第785話 伊織がいる
「セトラス兄さん!」
「……イオリ? ――ああ、装置の調整が終わったんですか」
建物内から顔を出した伊織とパトレアを見て状況を察したセトラスはライフルを構えたまま背後を指す。
「少し離れてなさい、あまりこっちに近づきすぎると聖女たちの位置から見えますからね」
「わかった! ……めちゃくちゃ狙われてたけど今は大丈夫?」
伊織は身を屈めて装置を置きつつ問う。
セトラスは発砲しながら答えた。
「魔獣のおかげで少し楽になりました。……が、その魔獣もいつこっちに向かってくるかわからない状況なんで、さっさと終わらせたいところですね」
リータは相変わらずセトラスの弾のほとんどを落としていた。じつに恐ろしい迎撃システムだ。
それを掻い潜り届いたとしても各々が力を活かして致命傷を避ける。バルドなどわざと当たりに行っている節があった。人間の盾など趣味が悪い。
そう言い終わるとセトラスは黄金色の装置をちらりと見る。
調整中に耳にしたが、あれはアンテナのようなものだという。
本体はメインコンピュータと一体化した巨大な装置だ。本来は周囲の壁をパージし起動させる予定だったが、想定外の状況であり伊織を渡さないためにも建物はそのままの方がいいということになったのだ。
そこで出力用アンテナを作ることを提案したのはシェミリザだった。
積極的に口を出していたところを見るに、随分と前からこの計画に携わっていたのだろう。それ故に妙な不安感があるのは彼女の不気味な面のせいか。
セトラスは視線を外しながら口を開く。
「しかしまさか……逃げた先で人工ワールドホールをぶっつけ本番で作ることになるとは思いませんでしたよ」
「兄さんはこの計画のこと知ってたの?」
「穴を我々の手で作る計画は私がナレッジメカニクスに入る前からありましたからね。とはいえ直接関わることは稀でしたし、知ってるのも一部の幹部だけのようですが」
「あー、普通の所属員まで知ってたらパニックになりそうだもんね……」
世界の穴を作るということは魔獣被害が更に激化するということだ。他にも悪影響はあるだろうが普通の人間はまずそれを心配する。
ナレッジメカニクスに所属する者は全員がオルバートたちのような突き抜けた感性の持ち主ではない。我が身に危険が及ぶかもしれないと知れば逃げる者も多かっただろう。
それに、とセトラスは昔のことを思い出すように目を細めた。
「その計画が活発だった時期に居なかったのでさっぱりなことも多いです。……ただ何らかの原因で計画はストップしていたようでしたが――」
「ふふふ、それが解決したんだよね」
「ほう」
「内緒だったけどここまできたら大丈夫かな、この位置だとどうせセトラス兄さんにも見えちゃうし」
でもパパにはまだ内緒ね、と伊織はサプライズを隠す子供のように笑いながら声をひそめて言った。
「僕が出力した魔力の鎖。あれなら作り出した穴を固定して広げられるってわかったんだ」
セトラスは思わずと言った様子で振り返る。
「……! そうか、あの時の……」
「うん! ただ実用するためには強度を増さないといけなかったから、ずっと秘密で頑張って改良してたんだよ」
「しかしそれではまたイオリが引っ張り上げられてしまうのでは?」
「それはシェミリザ姉さんと父さんが作った装置がどうにかしてくれるんだ。だから僕は鎖を提供するのが役目かな」
父親たちの役に立てて嬉しい。
そう心底思っている顔で伊織は笑う。
「……そうですか……頑張りましたね、イオリ」
セトラスは伊織に対して心を開きつつあったが、彼が清く正しい道から外れることに不快感は薄かった。
セトラスにとってナレッジメカニクスは居場所だ。堕ちに堕ちた場所の方が居心地がいいなら、救われるなら堕ちてもいいという考えだった。
ヒトは皆が皆善性ではない。
明るい道では生きられない者が憩う場所があってもいいではないかと思うのだ。
それに洗脳されて選んだ道は伊織の意志によるものではないからと、そんなややこしいことを考えている間はない。
(明るい道に返せばまた家族を手放すことになるから、というのもありますが……)
こんな情けない理由は一生口にすることはないだろう、とセトラスは渋面を作る。
故に止めるつもりはなかったが、ほんの僅かな騒めきを感じた。そのせいだ。手元が狂いリータに迎撃されるまでもなく弾が外れてしまう。
それと入れ違いに飛んできた炎の矢が右肩を貫通し、セトラスは反動でよろめいた。
木の塔で胸部を射抜かれたあの瞬間がフラッシュバックする。傷が出来た先から焼かれる痛みもそのままだ。
歯を食いしばっていると伊織とパトレアが駆け寄るのが見えた。
「兄さん!? 傷が――」
「イオリ! パトレア! 下がりなさい!」
セトラスは咄嗟に白衣を広げ伊織を隠そうとしながら視線を走らせる。
その辿り着いた先、シェミリザと刃を交えるヨルシャミの目がこちらを向く。しかしセトラスは自分と目が合ったとは思わなかった。
そう、ヨルシャミがしっかりと両方の目で見たのは伊織だった。
***
――伊織がいる。
それも室内ではなく屋上に、だ。
何のために出てきたのかはわからないが絶好の機会であることはわかる。
ヨルシャミは影の大鎌でシェミリザの攻撃を受け止め、間髪入れずに風の鎌を生やして斬りつけた。しかしさすがといったところか、シェミリザは近距離で火球を破裂させ風の鎌を退ける。
数歩分退いたヨルシャミは背中合わせになった静夏に言う。
「イオリを見つけた。が、このままでは埒が明かない。一時的に魔獣とシェミリザ両方を相手にできるか?」
伊織が外に居るのは今だけかもしれない。中へ入られれば厄介ごとが増えるのは明白だ。それによく見れば接近を制していた狙撃手のセトラスが負傷していた。つまりまたとないチャンスである。
余裕ある表情の裏に切羽詰まったものを感じ、静夏は「任せるといい」と筋肉を唸らせた。
それを聞くなりヨルシャミは影の手と風の魔法を最大限に使って飛び出す。
「わたしを放っていくなんて薄情な子ね、――あら」
追おうとしたシェミリザの腕がグンッと引かれる。
それは片手で魔獣の羽を、もう片手でシェミリザの腕を掴んだ静夏によるものだった。
「いやね、あなたにはもう相手が居るでしょうに」
「魔獣だけでは役者不足と感じていたところだ」
静夏は黒髪の間から橙色の瞳を光らせ、落ち着いた、しかし力強い声音で言った。
「……故にしばらくの間、お相手願おう」
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