第808話 死を忌避するなら

 セトラスはどちら側なのだろうか。

 シァシァはゆっくりと階段を下りてくるセトラスとパトレアを見ながら考える。

 状況がわからないためセトラスはひとまず組織の頭であるオルバート側に付いているようだが、計画の全容と不測の事態を知ったならどう動くのかシァシァには予想が出来なかった。


(いや……伊織の作った魔力の鎖が世界の穴に物理的干渉を出来ると知らなかったのはタイミング的にワタシだけか。ならセトラス達も伊織が関わっていると把握していた可能性がある)


 その上で是としていたのなら、オルバートのように思い留まらない確率が高い。

 だがセトラスは己のやりたい事のためにナレッジメカニクスに所属している、とシァシァは考えていた。ならそんな場所ごと世界が消え去るのはご法度なのではないか。

 シァシァは鉄っぽい息を吐きながらセトラスに問う。


「しんどいから端的に言う。ワタシは伊織自身に手を下させる人工ワールドホール計画に反対だ、あの穴も装置を止めて消し去りたい。オルバートはその逆。ワールドホールの規模は想定外で、恐らく放置すれば世界からヒトが滅亡するどころか世界が壊れる」

「……!」

「セトラスはどっちに付く?」


 問われたセトラスは傷のある肩を押さえたまま目を丸くし、しかしすぐに冷静さを取り戻すとシァシァに問い返した。

「世界が壊れるという確証は?」

「ワタシの勘に近いから立証は難しい。出来るとすれば取り返しのつかないことになった頃だろうさ」

「……」

「ただ世界各地の魔獣の出没頻度と穴の移動速度を鑑みるに、ああして一ヵ所に留めていていい結果が出るはず――」

 視界の端、窓の向こうで穴から突然ボトボトと何かが落ちていくのが見えた。

 黙っていたセトラスが口を開く。


「魔獣でしょうね。さっきも数体落ちていきました。新規の穴が故に初めは緩やかでしたが、頻度が増しているみたいです」


 生まれ落ちたうちの一体、黒と濃いグレーの二色しか見当たらない巨大な虎が施設側へ走ってくるのが見えた。

 道中にはすでにリータやヘルベールたちの姿はなく、どうやらシェミリザを追っていった後のようだった。ただし今こそ施設に向かうチャンスだと二手に分かれたらしい。――オルバートとかち合っても殺し殺され合いで時間を稼げ、強敵とやり合っても足止めに効果的という利点。施設に向かっているのはそれを兼ね備えたバルドだ。

 もちろんソロではなく闇色狼を倒し終えたサルサムもサポートとして並んで走っている。

「厄介者が2グループ……しかも魔獣は手前の二人より先にロックオンしたこちらを第一目標にしてますね、機転の利かない魔獣だ」

「答えを出すなら早めの方がいいんじゃないか」

 シァシァの言葉にセトラスは口角を下げる。


「真面目な口調のあなたって気味悪いですね。……私は伊織が成長するなら手を汚すことも必要だと思っています。綺麗に育てて何になるんですか、こんな組織で」

「世界に関しては?」

「壊れられちゃ困りますけど、壊れる確証もない。保留ですかね。なので」


 今はオルバートを援助します、とセトラスは床に落ちた銃を拾い上げた。

 そのままパトレアの方を見ずに指示する。

「あの魔獣を迎撃してきてください」

「でもセトラス博士の治療が……」

「延命装置のおかげで血は止まりました。それにあんなのに襲われたら治療どころじゃないでしょう」

 パトレア自身も消耗していたが、貫通した傷はあれどハイトホースなら即死はしない。このまま長時間放置すれば恐らく死ぬが、その前に魔獣に襲われ、しかもそのタイミングで聖女の仲間に押し入られるよりは迎撃の方がマシだ。

 パトレアもそれをわかっているのか馬耳をぺたりと寝かせた後、了解でありますと敬礼をし窓から飛び出していった。

 セトラスは銃口をシァシァに向ける。


「さて、片腕が駄目でもこれくらいなら扱えますよ。……装置メンテナンスの都合上、あなたに死なれると困るんです。投降してください」

「それは死を忌避する人間の言葉だ、セトラス」

「……」


 シァシァは口の中に溜まった鮮血を吐き捨てると再び水の刃を作り出した。


「忌避するなら、そっちに付くべきじゃない」


     ***


 バルドたちはあの穴がどういった経緯で現れたのか把握はしていなかったが、ナレッジメカニクスが関わっているであろうことはすぐに予想がついた。


 あの穴を見てなりふり構わず走っていったシェミリザの姿も気にかかる。そこから「何かとんでもないものに違いない」とそんな予想だけはできた。

 シェミリザの様子は鬼気迫るものがあり、後のことを考えて力を温存することも、怪我を回避することもせず、すべての攻撃を受けながら走り出したのだ。命を削ってでもなすべきことがあるとでも言うようだった。


 しかしナレッジメカニクスの仕業なら施設を、そして首魁のオルバートをそのままにしておくわけにもいかない。

 むしろシェミリザという強敵が離れ、屋上のセトラスも負傷したこのタイミングにこそ誰かが向かうべきだ。そんな判断によりバルドとサルサムだけが組み慣れたバディということもあり施設へと向かっていた。

 時折後ろを警戒していたサルサムの鋭い声が飛ぶ。

「魔獣だ! ……が、俺たちを見ているわけじゃなさそうだな」

「でもデカいぞ! ついでに踏み潰されたら厄介――ぅおっ」

 向かい側からも何者かが高速で走ってくる。

 ナイフを構えたバルドだったが、ジェット噴射音をさせながら走ってきた女性――パトレアはぺこりと会釈してバルドとサルサムの脇を通り抜けた。


「申し訳ない、今はあちら優先なので! 今度競争しましょう!」

「いやスルーされるのは願ったり叶ったりなんだが……」


 あっという間にそのツッコミが伝わる距離から飛び出したパトレアは地面を蹴り上げると直角にジャンプし、黒い虎の下顎に強烈な膝蹴りを打ち込む。

 発達した下顎はほんの一瞬でへしゃげ、口を開けなくなった虎はのたうちまわった。

 しかし闘志が消えたわけではない。

 口が開かないと判断すると鋭い爪を武器にパトレアを追い回し始めた。その様子を背後にバルドたちは走り続ける。


 そして、入口の扉へと手をかけた。

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