第7話

 喫茶店を出た二人は帝都の街を歩く。先ほどと違うのは勇作と孝子が腕を組んで歩いていないことだ。もちろん勇作は腕組みをしようと試みた。しかし、孝子は恥ずかしさのあまり、一介の女中だからとそれを断ったのだ。孝子は勇作の三歩後ろをついてゆく。勇作の後ろ姿が揺れている。うら若き乙女の心臓はこれ以上の衝撃に耐えられそうもなかったのだ。先を往く勇作が歩く速度を落とし、孝子と並んだ。

「ところで孝子ちゃん、他に何かしたいことはある」

「ぼ……勇作……さま、特にございませんわ」

「そうなのかい。じゃあ、僕の買い物に付き合ってよ」

 勇作は足をぴたりととめる。孝子は立ち止った勇作を見ると、そこには大層大きな呉服屋ののぼりが出ていた。

「呉服ですか」

「うん」

「新しい着物でも仕立てるのですか」

「贈り物さ、さあ、入ろう」

 勇作は何のためらいもなく、大きな呉服屋へと入っていく。孝子もつられてはいると錦糸を惜しげもなく使った西陣織の豪奢な着物もあれば、縮緬や羽二重などの生地も置いてある。孝子は生地の良さ、おそらく天井知らずの値段に心底委縮した。勇作が店主と思わしき男性と喋っている中、孝子はそっと勇作に寄り添った。

「おや、青木さま。その方ですかな」

「ああ。このひとだよ。孝子というんだ。孝子ちゃん、好みの生地とかってあるかい」

「贈り物ってもしかして」

「うん、そう君にだよ」

「私、着物とかわからないし、器量もよくないですので……」

 男と勇作は顔を見合わせた。孝子は涙ぐみ、うつむいている。孝子の身体を温かいものが包む。それは、勇作の腕であった。孝子がはっとして上を向くと、勇作は笑みをこぼした。

「孝子ちゃんはかわいいよ。店主、この子に合う生地を用意してくれないかな」

「勇作さま、私、何もいらないです。こんなこと知られたら父に怒られてしまいます」

「なあに。じいやには怒られないさ。僕がうまく説明しておくからね」

「あの、私それなら髪飾りが欲しいです。竹久夢二の美人画に出てくるような髪飾りが」

「ほう。着物はいやかい」

「いやではないのですが、作業をすることが多いので、宝の持ち腐れになってしまいますわ」

「なら、着物は今度の僕とのお出かけ用に仕立ててもらうことにして、髪飾りも買ってあげるよ」

 孝子は父から伯爵家の厳しい財政状況を聞いていた。最近露骨に怪しい商人が出入していたりするのを孝子も目撃している。

「髪飾りだけでいいです。私は一介の女中ですから」

「僕に任せておきたまえ。家のことを君は気にしていると思うけど、大丈夫」

 勇作は夜空のような真っ黒い瞳をまたたかせる。孝子は勇作にまるで心が読まれているようだ、と一瞬思った。店主は生地と三つの髪飾りを持ってきた。

「これからの時期に使うのでしたらこの絽が良いのではないかと。それから、髪飾りですが、三点用意しました。流行のツバキの髪飾りと鼈甲でできたもの、セルロイド製のものです。どれもよいものですがいかがしますか」

「孝子ちゃん、好きなものを選びなさい」

「選びきれないです。どれが一番似合いますか、勇作さま」

 迷った孝子は勇作に話を振る。勇作は真剣な表情をして悩んでいる。しばらくの間勇作は黙ったままであったが、ツバキの髪飾りをとると、孝子の頭に当てた。

「うん。孝子ちゃんはこういう大振りなものが似合う気がする。これにしよう」

「ありがとうございます、勇作さま」

「毎度ありがとうございます。さて、仕立てですな。奥に来てください」

 孝子は草履を脱ぎ、座敷へと上がる。座敷には大きな衝立があり、目隠しとなっていた。勇作は座敷に上がった孝子にちょっと手を振ると、展示してある着物を見始めた。

 採寸のため、孝子は着物の上から身丈を測られていた。

「青木さまの奥様ですか」

「いえ、私はただの女中なのですが、坊ちゃまの気まぐれで着物を買っていただけることに……」

「気まぐれではありませんよ。あとで青木さまの瞳を見てごらんなさい。あれは真剣な瞳でしたよ」

 孝子はちょっと考えた。少し前に出会ったばかりの若者についてだ。彼が何を考えているのか、孝子にはわからなかった。そんなことを考えている間に、ぽんと身体をおされた。

「はい、採寸終わりました」

「ありがとうございます」

 孝子はくるりとお辞儀をした。

「次は晴れ着を仕立てたいわ。華奢でこんなに着物の似合いそうな方とお会いしたのは初めてよ。ぜひ次は奥様としていらしてくださいね」

 勇作は座敷から降りてきた孝子に駆け寄る。

「終わったかい」

「ええ」

「そろそろ、じいやとの約束の時間だ。さて、下宿まで戻ろうか」

 孝子は勇作に買ってもらった髪飾りが入った包み紙にそっと目線を落とす。それは勇作との今日の思い出がつまっているように、孝子には思えた。

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