第791話 今から慣れるのでご心配なく!

 ネロの思わぬカミングアウトを受けた伊織は目を真ん丸にする。金色の瞳も相俟ってまるで満月のようだった。

 混乱しつつもヨルシャミとネロを交互に見たところで、思わずといった様子で何か言わねばと口を開く。しかし頭は真っ白になったままだ。脳内でまともな言葉を用意できないまま、伊織は声で絞り出して言った。


「んなっ、なんっ、なんで!?」

「マジですまない、事故だったんだ!」


 一応は真実である。

 ナレッジメカニクスの本部を探しながら移動している道中、水浴びをしようとしていたヨルシャミとうっかり出会ってしまった時の、ネロからすれば『過ち』だった。

 当のヨルシャミにとってはさほどダメージではなかったが、恋人である伊織にこう真正面から言われるとなると話は別だ。凄まじいとばっちりを受けていた。

 ネロは謝りつつも戸惑う伊織に飛び掛かると、走りながらリボンから作り出したメガホンを目と鼻の先で使う。爆風のような音波をまともに浴びた伊織はぎょっとして飛び退いたが、三半規管が狂ったのか平衡感覚が消し飛んで尻もちをつく。


 ――これはすぐに回復するタイプの眩暈だ。


 そう本能的に感じ取るも、今の伊織には大きすぎる隙だった。

「ヨルシャミ! 装置を壊してくれ!」

「……っ私まで目が点になったわ! すぐにやる!」

 なぜか伊織への言い訳をあれやこれやと考えていたヨルシャミだったが、我に返ると即作り出せる火球を装置に向かって打ち出した。

 巨大な魔方陣には面食らったが、恐らくあれがニルヴァーレの言っていた人工的に世界の穴を作るための魔方陣だ。魔方陣が作動したことで渦巻くように動き始めた魔力は屋上に転がる装置に集まっていた。

 あの中に魔力を魔法として発動させる仕組みが収まっているのだろう。ナレッジメカニクスの十八番である。大量の魔力の受け皿になるということはコントラオール製だろうか、とヨルシャミは目星をつけていた。


 コントラオールなら丈夫だが、この火球の威力でも壊せるはず。

 あれさえ壊せば計画の足止めにはなるだろう。そう何個も作れるものではないのだから。


 しかしヨルシャミの火球を高速の蹴りで消し飛ばしたのは――セトラスを背負ったパトレアだった。

「セトラス博士が身を挺して守ったものです、そう簡単には壊させませんよ!」

 地面に落下してなお周囲に気づかれない速さで屋上まで登ってこれたくらいだ、パトレアにダメージはちっとも蓄積されていない様子だった。やる気を漲らせる姿を見てヨルシャミは目元に力を込める。


「パトレアよ、お前は何かを守りながら動くのに慣れていないな?」

「今から慣れるのでご心配なく!」

「ならば遠慮なく行かせてもらおう!」


 ヨルシャミは影の針をずらりと作り出すと同時にツタを身に纏った緑色の狐たちを召喚した。

 戦闘能力が低い攪乱向けの召喚獣だ。それでも連続で呼び出すと脳にダメージが残り始めたが、ここは手数の多さで攻めるべきだとヨルシャミは判断しパトレアへとけしかける。

 パトレアは狐たちの動きを先読みし、ステップを踏むように攻撃を避けると亀裂が走るほどのスピードで床を蹴った。

「させませんっ!」

 そう叫びながら影の針の前へと躍り出る。

 義足に当たったものは弾き飛ばされたが、いくつかの針はパトレアの腕と胴体を貫通した。

 それでも背負ったセトラスには一本も当てず、転がった装置を片手で掴むと一瞬で方向転換する。

 その先にはネロに押さえつけられた伊織がいた。


「イオリ殿! 立ってください!」

「パ、パトレアお姉ちゃん……!」

「これを持って一旦逃げてほしいのであります! 魔方陣は発動済みですが、装置の起動はイオリ殿の担当ですゆえ!」


 伊織は装置の調整中にオルバートから受けた説明を思い出す。発動まで魔力を溜めながらしばらく待つことになるとオルバートは言っていた。桁違いの膨大な魔力を扱うというのが理由だ。

 ただし魔方陣内に居ればどこで装置を発動させても良いため、この島の中なら逃げる先に制限はない。

(お姉ちゃんと兄さんのことは心配だけれど――)

 穴さえ開けば聖女たちはそちらの対応を優先するしかなくなる。その間に家族と逃げるんだ、と伊織は両足に力を込めるとネロごと立ち上がった。

「イオリ! もう観念しろ!」

「観念するのはそっちであります!」

 パトレアがすれ違いざまにネロを蹴り飛ばし、装置を伊織に手渡す。

 そのままスピードを落とさず手すりを蹴ってUターンすると、逃げる伊織を隠すようにヨルシャミとネロの視界に割って入った。エンジン音を響かせる両足から刃が滑り出て光を反射する。

 その義足を鮮血が伝い落ちたが、パトレアはまったく動じずに瞳を燃え上がらせる勢いで二人を見た。


「どうですか、守りながら動くことに慣れてきたでしょう! どこまでもまとわりついてゆきますよ!」

「イオリを追いたいなら自分を倒してゆけということか、ハイトホースも丈夫なものだな」


 パトレアはきっと有言実行するだろう。どれだけ自分が傷を負おうがヨルシャミたちを邪魔しにかかる。そして捨て身の妨害を受けながら逃げに全力を注げる伊織を負うのは至難の業だ。

 ネロの隣に立ったヨルシャミは呼吸を整え、影の手を何本も構える。


 それは、受けて立つという合図だった。

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