第36話 ドロイドの谷 ②エル編2

 エルは大きなため息を吐いた。


 ジャギッドリザードの喉に命中した二本の矢印が、エルの元に戻ってくる。きれいな二本の矢印。それらには、血のひとつもついていなかった。


 茶褐色の肌をさらしたジャギッドリザード。喉には分厚い黒と金の鱗の塊が。ジャギッドリザードがエルを見る。今までとは違った、鋭い視線。獲物ではなく、敵を見る視線。こんなまっすぐな視線はいらない。エルは三本の矢印を揃えながら、心の中で悪態をついた。


 ジャギッドリザードの喉に集まっていた鱗が、腕や背中に戻っていく。ジャギッドリザードには、鱗の位置を自由自在に動かせるという特性があった。それ故に、ジャギッドリザードにダメージを与えるには、反応速度を上回る攻撃か多方面からの強力な攻撃、もしくは鱗の防御力を上回る絶大な威力の攻撃、このどれかをおこなわなければならなかった。


 もちろん、後衛職のエルにそれらの攻撃手段はない。微かな希望があった最大火力の攻撃も今、完全に防がれ、唯一通用する体内からの攻撃も、一度見せてしまっているため、もう有効な手段ではない。エルが一人で打てる策は、もう一つも残っていなかった。


 久々に見る自分の体から流れる血。

 エルは初めてミリオムと出会った時のことを思い出した。

 まだ自分が冒険者を目指す学校に通っていた、あの時のことを。


ーーーーーーーーーー


「今日は特別な講師が来てくださっています。

 四人の冒険者で結成されているパーティー『フォルトゥーナ』から、リーダーのリベア・ミリオムさんです」


 拍手があがる。十歳から十五歳の三十人ほどの子どもたちが、ミリオムに熱い視線を向けた。ミリオムは少し照れくさそうにはにかみながら、生徒の前に立った。


「みなさん、初めまして。リベア・ミリオムです。

 今日は一日、よろしくお願いします」


 ミリオムが頭を下げる。

 若い。初めてミリオムを見たエルは、そう思った。


 今、世間を最も賑わせているパーティー『フォルトゥーナ』。圧倒的な実力を持ちながら権力にこびず、一般市民にも優しく接する冒険者パーティー。市民からはもちろん、多くの冒険者や権力者からも人気があり、『フォルトゥーナ』の一挙手一投足が新聞の一面を飾るほど、彼らはこの国で有名だった。


 エルはミリオムを注意深く観察した。

 歳は二十四から六くらい。有名な冒険者にしては珍しく、威圧感がない。逆に彼から醸し出されているのは温かい雰囲気だ。武器は……分からない。ここには持ち込んでいないのかも。顔はイケメンだ。スッと通った鼻に、澄んだ碧眼。これまた冒険者にしては珍しく、金髪の髪を真ん中で分けてしっかりとセットしている。


 誰もが目を輝かせてミリオムを見ていた。男子も女子も関係ない。先生でさえ、年下のミリオムに尊敬の眼差しを向けていた。


「さっそくですが、皆さん中庭に出てくれますか?

 見せたいものがあるんです」


 ミリオムはそう言うと、教室を出た。

 子どもたちは一線級の冒険者が見せたいものってなんだろうと、ワクワクを隠しきれない様子でミリオムの後をついていった。


 エルはそんな興奮するクラスメイトと堂々と進むミリオムを見ながら、静かに足を動かした。この人は凄い。この若さでこのカリスマ性。それも、相手が自然とついていきたくなるような、優しい力。僕が目指すべきなのは、この人なのかもしれない。エルはこの時、初めてこの学校へ入学したことに価値を感じていた。


 冒険者に学歴は関係ない。どれだけ賢くても、死の前では誰もが平等だからだ。しかし、実際に優秀な学校を出た冒険者の方が、他の冒険者と比べて生存率が高い傾向があった。エルは十歳になったとき、冒険者になるか学校に入学するか悩んでいた。早くから実戦経験を積むか、学校に行き学びを深めるか。悩みに悩んだ末、エルは学校へ入学することに決めた。だが、これまでこの選択をしてよかったと思ったことは一度もなかった。低レベルな学生に、理論だけの戦闘訓練。国や土地の歴史といった、冒険者の役に立たないような授業。エルは学校に意義を感じることができなかった。もちろん、全てがそうではない。学びになることも多かった。ただ、この知識は本当にこの先必要になるのか、と疑問に思うことが多々あった。


 だが、これは違う。一介の冒険者では得られない、ミリオムの授業。これだけで、学校に入学した価値があったといえる。


 エルはミリオムにどんな質問をしようかと考えながら、それでも、気持ちが高ぶっていることをミリオムに悟られないよう、自分が常に冷静であるように振る舞って、歩みを進めた。


 中庭に着いた。

 先ほどまで騒がしかった子どもたちが、突然、静まりかえった。


 中庭にいたのは、二メートルを超える巨大な熊だった。

 真っ黒で分厚い毛皮。丸太のように太い腕。口元から覗く鋭い牙。


「……え? ミ、ミリオムさん。

 なんですか、これ?」


 子どもたちに格上との実戦経験はない。そしてそれは、先生も同様だった。

 一歩、また一歩と後ずさりながら、ミリオムに尋ねる先生。

 ミリオムはそんな先生へにっこりと笑顔を向けた。


 熊が子どもたちを見つけた。

 よだれが地面に落ちた。


「きゃぁーーー!!!」


 誰かが叫んだ。

 その恐怖の叫びは一瞬で皆に伝播し、場を混乱が包みこんだ。ちりぢりに逃げる子どもたち。腰を抜かす先生。エルはその場から、一歩も動けなかった。


「……そろそろか」


 ミリオムが呟いた。

 直後、熊の元へ走り出したミリオム。

 熊が力なくその場に倒れた。


 何が起こったのか分からなかった。エルはただただ、返り血で真っ赤に染まったミリオムを見ていた。ミリオムがこちらを見る。目が合う。ミリオムが優しく微笑んだ。だが、その表情はどこか寂しげだった。


 ミリオムはそれから一時間、中庭から動かなかった。何かを待つようにじっと。ただじっと熊の横に座っていた。すると、誰に言われたわけでもなく、子どもたちが自然と中庭に集まってきた。全員が揃ったことを確認すると、ミリオムは熊の死体の処理を始めた。


「まずは毛皮を剥いでいく。クレセールルナベアは厚い毛皮が特徴だ。この毛皮は魔力耐性が高く防具に使えるほか、防寒具としてもとても役に立つから、丁寧に扱うように。次は腹を裂いて内臓を取り出していく……」


 皆、静かにミリオムの解説を聞いていた。

 もうそこに、楽しそうに笑う生徒は一人もいなかった。


 熊の解体が終わった後、ミリオムはいつも自分がどのような日常を過ごしているのかを、生徒たちに見せた。それは学校に通う自分たちとあまり変わらない日常だった。勉強に訓練。書類の処理に、依頼の受注。迷子の子猫探しは、生徒みんなが協力して行った。ミリオムは子猫が見つかると大喜びし、生徒達を初めて褒めた。そして報酬として、生徒達にお菓子を買った。エルは知っていた。みんなにお菓子を買ったことで、今回の依頼は赤字になってしまったことを。それでもミリオムは、笑顔でみんなにお菓子を買っていた。


 別れ際、ミリオムは生徒達にこう言った。


「今日の私の授業はいかがだっただろうか。これが冒険者の、いや私の一日だ。想像していたよりも地味だったと思う。だが、これが私だ。『フォルトゥーナ』のリーダー、リベア・ミリオムの一日だ。君たちが知る『フォルトゥーナ』の功績は、この日常のほんの一部を切り抜いているだけに過ぎない。私の日常は、たいしてみんなと変わらないんだ。ただ、みんなと違う点があるとすれば、それは私がこの日々の時間を未来の自分の為に意識して積み重ねているという点だけ。その積み重ねの結果が、みんなが知る『フォルトゥーナ』になっている」


 ミリオムは生徒一同を見渡すと、にっこりと笑った。


「もう一度言うが、私はみんなとたいして変わらない。大事なことは積み重ねだ。そしてその積み重ねの速度を変えるのは、自分の意識と周りの環境だ。この二つで一日に積み重ねられる量が大きく変わってくる。みんなも、このことを意識して日々を過ごしてほしい。長くなってすまない。今日はとても充実した一日を送れた。みんなありがとう」


 ミリオムが頭を下げた。

 拍手が鳴り響いた。それは今朝ミリオムが登場したときに響いた音の何倍も大きな音だった。ミリオムは照れくさそうに、生徒みんなに手を振った。


 この人の役に立ちたい。

 エルは自分の手が真っ赤になっていることに気づくことなく、力強く音を鳴らし続けた。


ーーーーーーーーーー


 私の原点。やはりミリオムさんは凄い。

 ミリオムさんのおかげで、私は今日も生きていける。


 ジャギッドリザードが前足を地面につけ体勢を低くする。回転を始める尻尾。先ほどと同じ動き。ならば、私のとれる選択は回避のみ。エルは矢印を足下に移動させた。

 

 ジャギッドリザードから尻尾の先が離れる。移動するエル。その動きを見てから土を跳ね上げるジャギッドリザード。相変わらず凄まじいスピード。エルは三本の矢印で正面に盾を作った。鋭い爪が止まる。しかし、すぐに盾の上を通り、ジャギッドリザードがエルに襲いかかる。エルは盾を解除し、三本の矢印を上に向けた。ジャギッドリザードの体が宙に浮かぶ。盾の上を通ったことで、三本の矢印は全てジャギッドリザードの体の下にあった。その矢印の力が上に働いたことで、ジャギッドリザードは空に向かって突き進んでいた。


 このまま上空から落下させる。あのジャギッドリザードの大きさなら、落下のダメージも大きいはずだ。エルは矢印に残りの魔力をありったけ込めた。これでもう盾は作れない。だが、それでいい。ここで決着をつける。


 ジャギッドリザードは瞬時にこの状況を理解した。突き上げられる体をなんとか動かし、強引に腕を振る。人間に向かって飛んでいく鱗。人間は両手を自身に向けガードの姿勢をとった。

 赤い物体はここにある。防御はできないんだろ。ジャギッドリザードの予想通り、鱗が無防備な人間を切り裂いた。赤い物体の力が弱まる。明確な隙。ジャギッドリザードは身体を捻り空中を移動した。赤い物体の束縛から逃れることに成功する。ジャギッドリザードはそのまま、ダメージなく地面に着地した。


 エルは見た。着地したジャギッドリザードの尻尾が既に回復していることを。急いで両手を前に出し、空に向かって進む矢印に指示を出す。方向転換する三本の矢印。ジャギッドリザードからキーンという音が響き始めた。


 ジャギッドリザードは上空を見た。位置的にあの赤い物体はぎりぎり間に合わない。顔を下げ、人間を見る。赤い物体なしでかわすことも、あの人間はできない。軌道は発射直前まで変えられる。人間の回避が発射と同時なら、この尻尾は確実に人間を貫くだろう。この攻撃を、あの人間はもう、どうやってもかわせない。


 ジャギッドリザードは、勝利を確信した。


「いいんだ。この位置がいいんだよ。

 矢印が私と遠く離れた、この位置が。

 お前が勝利を確信できる、この位置が」


 不敵な笑みを見せる人間。

 その姿を見たジャギッドリザードの脳内に、疑問の種が芽吹く。

 なぜ、この人間は、この窮地で笑っているのだ?


 直後、体勢を低くしていたジャギッドリザードの体が、突然起き上がった。顎の下にはあの赤い物体が一つ。尻尾が上を向く。


 やられた。あの人間、赤い物体を回避に使わず、尻尾の向きを変えることに使いやがった。歯を食いしばるジャギッドリザード。だがすぐに、ジャギッドリザードの頭にある疑問が浮かんだ。疑問を解消するため、ジャギッドリザードはすぐに視線を人間に向けた。

 残りの二つはどこいった? 人間が俺を攻撃する様子はない。いや、そもそも人間の近くにあの赤い物体がない。ならばどこに……


 突如、強い衝撃がジャギッドリザードの頭を貫いた。

 地面に倒れるジャギッドリザード。

 粉砕された鱗。どろりと頭の中身が零れ出す。

 ジャギッドリザードは動かない。

 あの獰猛で恐ろしいジャギッドリザードが沈黙を貫いている。


 エルはゆっくりとジャギッドリザードに近づいた。

 ジャギッドリザードは死んでいた。即死だった。エルは確実に死んでいることを確認すると、ジャギッドリザードが吹き飛ばされる前の場所へと移動した。


「ありがとう。助かった」


 エルは感謝を込めて、ジャギッドリザードを倒したものへ言葉をかけた。

 そこには、木の側で待機していたはずの馬がいた。馬の足下から二本の矢印を回収する。馬の首を優しく撫でる。馬はブルルッと頭を振り、エルに体を寄せた。


 うまくいった。二本の矢印を防がれたときは焦ったが、ミリオムさんの言葉で、私は一人じゃないことに気づくことができた。大事なのは自分の意識と周りの環境。一つだけでは駄目なのだ。この二つが大事……


 エルは突然、馬に寄りかかった。


 意識がもうろうとしてきた。

 血を流しすぎた。

 魔力がないせいで、回復魔法も使えない。

 早く、回復薬を飲まなければ……。


 力が抜け、その場に膝をつく。

 木の側にいた馬が、カバンを持ってこちらに走ってくるのが見えた。

 あと少し。気力を絞れ。

 エルは走ってくる馬に向かって手を伸ばした。


 その時だった。

 奥の茂みが激しく揺れた。


 馬が反応し、エルを追い越す。

 エルは地面に倒れた。

 もう力が一つも残っていなかった。

 エルの視界を、瞼が完全に塞いだ。

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