第803話 最善を尽くさず放っておけるものか

 草に隠れるように影の縄を伝わせ、シェミリザの足に巻き付ける。


 シェミリザはノータイムで片足を思い切り引かれたが、すぐさま影の手を駆使して同じ方向へ飛ぶと大鎌を使い縄を斬りつけた。

「……!」


 自由になったが、その行動はヨルシャミの読み通り。


 飛んだ先に先回りした静夏がシェミリザの華奢な背中に向かって拳を繰り出した。

 叫び声すら上げずに吹っ飛んだものの、岩にぶつかる直前に風のクッションを作り出し、ごつごつとした岩の側面に着地する。

「酷いことするじゃない」

 シェミリザは赤黒く大きな炎の塊を数十作り出すと目にも留まらぬ早さで打ち出した。

 周囲に閃光が飛び散り爆風が木々をばさばさと揺らして吹いていく。複数の炎の塊は爆発するだけでなく残った炎が地面を舐めながら植物を燃やしていった。

 生木であろうがお構いなしに消し炭へと姿を変えていく中、両腕をクロスさせた静夏が煙を突っ切りシェミリザへと迫る。


「タフね……そんなあなたにはこれをあげましょうか」


 シェミリザはにっこりと笑うと右手を力ませ、手の平に小さな漆黒の炎を作り出した。

 ランプにでも収まりそうなほど小さな炎だ。しかしその炎は傍にいる者をゾッとさせるような低い音と振動を生んでいる。

 敢えて自分から踏み込んだシェミリザは静夏の拳をガードしながらその炎を胴体に触れさせた。

「!」

「シズカ!」

 先に血の気が引いたのは静夏ではなくヨルシャミだった。

 あの漆黒の炎は普通の炎を何百も圧縮し作られたシェミリザの「とっておき」である。

 多くの魔導師に認知されている普通の魔法でもなければヨルシャミ自身もあそこまでのものは作ったことがない。しかし一目でそう見抜けたのはヨルシャミの目でなら幾重にも重なり燃え続ける炎が見えたからだ。

 漆黒の炎は見る見るうちに脇腹から左腕まで覆い、静夏は転がることで消そうとするが一向に弱まる気配がなかった。


「ふふ、そう簡単に消えるものじゃないわ。わたしの炎による攻撃数百回分だもの」


 シェミリザはヨルシャミと静夏との交戦で破けた闇のローブの一部を修繕しながら笑う。

 そこへネロが低い位置――死角から滑り込むようにして足払いを試みた。シェミリザは大分ふらつきながらも影の手で体を支え、先ほど出したものより一回り小さな影の蛇を作り出しネロに巻きつける。

「っぐ……!」

「不意打ちするならもっと早いスピードでないと」

 パトレアなら出来たでしょうね、と彼女とネロが争ったことを知っていながらシェミリザは言った。

 その間も静夏に燃え移った炎は勢いを増している。

 ヨルシャミが自身の甚大なダメージを覚悟し水を作り出し、炎に蝕まれた部分を覆ったが――漆黒の炎は水の中でさえ燃え続けていた。

 シェミリザも相当消耗したようだが、どうやら彼女の大きな目的は達成されたらしい。今はここで二人を倒し、精神的に弱った伊織を処分することが副次的な目的だ。つまりシェミリザにとってこの戦いは全力を賭する価値がある。

 この威力はそう判断した故か、と下唇を噛んだヨルシャミは流れてきた鼻血をそのままにシェミリザを睨みつける。


「あら、消すのを諦めてわたしを攻撃する? いいわよ、まだ相手をしてあげられるから」

「うるさいわ。お前も回復に時間を作らねばならぬほど摩耗しているであろう」


 とんだ泥仕合だな、と呟くヨルシャミに静夏が言う。

「ヨルシャミ。私のことは私でなんとかする。今はシェミリザを」

「いいや、それは聞けん。喋るのもやっとだということくらいわかるぞ、シズカ」

 肉体のダメージは炎に舐められ続けている火傷だけだ。しかし漆黒の炎は延々と周囲から大量の酸素を奪い続けている。満足に呼吸できないせいで静夏も捨て身の攻撃に移れないのだ。

 ただ燃やされ続けるだけでは終わらない、と静夏は強いまなざしをヨルシャミに向けた。

 熱傷は恐ろしく痛く苦しいものだ。だというのにそんな顔を出来る静夏のことが――ヨルシャミは好きだった。


「シズカよ、お前は私にとって……もはや親も同然だ。大切な家族だ」

「ヨルシャミ……」

「それを最善を尽くさず放っておけるものか!」


 ヨルシャミは呼吸を止めて集中すると今や静夏の半身を覆っている漆黒の炎を凝視する。的確に炎だけを対象にし発動したのは圧縮魔法だった。

 すべてを黒く塗り固めたような黒い球体が炎を飲み込む。傍目から見るとまるで同化したかのようだったが、その中では未だ炎がごうごうと振動しながら燃え続けている。

 ヨルシャミはそれを繊細な操作で折り畳んでいく。

 元から恐ろしい密度で圧縮されているものを更に圧縮するのは凄まじい労力だった。圧縮対象は魔法であるためダイヤモンドなどが出来ることはないだろうが、それだけの圧が一点にかかっている。

「っ……ヨルシャミ! 無茶するな……!」

 ネロが影の蛇を引きちぎろうとしながら叫ぶ。

 ヨルシャミは目元からも涙のように血を垂れ流し、その一滴が地面に落ちる前に開いた手の平を閉める仕草をした。同時に圧縮された炎がそのままビー玉サイズになり、焦げた草の上にどすんと落ちる。

 その玉に触れた草は元から焦げていたにも関わらず、一瞬で再炎上し消え去った。


「今のあなたには負担の大きな魔法でしょうに……上手くできたわね」


 ナレッジメカニクスの施設で球体型防衛装置を相手にした際にも使用したことがあるが、その際も酷いダメージを負った。この圧縮魔法は闇属性の高難度魔法のため負荷が大きいのだ。

 しかしヨルシャミもあれから成長している。

 一度の使用でごっそりと体力を持っていかれたが、施設で連発した時よりはマシだとヨルシャミはふらつきながら回復魔法を展開した。

「! ヨルシャミ、回復はいい。お前が死んでしまう」

「これも、っ……消耗はするが、さっき主要な血管が切れた。その修繕ついでだ、気にするな」

 静夏には真偽のわからないことを言うと、ヨルシャミは肩で息をしつつ影の手を生やす。

 視線はしっかりとシェミリザを見据えていた。

「さっさと舞台から退いてもらおうか、シェミリザよ」

「ふふ、そうこなくちゃ」

 お互い向き合い、足先に力を込める。

 その時だった。


 何かに気づいた様子でシェミリザが顔を上げ、そのまま振り返る。


「――これは、まさか」


 ヨルシャミたちから視線を外すという行為は不利を招くものだ。そんな行動を思わず取ってしまうほどシェミリザは驚愕し、しかしヨルシャミが不意を突く前に背を向けて走り出した。

 ぎょっとしたヨルシャミを抱き上げて静夏が走り始める。

「ネロは大丈夫か!」

「っ一人で対応できる! コイツを倒したら行くから追う方に集中してくれ!」

 すまない、と言うネロに頷き、静夏は速度を上げた。

 手負いの回復魔法では完全回復には至っておらず、未だ肌が赤く空気の摩擦だけでひりつくというのに、そんなことは欠片も表情に出していない。


「……最後まで殺し合うつもりに見えたが、それだけ不測の事態が起きたのだろう。ならば隙を突くためにもすぐに追うべきだ。移動は任せるといい。その間に少しでも休め」

「そうであるな、……わかった、休ませてもらおう」


 大人しく頷いたヨルシャミを見下ろし、微笑んだ静夏はシェミリザの背を追い続けた。

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