第一章 『冒険者編』

スカンビア

第21話 追われる者

 自称神曰く、俺は99人の勇者を殺すために送られた魔王の手先らしい。


 絶望が心を覆った。

 海斗たちに置いて行かれたときも、熊に殺されたときも、ここまで深くは絶望しなかった。まだなんとかなると、全てが終わったわけじゃないと、俺は心のどこかで思っていた。


 だが、今回は違う。

 こんなの無理だ。

 これからずっと勇者に狙われるなんて。

 命がいくつあっても足りない。

 それに、もし俺が本当に魔王の手先だったら?

 俺がもつこの生前の記憶は別の誰かのもので、記憶を消され、そこにこの記憶を植え付けられたのだとしたら? 俺という存在は一体……。


「……悠人さん」


 桜が俺を見た。


『皆、他の勇者を思って発見次第、討伐してほしい。

 もちろん、倒した者には特別なスキルを与えよう』


 突然、胃の中で何か気持ちの悪いものが蠢いた。

 それは喉を通り、口から出ようとせり上がってくる。


「う、うおぇ」


 俺はその場にうずくまった。

 口から液体が零れ落ちた。

 とまらない。気持ち悪さが拭えない。


「悠人さん!!!」


 桜が俺にむかって駆け寄る。

 だが、その足はすぐに止まった。


 俺は無意識のうちに桜を睨んでいた。

 怖かった。ただただ『勇者』が怖かった。

 分かっている。桜は俺を殺そうなんてしていない。

 殺気を微塵も感じないし、そもそも桜はそういうやつじゃない。

 でも、それでも怖かったのだ。


 桜に謝ろうと口を開く。

 だが、出てくるのは謝罪の言葉ではなく、気持ちの悪い液体だけ。

 もうどうしようもなかった。


 この世界にきてから、ずっと俺の側に寄り添う死。

 何度も首に手を掛けられそうになりながらも、俺はこの死から逃れてきた。

 でも、もういいじゃないか。

 無理してこの異世界で生きていく意味なんてない。

 俺は魔王の手先の可能性だってある。

 なら、俺が死ねばみんな幸せだ。

 死ぬなんて簡単……


「大丈夫。大丈夫です」


 いつの間にか、俺の側に来ていた桜が包み込むように俺を抱きしめていた。


「たとえ世界中が敵に回っても、わたしは悠人さんの味方ですから」


 桜の涙がこぼれ落ち、俺の頬を伝った。

 涙を拭う。あたたかい。

 自然と心が安らいでいく。


「悪い、桜。もう少しこの体勢でいさせてくれ」

「はい。悠人さんが満足するまで、いつまでも」


 涙が地面を黒く染めていった。


ーーーーーーーーーー


 どれくらいの時が経っただろう。

 太陽はすでに頭上を越え、一日の仕事の半分を終えていた。


「……桜、その、ありがとう」


 桜に恥ずかしい姿を見せてしまい、感謝の言葉がすこしぎこちなくなる。


「いえ。全然です。

 わたしの胸ならいつでもお貸ししますから、必要になったらまた言ってくださいね」


 笑顔で応える桜。


 言葉が詰まる。桜には感謝してもしきれない。

 桜と出会えて、本当によかった。


ーーーーーーーーーー


 森を抜け街に入る。

 疲れた体を動かしながら、俺たちは桜が泊まっている宿屋へと向かっていた。

 

 できればその宿屋でもう一部屋借りる予定だ。今日はちゃんとしたベッドで寝たかった。もうあのボロボロの布を被って寝るのは嫌だった。こんな絶望的な状況だからこそ、少しでも体を回復させたい。桜がいなければ、俺はとうにこの異世界生活を諦めてる。それくらい心が弱っていた。自分でも実感できるほどだ。だからこそ、他のことでストレスを溜めたくなかった。お金は充分ある。一部屋空きがあってくれ。頼む。


 街中を歩いていると、道行く人たちから視線を感じた。

 それに脳が一つずつ反応を示すせいで、頭が痛くなった。

 『イリーガルセンス』とは、こんなにも使い勝手の悪いスキルだったのか。


「大丈夫ですか? 少し休みますか??」

「大丈夫。とりあえず宿屋まで行こう」

「分かりました。無理はしないでくださいね」


 桜に向かって頷く。 


 相変わらず視線は痛かった。

 街は今、祭りの準備で忙しい。木材を運ぶものから、食材を切るもの。

 道路の脇に立ち並んでいく屋台には、どこか懐かしさを感じた。元の世界の夏祭りを思い出す。このお祭りは、この街の年一回のお祭りだ。平和を願ったお祭りで、屋台だけでなく見世物なんかもあるらしい。


 荷物を運ぶ男の人と目があった。『イリーガルセンス』が反応する。

 この程度で反応されるのは正直困る。

 調整はできないのか。


 ふと違和感を感じた。

 本当にこの程度で『イリーガルセンス』が反応するのか?

 頭をよぎった疑問。

 考えれば考えるほど一つの帰結に辿り着く。

 その帰結はあまりに信じがたいものだったが、それはすぐに正しいと証明された。


「サクラ、ヒロト、おかえりなさい!

 無事でよかったわ!!」

「レオンさん!」


 桜が泊まっている宿屋が見え始めたころ、俺たちを見つけたレオンが駆け寄ってきた。

 桜の表情がパッと明るくなる。


「レオンさん。わたしたちダンジョン攻略できましたよ!」

「ほんと!? それは凄いわね!

 さすが私が見込んだだけあるわ!!」


 レオンが桜を抱きしめた。

 唐突なレオンの行動に戸惑う桜。だがすぐに受け入れると、桜はレオンの体に手を回した。レオンは桜から離れると、俺にも同様に両腕を広げた。


「ユウト。あなたもお疲れ様。

 サクラを守ってくれてありがとう!」


 俺は逆らわずにレオンに体を預けた。

 レオンが耳元で、俺にだけ聞こえる声で言葉を続けた。


「あなた、命を狙われてるわよ。

 今すぐこの街から出なさい」


 離れる。レオンと目があった。

 レオンはにっこりと笑った。


 俺はレオンの優しさに心を打たれた。

 俺は今、レオンの言葉通り街中の人から命を狙われている。

 これは確かなことだろう。

 だから『イリーガルセンス』が何度も反応したのだ。

 原因は分かっている。

 街を歩いている途中に何度も考えた。

 答えは一つしか出なかった。

 この状況を作ったのは……。


 ここで俺が逃げれば、レオンは街中の人から非難されるだろう。

 俺を逃した人物として、皆の攻撃の的になってしまう。

 それでも、レオンは俺に忠告してくれた。

 自分のことを省みずに。

 さすが、桜が心を許した人だ。


 そして優しさは、人に勇気を与えてくれる。


「ありがとう、レオン。

 でも大丈夫。代わりに、少しだけ桜とお茶でもしてきてくれないか?

 俺も友達に報告がしたくって」


 レオンの顔から笑顔が消えた。


「……ユウト。それ本気で言ってるの?」

「えっ!? 悠人さん、どこか行くんですか?」

「ああ。急用を思い出した。

 少し友達と会ってくる。

 だから、桜はレオンとお茶でもしてきてくれ」


 目を閉じるレオン。

 桜は残念そうに「そうですか」と頷いた。

 レオンが俺を見た。


「わかったわ。でも約束して。

 次は必ず三人でお茶しましょう」

「そうですね!」

「うん。約束だ!」


 俺はレオンを見た。

 レオンが小さく頷いた。

 俺はレオン、桜と別れ、一人宿屋へ向かった。


「ねぇ、桜。一つ聞いてもいいかしら?」

「なんですか、レオンさん」

「ユウトってどれくらい強いの?」

「それはとっても強いですよ。

 オーガなんて、一瞬で倒してしまいますから!」

「……でしょうね」


 レオンは額から汗がこぼれ落ちるのを感じた。

 今朝、顔を合わせたときとは違う。

 一目見たときから才能を感じていたが、それがたった半日で……。


「さぁ、桜。ダンジョン攻略のお祝いをしましょ!

 今日は私のおごりよ」

「待ってください。ダンジョン攻略の成果は、レオンさんとご飯を食べることに使うって決めてたんです。だから、今日はわたしにおごらせてください!」

「もうっ! 本当にいい子ね。

 じゃあ、甘えちゃおうかしら」


 こんないい子を泣かしたら、ただじゃおかないわよ。

 だから絶対に帰ってらっしゃい。


 レオンは悠人の背中を目で追いかけた。


ーーーーーーーーーー


 宿屋に入る。

 受付で鍵をもらう。

 階段を上り、二百六号室のドアノブに手を掛ける。

 誰かが無断で入ったような跡はない。ということは、宿屋も協力してるのか。

 ゆっくりとドアを押した。

 左から飛んでくる剣。

 膝を曲げかわす。

 カウンターに顎を打ち上げる。

 まずは一人。

 続く二人目は正面から。

 覆面を被っていて、顔が見えない。

 相手の攻撃をいなし、腹に一発。

 これで二人。

 部屋の中に感じる気配はあと一人だけ。

 慎重に中に入る。

 テーブルの上は今朝、桜が拭いて綺麗にしてくれたままだった。

 椅子に堂々と腰掛けた男が一人。

 真っ白なスーツを着た男。顔の皺が四十代前半くらいを思わせるが、ピシッと決めた金髪と澄んだ碧眼が、男を若く見せていた。


「お見事。噂通りの強さだ」


 男が椅子から立ち上がった。

 俺は静かに構えをとった。


「私はこの街のギルドマスターをしている、リベア・ミリオムだ。

 よろしく、ユウト君」


 ミリオムが小さく微笑んだ。

 俺はそれに、鋭い視線を返した。


「カイト君が言っていたよ。

 君、魔王の手先なんだって? それは本当かい?」


 嫌な思い出がよみがえる。

 分かっていた。

 この状況を作り出したのが、海斗だということは。

 海斗が俺を魔王の手先だと吹聴して回ったのだろう。

 この街で、俺に明確な恨みがあるのは海斗だけ。

 だが、問題はこの短時間でどうやってこのことを皆に信じさせたかだ。

 それ次第で、戦いは避けられなくなる。


「違う、と言ったら信じてくれるのか?」

「どうだろうね。

 ただ一つ言えることは、私がそれを信じる信じない以前に、君は今、非常にまずい状況にいるってことだけだ」


 ミリオムが部屋の中を歩く。


「カイト君は非常に優秀でね。

 彼はこの一週間で多くの成果を挙げてきた。人付き合いも上手で、多くの者が彼に尊敬の眼差しを向けたよ。強く優しい、彼みたいになりたいってね。

 そんな中、彼は突然、自分が勇者だと公言した。

 自分は魔王を倒すために異世界から送られてきた勇者である、と」


 ミリオムは立ち止まり、大きなため息をついた。


「そのせいで今、想像以上に多くの人がカイト君を羨望している。

 困ったものだよ。これではまるで宗教だ」

「自分が勇者だなんて言葉、みんな信じるのか?」

「ああ、それはだね。勇者はアイテムを異次元の空間にしまうことができたという有名な噂があったんだよ。信じられないが、カイト君はそれをやって見せた」


 「これでは皆、信じざるを得ない」ミリオムはそう言うと、また一つ大きなため息をついた。


「そうか。 ……それで、そのことと俺に何か関係があるのか」

「大ありさ。カイト君が君を魔王の手先だといえばどうなる?

 結果は一目瞭然だろう?」

「いや、それはいくらなんでも信憑性に欠ける。

 根拠がないそんな話、いったい誰が信じるんだ?」

「君、いちどカイトくんを街の中で倒してるだろ。

 カイトくんの実力は街の誰もが認めている。そんな彼を倒したんだ……」


 やられた。そういえばあの時、俺たち以外にも多くのギャラリーがいた。

 そのギャラリーたちの見たことが噂として広がり、最後に海斗の一言で、俺が魔王の手先であるという突拍子もない話が浸透したのか。ならば、この事態は海斗の虚言で収まらない。戦いは避けられない。


「つまり、そういうことだ。みんなは君を本当に魔王の手先だと信じてしまった。

 倒した相手が悪かった。さっきも言ったが、君は今や名実ともに勇者として認められるカイト君を倒したんだ。人が盲目的になる理由としては、十分すぎるものだよ」

「だが……たとえそうだとしても、それは海斗の信頼あってのもの。

 海斗が名をはせたのはここ一週間だろう? そんなこと可能なのか?」

「だから困ってると言ってるんだ。

 それほど、彼は優秀で求心力がある」


 ミリオムが椅子に座った。

 俺にも座るよう、手で促してくる。

 殺気は感じられない。

 この人は戦いよりも対話を望んでいる。

 穏便にすむなら、その方がいい。

 俺は向かいの椅子に腰掛けた。

 ミリオムは満足そうに微笑んだ。


「そこで、私はカイト君とある取引をした」


 ミリオムが胸元に手を入れる。

 取り出したのは、茶色い棒状のもの。

 葉巻だ。現物は初めて見た。


「取引の内容は、私がカイト君に君を差しだし、カイト君はこの街から出ていく、というものだ」


 言葉の意味を理解したときにはすでに遅かった。

 俺の体は、一歩も動かなくなっていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る