第790話 俺は見たぞ!!
ネロに蹴り飛ばされたドラゴンの胴体は空高く打ち上げられ、周囲を真っ白に染めるほどの威力で爆発四散した。
同じくすでに宙を舞っていた首も地面に落ちる前に爆発し、ヨルシャミは闇色のローブで全身を覆って目を瞑る。しかしそうしていたのも数秒のことで、爆風が弱まるなりすぐさま周囲を確認した。
ネロや伊織たちの安否はどうなのか。
そして共通の邪魔者が消えたからには、シァシァはともかくセトラスたちがどんな動きを見せるかわからない。ヨルシャミは僅かに湧いた焦りを抑え込みながら視線を走らせる。
ヨルシャミの位置からはセトラスの動向は確認できなかったが、発砲音は聞こえなかった。
シァシァは多少咳き込んでいるがほぼ無傷。
ネロは衣装に変身したネコウモリがすべて防いだのか変わりない。衣装は以前とデザインが変わっているがその影響もあるのだろうか。
リーヴァは少し離れた場所で気絶しており、傍らに伊織がいたが――その足元にニルヴァーレが倒れていた。
「ニル! ニル! ごめん、僕の防御が間に合わなかったから――」
「いや、僕の初動が遅れたせいだ。気にすることはないよ」
そう伊織の肩を借りて立ち上がったニルヴァーレに右足がない。
加えて交戦中にドラゴンに噛まれ、牙の食い込んだ跡が胴体にくっきりと残っていた。
ようやくそれを確認したのか伊織は引き攣った声を上げていたが、ニルヴァーレは落ち着いた様子で「死にはしないさ」と笑う。しかしその言葉に伊織を落ち着かせる効果はなかったようだった。
「ま、待ってて、僕の魔力で足を作り直してあげるから」
「おっと、今のイオリは大分混乱してるね? その状態では難しいだろ、普通の魔法を出力するのとはわけが違うんだから」
ニルヴァーレの肉体は伊織の魔力で作られているが、その構造は恐ろしく複雑だ。
血管、筋肉、骨、神経などが緻密に再現されている。もちろん本当に血が流れ出ることはないが、見た目の痛々しさは治療のしづらさと直結していた。
落ち着いて集中できる部屋ならいざ知らず、そんなものを混乱状態で出力するのは至難の業だ。戦場で緻密なプラモデルを組み立てることに近い。
泣きそうになっている伊織を宥めようとしたニルヴァーレの元にヨルシャミが近づく。
「魔力譲渡と同じで失敗すれば致命傷になりえる。やめておけ」
「……! ヨルシャミ……」
身構えた伊織はニルヴァーレを守るように抱き寄せるとヨルシャミを睨みつけた。
その時リーヴァが目覚めた気配を感じ、そちらをちらりと横目で見る。
「……リーヴァ、人の姿になってニルを安全な場所に避難させて」
「待て、イオリ、僕は君の傍から離れるつもりは――」
リーヴァが赤い目をニルヴァーレに向け、直後に姿をぐにゃりと歪ませて黒い髪と赤い隻眼の男性の姿に変身した。普段の少女と異なるのは人間の姿で誰かを運ぶのに適した姿を選んだせいだろう。
ただし、少女の時はメイド服であったように今は執事服を身に纏っている。洗脳の影響を受けても『誰かに仕えるならそれに適した服飾で』という考えは変わっていないらしい。
リーヴァはニルヴァーレを抱えると制止しようとする彼を無視してその場から離れていった。
残された伊織はヨルシャミを見たままずらりと風の鎌を生やす。
「……逃がしたところでリーヴァはお前から離れればそう長い間召喚状態を保てぬだろうに」
「ここに居るより安全だよ。僕は弟を守るんだ、絶対に」
「矛盾しているぞ、イオリよ」
ヨルシャミはじっとその場に立ったまま伊織を見つめた。
「お前がしようとしている――否、させられようとしている世界の穴を作る計画。それを実行すれば世界は更に最悪の状態になる。そのような世界にして誰かを守るなど言えたものではないだろう」
「そ、それは……僕が守るからいいんだ。父さんがやりたいことを手伝って、成功させて、世界が危険になったって家族みんなで力を合わせれば何の問題もない。君たちが邪魔してこなければね」
前向きに明るく、そして破綻したことを言いながら伊織は風の鎌をヨルシャミに振り下ろす。
ヨルシャミは後ろへ跳ねて回避した――その時だ。
地面に立っているのが嫌になるほど異様な気配が足元を覆った。それも狭い範囲ではない。島を覆うほど巨大なものだ。魔力の流れを見たヨルシャミは思わず息を呑む。
「なんだこれは……巨大な魔方陣か……!?」
様々な魔法が歯車のように噛み合ったもの。
組み立てるのに一体どれだけの時間を要したのか瞬時に想像出来ないほど細密な代物だった。
ヨルシャミほどではないが魔力を目視できるようになった伊織の目にもそれは映り、ハッとしながら屋上を見る。
「……! 早く行かなきゃ――」
「先ほど上空から何かあるのが見えたが、それが関わっているのか?」
伊織は口角を下げるとヨルシャミの問いには答えず、建物に向かって走り出した。
ヨルシャミもその後を追いながら影の手をいくつも伸ばす。それを払い除けた伊織は風の鎌を壁に刺して上り始めた。
「待て! イオリ、これ以上手を汚すな!」
「うるさいよ! 止めたければ手加減せず殺す気でくればいいだろ!」
ヨルシャミの実力はこの程度ではない。
ずっと怪我をさせないよう手加減していると伊織もわかっていた。それが癪に障るのだ。なぜ敵なのに大切にしようとするのか、大切なものを奪おうとしているくせに、と。
壁を上る伊織にネロが組み付いたのはそんな時だった。
「っ……ネ、ネロさん」
「イオリ、ホントそろそろ俺たちの元へ戻って来いよ。まだやり直せる。一緒になりたかった救世主を目指して良いんだ」
伊織の両腕を掴んだネロはそう言い聞かせるように伝える。
かつて伊織はネロとの約束を覚えていた。そうして言ったのだ、自分はナレッジメカニクスであり、そんな僕が救世主になんかなれるはずないだろと叫ぶように。
だがネロにはそんなことは関係ない。
まだ目指せるのだと示し続けるだけだ。
「お前は言ったんだ、母さんみたいな救世主になりたいって」
「……!」
「もしかしたら母親についての記憶は元から良いものばかりじゃなかったのかもしれない。……俺もそうだった。でもお前は母親を大切に思ってたろ、その気持ちは誰かに根こそぎ奪われて良いもんじゃない」
「だ、だから思い出してこっち戻ってこいって? わけわかんないよ!」
伊織は風の鎌でネロを何度も斬りつけたが、致命傷には至らなかった。自分だって本気で斬っているのになんで、と混乱した表情で体を捻りネロを振り落す。
屋上へ跳び上がった伊織は倒れたセトラスを担ごうとしているパトレアに気づいてぎょっとした。
セトラスは爆発で気を失ったのか項垂れたまま動かない。
「兄さ――」
「イオリ殿! 装置はセトラス博士が守りました、こちらは任せて早くそちらへ!」
パトレアの一言で我に返った伊織は屋上に転がる装置を見た。倒れているだけで傷はついていないようだ。
一拍遅れて屋上に降り立ったネロとヨルシャミはそんな伊織の後ろ姿を見て思考する。
母親関連の事柄は特に強く影響を受けているようだ。あまりにも聞く耳を持たない。
今の伊織を止めるには隙がほしい。
ならば彼が気にかけており、こちらに強く興味を示す『何か』を提示すればいいのではないか。それも虚を衝けるほどこの場に似合わないものを。
先に動いたのはネロだった。
妙案が浮かんだか、とヨルシャミはそちらを見る。ネロは大きく息を吸い込むと、後ろからであろうが容赦なく耳に入る大声で伊織に言った。
「よく聞けイオリ! 俺は……俺は……ヨルシャミの裸を見たぞ!!」
「は!?」
「えっ!?」
渾身の一言。
あまりにも渾身すぎたその一言は伊織だけでなくヨルシャミの動きまでも止めるのに十分な威力だった。
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