第23話 一人目
「悪い悪い、このままじゃ苦しいよな」
頭の部分だけ水がなくなる。
直後、鼻と口から噴き出す水。
大量の空気が、肺の中に広がった。
「俺はこれ以上、お前に近づかねぇ。
この水も解くつもりはねぇ」
呼吸が落ち着かない。
想像以上に危ない状況だったみたいだ。
「だが、もしお前がここで土下座して謝るなら、この水を解いてやってもいい」
海斗の口角が大きく上がった。
下卑た視線。
海斗はこの状況を、楽しんでいた。
「さあ、どうする?」
海斗の問いかけ。
俺は……笑った。
「そんなことしねぇよ」
海斗の眉が少し動いた。
笑顔は保っていたが、俺の回答が気に入らなかったことはたしかだろう。
海斗から、微かな殺意が放たれる。
「この状況でまだそんな威勢を張れるとは。
とんだ大馬鹿野郎だな。
ミリオムも言ってただろ?
長生きの秘訣は、時には折れて、相手に合わせることだって」
「ああ、だから合わせてやったんだ」
海斗をまっすぐ見る。
位置的に俺が海斗を見下ろす形。
それが、海斗の神経をより逆撫でた。
「……どういう意味だよ」
「この状況のことだよ。
ほら、俺はお前が用意した水の中にいるだろ?」
海斗の顔にもう笑顔はなかった。
代わりに、怒りと憎しみに溢れた目で、海斗は俺を睨みつけていた。
「お前は……わざと、俺の策略にはまったと?」
「だからそう言ってるだろ」
「それにしては、さっきまで苦しそうだったがなぁ」
「サービスだよ。それくらいしてやらねぇと、捕らえられた意味がないだろ?」
「へぇ……。なら、お前はいつでもそこから逃げ出せると?」
「もちろん」
お互い視線を外さない。
ここで引けば負けだ。
身体的にも、精神的にも。
「なら、逃げ出してみろよ!!!」
先に動いたのは海斗だった。
両腕を動かし、水を操る。
水が俺の顔に襲いかかってきた。
その時だった。
激しい音を立てて、ベッドの下の床が抜けた。
部屋にできた一階へ繋がる大きな穴。
一瞬、海斗の視線がその穴に注がれる。
俺はその隙を見逃さなかった。
海斗が視線を戻したとき、水の中に俺の姿はなかった。
ーーーーーーーーーー
悠人が消えた。
どこいった?
この一瞬で?
どうやって?
悠人は床の穴ができたと同時に姿を消した。
考えられることは一つ。
「くそっ!!」
海斗は急いでありったけの水を一階へ送り込んだ。
逃げられるわけにはいかなかった。
ズタズタに切り裂かれたプライド。
これを直すには、悠人の心をへし折り土下座させるしかなかった。
でないと、俺はここから一生前に進めない。
一階の様子を見に、穴へ近づく。
水を壁全域に張り巡らせたが、何かが触れた感触はなかった。
ドアが開いた形跡もない。
ということは、悠人はまだ一階で息を潜めている。
まだまだ俺が有利な状況。
じわじわと追い詰めてやる。
絶対に逃がさない。
「動くな」
突然、首筋に何かが触れた。
銀色に輝くそれは、俺の顔を映しだす。
一階に逃げたはずの悠人が、俺の首にナイフを突き立てていた。
ーーーーーーーーーー
「黙って聞け。少しでも動けば喉を切り裂く」
悠人が話す。
海斗に選択肢はなかった。
「今から言う二つのことを守れ。
一つ目、これからは俺の前に一生顔を出すな。
次見かけたときは、問答無用で殺す」
ナイフが肉に食い込んだ。
血がナイフを伝い、床に落ちる。
その言葉がはったりでないことを示すには、十分だった。
「二つ目、水に通した『水神』の力を解除しろ。
でなければ、俺がここから安全に逃げられるようお前の目を潰す」
悠人の指が目元に迫る。
海斗は静かに『水神』の力を解除した。
やはり悠人は甘い。
海斗は心の中で笑みを浮かべた。
『水神』の解除を悠人が確認するすべなどない。
もし、一階に降りて目視することになっても、それで完璧に確認できるかといえばノーだ。気づかれない量。ほんの少しでいい。一階の水に『水神』の力はまだ残しておく。
悠人を殺すなんて、この程度の水量で充分だ。
このまま終わるなんてありえない。
「よし。目をつむれ。
さっき言ったことを忘れるな」
首に当てられたナイフが離れた。
背後から、悠人の気配が消えた。
海斗はすぐさま振り返ると、悠人に向かって両腕を突き出した。
「水神!!!」
何もない手のひらに水が出現する。
水を出現させるとMPを大量に消費するので、この力はあまり使いたくなかった。だが、今はそうも言ってられない。このままおめおめと悠人に逃げられるよりは、何倍もマシだ。
水が悠人に向かって発射される。
悠人はその水を簡単にかわし、海斗との距離を一瞬で詰めた。
この間合いでは、水を生成してる間に悠人に殺される。
だが、それでいい。それが悠人の慢心を誘う。
「水神!!!!!」
海斗は叫んだ。
直後、床に穴が空き、水の弾が上に向かって飛び出した。
死角からの攻撃。
悠人との距離が近いからこそできた攻撃。
お前のおかげだよ、悠人。
お前のおかげで、俺はお前を殺せ……
「ぁああ!!」
水の弾は見事に足を貫通し、天井に穴を開けた。
激痛が走り、思わずその場に倒れこむ海斗。
その姿を、悠人は上から見下ろしていた。
痛い、痛い、痛い!
なにが!? どうなった!?
なぜ俺が、水神の攻撃を食らっている!?
海斗は痛む足をおさえ、何度も何度も思索を巡らせた。
ありえない。
完璧な攻撃だった。
死角からの攻撃だぞ!?
なぜ、悠人は俺の手をひいたんだ??
水の弾があそこに飛んでくるのが分かってたのか???
そんなばかな!? ありえない!!
……まさか、悠人は未来予知のスキルをもっているのか?
ふざけるな!!
そんな力、チートだろ!!
悠人が鞘から剣を抜く姿が見える。
海斗の顔から、血の気が引いた。
「ま、まて。まってくれ!」
這いつくばったまま、悠人から後ずさる海斗。
あまりに哀れな姿に、悠人は心が痛んだ。
だが、ここで見逃せば海斗はまた復讐にくるだろう。
悠人は一歩、前に足を踏み出した。
「じょ、冗談だろ。
そんな本気にするなよ」
海斗が薄ら笑いを浮かべる。
そう言いながらも、海斗は悠人から離れるため全力で体を動かしていた。
「そうだ! 俺は今、勇者としてこの街から讃えられてるんだ!
悠人も俺の仲間だってみんなに言うよ!
そしたらきっと、最高の生活が送れるぜ!
あいつら馬鹿だから、すぐに信じるよ!!」
悠人は剣を振り上げた。
壁にぶつかる海斗。
もう逃げ場はない。
悠人の剣が、海斗の首めがけて振り下ろされた。
「ひぃぃ」
海斗が白目をむいた。
剣は寸前で止まった。
「これで木刀の借りは返した。
もう俺には関わるな」
その言葉は海斗に届いていなかった。
海斗は床に黒い染みを広げながら、泡をふいて気絶していた。
ーーーーーーーーーー
街を歩く。
相変わらず、街の人の視線は痛かった。
だが、これともすぐにおさらばだ。
もうこの街に用はない。
これから俺の異世界生活は、ずっとこんな日々になるだろう。命を狙ってくる勇者から逃げまわる毎日。今回の件で、全ての勇者が自分を勇者だと証明できることがわかった。それはつまり、勇者の一声でこの世界の人も俺の敵になるということ。厳しい世界だ。本当、やってられない。
レオンの床屋に着いた。
ドアに【急用により臨時休業とさせていただきます】と書かれた紙が貼られていた。鍵は開いていた。中に入る。
薄暗い部屋。
足が乗せられる散髪用の椅子が三つ。横に並んでいる。
天井からぶら下がっているのは小さなシャンデリア。
観葉植物がところどころに配置されたこの店内は、レオンの美的センスが光った、オシャレな部屋に仕上がっていた。
奥の部屋から漏れる光。
ためらわず進み、ドアを開ける。
中で、桜とレオンがお茶をしていた。
「悠人さん!!!」
「今戻ったよ」
桜が駆け寄ってくる。
「わぁ!? 全身びしょぬれじゃないですか!
早く着替えて温まらないと」
「いや、いいんだ。
それよりも、二人に話したいことがある」
俺は桜とここで別れる。
今回の件で、俺は自分を取り巻く状況の重さを痛感した。
勇者とは、想像以上に厄介な存在だった。
自分の身を守るだけでも精一杯なのに、そんな旅に桜を連れてはいけない。
桜を危険な目に合わせることなんてできない。
レオンと目が合った。
今回の件をある程度理解しているレオンなら、これから俺が話すことも分かってくれるだろう。
桜を見る。
心臓が大きく鼓動を始める。
頭では分かっていても、桜と離れるのは嫌だった。
危険な目に合わせたくない、でも離れたくない。
握る手に力が入った。
だが、俺に選択肢はなかった。
「桜はこの街に……」
「ちょっと待って!」
俺の話を遮るように声をあげたレオン。
戸惑う俺をよそに、レオンはそのまま言葉を続けた。
「桜、私のお店で働かない?」
レオンの言葉に思わず口が開く。
お店で働く? いったい何を言ってるんだ??
桜も同様に理解が追いつかないのか、驚いた様子でレオンを見ていた。
そんな二人を気にすることなく、レオンは続けた。
「悠人に何があったかは知らないけど、あまりいい状況じゃないんでしょう?
これから悠人についていくってことは、相応の危険がともなうのよね?
なら、桜はこの街に残って、私のお店で働いてみたらどうかしら。
危険も少ないし、冒険だって近場なら私が付き添うわよ」
優しく微笑むレオン。
この人はなんていい人なんだ。
レオンはきっと、俺が桜を突き放すことが分かっていた。だから、俺からその言葉を言わせないように、レオンは桜に選択肢を与えた。これが、桜を一番傷つけない方法だと悟って。
「わ、わたしは……」
俺とレオンを交互に見る桜。
未だ動揺が消えていない。
つまり、あと少しで桜はここに残る決心をつけられる。
この機を逃す手はない。
「桜……」
「ユウト!!」
大きな声が部屋に木霊した。
珍しく声を荒げたレオン。
その不意の行動に、俺は思わず固まった。
口を閉じた俺を見て、レオンが静かに頷く。
そして、レオンは桜に近づくと、目の前で膝をつき、桜の手を握った。
「桜、ここに残るかユウトについていくか、あなたが決めなさい。
どんな結果になっても気にすることないわ。
あとで絶対に後悔のしない方を選びなさい」
「後悔のしない方って……」
「そんなの決まってるわ。
あなたの本心を言えばいいの。
周りへの迷惑なんて考えなくていい。
あなたの気持ちを教えて」
桜が俺を見た。
俺はその視線から目を逸らせなかった。
いや、逸らさなかった。
俺は結局、どこまでいっても自分勝手だった。
「わたし、悠人さんと一緒にいたいです」
桜の目にうっすらと涙が浮かぶ。
「どんな危険が待っていても、悠人さんの側にいたいです」
「よく言ったわ。
偉いわね、桜」
レオンはそう言うと、立ち上がり桜から離れた。
桜が俺に体を向けた。
「悠人さん。わたしまだまだ足手まといですけど、これからも側にいていいですか?」
ここまで言わせて断る奴なんていない。
それに、桜を見て俺の迷いもなくなった。
桜は、俺がどんな手を使ってでも守る。
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
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