第29話 罪と恐怖

 リアベル・ジェミリオーネ。


 田舎街、スニオールで生まれた彼女には、歳の離れた優秀な兄と姉がいた。

 運動神経抜群で秀才な兄と姉。彼らは十一歳を越える頃にはスニオールを出て、大きな都市の学校に通っていた。対してリアベルは内向的で、どれも平均以下の成績。あの二人の妹という肩書はあまりに重く、周囲からの期待に耐えかねたリアベルは九歳で家に引きこもった。そんな彼女の唯一の友達。『ケイティ』という名のブロンド髪の人形。リアベルは『ケイティ』を片時も離すことなく、日々を過ごしていた。リアベルの両親は、無理にリアベルを外に出そうとはせず、彼らなりの愛情をリアベルに示した。リアベルもそれを理解し受け止め、その甲斐あってか、十五歳の誕生日を迎えたとき、彼女は部屋を出て冒険者ギルドの事務員として働くことを決意した。


 リアベルが働き始めてから二年が経った、ある夏の日。

 彼女にとって大きな転機が訪れる。

 不器用ながらも、仕事に真面目に取り組んでいたリアベルは、相変わらず友達と呼べる人はいなかったが、職場に馴染み穏やかな日々を過ごしていた。

 その日は受付嬢の一人が風邪で休み、代わりにリアベルが受付に立つことになった日だった。


「助けてくれ!!!」


 ある一人の冒険者が、叫びながらギルドに駆け込んできた。

 ギルドにくる冒険者で、このように切羽詰まった状況の冒険者は少なくない。

 大抵がどうしようもない問題を持ち込んでくる、迷惑な冒険者だ。


 どうかこちらに来ませんように。

 リアベルは心の中で願った。

 だが、リアベルの願いも空しく、彼は唯一空いていたリアベルが担当する受付に迷うことなく走ってきた。


 ……最悪だ。

 臨時のわたしにできることなんて知れている。

 きっと大きな声で怒鳴られて終わるんだろうな。

 リアベルは気持ちが沈んでいくのを実感しながら、冒険者を見た。

 凜々しい顔に、艶めく防具。

 腰に携えた剣の鞘には、煌びやかな宝石が装飾されている。


 ああ、なんてことだ。

 わたしでも分かる。

 この人はランクの高い冒険者だ。


「ど、どうなさいました?」


 マニュアルに目を通しながら、言葉を続ける。

 ランクの高い冒険者相手なので、てきとうに断ることができない。

 誰か他の人が助けに来てくれるまで、持ちこたえるしかない。

 リアベルは覚悟を決めた。

 怒鳴られる覚悟を。


「ゆ、幽霊が出たんだ!?」

 

 余裕がないのか、男はつばを飛ばしながら、まくし立てるように話し始めた。


「俺の仲間はみんなやられた。

 くそっ!

 次はきっと俺の番だ。

 奴がくる。

 早くなんとかしないと。

 奴が来ちまう!」


 取り乱す男。

 その男の姿を見たとき、リアベルの胸の奥で何かが蠢いた。


「落ち着いてください。

 ゆっくりでいいですから。

 一つずつ状況の説明をお願いします」


 リアベルは自然と男の手を握っていた。

 男性の手を握ったのは、これが初めてだった。

 男は手を握られて安心したのか、落ち着きを取り戻し、また話し始めた。


「俺はここから東にあるギブンという都市から来たんだが、山を越えている途中で、突然仲間が倒れだしたんだ」


 男が頭を抱えた。


 なるほど。

 この人は成金冒険者だ。

 お金で人や武器、防具を揃えた冒険者。

 見た目は立派だが経験が浅いので、よく問題を起こすことが多い。

 問題といっても、主に遺体で見つかったという問題なのだが。


 スニオール周辺を冒険する人で、『山の裁き』を知らない人はほとんどいない。主に湖やくぼ地で発生する、気を抜けばあっという間に死んでしまう現象。この山の裁きの注意を促すために、こんな辺境にある街スニオールに冒険者ギルドが建てられたのだ。


 きっと、この男の仲間はもう、みんな死んでいる。


「そうですか。

 それはお気の毒でしたね」

「お気の毒だと??

 ふざけるな!!!

 今すぐ助けに行くんだよ!!

 早く行かなきゃ全滅しちまうだろ!!!」


 男が怒鳴る。

 いつものわたしなら、ここで体を縮こまらせ、ただただ謝っていただろう。

 だが、その日のわたしは違った。


「わかりました。

 では、被害にあった場所まで案内していただけますか?」

 

ーーーーーーーーーー


 男と二人で山を登る。

 被害にあった現場までは四十分ほどで着いた。


「俺はこれ以上、近づかない。

 お前が行って仲間たちがどうなってるか確認するんだ」


 倒れた冒険者一行を数十メートル離れた位置から見ながら男が言った。


 この男は馬鹿なのか?

 まだ何も原因が分かっていないというのに、仲間が死んだ場所に同じように人を送るなんて。もしかして、遠回しにわたしに死ねと言ってるのか?

 

「わかりました。行ってきます」


 口が勝手に動く。

 さっきから何かがおかしかった。

 わたしの中で、ドス黒いなにかがずっと蠢いていた。


 わたしは既に死んでいる冒険者一行に向かって歩き始める。

 男は安全な場所から動かず、わたしの動きを監視していた。

 わたしの顔は、なぜか笑顔だった。

 己の欲望が、そこに表れていた。


「きゃあ!?」


 突然、茂みの中に倒れ込むわたし。

 男が慌ててわたしを呼んだ。


「おい、どうした!?

 なにがあった!?」


 だが次の瞬間、男の声が叫び声に変わった。


「うわぁあぁぁぁ!!!」


 取り乱す男。

 男は走っていた。

 必死に腕を振って走っていた。

 わたしの横を通り過ぎ、男は仲間たちのいるところへ無我夢中で駆け抜ける。

 一瞬、男の顔が見えた。

 恐怖に支配され、歪んだ顔。

 あんなにも豪華な装備を身につけているというのに、そこには醜い一人の人間しかいなかった。

 ああ、こんなにも甘美だなんて。

 気づかなかった。

 いや、気づかないふりをしていた。

 知ってしまったら、もう戻れないと分かっていたから。

 男が突然倒れる。

 男が死んだ。

 わたしは頬を赤く染め、男の走ってきた方向からやってきた人形をぎゅっと抱きしめた。


「ありがとう、ケイティ。

 最高だったわ」


 これが、わたしの初めての殺しだった。


ーーーーーーーーーー


 それから、わたしはケイティと共に多くの人を殺した。

 スニオールに魔女が出るという噂が立ち始めた頃、わたしはある人に声を掛けられた。


「君が魔女だな」


 真っ黒なコートと帽子。

 彼への印象はただその二点だけ。

 彼の顔は今でも分からない。


「わたしの元で働かないかね?」


 わたしはその提案に、二つ返事で承諾した。

 その人から放たれる強烈な死の匂い。

 その甘い香りに逆らうことなど、できるはずがなかった。

 こうしてわたしは、殺し屋になった。


 スニオールを出るとき、両親は頑張ってと応援してくれたが、どこか寂しそうだったのを覚えてる。ただ、両親は最後に一つだけ、わたしに質問を投げかけた。


「あなたがちっちゃい頃から持っている、ケイティっていう名前の人形。

 いったい、いつどこで手に入れたの?」


ーーーーーーーーーー


 わたしが持つスキルの一つ、『深海の孤独ディープトランス』。

 殺し屋稼業を続けていくうちに身につけた、相手の深層心理にある恐怖感情を読み取り、それを幻覚として相手に見せる能力。このスキルを発動させるために必要なことは、相手に恐怖感情を抱かせること。抱いた恐怖の大きさで、幻覚にできるものも変わる。少なければ、窓やドアを開かなくさせるといった程度だが、多くなると、その人がもつ最も恐怖を感じた瞬間を幻覚として見せることができる。幻覚化した場合、それはわたしにも見えるので注意が必要だ。幻覚だと認識していないと、こちらまで心がやられてしまう。その代わり幻覚はリアルで、『ディープトランス』を受けた者は幻覚が解けた後、最低一時間は目を覚まさない。また、『ディープトランス』を幻覚だと見抜いた者は、今までに一人もいない。


 わたしはこれまで、物を自由に動かせるスキル『ポルターガイスト』と、いつでもどこからでも自由に出現させることができる、わたしの友達『ケイティ』を使って、多くの人に恐怖の感情を抱かせてきた。そして、その恐怖の感情を糧に、『ディープトランス』を使って標的を殺してきた。


 どんなに強い人や偉い人でも、恐怖には勝てない。

 最後は誰もが醜い表情を浮かべ死んでいく。

 わたしはこの恐怖で歪む顔が、たまらなく大好きだった。

 その人が持つ富も名声も力も、全てが無に帰す瞬間。

 考えるだけで毎回お腹の底がぐっと熱くなった。


 今回の依頼は標的から一枚の手紙を奪うこと。

 殺しは指定されていない。


 リアベルは隠れていた木箱の中から出た。

 恐ろしかった。

 なんだったんだあの女性は。

 そしてあの恐怖を描いたこの男。

 あまりの恐怖に気絶してしまった。

 いや、死んだのか。

 『ディープトランス』の幻覚だけで死んだのは、これまで三人だけ。

 どれもが、死の瞬間から幸運に生き延びた記憶を追体験したものだった。

 だが、これは違う。

 あの女性はまるで恐怖というものを体現したような存在だった。

 幻覚だと理解し、ただ見ているだけのわたしでさえ恐れおののいたのだ。

 この男が感じた恐怖は、測りしれないものだっただろう。

 だからこそ、彼の表情はとても素晴らしかった。

 特に右手を切られた瞬間と、ナイフが左足に刺さった瞬間。

 あの時の表情はわたしが見てきた中でも、上位五つに入るくらいの絶望顔だった。

 やはりたまらない。

 強い冒険者や権力のある者が、恐怖に支配される姿は何度見ても最高だ。

 この仕事は、わたしの天職だ。


 リアベルは倒れている標的の男に近づいた。

 男はなぜか左手にネズミを握り締め、それを胸に押し当てていた。

 あの巨大な女が消えた今、『ディープトランス』の幻覚は全て消えている。

 つまり、このネズミは幻覚ではない。

 ネズミに触れないように、左手を胸からどける。

 そしてリアベルは、男の胸ポケットから一枚の手紙を抜き取った。


「依頼はこれで完了。

 この人、本当に死んじゃってたらどうしよう。

 ……まぁいっか。わたしには関係ないし。

 もう、あれ以上の絶望顔も見られなさそうだし」


 リアベルは歩き出す。

 今日は大当たりだった。

 早く帰って、ケイティといっぱい語り合おう。

 そしたらまた次の仕事が待っている。

 次の標的は誰だろな。

 どんな表情を見せてくれるかな。


 ご機嫌な彼女の足どりは軽かった。

 だが、その足どりが長く続くことはなかった。


「なあ、そこのお姉さん。

 ちょっと教えてほしいことがあるんだが、いいか?」


 リアベルの足が止まる。

 そんな馬鹿な。

 ありえない。

 あの男は見ているだけで、指、足、心臓を切られていた。

 その痛みを味わって、意識を保てるはずがない。

 

「なんで俺は毎回、死ななきゃいけないんだ?

 異世界ならよぉ。もっと楽してもいいんじゃないか??」


 リアベルはゆっくりと振り返った。

 そこにいたのは、まだ数分しか経っていないというのに、目を覚まし立ち上がった標的の男だった。

 男の目が、リアベルを捉える。

 リアベルの殺し屋としての本能が、逃げろと叫んだ。


「教えてくれよ。

 俺の罪を、教えてくれ」


 男がこちらに向かってまっすぐ突っ込んできた。

 リアベルは咄嗟に、人間大の大きさにした『ケイティ』を出現させた。

 ケイティが男に向かって拳を振り上げる。

 だが、その拳が当たることはなく、代わりにケイティの首が地面に落ちた。


「ケイティ!!」


 数秒後、リアベルは四つん這いの状態で男に拘束された。

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