第28話 口裂け女

 ふと、昼間に会った老人の言葉が頭に浮かぶ。


『今、メレオラを騒がせておる幽霊の話でもよいぞ!』


 いやいやいやいや。

 そんなばかな。幽霊なんて存在しない。

 この世界には魔法がある。

 この現象はきっと魔法によるものだ。

 非科学的で当然なんだ。


 突然、バンッ!という音とともに戸棚が開いた。

 戸棚の中に入っていたのは、ブロンドの髪をした二頭身の女の子の人形。

 その人形と、目が合った。


 俺は急いで体を反転させ、ドアに向き直った。

 何度もドアノブを捻る。

 しかし、ガチャガチャと音が鳴るだけで、ドアが開く様子は全くない。

 背後を確認する。

 人形が戸棚の前にいた。

 動いている。

 人形はこちらに向かって動いている!


「やばいやばいやばい!!」


 俺はドアからの脱出を諦め、窓に向かった。

 取っ手をつかむ。

 だが、こちらもドア同様びくともしない。

 人形が向きを変えた。


「ひぃ!?」


 虚空を見つめる人形。

 しかし少しづつ、俺に近づいてくる。

 足が震える。

 汗が噴き出す。

 人形との距離はあっという間に二メートル。

 机の上にあがる。

 窓にもたれかかる。


 もう無理だ!

 怖い怖い怖い!

 なんで幽霊なんかいるんだよ!

 なんで俺に向かってくるんだよ!?

 俺はここにきたばかりだぞ!!

 何の恨みがあるんだよ!?


 人形が机の下で止まった。

 見ている限り、この人形に細かい動きはできない。

 机の上に登ってくることはない!

 そう思っていた。

 だが、次の瞬間。

 人形が浮いた。


「ぎゃぁーーー!!!」


 俺は叫んだ。

 直後、窓が開いた。

 窓に体重を掛けていた俺の体が、抵抗空しく宙に放り出される。

 その時だった。

 脳に電気信号が駆け巡った。

 この反応は、『イリーガルセンス』だ。


 頭上から、マスクを被った人が降ってくる。

 その手には、鋭く尖った剣が構えられていた。


 それを見て、俺は安心した。

 なんだ、やっぱり幽霊なんていなかったんだ。

 絵も花瓶も人形も、この刺客が俺の心を惑わすために操っていたんだ。

 実在する人が相手なら、何の問題もない。


 先ほどまでの怪奇現象を理解した瞬間、体から力みが一気に抜けた。

 俺は刺客の構えた剣を空中でかわし、そのまま着地する。

 刺客もうまく受け身をとり、着地した。

 刺客と目が合った。

 剣を納め路地に逃げこむ刺客。

 俺は急いで、その後を追った。


ーーーーーーーーーー


 背を追いながら、刺客の能力について考える。

 現在、刺客について分かっている能力は二つ。


 一つ目は、絵や花瓶、人形を動かした、離れた位置から物体を自由に動かす能力。現時点では、どれほどのものをどこまで動かせるか分からないが、俺はこの能力にあまり力がないと考えている。おそらく、怪奇現象として相手を驚かす程度。刺客の存在が分かった今、それほど警戒する能力ではないだろう。


 もう一つは、ドアや窓を開かなくした能力。スカンビアで俺がミリオムにやられた能力と近しい能力だ。何か条件をクリアすることで発動する能力。条件がある分、発動すれば能力を強制的に相手に押しつけることができる。はまれば怖い能力。


 俺が注意すべきはこの二つ目の能力。

 この能力の条件を解明しない限り、俺に勝機はない。


 刺客は暗い路地を迷うことなく進んでいく。

 俺はアイテム欄から光を放つ魔石を取りだし、その魔石で刺客を照らしながら後を追った。せまい路地ではスピードを出すことができず、差はなかなか縮まらなかった。


 刺客が突然、左手にあった建物のドアを開け、中に入った。明らかに罠だったが、ここで見失えば刺客を逃してしまう。俺は覚悟を決めて、刺客が入った建物に足を踏み入れた。


 暗い建物内を魔石の光で照らす。

 宙を舞う埃。

 積み上げられた木箱。

 さびた鍬や鎌もある。

 どうやらここは、物置のようだった。

 使われなくなったものが、乱雑に放り出されている。


 慎重に一歩ずつ足を動かす。

 踏みしめるたびに埃が舞った。

 日は既に沈み、外から入ってくる光はない。

 建物内を照らすのは、俺がもつ魔石の光のみ。


 ふと気配を感じ、魔石を向ける。

 赤い目を光らせたネズミが、一匹駆けていく。

 ほっと息を吐き、刺客の捜索を続ける。

 この刺客はおそらくだが、俺が手紙を何度も読む姿を見ている。

 だから急遽、俺を襲った。

 つまり、刺客の狙いはこの手紙だ。

 俺はまだ、ミリオムの本当の意図を理解できていない。

 この手紙を燃やしきることも、刺客に渡すことも、俺はまだできない。


 視界の端に一瞬、人影が見えた。

 刺客か?

 俺は急いでその人影に魔石を向けた。


 光が照らしたのは、一人の女性だった。

 二メートルを越えた身長。ベージュのコートを着ており、手には大きなハサミを持っていた。つばの長いハット帽に、口元を隠すようにつけられた白いマスク。そのせいで、どんな表情をしているのかよく分からない。しかし、ハット帽の下から微かに覗く切れ長の目は、しっかりと俺を捉えていた。


 俺はこの女性を知っている。

 小さい頃。日が暮れて真っ暗になった外で、俺はこの女性と出会っている。

 当時、夜になるとハサミを持った女性が出るという噂があった。

 俺はその噂が嘘だと思っていた。

 だから友達に自慢するために、日が暮れても家に帰らなかった。

 そして、彼女と出会ったんだ。

 虚ろで真っ暗な目。

 俺はただただ怖くて、立ち尽くすことしかできなかった。

 女性は俺を一瞥した後、何も見なかったかのように通り過ぎていった。

 俺はその後、無我夢中で走った。

 ただただ家に向かって、走り続けた。


 目の前の女性が、俺を見て言った。


「わたし、キレイ?」


 口裂け女がそう言った。


ーーーーーーーーーー


 なぜ? どうして?


 思考が完結する前に、目の前から口裂け女の姿が消えた。

 直後、左耳に走る痛み。

 地面に何かが落ちる音がした。


 血が頬を通り、顎先から滴る。

 あまりの衝撃に頭が真っ白になる。

 耳を切られた。

 痛い。

 血が止まらない。

 これは現実だ。

 まやかしなんかじゃない。

 これは現実なんだ。


「わ、わ、わたし。キレイ?」


 俺の背後に立った口裂け女が、振り向き言う。


「ま、待って……」


 俺は右手を前に出し、口裂け女を制止した。

 次の瞬間、俺の右手の指が消えた。


「うあぁあぁぁ!!!」


 激痛が走る。

 嘘だろ。

 俺の指が。

 

 思わずその場で膝をつく。

 右手をおさえる。

 血が周りを黒く染めていく。


 どうすればいい?

 このままでは俺は何もできずに殺される。

 何か……何かないのか??


「わた……わた、わた。

 わたし……」


 口裂け女が俺を見て、またも言葉を紡ぎ始める。

 待てよ。そういえば、今までの二つの攻撃。「わたし、キレイ?」と言ってから始まっている。ならば、この言葉を言わせなければいいんじゃないか?


 俺はナイフを出現させ、それを左手で投げた。

 頭を狙ったナイフが、口裂け女の左足に向かって飛んでいく。

 右手が使えない今、これが俺の精一杯だった。


 ナイフの先が口裂け女に当たる、その瞬間。

 口裂け女の目が、大きく見開かれた。

 突如、左足に痛みが走る。


「ああぁ!?」


 先ほど、口裂け女に向けて投げたはずのナイフが、俺の左足に刺さっていた。

 全身を目まぐるしく駆ける痛み。

 だめだ。もう、どこが痛いのかさえ分からなくなってきた。


 もだえる俺を気にすることなく、口裂け女がまたも言葉を紡ぎ始める。


「わ、わたし。キ、キレイ?」

「そんなの分かんねぇよ!!」


 口裂け女の姿が消える。

 世界が半分、暗闇に包まれた。

 切り裂かれたのは、左目だった。


 俺はその場に、力なく倒れた。

 全身から吹き出す血。

 意識が少しずつ遠のいていく。

 この感覚を俺は知っている。

 死だ。

 俺はもう、死ぬんだ。


 ぼやけていく視界。

 一匹のネズミがこちらをじっと見ていた。

 最後の景色がネズミだなんて。

 もっと他になかったのか?

 いや、死ぬ瞬間なんてこんなものか。


 はぁ。短い冒険者生活だった。

 まさか、こんなにも早くリタイアすることになるとは。

 ミリオムに謝らないと。

 それと、エルとレジーナにも。

 ああ、最後にもう一度、桜に会いたい。

 桜に会って……


 ふと、ネズミの奥で光り輝くものに目を奪われた。

 よく見ると、それは俺が先ほど投げ、俺の左足に刺さったはずのナイフだった。

 左足を見る。未だナイフは刺さっている。

 だが、正面の木箱にもナイフが刺さっている。

 この建物内で、俺が投げたナイフは一本だけ。

 頭に浮かぶハテナの文字。


「わ、わた。わた、わた、」


 口裂け女が喋り始める。

 俺は急いでアイテム欄から干し肉を取りだし、自分に『ステルス』をかけた。

 端から見れば、突如地面に干し肉が出現したようなもの。

 予想通り、無防備な干し肉を見たネズミが、こちらに向かって走ってきた。


「わたし、キレイ???」


 口裂け女が言った。

 俺は近くに来たネズミを掴むと、そのネズミを自分の左胸に押しつけ、こう言った。


「自分の心に聞いてみな」


 口裂け女のハサミが、俺の心臓を切り裂いた。

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