第33話 ドロイドの谷

「いってぇ。あの女、本気で髪の毛引っ張りやがって」


 ハンス・ブリーズが頭をさする。

 それを見た石上暖いしがみだんは珍しく笑った。


「危なかったですね」

「ほんとだよ。まともに戦わかなくてやっぱりよかった。

 俺のスキルじゃ、相手に傷一つつけられないからなぁ」

「『風見鶏を見つけてウィンド・トレイス』でしたっけ?

 どれだけ強い風でも、駄目なんでしたよね」

「ああ。俺の風は相手に直接ダメージを与えられない。

 そういう能力だ。だからあの魔石に俺の力を溜め込んだ」

「魔石って便利なんですね。

 なんでみんな使わないんですか?」

「ばかっ! スキルを溜められる魔石はめっちゃ高いんだぞ!!

 それに、スキルを溜めている間は魔石に意識を向けなくちゃいけない。

 そうだなぁ……魔石に封をしているイメージだな。だから、スキルがあまり使えなくなる」

「つまり、スキルを使えば、その拍子に魔石に溜めてたスキルも間違って使ってしまうと」

「そういうことだ。さすが、理解が早いな。

 おかげで、俺はさっきの戦いであまりスキルが使えなかった。だが、今頃あいつらは馬車ごと吹き飛んでるだろうよ」

「なるほど。ですが、ハンスさんなら魔石なしでもいけたんじゃないですか?」

「いや、無理だな。正直、今回は運がよかった。

 あの女が本気で戦えば、俺なんてイチコロだったろうよ。

 そのくらいあの女は強かった。元々は、捕まった俺が谷で魔石を発動させる予定だったんだ」


 ハンスが暖の肩を叩く。


「だからダン、おまえのおかげで俺は助かった。

 お前がいなけりゃ、今頃俺はあのモンスターの巣窟に放り出されてた。

 ほんと、ありがとな!」

「いえ、俺はなにも。

 ほとんど攻撃を止められましたし」

「いやいや、最後の一発は胸がスカッとしたぜ!

 まぁ、相手は胸じゃなくて、腹がスカッとしただろうけどな!」


 ハハハッと笑うハンス。


「いやぁ。でもまさか、ダンの攻撃を一発で見切る奴がいるとはなぁ。

 ほんと、びっくりしたよ」


 暖は考える。

 俺の弾丸を止めたあの男。

 どこかで見たことがあるような……。


「まっ、成果としては充分だろう。

 あとは他の奴に任せて、飲みに行こうぜ!」

「……そう、ですね」


 暖の言葉を聞いてハンスが固まる。

 暖は首を傾げた。


「どうかしました?」

「……マジ??

 お前、ほんとに飲みに行ってくれるの??」

「えぇ。いいですよ」

「……でも、お前いつも断るじゃん」

「そうですね。ですが、俺も今、少し飲みたい気分なんで。

 あっ、図々しかったですかね。やっぱり……」

「待て待て!!

 それ以上、喋るな!!

 ハハッ! よっしゃ!!

 そういうことなら思いっきり飲むぞ!!!

 俺のおごりだ!! 今日は朝までだ!!!」

「いや、朝まではちょっと……」


 暖の言葉はもう、ハンスには届いていなかった。

 嬉しそうに今日飲む酒の種類を羅列するハンス。

 暖は溜息をつき、振り返る。

 あの男とは、またどこかで会いそうだ。

 愛用の銃、M19をしまい、暖はハンスの後をついてメレオラへの歩みを進めた。


ーーーーーーーーーー


 全壊する馬車。

 吹き飛ばされる四人。

 エルの矢印が消える。


 手を伸ばす。届かない。

 桜に、届かない。


「くそっ! ……くそぉっ!!」


 谷へと落ちていく。


ーーーーーーーーーー


 木の枝や葉が体をくすぐる。

 バキバキと音が鳴る。

 地面が見えた。拳を振り上げる。

 拳と地面が衝突する。

 小さなクレーターが生まれた。

 HPは92/107を表示した。


 顔を上げる。

 桜が落ちた場所はここから北東。

 距離にして一キロ。

 急げ、急げ、急げ!!

 桜なら大丈夫! まだなんとかなる!!

 不安で押しつぶされそうになる心に鞭を打ち、悠人は立ち上がった。


 突如、背後から飛んでくる石。体を傾けかわす。悠人はゆっくりと振り返った。そこにいたのは、赤い目を光らせた猿のモンスターだった。鳴き声を上げる猿。続々と他の猿たちが姿を現す。悠人を中心とした円陣。鋭い犬歯を覗かせ、猿たちが戦闘態勢に入る。

 時間がないというのに……。今すぐ桜の元へ向かいたいが、この猿たちを桜の元へは連れて行けない。こいつらは、ここで倒すしかない。


「さっさと来いよ。

 秒で終わらせてやる」


 奇声を上げる猿。

 俺は静かに剣を抜いた。


ーーーーーーーーーー


 何が起こった?


 エルは馬車が大破した直後の、自分が吹き飛ばされる直前に見た景色を反芻する。


 見えたのは、四方に吹き飛ばされる木片と光り輝く魔石、そしてレジーナ、ハルト、サクラの三人だけだった。敵の姿は見当たらなかった。そこから考えられるのは、魔石によって馬車が破壊されたということ。敵を追い払うことには成功したが、策略までは完全に防げなかったということ。馬車が大破した後、私は自身と馬二頭に矢印をつけるだけで精一杯だった。これはミスだ。三人を信頼しすぎた、私のミスだ。


 落ち着かない様子の馬をなでる。一刻も早くこの谷から抜け出したいが、魔力を大量に消耗し、馬二頭をひく今の自分には不可能なことだった。今は静かに息をひそめて、レジーナの助けを待つしかない。幸いここは谷の底。常にモンスターが出るわけじゃない。大丈夫。モンスターのテリトリーに気をつけていれば、問題ないはずだ。


 突如荒ぶりだす二頭の馬。手綱を引きなんとか落ち着かせる。騒ぎを起こされたらかなわない。エルは馬が鳴かないよう、首を優しく撫で、二頭をなだめた。次の瞬間、背後からぞっとする気配を感じ、エルは思わず振り返る。そこには、全長1.5メートルの、二本足で立つトカゲがいた。黒と金のまだら模様。チロチロと出入りする二又の舌。腕には鋭い爪と等間隔に生えた刃のような鱗がついていた。モンスターの名は『ジャギッドリザード』。通常なら1メートルほどの大きさのモンスターなのだが、目の前の個体は違った。このジャギッドリザードは、特別な個体だった。


 珍しく、自分の身体から冷や汗が溢れるのを感じた。

 逃げるか、戦うか。

 馬を守りながら?

 考える余裕はなかった。

 鋭い目がエルを捉える。

 ジャギッドリザードが、エルに襲いかかる。


ーーーーーーーーーー


 レジーナは襲いかかってくるカラスを真っ二つに切り裂きながら、谷の斜面を進んでいた。


 腹をさする。まだ少し貫かれた箇所が痛んだ。敵から情報を得ようなどと、柄にもないことをしたせいだ。そういう仕事はエルの担当だというのに。おかげであのざまだ。ハルトとサクラには申し訳ないことをした。特にサクラ。サクラがいなければ、本当に危なかった。やはりメレオラで一緒に狩りに出かけたのがよかった。サクラのスキルを知っていたおかげで、あたしはあの時、サクラに身を任せることができたのだから。


 カラスの群れの攻撃が止まる。どれだけ仕掛けても無駄だと分かったのだろう。カァカァと鳴き、カラス達はどこかへ飛んでいった。


 手応えのない、雑魚ばかりだったな。

 斜面をくだる。目的地はエルが落下したと思われる場所。現時点での最優先は、エルとの合流だ。次にハルト。最後にサクラ。おそらくだが、サクラはもう死んでいる。あの戦闘能力で生きていけるほど、この谷は甘くない。


「悪い、サクラ」


 チクリと胸に何かが刺さる感覚。思わず胸に手を当てる。この感じ、久しぶりだ。六年前、パーティが全滅したあのときと同じ。あたしはいつまで経っても変わらない。


 茂みから飛び出してきた蛇をククリ刀で両断しながら、レジーナは谷を駆けた。


ーーーーーーーーーー


 空中で『ディファンド』を発動し、着地に備える。幸い、木々の枝や葉が落下の衝撃を軽減してくれたおかげで、ダメージはほとんど受けなかった。立ち上がり、服についた土や葉っぱをはらう。ここはどこだろう。桜は辺りを見渡した。目に見える範囲にモンスターはいなかった。となると、ここは谷の底かもしれない。強いモンスターがそれぞれ縄張りを持つ、危険なエリア。自分の立場を理解した瞬間、体が震えだした。わたしは何もできない。こんなところにいれば、一瞬で殺されてしまう。


 いや、馬車が吹き飛んだ直後、悠人さんは私に向かって手を伸ばしてくれた。きっと悠人さんがわたしを迎えに来てくれる。だから大丈夫。悠人さんのためにも、わたしはここで生き延びる。


 両頬を強く叩き、自分に活を入れる。

 体の震えが止まった。

 大丈夫、なんとかなる!


 突然、前の茂みが動いた。桜は慌てて、近くの木に体を寄せた。現れたのは、一メートルを超える角を頭に生やした、鹿の顔をした人型のモンスター。真っ黒な目に細長い首。体長は二メートルを超えており、大きな葉や木の皮で作られたローブのようなものを身につけている。一歩ずつ優雅に進む姿は、モンスターだというのに荘厳な雰囲気を漂わせていた。


「……きれい」


 思わず言葉が零れる。

 モンスターと目が合った。

 その真っ黒な瞳に引き込まれる。


 次の瞬間、桜の体が地面に押しつけられた。何か重いものがのしかかっているような感覚。身動きが一切とれなくなる。桜は何が起こっているのか理解できなかった。だんだん息が苦しくなる。少しずつ、重さが増していく。


 気配を感じ、目だけを動かし前を見る。

 鹿のモンスターが一歩ずつ、わたしに近づいてくる姿が見えた。

 変わらない優雅な動き。

 だが、先ほどとは明確に違う点があった。


 モンスターは笑っていた。

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