第792話 シェミリザの暗躍

 頭上から振動が伝わってくる。


 伊織のことは気がかりだが、彼に『人工の穴を開かせる』という所業をやめさせる手段は伊織本人を止めることだけではない。

(メインの魔方陣が発動してこれだけ魔力が集まっている今、無理やり止めるのは何が起こるかわからない。ならオルバに直接正規の手順で停止させるのが最善だ。……)

 ――そう、シァシァはこの人工ワールドホール計画を止めたいと考えていた。

 ここで実行しなければどうなるかわかっている。上手くいけば再び逃げ延びられるかもしれないが、それでも面倒なことになるだろう。


(それでも伊織にこんなことをさせるのは嫌だ。そう、ワタシが嫌なんだ)


 今更だった。

 良いか悪いかの判断はシァシァの感覚で行なっているため、善意ですらない。

 かつて自分の娘が辿った道を伊織に歩ませるのが、そしてそれを見ることになるのが嫌だという自分本位の気持ちにほんの少し混じり気のない同情を加えたのが今の感情の正体だろう。そうシァシァは自分でも気づいていたが、動かずにはいられなかった。

 そしてオルバートに真意を問わなくてはならない。

「……オルバ」

 コンピュータの前まで進むとオルバートの背中が見えた。

 ただし両膝を床につけて机に突っ伏している。――かと思えば、シァシァの声にぴくりと反応して立ち上がる。


「ああ、シァシァか。外が随分と騒がしかったね」

「ちょっと大物が現れてさ。なに、とばっちり食らったの?」

「いつもの不調さ、……忌々しいな」


 オルバートは普段から心にもないことを平気で言う。

 しかしこの言葉に込められた感情は本物だとシァシァにも一発でわかった。

「ところで僕の護衛に来たなら今は伊織についておいてくれないかい。こっちの仕事はもう終わったも同然だからね」

「倒れてて見てなかったのか、伊織は……」

 シァシァはモニターの一つを見遣る。丁度伊織がパトレアに庇われ、装置を持って離脱するところだった。逃げた先で起動させるつもりなのだろう。

「……逃げてる真っ最中だヨ。で、この真上ではパトレアとヨルシャミたちが交戦中だ」

「おや、それなら余計早く伊織の元に――」

「ワタシは訊きたいコトがあってココへ来たんだ、オルバ」

 シァシァは三つ編みを揺らしながらオルバートに近づく。


「人工のワールドホール。これを開く役目を伊織にやらせようとしてるっていうのは本当なの?」

「……そうか、耳に入ったか」


 オルバートは白衣の襟を正しながら小さな声で言った。それは肯定を示している。

「伊織が何かを出力する時、凄まじい量の魔力が圧縮されているんだ。それこそシェミリザでも真似出来ないくらいのね。それだけ濃度の濃いものを使えば今まで干渉できなかったワールドホールに触れられるとわかったんだ」

「それで伊織の手で穴を作らせようと考えたワケ?」

「そうだよ、……君も実際に目にすればそう思ったんじゃないかな、確証がなかったから伏せておいたけれど」

「……確証、確証ね」

 そもそも、とオルバートはシァシァを正面から見た。

「その様子だと君は伊織に穴を作らせたくないらしい。やはりと言ったところか。でもね、装置の完成に至るまでに伊織は実験で何度も小さな穴なら開けてるんだ。今更じゃないかい?」

「大小の問題じゃないんだヨ、……」

 オルバートに感情論は通りにくい。

 時折理解を示すが、こうして実験を進める段階まで来るとそれなりの理由が必要だ。シァシァは視線を落とし、今までの会話を思い返しながら口を開いた。


「確証がなくて伏せていたことならワタシにもある」

「おや、なんだい?」

「予想から実証に至る前に前にこうなったから言わなかったケド、ローズライカが見当たらなくなった時期にオルバを開頭検査した痕跡があった。ヒトの中身を見るのはローズライカの十八番だ。担当したのは彼女なんじゃないかい」


 突然ローズライカの名前を出されたオルバートはきょとんとしたが、以前シァシァにローズライカについて調べておいてほしいと伝えていたことを思い出し得心した顔をする。

 あの後そう時間を置かずに聖女一行がやって来た上、シァシァはナレーフカも診なくてはならなかったため調べる機会はなかったのだとオルバートは思っていた。しかし存外シァシァはよく働いていたらしい。

 オルバートは記憶を探りながら頷いた。

「――そうだよ、頼んだことがある」

「重点的に調べてみたら、その検査の後にローズライカの目撃情報が途端にゼロになっていた。ローズライカはワタシたちと違ってヒトと関わるコトを楽しんでいたから、突然ぱったり音沙汰なくなるなんて早々ない」


 ナレッジメカニクスは互いにプライベートはノータッチであり、あの頃のシァシァも口煩いのが居なくなってラッキー程度にしか思っていなかった。

 ローズライカにしては珍しい失踪であり、もしどこかで彼女が死んでいてもまあいいかと思える土壌があったのだ。技術は惜しいがそれだけだ。

 加えてシァシァにはローズライカに長期間しつこく付き纏われた経験がある。行く先々についてきたため、あの間は自分以外から見ればローズライカが失踪したように見えただろう、と予想が出来た。

 故に早々ないことだと思いつつも深く考えていなかったのだ。しかし今は引っかかることばかりである。

 それを聞いたオルバートは手元を見たまま静かに言った。


「しかしまったくないわけじゃないだろう」

「だから確証がないんだよ。ただ……手術室の使用タイミングがニアミスしないように一時期予約式にしたコトがあったでしょ」

「ああ、煩わしくてすぐに部屋を増やす対応に切り替えたやつだね」

「ローズライカが居なくなった頃、ワタシが予約したのに備品が減っているコトがあった。あの時はそこまで気に留めてなかったケド――長命種特権でね、最近のコトのように思い出せる」


 誰かが予約と予約の間に無断で部屋を使ったのだ。

 シァシァは指摘を重ねる。


「そして、そのすぐ後に始まったのが二体目の魔獣による魔獣傀儡化実験だった」

「……」

「シェミリザの担当した個体だ。――データを浚ってみたケド、一体目より随分と好調だったじゃないか」

「……シァシァ、つまり君はシェミリザが魔獣傀儡化実験にローズライカの全てもしくは一部を使ったと?」

「そう疑える情報が集まった。ケド確証はやっぱりない。二体目だから良い感じになったってだけかもしれないしネ、好調だったのは初めだけでその後は失速してったし」

 でも、とシァシァは眉根を寄せる。


「ローズライカは僕が殺した、って伊織は言ったんでしょ」

「……」

「伊織とローズライカに接点が出来るとすれば、そこしかない」


 傀儡化実験に使用された魔獣は二体。

 その二体はエルセオーゼのラビリンス魔法の世界で討たれた。主にオルバートとセトラスが担当していた百足型は塔での大立ち回りの際に殺されており、そのタイミングで伊織はすでに戦線離脱していたため、伊織が殺したとは言い難い。

 一方主にシェミリザの担当していた熊型は別行動中の伊織、ヨルシャミ、セルジェスに討たれたと見られている。記録データはほとんど駄目になってしまったため手元に断定できる証拠はないが、それでも接点があるならそこだろうとシァシァは睨んでいる。

 シァシァはそのままじっとオルバートを見た。


「――シェミリザはそれ以前から怪しかったじゃないか。そんな人物に手伝わせた装置を使うのは危険だと思えないかい」

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