第807話 僕は死んであげられないけれど

 伊織の魔力により人工的な世界の穴は開かれた。

 その様子が窓からでも見えるのは穴が大きいからこそである。


「なん……だ、あの大きさ……?」


 オルバートを押さえつけ、装置の停止方法を聞き出そうとしていたシァシァは思わず半開きにした口からそんな疑問を零していた。

 聞いていたよりも大分大きい。二倍では済まないだろう。

 ワールドホールは小さなものでも魔獣一体くらいなら通り抜けてくる。それは伊織と共に行なった実験でオルバートが観測したことだった。伊織絡みとは知らなかったがシァシァにも情報として共有されている。


 向こう側を知るためなら大きい方が都合が良いものだ。ならばこれはオルバートが想定したサイズなのかもしれない。

 しかしあれは大きすぎる、というのがシァシァの所見だった。

 あそこを通ってくる魔獣の数は想像できないほど多いはず。今はまだ沈黙しているが、一所に留まった穴がどのような魔獣の生み方をするのかは未知数すぎる。オリジナルのワールドホールは高速移動しながら全世界であれだけの魔獣を生み出しているのだ。それを一ヵ所に固定したような生み方をするとすれば――囮にして逃げるどころではない。

「っオルバ! 君は自分は死なないからってこんな無茶を……」

 そう問おうと視線を下げると、同じく窓の外を見ていたオルバートは片側しか見えない目をこれでもかと見開いていた。

「半径二メートル、そう設定したはず。けれどあれは……」

「距離感がわかりにくいケド、半径十メートル以上はあるでしょ。君が指定したんじゃないのか」

 シァシァはオルバートに馬乗りになったまま睨みつける。


「シェミリザが何か仕込んだんでしょ」

「……」

「いくら利用し合う組織とはいえ、想定した結果から逸脱するような変更を無断で加えるのは君のポリシーにも反するんじゃないか」


 答えないオルバートにシァシァは僅かに苛立った声で言った。

「想定通りじゃないなら装置を止めるんだ、オルバート」

「……シァシァ、君がさっき使おうとしていた魔法についてなんだけれど」

 オルバートは驚きの表情を引っ込めるといつも通りの冷めた顔でシァシァを見上げる。

「長く一緒に居るけど初めて見たよ。あのタイミングで使おうとしたってことは自白を強制する幻覚か……催眠、洗脳の類かい?」

「言いたくないから伏せてただけだ」

「それをもう一度使おうとせず、再び言葉で僕を説得しようとしているのは、想定外の事態ならまだ説得の余地ありだと……そう思ってくれたからだろうね」

 けれどごめんよ、とオルバートはシァシァの顔を見上げて言った。


「僕はそれでもあれを消したいとは思わない」

「ッどうして君って奴は……!」


 そう声を発したシァシァは言葉の途中で息を詰まらせる。

 銃は槍で床に縫い留めた際にオルバートの手から離れたが、彼が袖に潜ませていたメスが代わりに握られていた。シァシァの左肘の負傷はまだそのままであるため、どうしてもそちら側だけ制圧が甘くなる。

 メスは脇腹に深々と刺さっていた。

 シァシァは眉根を寄せ、温存してあった回復魔法を使いながらオルバートから離れると歯を食いしばりメスを引き抜く。


「君は僕を止め続け、僕は君に抗い続ける平行線だ。そうは思わないか、シァシァ」

「……っ何であれ、いつかは終わりが訪れるのは確実だ」

「じゃあまだ殺し合うかい? 僕は死んであげられないけれど」


 槍の返しなど気にせず引き抜こうとするオルバートを見てシァシァは浅い息を繰り返した。

 負傷が多い。回復魔法は使えるが専門ではないためベルクエルフのような効果の高さも燃費の良さもないのだ。己の血筋由来の催眠魔法を使うなら今しかないが。

(この状態で『代償』を差し出したらそれこそ死にそうだ)

 成功しオルバートに装置を停止させられた後なら――それはそれでいいか、と思える土壌はあった。

 しかし上手くいくかどうかも代償の規模も予想しかできない。

 もし、もし死後シァシァの想定通りにならなければ伊織はどうなってしまうのだろう。


(赤の他人だっていうのに、ああ、もう……)


 少しでもいい未来にしてやれるなら、我が身でも差し出してやろうかというこの気持ちは紛れもなく親心なのだ。それもとびきり自分勝手な。

 シァシァは自分の血だまりをばちゃりと踏みしめて前進する。

 もう説得はせず自分の手でやろう。

 そう瞼を開いた時、頭上に気配があった。


「……これは一体何事ですか」

「うわー! スプラッタでありますよ!?」


 ――ヨルシャミたちを見逃し、ワールドホールについて訊ねに来たセトラスと、彼を治療する目的で同行したパトレアである。

 怪我の酷さなら二人も負けていないが、シァシァにそんなことを口にする余裕はない。

 セトラスは痛みに顔を歪めながらパトレアに臨戦態勢を取るよう指示するとシァシァを見下ろした。


「さすがにいつもの悪ふざけじゃないでしょう。どういうつもりですか、シァシァ」

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