第797話 何千年でも謝ってあげる

 咄嗟に逃げた先は洞窟のある方角ではなかった。

 伊織はただひたすら静夏から離れたい一心でバイクを走らせる。


 離れてしまえば楽になるはず。

 そう思っていたが現実は期待を裏切り、伊織に深い罪悪感と戸惑いを与え続けていた。そこに「それもこれも母さんが泣いたりするからだ」という得体の知れない怒りも混ぜ合わせられている。

(マジで何なんだよこれ……!)

 出どころのわからない感情に振り回されつつ、伊織は装置へ魔力を送り続ける。魔力は装置を経由して大きな魔法陣に向かい、一つ一つ条件を満たしていくのがなんとなくわかった。

 その感覚がミッケルバードより広く感じるのは各地に点在しているという補助用の魔法陣の影響だろうか。


「っ……父さんたちはそれだけ長く準備してきたんだ。僕がこんなところで挫けるわけにはいかない……!」


 だというのに静夏の顔が頭から離れない。

 母の泣き顔は夢の中で見た前世のものと同じで、あの時の静夏の謝罪ごと肯定してしまったようで後味が悪い。到底許されるものではない、そんなことをしてしまった気分になる。

 伊織はしかめっ面をすると更にバイクを早めようとし、しかし背後に気配を感じて息を飲む。

 まだ姿は見えないが遠くから静夏が追ってきている。そんな気がした。

 バイクのエンジン音を頼りに走っているのだ。


「お、音の出づらいパーツにしよう、たしかセトラス兄さんに教えてもらったものが――」


 伊織は燃料メーターを見てハッとする。

 残量を考えず走らせたため、バイク自体の魔力がほとんど無くなっていた。それにしても減りが早く見えるが、恐らく直線で進める道でないことと混乱しながら召喚したせいで燃費が悪くなってしまったのだろう。

 バイクから気遣いの気持ちが伝わってくる。

 平気だよ、と言ってやりたかったが、心細さが邪魔をして伊織はどうしても口にできなかった。


(くそっ、でたらめに走っちゃったから現在地がわからない……今居るのってどこなんだ? シェミリザ姉さんと合流できればどうにかなるかもしれないのに!)


 そうこうしている間にバイクがふわりと消え、自分の足で地面に立った伊織は目を瞬かせて装置を見下ろす。

 あと少しだ。

 あと少しで満タンになる。

 どこか安堵しながら伊織は静夏が追ってくる方角を見据えた。深呼吸をしながら魔力を注ぐことに集中する。


「……ここまで来たら逃げ回るよりこっちに集中した方がいい。大丈夫、大丈夫だ」


 自分を極力優しい声で宥め、そんな宥める言葉になぜか既視感を感じたが、伊織はそれすらも意識外へと放り捨てた。


     ***


 オルバートに何を言っても無駄だ。むしろ深みに嵌ってしまう。

 そう理解したシァシァは身を翻すなりコンピュータを破壊しようと水を刃にする。しかしそれが完全に形作られる前にオルバートが言った。

「あとは自動だよ、むしろ止めたいならそれを壊さず取っておいて停止命令を出す方がいい」

「そんな説明されたコトないな」

「言わなかったからね」

 オルバートは白衣の内側から小型の銃を取り出すと安全装置を外す。


「しかしこれは判断に困るな。もしかして君もナレッジメカニクスを裏切るのかい、シァシァ」

「ワタシも悩んでるトコ。でもさ……ココには居たいケド、この計画だけは嫌なんだ。本当に嫌なんだよ、オルバ」

「だから勝手に止めると?」

「ナレッジメカニクスという受け皿を失いたくはないから――」


 シァシァはコンピュータの代わりにオルバートへと水の刃を向けた。

「――あとで何千年でも謝ってあげる」

「君を失うのは痛手だから受け入れてしまいそうだな。けど……何故だろう、これを成し遂げられれば僕はもう、この組織を維持する必要もないような気がするんだ」

 だからこその悲願なのだろう。

 そう感じながらオルバートは間髪入れずにシァシァへ発砲した。

 シァシァの生身と機械化されている部位は治療の際に把握済みだ。非力なオルバートでも頭部、心臓、腹部の重要な臓器、足の大動脈のどれかに当たれば勝機はある。シァシァも大分丈夫だがミッケルバードでは出来る対処が限られてくるはずだ。回復魔法も連発は出来ず、もし即死する個所に当たれば間に合わない。

 セトラスにより作られた銃に弾切れの心配はなく、オルバートは自分に向かってくるシァシァに対して遠慮なく何度も発砲する。


 一発目は首すれすれを掠り、二発目は水の刃に斬り落とされ、三発目は左肘を突き抜けたがシァシァは止まらない。


 銃を払おうと水の刃が煌めく。

 腕を引いたオルバートは代わりに切り裂かれた脇腹を押さえもせずに後退し、傷口から空気を漏らしながら咳き込んだ。しかしそれもすぐに回復していく。

 シァシァは肘を撃たれ動かなくなった左腕を肩から振るうことで鈍器代わりにしオルバートに叩きつけた。

「ッぐ……」

「あァもう、これワタシも痛いな!」

 悪態をつきながらシァシァはオルバートの胸に刃を突き立てたが、オルバートは自ら地面に向かって倒れるとその勢いと体重を利用し刃を引き抜く。倒れながらも赤紫色の目はシァシァをしっかりと見ており、銃口はその視線に沿っていた。


 狙うのはシァシァの頭だ。首から下はこの位置だと義手に邪魔される。

 見慣れた――永い時の間に見慣れすぎた顔を見つめ、オルバートは引き金を引く。


「!」

 銃弾は右側の耳飾りを突き抜け頭部に当たると思われたが、その耳飾りに固い音をさせて弾かれた。

「魔法で保護しているのは知っていたけれど……本当、どれだけ大切なんだか」

 オルバートは目を細めると受身も取れないまま床に転がる。

 弾かれた弾丸は逸れたもののシァシァの二の腕に当たったが、義手の人工皮膚が剥がれただけに留まった。

 耳飾りを気にしつつもシァシァは水の刃を捨てて代わりに長い槍の形に作り直す。

「不慣れな形だケド、君にはこっちの方が合いそうだ」

 言うなりシァシァは槍を投げてオルバートの体を床に縫いとめた。簡単には抜けないよう柄の先に返が付いているのを見てオルバートは無表情のまま「用意周到だ」と感心した。

 そのまま真っ白になった顔色で発砲したが、シァシァはそれを潜り抜け槍を抱える形でオルバートに馬乗りになった。


「オルバ、装置の止め方を教えるんだ」


 胸ぐらを掴み、顔を寄せ低い声でそう言うシァシァにオルバートは「はは」と二音だけで笑う。

「あと少しなのに教えるはず――」

「君が言いたくなるようにしてあげようか」

 シァシァがゆっくりと瞼を上げる。

 そこにあったのはいつもの緑の瞳ではなく、緑だけを使った万華鏡のような輝きを持つ瞳だった。オルバートは長い間シァシァと共にいたが、この目を向けられるのは初めてのことだ。

 それだけ長い間シァシァが伏せてきた何かだ、と咄嗟に判断したオルバートは目を逸らそうとしたが、なぜか釘付けになって離れない。


 これは危険なものである。


 そう感じたが、瞬きすら忘れてしまう。

「三、二、一」

 シァシァはそう静かに言うと、やけに響く声のまま続けた。

「さあよく目を見て。君は……」

 しかし続いたのもそこまで。

 突然建物の中に響いたブザーの音にシァシァは顔を上げる。そして視線が自由になり、彼より一足先にモニターを見たオルバートはごく自然な笑みを浮かべた。


「残念だったね……魔力の充填完了だ」

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