第788話 知っていること、知らないこと

 世界の穴を人工的に作る計画。

 それそのものは知っていた。


 なにせシァシァはオルバートがそれを思いついた時からナレッジメカニクスに居るのだ。

 出会った頃のオルバートはどこか落ち着きがなく急いていた。何をしたいのか明言しない事柄があるのは今とそう変わらないが、その頃の沈黙は理由あってのものだったように思う。


 そんな時、オルバートが世界の穴について言及したのだ。


 ナレッジメカニクスに入ってすぐのシァシァが「世界が危機に瀕している」ということを初めて耳にしたのはその時だ。世界の神が実在し、異世界からの侵略に苦しみながら転生者――当時は転移者を使って魔獣を倒しながら世界の穴を塞ごうとしていると聞いたが、三日ほど信じていなかった。

 たしかに魔獣はいるが、それは昔からだ。

 世界の穴からもたらされた侵略の先陣などとは思えない。

 しかしオルバートは「世界そのものから見ればここ一億か二億年程度は最近のことだよ。君は長命種だけれど、まだそこまで生きているわけじゃないだろう」と言っていた。

 それほど昔から侵略を受けているせいで、世界を故郷とする者は当たり前のこととして受け入れてしまっているのだろうとも。

 対してオルバートとシェミリザは当時から転移者を捕まえて情報でも引き出していたのか、大体のことは把握していた。


 そうして興味を持ったのだ。

 穴の先には一体何があるんだろう、と。


 それはオルバートの命題になるほど彼の興味を引いたのか、一時は数年ほど話しかけてもおざなりな反応しかしないほど研究に没頭していた。当時は熱中期が無かったため激昂されたり何の反応もないということは避けられたが、それでも相当な集中力だった。

 そして数十年間それを繰り返し、ある時を境に件の熱中期が現れる。

 それだけ集中するほど大切なことなのか、とシァシァは思ったことがあるが――奇妙なことにそれは世界の穴の向こう側を調べること以外にも発揮され、次第に穴の向こうを気にすることもなくなっていった。

 飽きてしまったか、それとも無関係に見えて穴の向こう側を知るのに必要ようなことばかりなのか。


 当時のシァシァにとってはどちらでもよかった。

 不老不死ではあるが、所詮は人間のやることである。


 そして数百年経った頃、オルバートは本物の世界の穴を観測出来ないなら自分たちで作ってしまおうという結論に達した。突然すぎてシァシァですら一瞬固まったくらいだ。五年前の話題をさもついさっきまでしていた話のように繋げてきたのである。


(世界の穴を増やせば被害は広がる。恨みのない異種族も多い世界だけれど……侵略が進みすべて壊れてしまう可能性もあった)


 しかしそれでもいいか、とシァシァは思ったのだ。

 この世界は一度リセットしてしまった方がいい。リセット方法がどれだけ薄汚いものでも、各地に蔓延る人間たちよりはマシだ、と。

 当時は恨みの気持ちだけでそう考えていたが――今は諦念と、同じ感情を重ね塗りし続けたような気持ちで同じことを考えている。伊織とヨルシャミを雪山の小屋で勧誘した時に口にしたのもそれだ。

 どうやったってほとんどの人間は変わらない。

 それを恨みきれない自分もいる。

 子供や一部の心根の優しい人間だけは見逃したいと中途半端なことも思う。

 薄汚れた人間を恨んでいるくせに自分も薄汚れてしまった。

 それらもまとめてリセットしたかったのかもしれない。


(けれどまた光を得てしまった。……得てしまったんだ。なのに)


 母思いだった伊織を洗脳し、母と戦わせた。

 それでもシァシァはナレッジメカニクスを捨てられなかった。

 しかし、今度は世界の穴を塞ぐ使命をあんなにも真っ直ぐ信じて完遂しようとしていた伊織に世界の穴を作らせるつもりだという。

(自分を含めて――)

 どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。

 シァシァは細い目を開いてニルヴァーレとヨルシャミを見る。


「世界の穴を開くなら自力で出来る方法を今までみたいに探し続ければよかったんだ。なのになぜそこで伊織を巻き込むんだ」

「……それだけ相性が良かったんだろうね。シァシァ、君は聖女たちに捕まっていて知らないだろうが、イオリの作り出した魔力の鎖は世界の穴のふちに引っかかったんだ。――穴に触れられるものなんて早々ないだろう?」


 ニルヴァーレの言葉を聞いたシァシァは一瞬息を止めた。

(良い発見があった……っていうのはコレのこと?)

 オルバートは明言はしていなかった。

 それだけ重要なことを伏せていたのだ。きっと意図的なものだろう。伊織に手伝わせたい計画があると言っていた際も、それが予てより進めていた人工のワールドホール計画に関わるものだと言わなかったのは予想されることを懸念してかもしれない。

 伊織をこの計画の要に使うとわかっていたらシァシァから大きな反発があると予想していたのだ。

「……シァシァよ、お前はこの計画に賛同しているのではないのか?」

 ヨルシャミが怪訝な顔で訊ねる。

 外から見ていてもわかるシァシァの葛藤はヨルシャミに疑問を抱かせるのに十分だった。

「世界がどうなろうがワタシには関係ない。でもあの子は駄目だ」

「ならば……ならばもう洗脳など解け! 世界に穴など増やすな。人間を嫌う気持ちはわかるが、イオリも人間だぞ!」

「わかってる!」

 シァシァがそう絞り出すように言った時、セトラスの発砲音とリーヴァがドラゴンにぶつかる音が同時に響いた。

 狙撃に気を取られ、その隙にリーヴァに体当たりされ体勢を崩したドラゴンにパトレアが鋼鉄の足でかかと落としを食らわせる。しかし狙いが逸れて体表を滑ってしまう。

 そのまま落下したパトレアが「んぎゃ!」という声と共に地面に突っ伏したのを見て、シァシァは引き結んだ唇を緩めると長い溜息をついた。


「ひとまずアレをどうにかしないとネ」

「……三人がかりでゆくか?」

「そうしよう。これが終わったらワタシはオルバに直接聞きに行く」


 一体全体どういうつもりなんだ、と。

 聞く耳があっても話は通じないけどねと言いながらニルヴァーレはシァシァを見上げた。

「で、どう動く? ヨルシャミはともかく君と即席で連携できる気がしないんだが」

「おい間接的に気色悪い思いをさせるでないわ……!」

「アハハ、さっきあのドラゴンが屋上に乗ってたでしょ? ケド建物の被害があの程度で済んでる。多分あいつ、図体のわりに随分と軽いみたいだ」

「……? だが衝撃に耐える力は中々のものだったぞ」

 シァシァは肩を竦めてみせる。

「君たちド派手に動いてたから警戒し続けてたんじゃない? 攻撃を受ける瞬間だけ強めに羽ばたいてるのが見えてた。だから試しに不意打ちで重いものでも食らわせてみようヨ」

 仮説が間違ってても少しくらいはダメージになるさと言い、シァシァは片手を小さく上げた。


「で、その重いもの役、ワタシに任せてもらえるかな?」

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