第3話
青木家の夕食は女中たちが喋るため、やかましいと言っても過言ではない。この日は特段賑やかであった。なぜなら、大学進学のため、家を出ていた青木家の跡取り息子である勇作が帰ってきていたからであった。勇作の帝都の街並みや賑やかさを語ること火のごとくであった。その話を女中連中はうっとりと聞いていた。当主である勇作の父も、家令である孝子の父もどこか楽し気にその様子を見守っている。
孝子はそれを横目に黙々と自らの食事を済ませる。孝子はこの明るく社交的な若者が少し気になっていた。ちらりと勇作を盗み見る。自らの容姿にコンプレックスを持つ孝子にとって小憎らしいほど勇作は美男子であった。勇作が孝子の方に不意に視線をやる。お互いの視線が一瞬だけ絡み合った。勇作は微笑みながらその視線をどこか惜しむようにはずした。勇作の行為に孝子は心臓が早鐘のように高鳴るのを感じた。孝子を現実に引き戻したのは彼女の父であった
「おい、孝子、明日は坊ちゃまをお見送りするから早く起きるんだぞ」
孝子はほんの少しだけ、悲しくなった。この若者とは今日でお別れなのだ。一瞬の邂逅であったが、心に鮮やかな傷を残していったと孝子は思った。
「あ、じいや。そのことなんだけど。僕しばらくこっちにいるから。よろしく」
「大学はどうなさるおつもりですか」
「うーん。実は先生がお忙しいみたいでね。講義がしばらくないんだよ」
孝子の父の家令としての目が光る。
「大学宛てに手紙をお送りしてもよろしいでしょうか」
「かまわないよ。嘘はついてないもの」
孝子は少しだけうれしくなった。しかし、なぜうれしいのか、彼女にはわからなかった。
「明日はそうだな。じいや、孝子ちゃんを借りてもいいかな」
「孝子をですか。なぜ」
「帝都に遊びに行こうと思って」
勇作が笑顔で言う。突然の指名に孝子は持っていた箸を落とした。女中たちはきゃいきゃいと騒いでいる。孝子の父は渋い顔をした。
「それでしたら、このじいがお付きとしてついていきます」
「うん。じいやじゃ駄目なんだ。孝子ちゃんじゃないと」
勇作と孝子の父は張り詰めた雰囲気の中、笑顔で見つめあう。その中で孝子はそっと口を開いた。
「あの、勇作様。帝都にはどのようなご用件でいかれるのでしょうか」
「うん。帝都に遊びに行くのに理由は必要かい。僕は君と一緒に行きたいの」
孝子と家令は顔を見合わせる。無言を貫いていた青木伯爵がひげをなでている。女中たちは息を潜めて成り行きを見守っていた。論戦の終止符をうったのは意外にも青木伯爵であった。
「いいではないか。孝子さんもよく働いてくれてるし、明日は帝都で羽を伸ばしておいでなさい。いいね、しっかりと遊んでくるのだよ、孝子さん。原もそれでいいね」
「しかし、殿」
「つべこべ言わないで。お前の欠点は娘のことになるとうるさくなるところだな。いいかい、孝子さん休むときは休みなさい。勇作、明日は孝子さんをあまり振り回さないようにな」
「仰せのままに」
勇作は華やかな笑顔を見せた。対照的に孝子は少し不安気な暗い顔をしていた。
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