第786話 親心なのに

「前にここへ来た時、親としての気持ちと向き合ってみてもいいんじゃないかって言ってたね」


 外の様子が気になる。

 そうそわそわしていたニルヴァーレにかけられたのは、オルバートのそんな言葉だった。

 突然の言葉にきょとんとしていたニルヴァーレは「ああ、そのことか」と真っ直ぐな視線を向ける。

「あれから少しは考えてくれたのかい? ……いや、まあこうして計画始動に踏み切った時点で考えちゃいないんだろうけど」

「はは、向き合おうとして悩むくらいはしたとも」

 オルバートは次から次へと現れるタブに様々なコードを打ち込んでいく。

 それは世界各地に設置された魔方陣を展開させる作業だった。

「でもね、よく考えてみても僕はあの子に……伊織に役割りを与えてやる方がいいと思うんだ」

「それはどうしてなんだ?」

「あの子は僕たちの役に立ちたがっているし、それを僕も嬉しく思うからだ。持ちつ持たれつじゃないか」

 ニルヴァーレは端正な顔を歪ませると声を苛立たせる。


「それを親心だと言い切れる気持ちがわからないね。そもそもイオリが役立ちたがってるのは君たちが洗脳したからじゃないか」

「洗脳で僕たちに好意を抱くように仕向けはしたよ。これまで共に暮らした記憶も植え付けた」


 けれど、とオルバートは静かに言った。


「伊織が僕たちを家族と定めたのは彼がそう望んでいたからだ。洗脳前からこういう家族が欲しかったんだろう」

「……でもイオリには本物の母親が、……」


 伊織本人から話を聞いたり、夢路魔法の世界で見聞きしたニルヴァーレは伊織の前世を僅かながら把握していた。もちろん全てではなくほんの表層だけだろうが、それでも家族の繋がりが特殊な家庭だったことはうかがえる。

 父親は伊織が幼い頃に死んだ。顔も声も意識して思い出せなかったほど前に。

 母親は体が弱く、病魔に侵され入院していることが多かった。

 家に帰ることが叶っても伊織は母親の世話に追われてばかりで、普通の落ち着ける家庭ではなかった。どうすればいつ血を吐いて倒れるかもしれない痩せこけた母親の世話をしながら安堵感を感じられるというのか。


 伊織は安心できる、子供が子供でいられる『家族』を渇望していた。

 そこで役立つ喜びを得て成長したがっていた。


 そう思い当たったニルヴァーレは押し黙る。

 ニルヴァーレは母親のことは覚えていない。父親との思い出も碌なものがない。

 認めたくはなかったが、伊織と出会って新たな価値観を得たことで「自分も家族に愛されたかったのではないか」とうっすら思うことはできるようになっていた。相変わらず愛情については疎いが、望んだ家族から愛されたなら、そして同じものを返せたなら、とてつもなく嬉しいだろうなと思う。

(だからイオリの気持ちはわかる。でも)

 しかし、だからといって今の扱いを看過することはできなかった。


 いっそここでオルバートを襲い、装置を壊してしまおうか。

 オルバートがこのタイミングで人工ワールドホールを開こうとしているのは聖女たちの気を逸らすため、そしてその隙を突いて倒そうという算段があるからだ。

 その計画は意図せぬ魔獣の乱入で場が混乱していたのを見ても効果があるように感じられた。

 だがつまりそれを成せなければオルバートたちが追い詰められるということでもある。


(イオリのことを考えるとタイミングや条件がシビアで実行は出来なかったけれど――)


 シェミリザは聖女側にいる。

 ヘルベールは恐らくナレッジメカニクスの戦力にはならない。

 パトレアは伊織と共に屋上へ向かい、そこにセトラスもいる。

 シァシァは出入り口に居るがここからは見えず、それはあちらからもこちらが見えないということだ。加えて警戒するのは中ではなく外だという認識がある。つまりシァシァの意識は静夏たちの方へ集中しているだろう。


 その誰もがオルバートの様子を見ることはできない。


(これは良い案かもしれない。オルバートは不死のようだけれど制圧はできる。あとは一番近いシァシァに気づかれる前に装置を壊して、可能ならイオリを掻っ攫って自分から聖女たちに接触すればいい)


 なら洗脳を解く試みも落ち着いた環境で出来るかもしれない。危険ではあるが今はもはやどれだけマシな選択肢を選べるかどうかという状況になっていた。

 正体がばれてもいい。

 ここでやろうか、とニルヴァーレが魔法を使おうとした時、オルバートがぽつりと言った。


「けれど疑問に感じることがある」

「……疑問?」

「僕は――もっとなりたい家族の形があった気がするんだ」


 オルバートはそう言いながら片手で己の胸元に触れる。その間も残った片手はキーボードを叩き続けており、まるで二人の人間がそこに居るかのようだった。

「そう感じ始めたのは最近なんだけれどね」

「今のこの関係が歪んでるって自覚したんじゃないかい」

「どうだろう。これが正しいという気持ちもまだしっかりと持っているから判断に困っているんだ。ただ……」

 オルバートは赤紫の濃い瞳でモニターを見上げる。


「世界の穴を開けることも心から望んでいることだ」

「――その言い方、人工の穴は逃げるための手段じゃなくて本当は主目的ってことか」


 元からオルバートが世界の穴を人工的に作りたがっていたのは知っている。千年前は今よりもっと積極的だった。曰く、穴の向こう側にあるものが知りたいのだという。

 その熱意はヨルシャミの持つ『世界の神と対話する方法』を聞き出そうとしていた時と似ていた。どちらも原動力は知的好奇心だ。

 しかし今のオルバートを見ているとそれだけではないような気がした。


 オルバートはニルヴァーレの棘のある言葉に首を横に振る。

「意図せず逃げる手段に使うはめになった主目的、だよ」

 オルバートは記憶を探っているのかモニターを見ているというのにどこか遠くを見ているような目をした。

 その目が突然大きく開かれる。

 ニルヴァーレがその視線を追うと、一つのモニターに外の映像が映っていた。迫り来るヨルシャミの姿がある。

 しかしオルバートが驚いたのはその向こう、海の彼方から猛スピードで飛んでくるドラゴンの姿を見たからだった。

 ただの魔獣ならそう驚きはしないが、ドラゴンは何十メートルもあるほど大きい。小型ばかりと思っていたが突如超大型の魔獣が現れた形だ。

「これまた大物が出たな……」

「オルバート、さっきからおかしいぞ。君のやろうとしている実験のせいなんじゃないか」

「穴を開くからかい? けれどまだ1ミリたりとも開いていないんだ、そんなことがあるとすれば本物の世界の穴に何か――」

 そうしている間にドラゴンがどんどん近づき、まず初めに見えた人間――木々のそばにいた静夏たちではなく、見晴らしの良い屋上にいる伊織たちに向かって落下するように加速するのが見えた。


「……ニル、伊織たちの方へ行ってやってくれるかい。魔獣相手なら捕らえられるんじゃなくて殺されるだけで済むだろうからね」

「注文が多いな君は! ああもう……言われなくても行くよ!」


 オルバートを戦闘不能にし装置を壊すには時間がない。

 そしてパトレアと負傷したセトラスだけでドラゴンを相手にするのは無理がある。ニルヴァーレは言われるまでもなく伊織の元へ向かうしかなかった。

 屋上にはヨルシャミも居るだろう。もしかするとシァシァも向かっているかもしれない。

 まったくタイミングが悪いなと独りごちながらニルヴァーレは風の魔法で飛び上がり、一瞬だけ背後のオルバートに意識を向けた。


 自分はいいから伊織を守ってほしい。


 その心だけは本物の親心だというのに、なぜわかってくれないんだろう。

 そんな疑問が湧いたが、もはやオルバート相手では意味のない問いだと一蹴するのに一秒もかからなかった。

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