第796話 ○○から奪っていた

 転生した際、世界の神は伊織が事故を起こした映像を見せた。

 恐らく「本当に死んだのだ」と本人が理解しやすくなるように用意したのだろう。静夏が息を引き取った際の映像も目にしたが、伊織のものにも静夏のものにも映像だけで音声は伴っていなかった。


 故に、伊織が急いでいた理由が母の危篤の一報だったとは静夏は知らないのだ。


 直接的な原因は車に煽り運転をされたことだが、静夏なら己のせいだと責めただろう。

 伊織がこの日この時この道を通ることになったのも自分のせいならば、バイクを買うことになったのも自分が入院する病院が遠かったせいだから、と。

 だからこそ母に言わない決心をした。


(そう、雪山で遭難した後に、……でもいつ?)


 伊織は足がふらつきそうになるのを装置をぎゅっと抱き締めることで堪える。

 マンナパルナへ遊びに行くよりも前に雪山へ足を運んだことがある。死にかけたことがある。そうだ、リーヴァとバイクもその前後にいた、と伊織は目を瞬かせた。

(ということは転生してからの記憶だ。それに――そう、パパが居たのを見たような……)

 雪の白と、シァシァの髪の緑。

 どこか暖かな空間の中に焚火の音がし、金木犀に似た香りが漂っていた。きっとシァシァが共に居たのだ。伊織はそう確信したが、なぜそんなタイミングで自分が「母のために事実を伏せよう」などと思ったのか、という別の疑問が湧くことになった。

 わからないことが多い。

 でもやるべきことは決まっている。そう伊織は気を取り直した。


(なんで言いたくなかったのかはわからないけど――これを伝えれば母さんは絶対に動揺する)


 それは隙が出来るということだ。

 時間稼ぎをしながら魔力を充填していく予定だったが、ここに留まっていれば静夏がジャンプしていった方向を頼りに他の聖女一行も追いつくかもしれない。

 なら大きな隙を作り、その間に目眩ましを仕掛けて洞窟まで逃げるのも良いかもしれない。そう伊織は考えながら口を開いた。


「そ……」


 そうだよ。

 母さんのせいで僕は死んだんだ。


 そう言ってやりたいのに声にならず空気だけが喉から出ていった。

 伊織は目を丸くし、冷や汗を流しながら首を押さえる。ここで言わなくていつ言うんだと自分に言い聞かせたが、やはり上手く言葉にならない。

 母さんが病弱になんて生まれたから。

 父さんが事故で死んだりしたから。

 そのせいで子供でいられず、時間は奪われ、最後には死んでしまった。恨むだけの理由があるのに何故声にならないのかと伊織は戸惑う。

(な……なにかおかしい。でも言わなきゃ。こんなチャンス滅多にないんだ)

 混乱した瞳で静夏を見ながら伊織は口だけ先行して開いたが、やはり声になることはなかった。


 そんなにも言ってはならないことなのか。

 決心するほど言いたくなかったのか。


 当時の自分が理解できなくなり、泣きそうになった伊織は咄嗟にバイクのキーを取り出すと空中に挿し込んだ。

 キーを回すなりバイクがエンジン音と共に現れる。バイクで逃げても静夏相手ではすぐに捕まるだろう。全速力なら敵うだろうが召喚していられる時間が短くなる。

 なぜそんなことがわかるのか、という自身の問いに並走して移動したことがあるからだと己の内から返事があり、そんなのいつの記憶だよと更に戸惑った伊織はバイクのハンドルに触れた。

 呼び出したのは一人では怖かったからだ。

 バイクはなぜか前ほど饒舌ではなくなったが、伊織の気持ちには応えてくれる。誰かが一緒に居てくれればきっと言えるはず、と伊織は静夏に視線を戻した。


 静夏はじっと答えを待っている。

 伊織の返答を真正面から受け止めるために。


「……」

 短い言葉だというのに口にしようとすると無意識に唇を噛んでしまう。しかし無理矢理にでも、一音ずつ区切ってでも言ってやる、と伊織は強く噛みすぎた唇から血を垂らして新たな決心をした。

 今のようにバイクのハンドルを握り、道を急いでいた時のことを伝えるのだ。

 刹那、握ったハンドルの感触で道路を急いで走っていた時のことをリアルに思い出した。早くしないと母さんが死んでしまう、せめて生きている間に一目だけでも会いたい。――そんな一心でバイクを走らせていた時のことを。


 そこに憎しみの感情は一切なかった。


 それを理解するより先に凄まじい拒絶感が首をもたげて体の中で暴れ回る。それがあまりにも苦しく、首を内側から絞められるようで、伊織は吐き出すように叫んだ。


「そう、だよッ……! か、母さんの、せいだ。母さんが危篤だって、聞いたから――ぼ……僕は」

「伊織」

「僕は急いで走って、っ……事故って死んだんだ! 母さんが原因だ! 母さんのせいで死んだんだよ!」

「……伊織、すまなかった」


 それは何の裏もない謝罪だった。

 マンナパルナで受けた謝罪と異なるのは、その声が涙声だったことだ。

 気取ることもなく、顔に皺を寄せながら涙する静夏を見るなり、伊織はバイクに寄り掛かり――衝動的に息を止める。

 静夏はつらそうな顔をして言った。それは本来なら隠すべき顔だったが、抑え切ることができなかったのだと気道の狭い声音でわかった。


「私はお前から奪ってばかりだった」

「や……」

「伊織の言う通りだ。もしお前がもっと普通の家に生まれていたなら、子供らしく健やかに暮らせたというのに」

「やめ……」

「新しい世で私は伊織との生活をやり直したかった。だがお前のためを思うなら、血の繋がった親子というしがらみから解き放つべきだった」


 静夏はマンナパルナで伊織と相対した時もそう思っていた。

 適切な施設に預けるなり、信頼できる人物に頼むなり、親である自分がすべきだったのだ。自分で選択するには伊織は幼すぎた。選択し生じた責任ごと自分が背負うべきだったと。

 初めて口にしたそれを聞いた伊織は咄嗟に静夏を庇いそうになった。

 母さんだって新しい世界で僕の世話に時間を奪われたでしょ。――そんな自分の言葉に伊織は更に混乱する。


(え……、そう、だ……僕だって奪ってた。じ……十四年間も母さんは意識のない僕の世話をして、……)


 十四年間。

 やっと健康的に動き回れるようになった静夏にとって、もっと大切なことに使える時間だったのではないか。それは奪われた子供でいるべき時間と同等に感じられた。

 いくら筋肉に愛されていても加齢はする。若い時期に伊織を産み育て、そして当の伊織は時が来るまで眠ったまま。自由にベタ村から遠く離れることも出来ず拘束していた。

 その罪悪感に絡むように何かが心の中で「母さんはベルに僕の世話を任せきりだったろ」と囁いたが、なぜか耳を貸す気になれない。


 伊織にとっては「母親に奪われてばかりだった」ことが原動力だった。

 しかし静夏は与えてくれていた。

 そしてそれは自分が「奪った」のだ。


 自覚した瞬間、全身を冷たい衝撃が貫いたかのようだった。伊織は震えながら静夏を見る。

 静夏は自身の胸元に手をやって言った。


「すべての者がそうだと驕ったことは言わないが、筋肉とは健康の証。私は今、その証を纏い生きている。お前を力一杯抱きしめてやれる。――もう伊織からは何も奪わない。今度は私から与えさせてくれ」


 嬉しいのに怖い。

 憎いのに幸せを感じる。


「……や、やめろよ! そんなこと言うな!」

 相反する感情に叫びながらバイクにしがみつくと、伊織は魔力を一瞬で石の塊――巨大な岩の形になるように出力して地面にぶつけた。大技は位置を知らせることになると同時に装置へ魔力を送る作業を乱すが、やらずにはいられなかった。

 轟音は聞きたくなかった言葉を掻き消し、砂煙は見たくなかった顔を覆い隠してくれる。

 それでも安心できず、伊織はバイクに跨るとその場から、真実から逃亡した。

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