まれることを避けて、東側にある柏尾に布陣したそうです」

 つまり、そこが先程の戦場跡ということだ。

 なかなか粋なことをするな、近藤勇。

 そのお陰で、ちゃんとこうして我々は、宝を拝めているわけだ。


「あと、この錦絵に描かれている山門は、大善寺の山門と言われています」

 そう言った案内役の人が見せてくれたのは、中央に指揮を執る近藤勇が何やら叫んでいるような絵で、その右後ろに、大きな寺の山門があった。

 それがこの大善寺の山門ということらしい。


 ちなみに、この錦絵は、明治初期に描かれた「勝沼駅近藤勇驍勇ぎょうゆう之図」という名前の錦絵で、山梨県立博物館に常設展示されているそうだ。


 一通り、話が終わると、俺たちは、本堂から出る。

「あの錦絵のこと知ってた、蛍?」

 高坂先輩が声をかけると。

「私を誰だと思ってるの、いろは。もちろん知ってたよ」

 自信満々に言う楢崎先輩だった。


 こういう時だけ、なんか男らしい。



 さて、とりあえず見終わったし、もう夕方だし、再び駅までの遠い道のりを歩いて帰ることになったのだが。


「先輩たち。さすがにずっと歩きってのはキツいっすね。なんかないんすかね、足になる物が」

 と、本郷が愚痴るが、それは俺も内心思っていた。


「バス、使えばいいんじゃないですか?」

 藤原先輩が反論するが。


「うーん。バスってのもアリだけど、本数少ないんだよね。山梨って田舎だし」

 そう言って、高坂先輩は、何やら難しい顔で、うんうん唸ってしまった。


「車、はダメか。高いし……」

 楢崎先輩も考えている。


 そこで、俺が不意に思いついた。

「じゃあ、みんなでバイクに乗ればいいんじゃないですか?」


 その一言にみんな立ち止まった。

「バイク?」


「そうです。普通二輪免許なら16歳以上なら取得できます。手軽な足が欲しいならスクーターでもいいですし。少なくとも自転車や電車を使うより、移動は楽ですよ」


「いいね、それ!」

 真っ先に喜びを表現したのが、部長の高坂先輩だった。


「バイクかー。でも、やっぱりちょっと怖いですわ」

 藤原先輩は、視線をそらしている。やっぱりこの人、ちょっとお嬢様っぽいから、バイクは危険な乗り物だと思っているのだろうか。


「藤原先輩、大丈夫ですよ。スクーターなら誰でも乗れますし、そんなにスピード出さなければ」


「ナイス、山本! 俺らもうすぐ16歳の誕生日だから、誕生日になったら、みんなで免許取りに行こうぜ」

 本郷が大袈裟に喜ぶ。


「もうすぐって、君たち誕生日いつ?」


「6月28日です」

「7月8日っす」

 俺と本郷が答えると。


「お、ちょうどいいね。じゃあ、私たちもそれに合わせて、教習所に通おうか」

 早くも乗り気な高坂先輩だった。


 だが、俺には言っておくべきことがあった。

「でも、先輩。バイクは125cc以上にして下さいね」


「え、なんで?」

 何も知らない子犬のような、純粋な眼で聞き返してくる高坂先輩。


「50ccでは、速度制限とか、二段階右折とか、厄介なものがあります。それと、125cc以下なら高速道路に乗れません。つまり、行動範囲は限られます」

 一応、父が昔、バイクに乗っていたから、そういう知識が俺にはあったのが幸いした。


 他の連中はみんな、全然知らないようだったが。


「じゃあ、1000ccとかに乗ればいいんじゃね?」

 と本郷がバカなことを言い出したが。


「バカ。普通二輪は400ccまでしか乗れないの。しかもそれ以上は『大型二輪免許』って言ってな、18歳以上しか乗れないんだよ」

 俺が説明すると。


「へえ。じゃあ、私乗れるよ。誕生日5月で、もう18歳だから」

 と得意げに話す高坂先輩だが、それにも俺は厳しい視線を向ける。


「ダメです、高坂先輩。初心者がいきなり大型なんて危ないんです。まずは普通二輪で慣れてからです。だから、俺のオススメは、高速道路にも乗れて、維持費も安い、250ccのバイクです」


 そう伝えると、何故かみんなは大袈裟に驚き、


「おお、なるほどねえ。250ccか。わかったよ。じゃ、来月くらいからみんなで免許取りに行こうか」

 高坂先輩は、明るく、むしろ楽しそうに言ってくれた。


 この娘、バイク乗り向きかもしれないな、なんて、ちょっとだけ思った。


「で、でも、バイクって、二人乗りすればいいのでは? みんなで免許取る必要はないのでは?」

 おずおずと聞いてくる楢崎先輩だったが。


「ダメですよ、楢崎先輩。タンデム、つまり二人乗りは、免許取得後1年以上経たないと無理なんです。しかも高速道路を走るなら、免許取得後3年以上です。だから、みんなで取りに行った方が都合がいいんです」


 俺が説明すると、

「むう……。わかった」

 なんか、納得していないような顔で、頷いた。


「大丈夫だよ、蛍。私が『信玄公祭り』でゲットした30万円もあるし、免許取得費用くらい私が負担してあげるよ」

 と高坂先輩が明るくフォローしていた。


 もしかして、お金ないのか、楢崎先輩。

 そう思う俺だった。



 ようやく甲府駅前に戻ってきた時には、すっかり陽が暮れていた。

 そして、事件は起こった。

 甲府駅構内から出ようと思っていたら、後ろから大声で、


「ヒドーい、鹿ちゃん。私という者がありながらー」

 という聞き覚えのある声がして、振り向くと、そのまま電光石火の勢いで、右腕に手を回されていた。その腕の感触で誰だかすぐに気づくが。


 姉の桃だった。

 姉は得意げに俺の腕に、自分の腕を絡ませて、ニヤニヤと楽しそうに、こちらを見ていた。


 まったく茶目っ気の強い、困った姉だ。こいつ絶対、楽しんでる。


 だが、さすがに部員たちは、唖然とした表情で、固まっていた。

「し、鹿之助くん。そ、その人って、君の……」

 高坂先輩が、声にならない声を上げ、泣きそうな顔をしている。


 さすがにかわいそうになってきた。

「いえ、違います。姉です!」

 きっぱり、はっきりと言ってやったら、面白くなさそうな顔で、姉は手を離した。


「そうでーす。鹿之助の姉の桃でーす」

 明るい声で、笑いながらしゃべっている。まったく困った姉さんだ。


 みんなは、ホッとしたような安堵の表情を浮かべていた。

 しかし、

「そっか。君が噂の高坂いろはちゃんだね。私も3年なんだ。よろしくね」

 誰も紹介してないのに、何故か姉は真っ先に彼女に気づき、そう言って、気さくに高坂先輩に握手を求めていた。


 一応、手を握り返し、

「よろしくお願いします」

 なんて、同学年なのに、何故か敬語になっている高坂先輩だったが。


 姉は、高坂先輩に近づき、耳元で何やらささやいた。

 高坂先輩は、あっと言う間にゆでだこみたいに、真っ赤になり、


「そ、そんなことしません!」

 何故かキレていた。

 一体、何を言ったんだ、姉よ。


「あはは。面白い反応をする娘だなあ」

 姉はゲラゲラと大きな口を開けて、笑い出し、


「じゃあ、みんな。そゆことで。弟をよろしくー」

 と言い残して、風のように去って行った。


 残されたのは、唖然と見守る楢崎先輩、藤原先輩だったが。

 バツが悪そうに、何故か下を向いている高坂先輩と、姉をよく知る本郷は別だった。


「相変わらずだな、お前の姉ちゃん。美人なんだけど、何考えてるかわかんねー人だな」

 本郷がその背を見送っていた。

 まあ、こいつは何度かウチに来たことがあるし、姉とも面識がある。


「どうしたんですか、高坂先輩?」

 珍しくずっと下を向いている、彼女に声をかけると。

「な、なんでもない。なかなか個性的なお姉さんね」

 そう言って、何故か決まりの悪そうな表情をした。


 ますます、姉が彼女に何を言ったか、気になるが、どうせ聞いても教えてくれないだろう。

「女同士の秘密」

 とか普通に言ってきそうだから。


 こうして、一抹の不安を残しながら、幕末史跡の旅は終わった。


 俺たちが次に獲得しないといけないのは「足」だった。

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