第794話 馬鹿ですかあなたは

 走りだけで立体的な戦い方をするのがパトレアだ。


 ハイトホースが皆こういう戦い方をするのではない。

 速くは走れるが空気を蹴るなどという芸当はできなかった。今ここにパトレアを蔑んできた父や兄たちが居れば、この速さに敬服し何も言わずにパトレアを長に据えただろう。

 ハイトホースにとって速さは先天性か後天性かを重要視しないほど大切なものだ。彼らがパトレアを生きた見せしめにしたのもそれ故であり、パトレア自身がその境遇に納得していたのもそれ故である。


 パトレアがこのような動きをできるのはセトラスが与えた新たな足があってこそ。

 それでも桁違いのスピードに対して、元から持っている生身の肉体はついてくることが可能だった。

 恐ろしいスピードで走った際の負荷は相当なものだろう。転びでもすれば只人なら大惨事。飛んでいる虫や雨粒に触れただけでも怪我をする。だがハイトホースの肉体はそれらに耐える。


 初めからハイトホースにはこれだけ速く走れるポテンシャルがあったということではないか。


 パトレアはそう思うことがある。

 しかし決して手どころか足も届かなかった境地、そんな境地に達することができたのもすべてセトラスのおかげだ。

 今、そんな恩人は背中で意識を手放している。

 延命装置は健在だ、射抜かれた怪我はそのうち治るだろうが傷口を焼きながら抜けていったせいか治りが遅い。

 しかし止血のために焼かれたわけではないため、血はしっかりと流れている。

 加えてカメラアイの酷使が重なったところに魔獣の爆破を受け、意識を保っていられなくなったのだ。普段の彼からは想像できないほどよく働いている。――それだけナレッジメカニクスを保ちたいのだろう。

 装置を庇うことも本当なら自分がすべきだった、とパトレアは悔いる。あの時のパトレアにとって守るべきものの優先順位は装置よりもセトラスだった。そんな彼が自ら飛び出したことにより反応が遅れたのだ。

 後悔を決意に換え、パトレアはネロの足技を受け流し体を回転させながらヨルシャミの影の針を避ける。


(セトラス博士をこれ以上傷つけさせず、この二人を足止めする。やり遂げてみせますよ!)


 使命感は負傷による痛みを凌駕し、セトラスを背負い血を垂れ流しながらもパトレアはまったく普段通りの動きでヨルシャミとネロを翻弄していた。

 脇腹の傷は内臓を損傷させていたが、即死するようなものではない。

 まだ走れる。

 パトレアは青空を蹴るように真上からネロ目掛けて突撃した。

「っどこからでも襲い掛かってくるとか怖い奴だなホント!」

「誉め言葉でありますね! ありがとうございます!」

 突撃は受けられたがパトレアは離脱ついでにネロの腕を足の刃で斬りつける。ネコウモリにより防御されたものの限界があるのか血が飛んだ。

 離れるパトレアを恐れることなく追ったネロは蹴りを入れたが、パトレアはひらりとそれを避ける。

「……?」


 直後、違和感を感じた様子で眉を顰める。


 ネロは躱されるなりフリルに隠してダガーを引き抜き、刃を一閃させた。違和感により一歩余分に引くことでパトレアはそれをも避けたが、返す刃で鎖骨から喉元にかけてを切り裂かれる。

 変身したネロは体術だけを使用する、とパトレアは考えていたが、先祖の力であるダガーもネコウモリの力も合わせてネロなのである。ぼたぼたと血を零しながらたたらを踏んだパトレアは馬の耳をぴんと立てた。

「避けられる前提で動きましたね! あっぱれです!」

「その状態でも喋るのか!」

 ネロに次いでヨルシャミが前へと踏み込みパトレアの足に影の手を絡みつかせる。

 しかし瞬間的に最高速度へ達する足にとっては蜘蛛の糸のようなもので、影の手はあっという間に引きちぎられた。だがその破片がただの影に戻る際、黒く細かい粒子になって辺りに四散する。

 一気に暗くなった視界にパトレアの瞳孔が開くより先に、その闇の中からヨルシャミがずるりと現れ己の影から引き抜いた闇色の大鎌をぐるりと回転させた。


 裂くための刃は避けた。

 しかし殴打するための長い柄がパトレアの即頭部に当たる。


 殴りつけられた衝撃は幼い頃に与えられたものとそっくりだった。

 ヨルシャミの殺意は色濃い。聖女一行はお人好しだが、致し方なければ相手を殺す覚悟がある。――それと同等だとすれば、幼い頃にこれを与えた父親はパトレアが死んでもいいと思っていたのだろう。

 ただ、見せしめの任――『生きている間は次の見せしめにすべき者は生まれない』という迷信があったことを考えると、本当に死んでもらっては困る状態だったはず。


(父は長だったからその考えは人一倍強かったはず。……死んでもらっては困るけれど、うっかり死んでくれないかとも思っていたのでしょうかね)


 見せしめ役が出るとありがたがられるが、それが自分の一族から出るというのは恥ずかしいことだったのかもしれない。それともまさか死ぬことで役目から解放させようとでも思っていたのか。それを教えてくれる者はもう一人も残っていない。

 どんな理由であれ、かつてのパトレアなら納得して受け入れたかもしれない。

 しかし今は、自分の死に方は自分で決める。


「っ……ここで殉死するのも本望でありますよ、すべてきちんと終わらせてからですが!」


 パトレアはよろめきながらも踏み止まり、大鎌の刃を義足で受けると流れを逸らした。

 そのまま竜巻のような勢いでヨルシャミのボディを蹴り飛ばす。呼吸が止まり声すら出さずに吹き飛んだヨルシャミを確認したところで、追撃しようとしたパトレアは視界が歪んで目を見開く。

 唇だけでなく舌も酷く冷たい。

 眼球が乾き、激しく動いたというのに反比例して呼吸が浅くなる。

(……まだいけます! まだ走れます! イオリ殿のためにも、もっともっと二人を引き留めないと――)

 セトラスの体を支える腕からさえも力が抜け始め、不意に伸びてきた手に喉を押さえられパトレアはぎょっとした。


「馬鹿ですかあなたは。止血くらいしなさい」

「セ……セトラス博士」

「顔が真っ白ですよ、ついでに死体にでも背負われてるかのようだ。自分で立ちます」


 セトラスはパトレアの背から降りると白衣を脱いで袖をパトレアの首元に巻き付ける。雑な止血だが締めすぎても頭に血が行かなくなるため致し方ない。

「あなたならこれくらいでも十分でしょう」

「は、はい」

「……ここで二人に増えられるのは厄介だが、セトラスよ。お前の銃はここにはないぞ」

 柵に激突し止まったヨルシャミは口から血を流しながら立ち上がった。臓器は守ったが衝撃で口の中が切れたのだ。それ以上の傷をパトレアは負っているが、やる気があるのならまだ相手をする必要がある。今伊織を探しに出ても手負いの獣が追ってくることになるだろう。

 セトラスの銃は魔獣の爆発により屋上から吹き飛ばされていた。予備がある危険性は残っているが、ここに至るまでの挙動を見るにその確率は低い。

 セトラスは顔にかかる長い髪を払いもせずに笑った。


「そうですね。でもヒトの身はほんの少しの間くらいなら盾になるんですよ」

「……なぜそこまでする。ナレッジメカニクスは互いに利用し合う組織であろう。お前にそこまでの忠義があるようには見えなかったが」

「簡単なことです」


 セトラスはヨルシャミとネロを見据えて口を開く。


「あなた達では私を救えないからですよ」


 言い終えた瞬間、離れた場所から低く激しい音が響き四人の視線を引き寄せる。海に近い方角、木々の間から土が舞い上がり雨のように降り注ぐところだった。あることに思い至ったヨルシャミはハッとする。

 あれは伊織の逃げた方向だ。


 そして、戦場に静夏の姿が見当たらなくなっていた。

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