第806話 他者を救いたいなら

 シェミリザは一体どこへ行ったのか。

 慌てて周囲を探ろうとした伊織の肩を掴んだのはヨルシャミだった。


「あの状態では逃げても長くは持たん。転移魔法を使ったのなら猶更だ。それよりもあの穴をどうにかするぞ」

「……でも嫌な予感がするんだ。シェミリザ姉さんをあのままにしたら何をする、か……」


 伊織は己の口を指が白くなるほど強く押さえる。

 やはり致命傷を与えてなお、頭はシェミリザを姉として見ていた。ヨルシャミたちがそれを知れば不快だろう。今なお迷いがあると判断されるかもしれない。

 伊織は慌てて口を開くと「僕はナレッジメカニクスを倒せるよ!」と宣言する。

「足手纏いにはならない。止めるべき存在だってわかってる。僕は……罪を償いたいんだ。だからまずはナレッジメカニクスを止める」

「罪だと?」

 片眉を上げたヨルシャミは少し強い口調で言った。


「私から見ればお前に罪はない。しかし前から見るとおぞましいほどの罪があるのか、イオリよ」


 伊織は視線を彷徨わせ、そしてこちらへ歩いてくる静夏の姿を見つけると小さく頷いた。

「……母さんに酷いことをした。ヨルシャミのことも殺してしまうかもしれなかった。リータさんやサルサムさんにも怪我をさせたし、ネロさんも危険な目に遭わせたし、ミュゲイラさんにも凄く苦労をかけたと思う。バルドにも酷いことを、……。……他にも協力してくれた人がいるんだろ?」

「ああ、もちろんだとも」

 伊織はペルシュシュカのこともオルガインのことも既知の仲ではないが、ヨルシャミたちに協力し己のために動いてくれたことを知っている。そんなオルガインは死んでしまった。

 命を奪うきっかけを作ってしまったのだ。


「そして……ニルヴァーレさんも僕のせいで……」


 唇を噛む伊織を見てヨルシャミは命綱の件を言い出すか迷った。

 こういった事態になることをニルヴァーレは予測していたのだろう。しかしそのための命綱は切れている。今把握出来ているその状態が何を表しているのかヨルシャミには判断ができなかった。

 しまってある魔石の片割れを見たものの、反応が微弱すぎていまいちよくわからない。

(あやつが完全に消えたのならばセラアニスも危うい。故に早急に確認したいところだが……)

 それも含めて確認できる状況ではなかった。夢路魔法を使うと一定時間はヨルシャミも眠ることになるのだ。

 ならば伊織に伝えるのは尚早というものだろう。ぬか喜びも、絶望の上乗せもしたくはない、とヨルシャミは口を噤む。

 そんな二人の前に立った静夏は伊織の手を握ると、その手の中にニルヴァーレの魔石の破片を握らせた。


「これはお前が持っておくといい、伊織」

「母さん、……うん、ありがとう。――酷いことを言ってごめん、死因のことも、その」

「もちろん苦しくは思った。しかし」


 静夏は優しい手つきで伊織の手を挟むようにしてぎゅっと握る。


「聞くことが出来て良かったとも思っている。伊織の言葉も洗脳によるものとはいえ、すべてが偽りではないだろう?」

「……」

「寂しい思いや不自由な思いをさせてきたのは事実だ。それを踏まえるなら、私はいつかすべてを聞かねばならなかった。これは大切なことだ」

「でも、僕は」


 視線を沈ませ眉根を寄せる伊織のもとに風が吹く。冷たい風のおかげでいつの間にか頬が火照り頭に熱が上っていたと自覚できた。

 僅かに落ち着いたところへヨルシャミが声をかける。

「いわばお前は被害者だ、悪いのはすべてナレッジメカニクスであろう」

「――でも僕は未だに皆に、ナレッジメカニクスに親しみがあるんだ。洗脳が効果を失っても、皆と過ごした月日がなかったことにはならない。それは罪も同じだと思う」

 それを背負って償いたい。

 伊織はそう口に出し、蒼天にぽっかりと開いた穴を見つめた。


「それに僕は自分の手でこれを起動させた。洗脳されていたからです、なんて、こんなことで許されるはずが――」

「こんなことなどと言うな。……前に私が自らの身に降りかかった不幸を軽く扱った時、お前は同じようなことを言ってくれただろう。私も今同じ気持ちだ」


 でも、と再び言いかけた伊織の唇にヨルシャミは人差し指を押し付ける。

「もし私が境遇に耐えかねて世界を死に導くような情報をナレッジメカニクスに漏らしていたとしても、イオリは同じことを言っただろう?」

「……」

「……ナレッジメカニクスでお前が得た記憶を私は尊重したいと思っている。償うならば償え。ただし、その片棒担がせてもらうぞ」

「ヨルシャミ?」

「イオリの罪は一緒に背負う。お前がそうしてくれたように」

 伊織は目を見開いた。

 世界の穴は絶望の塊に見えるが、ヨルシャミは希望の象徴のように見える。

 ――初めにヨルシャミを助けたのは伊織だったが、それから何度も伊織はヨルシャミに助けられてきた。今なおそれが続くのは少し情けないのではないか、と前向きな気持ちで思う。

 ヨルシャミは「それでもお前を楽にするには足りぬだろうがな」と言いながら手を差し出した。


「他者を救いたいなら、自分自身も救ってみせよ」


 故に今は立ち、共に償うためにこの世界を救おう。

 そう言う彼の手を、伊織はゆっくりと伸ばした手で握ると決意した目で頷いた。

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