第22話 それぞれの狙い

 ミリオムが葉巻に火をつけ、それを口にくわえる。


 油断はしていなかった。

 ミリオムの一挙手一投足を見逃さなかったし、部屋の外への警戒も怠らなかった。

 俺はミリオムを舐めてなんていなかった。

 だが今、俺の体は動かない。正確には、椅子から立ち上がる、ミリオムへの攻撃、この二つの意思を持った行動ができない。少しでも意識すれば、途端に体が動かなくなった。


「君に危害を加えるつもりはない。安心してくれ」


 一仕事を終えたかのように一服するミリオム。

 吐き出された煙は遠くで揺らめいているのに、不快な匂いが鼻をつんざいた。


「君は『カイト君と戦う』という内容の契約書にサインをするだけでいい」


 ミリオムは胸元から一枚の紙を取りだした。

 その紙を机の上に広げる。文字は日本語だった。

 内容はミリオムが言ったとおり、海斗と戦うというものだった。

 戦わなかった場合、契約違反として罰金、または身柄の拘束がされると書かれていた。


「手は動くだろ?

 ペンはこれを使え」


 ミリオムが黒いペンを俺に手渡す。

 金細工が彫られた高そうなペン。

 未だ体は動かない。

 どうやら、俺に選択肢はなさそうだ。


 ふぅーっと煙を吐きだすミリオム。

 窓から煙が逃げていく。


 辺りを見渡す。

 部屋に何か仕掛けがあるようには思えなかった。

 いつもの桜の部屋。

 だが、何か違和感を感じる。

 それはとても些細なこと。

 しかし、いつもならありえないこと。


「ひとつ……気になることがある」


 俺の言葉に、相変わらずそっぽを向いたままミリオムが応える。


「なんだ? 私が話すことはもうないぞ」

「……どうして窓が開いてるんだ?」

「さあ、お前の連れが閉め忘れたんじゃないのか?」

「それはない。彼女は部屋を出るとき、絶対に窓やドアを閉め忘れない」

「……そうか。

 だが、それがどうした? 些細なことだろ」

「俺が動けなくなって、お前はその葉巻を吸った。

 そして、都合よく開いていた窓から、葉巻の煙は出ていった」


 ミリオムは黙ったまま、俺の言葉に耳を傾ける。


「もともとこの体勢で葉巻を吸うことが分かっていたんじゃないのか?

 もしくは、そうなるように俺を誘導した。

 事前に窓を開けたのは、俺の行動を制限するために自分も椅子に座らなくてはいけないから。他にも対価に見合った条件があるんじゃないか? 例えば、俺に攻撃できないとか、……があるとか」


 ミリオムの表情に変化はない。

 変わらず葉巻の寿命を縮めている。


「俺が座るまではいろんなことを話していたのに、俺が座った途端、急に話が簡潔になった。できるだけ早く、俺にサインをさせたいんじゃないのか?」


 俺はペンを机の上に置いた。

 ミリオムをじっと見つめる。

 ミリオムは最後の煙を吐くと、おもむろに髪をかきむしった。


「嫌だねぇ~。最近の若者は優秀な子ばかりで。

 これじゃあ、おじさんの面子が立たないよ」


 がくっと頭を下げるミリオム。


「でも、君はまだ若い。

 だから、おじさんから長生きをするためのアドバイスをあげよう」


 ミリオムが顔を上げた。

 そこに、今までのミリオムはいなかった。

 尋常じゃない圧を放ち、鋭い目で俺を見てくるミリオム。


 思わず背筋が凍った。

 冷や汗が、体中から吹き出すのを感じた。

 直後、首元に当てられた剣。

 握っていたのは、俺が倒した覆面の男だった。


「時には折れて、相手に合わせること。

 これが長生きの秘訣だよ」


 完敗だった。

 少し考えれば分かることだ。

 ミリオムが俺を攻撃できなくても、他の者が攻撃すればいい。

 立ち上がれない俺を殺すなんて、容易いことだ。


 俺は黙って両手を挙げた。

 おとなしく従うしか、道はなかった。


「君のその素直なところ、私は好きだよ。

 でもね、さっきも言ったけど、私は君に危害を加えるつもりはない」


 ミリオムが手を前に出す。

 首元の剣がおろされる。


「それに、子ども相手に本気は出さないさ。

 カイト君に対しても同様にね。

 この問題は、結局君たちのものなんだから」


 ミリオムが立ち上がった。

 俺の体が自由になった。


「それじゃ、後は若い二人で」


 部屋から出るミリオム。

 背後の男が覆面をとった。

 俺の背後には、海斗が立っていた。


ーーーーーーーーーー


 突如、海斗が剣を振り下ろした。

 俺は体を右に向け、回避する。

 椅子が真っ二つに割れた。


「今までの人生で、あんなに屈辱的なことはなかったよ」


 海斗が俺を睨みつける。


「さぞ気持ちよかっただろうな、悠人。

 自分のことを散々バカにしてきた相手を、公衆の面前でぶちのめしたのは」


 海斗は笑っていた。

 これから獲物を蹂躙する狩人のように、黒い目を爛々と光らせて。


「だから俺は、あの神の言葉に天恵を感じたよ。

 ああ、これで今度は、俺が正式に悠人をぶちのめせるってな」


 はははっと笑う海斗。

 そこに、あの優しく聡明な海斗の姿はどこにもなかった。

 狂った瞳は、悠人に今までとは違った一抹の恐怖を与えた。


「準備はいいだろ。

 さっさと始めるぞ」


 海斗の手に大きな革袋が出現する。

 その革袋の口から、水がしたたり落ちた。

 海斗がその水に触れた。


「水神」


 海斗の手に触れた水が、銃弾のように一直線に俺に向かって飛んできた。

 俺は部屋の中を横断して、水の弾をかわした。

 水が当たった壁は、ぽっかりと穴が空いていた。


「おいおい、逃げてばっかでいいのかよ!?」


 縮められない海斗との距離。

 会話は……できそうにないな。

 もう、戦って倒すしかない。

 

 海斗の水は壁だけでなく、床にも被害をおよぼしていた。そのせいで、俺の移動できる範囲が徐々に減っていく。近接の戦闘なら、おそらく俺は海斗に負けない。それは、この部屋に入ったときに海斗も実感したはずだ。いや、それを確認するために、一度俺と戦ったのか。


 ナイフを出現させ海斗に投げる。

 だが、そのナイフは海斗に到達しなかった。

 いつの間にか、海斗の周りを漂っていた水が、そのナイフを受け止めた。

 ナイフと水がその場に落ちる。


「無駄だぜ悠人。

 その程度の攻撃、俺には通用しねぇ」


 次に俺は、近くにあった椅子を放り投げた。

 海斗は涼しい顔でその椅子をかわした。


「物量で押し切ろうなんて考えは甘いなぁ。

 そんなもの、かわせばいいだけだ」


 容赦なく水の弾を発射し続ける海斗。

 ベッドの置かれている床から、軋む音が聞こえた。

 一見、乱雑に水の弾を放っているように見えるこの攻撃。

 だが、俺を窓やドアに近づかせないよう、うまく調節されていた。

 また、床も崩れないよう狙いが同様に調節されており、床に人が通れるような穴が生まれることはなさそうだった。

 ただただ、俺の踏ん張れる範囲が狭くなっていくだけ。

 打つ手がなかった。

 ここは、耐え凌ぐしかない。

 ベッドの上に着地する。

 すぐに壁を伝い、反対側へ。

 ドアに近づく。

 だが、ドアに触れることはできない。

 狭い室内。

 水の弾を回避するだけで精一杯だ。


 海斗を見た。

 左手に持つ革袋。

 初めと比べて大分小さくなっていた。

 そろそろ水が尽きるか。

 尽きたその瞬間しか、チャンスはない。


 剣を出現させ、かわしきれない水の弾を斬る。

 このままいけば、水がなくなるまであと三秒ほど。

 逃げ道は、窓、ドア、ベッドの床の三つ。

 ベッドの床はあと少しすれば下に抜けるだろう。

 だが、革袋から水がきれるタイミングと合わない。

 残るは、窓かドア。

 この位置なら……。


 革袋の水がなくなった。

 瞬間、俺は窓に向かって走った。

 海斗がすぐに新たな革袋を出現させる。

 だが、水の弾は間に合わない。


「てめぇ! 待ちやがれ!!」


 俺は海斗を無視して、窓から外に出た。

 だが、俺が地面を踏みしめることはなかった。


「くっ、あっはっはっは!!!」


 海斗の笑い声が微かに聞こえる。

 空中で俺の体が反転した。


「卑怯なお前ならそうくると思ったぜ」


 部屋の中に連れ戻される。

 手足を動かしても、自由に移動ができない。

 それよりも、このままでは……。


「窓の下に水の塊を待機させてたんだよ。

 床が抜けて下の階に行かれても、窓から外に逃げられても、どちらでも対応できるようになぁ。

 ああ、今のお前には聞こえてねぇか」


 鼻に水が入り痛みが走った。

 思わず口が開き、空気が零れる。

 俺は大きな水の塊に包まれていた。


 目の前で、海斗が笑っていた。

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