第17話 次は勇者になれますように

 死


 男が喋り終わったときに浮かんだ文字。

 圧倒的な強者と出会った時に感じる悪寒。

 全身を包み込む、自分という存在の無力感。


 俺は急いで桜の腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。

 桜の背中と足に手を当てる。

 そのまま桜を持ち上げ、俺は男を一切見ることなくフロアの入り口に向かって地面を蹴った。

 周りの景色が一瞬で放射線状になる。

 入り口に着くまで、二秒とかからなかった。

 

「おぉー! 速いな、お前」


 感心した声を上げた男だったが、その視線はしっかりと俺を捉えていた。

 どうやら、今の俺の動きは見えていたようだ。

 全力の動きを見せたのは失敗だったか。

 いや、今は桜の安全が最優先だ。


 通路の前に桜をおろす。

 

「桜、今すぐここから逃げるんだ」

「どういうことですか?

 悠斗くんも一緒に逃げるんですよね??」

 

 桜は俺がここに残って戦こうとしていることを察したのだろう。

 俺は男から視線を外さなかったが、それでも今、桜が不安に満ちた顔をしていることは、手に取るように分かった。


「いや、俺はここに残る。おそらくあいつの狙いは俺だ。

 桜は俺が戦ってる間に逃げるんだ!」

「嫌、嫌です! 私も悠斗くんと一緒に戦います!!

 さっきの戦いでレベルが上がってMPも回復しました!

 新しいスキルも手に入れました!!

 きっと悠人さんの役に立てます!!!」


 桜が俺の手を必死に掴んだ。

 その手は、震えていた。


 桜ならそう言ってくれると思っていた。

 だが、あらためて言葉にしてくれると嬉しい。

 やはり、桜だけはなんとしてでも無事にかえす。


 口の中に溢れるつば。唇が震える。

 きっと桜は傷つくだろう。

 だが、言うしかない。


「桜。お前が今、ここにいると邪魔なんだ。

 ……足手まといなんだよ。だから、早く行ってくれ」


 嘘だ。桜を足手まといなんて思ったことは一度もない。

 できるなら、俺も桜と一緒に今すぐここから逃げ出したい。

 でも、それはできない。

 そんなことをすれば、目の前の男が桜を殺すかもしれない。

 だから、俺はどんな手をつかってでも目の前の男を止める。

 一分、一秒でも長く。


 桜の手の震えが、おさまった。


「……わ、わかりました」


 それはとても、とても小さな返事だった。

 俺の手に、桜の涙がこぼれ落ちた。


 ごめんな。


 俺の背後から桜の気配が消える。

 足音が木霊する。その音は、次第に遠ざかっていった。


「はぁ、やっと終わったか」


 男は待ちくたびれたように大きなあくびをした。


 正直、待ってくれて助かった。

 攻撃されていたら、きっと対応できなかっただろう。

 俺は弱い。今でも、桜を追いかけて一緒に逃げる未来を考えてしまっている。 

 でも、だからこそ、逃げるわけにはいかない。


「悪い、待たせた」

「お! やる気になったみたいだなぁ。

 いざとなったら、あの女を捕まえて脅迫でもしようかと思ったが、その必要がなくなってよかったぜ。俺は女をいたぶる趣味をもってないんでねぇ」


 くそやろうが。


 決めた。こいつはここで倒す。

 桜に指一本触れさせない。


「さあ、いつでもいいぞ。

 どこからでもかかってこい」


 油断している今がチャンスだ。

 俺の『すばやさ』は見られたが、『ちから』はまだ見られていない。

 攻撃が当たった瞬間、連撃を決めて倒しきる。


 ぐっと足に力を込めた。

 景色が変わる。

 振り下ろす剣。

 男が膝を曲げる。簡単にかわされた。

 距離をとってもう一度。

 背後からの攻撃。

 まるで見えているかのようにかわされる。

 まだだ!

 剣を振る、振る、振る。

 当たらない。


「ははっ! そんなもんかぁ!?」


 男が腕を振り上げた。

 一瞬にして縮まる距離。

 首を曲げる。間一髪。

 男の拳が顔の横を通りすぎた。

 すかさず左足の蹴りが飛んでくる。

 かわせない。

 距離が近すぎて剣も振れない。

 俺は剣を手放した。

 そして、飛んでくる左足めがけて、拳をくりだした。

 拳と足が衝突する。

 競り負けたら、死だ。


「うらぁ!!」


 俺の拳が男の足をはじいた。


「おいおい、まじかよ」


 俺は男が見せた一瞬の隙を見逃さなかった。

 すぐに右手を男の腹めがけてくりだす。

 拳がはいった。

 男の口からつばが零れた。

 全力を込め腕を振り切る。

 吹っ飛んでいく男。

 壁が壊れた。男はその場に倒れこんだ。


 途切れる呼吸。

 落とした剣を拾い、アイテム欄にしまう。

 男は動かなかった。

 だが、このまま終わるとは到底思えなかった。


 汗が止まらない。

 今度こそ、本当に『ど根性』が使えない今。

 1ダメージでもくらえば、俺は死ぬ。

 死がずっと隣で囁いている。

 楽になれ、と。

 だが、本能がそれを許さない。

 脳がうるさいくらいにわめいている。

 感覚が研ぎ澄まされていく。


 男はまだ動かない。

 油断はしない。

 少しずつ男との距離を縮める。

 五メートル。

 ナイフを取り出す。

 構える。

 三メートル。

 ナイフを投げた。

 ナイフの切っ先が、男の頭に当たる。

 瞬間。

 男が消えた。


 振り返る。

 男の右足が、俺の頭を狙っていた。

 膝を曲げ、ぎりぎりでかわす。

 男はそのまま体を回転させ、左足を振り上げた。

 体重が後ろに集まる。

 俺はそのまま体を一回転させて、後方に回避した。

 バク転をしたのは、初めてだった。


 男がつばを吐く。

 なぜか、嬉しそうに笑っていた。


 こちらは笑う余裕なんて、微塵もないというのに。


「いいねぇ。お前、最高だよ。

 こっからもう一段、ギアをあげるぞ!」


 また男が消えた。

 突如、目の前に拳を振り上げた男が現れた。 

 攻撃をかわす。また男が消える。

 必死に気配を感じとる。

 背後からの拳をかわす。

 服がかすった。また男が消えた。


 一発でも食らえば死。

 心臓が張り裂けそうなほど鼓動する。


 次は右斜め前。右足の蹴り。

 右手を振りかぶる。

 攻撃で相殺だ。

 衝突する瞬間、男が消えた。

 視界の片隅に、俺の足を狙う男の足が見えた。

 殴る勢いをつかって、空中で体を回転させる。

 男の足が空をきる。

 また男が消えた。


『S 第六感イリーガルセンス


 突如、目の前に現れた表示。

 思わぬものに虚をつかれ、一瞬集中が途切れた。


 ……はずだった。


 脳に電気が走った。

 俺は頭を下げた。

 男のパンチがからぶった。

 男が消えた。


 なぜか追撃をせず、離れたところに立つ男。


「お前、最後の攻撃がどこに来るかわかったのか?」


 今までと違い、男は真剣な表情で俺を見ていた。

 ただでさえ怖い顔から、強い圧が放たれる。

 臆しそうな心を奮い立たせ、俺は顔を横に振った。


「ベルゼアイ? 未来予知?

 いや、イリーガルセンスの可能性もある」


 ぶつぶつと何かを思案する男。


 これは、チャンスじゃないのか?


 男はあきらかに隙だらけだった。

 今、攻撃すれば俺が一手有利な状態で進められる。

 敵の瞬間移動にもなれてきた。

 よく分からないが『イリーガルセンス』というスキルも手に入れた。

 いける! 今の俺なら、あいつを倒せる!!


「ああもう、めんどくせぇ!」


 突然、男が右手を前につきだした。

 今までにない行動に、一瞬足が止まる。

 だが、動けないほどではない。

 飛び道具がきても問題ない。

 瞬間移動されても回避できる。

 大丈夫。怯むな、俺。


「やっぱり、いっぺん死んどけ」


 男はそう言った。

 手のひらが、こちらを向いた。



 突如、光が視界を埋め尽くた。

 脳が全方位に信号を発した。

 だが、体は動かない。

 今日何度目かの死の感覚。

 しかし、今回はどうしようもなさそうだった。


 桜の姿が浮かんだ。

 これが走馬灯ってやつか。

 走馬灯が桜でよかった。

 桜、ちゃんと逃げられたかな?


 ああ、次は勇者になれますように……


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