第319話 多重契約結界

 伊織はヨルシャミに「私が使った分だけ魔力を足してみろ」と言われて内心焦りを感じた。

 そんな感覚的なことをぶっつけ本番で投げないでほしい、と思うも、これも訓練の一環だろうかと思い当たる。国の防衛に関わる物を訓練に使わないでほしいところだが、伊織はそれに応えるべく意識を集中した。


(……ヨルシャミは絶対にできないことはやらせない)


 つまり、彼は伊織ができると考えているからこそ丸投げしたのだ。

 それに応えないわけにはいかないだろう。

 ヨルシャミは早速旅の道中で遭遇した魔獣、魔物、そして伊織たちの知らない種類の魔獣等を次から次へと書き込み始めた。魔力を充填している身でも伊織に知識があるものはこちらからも吸い出されていく。

 それはあっという間に一ページを埋め、自動的に次のページが捲られる。

 先ほどは緊張しており気がつかなかったが、文字が刻まれるたび金色の光が散ってとても綺麗だ。伊織はそれに見入りつつも「減った」という感覚がするなり魔力を手先から流し込んだ。

 目を瞠っていたアイズザーラはなぜか途中からはらはらとした表情になり、止めようか止めるまいか迷っているような腕の動きを見せたが、ヨルシャミは気にする様子なく書き込んでいく。


「旅の道中では一度しか見かけぬような魔獣が多かったが、実際は何度も繰り返し見かける魔獣の方が多い。名前の付いているものが代表格だ。ただ亜種も増えてきたし、突然変異もいるからな、それぞれ紐づけて探しやすくしておいてやろう」

「お、おおきに」

「あと今回のゴーストスライムのように少しだけ条件を足せばいいものをわざわざ新規で登録するのも勿体ない。後から書き足せるようスペースを空けておくぞ、これでも問題なく作動するはずだ」

「スペースなんか空けれるんか」

「みちみちに詰め込んでいたのは知らなかったからか!?」


 パソコンでいうならスペースキーも改行の仕方も知らないまま文章作成ソフトを使っていたようなものなのだろうか。

 アイズザーラに「後で教えてやる」と話しているのを横目に、ヨルシャミが器用だからこそできることじゃありませんようにと伊織は心の中で祈った。

「要の本のページ数はまだ4000ページほどある。ケチケチせず利便性を優先しろ。まあもし儀式的に問題があるなら私の口出しすることではないが」

「いや――いや、うん、大丈夫や。王として許す。もっと他にも弄れるとこはあるか?」

「いいのか?」

「使いやすくなればその分結界もええもんになるやろ、ややこしい建前よりそっちの方が大切や」

 国のためになるなら許す、とアイズザーラは重ねて言う。


「――ホンマならえらいことやで。結界の維持に必要不可欠なその本は国宝全部合わせても太刀打ち出来んほど大切なもんや。でもな、ほら見てみい、全員口出しする気あらへん」


 アイズザーラは周囲に並ぶ王族と関係者を指した。

 メルキアトラも、シエルギータも、イリアスやリアーチェ、他の親戚たちに加えてナスカテスラもそれぞれ視線に込めた感情は異なるものの黙って見ている。異論を唱えようという気がない。

「普通は一度に加えられるんは多くて10や。けど二人はとうの昔にそれを越えとる。……こんな実力者に任せへんのは愚行やろ?」

「……判断力のある王だな」

 認められたことそのものが嬉しかったのか、ヨルシャミは素直な笑みを浮かべて呟いた。

 今まで蔑ろにされたことも多かったのだろう。

「よーし、では大盤振る舞いだ! イオリよ、もうしばらく魔力を頂くぞ!」

「うん、登録できるだけしちゃおう!」

 伊織の体感的に魔力はちっとも減っていない。

 笑みを浮かべてそう答えると、ヨルシャミは「そうこなくては!」と笑みを返して両手を本に翳した。


 一気に書き込まれる情報たち。

 金色の残滓は舞い上がる緩い竜巻のように昇り、広がり、降り注ぎながら消えていく。

 要の本を共有しているからか、伊織にもヨルシャミが何をしているか何となく伝わってきた。

 情報の追加と更新をしながら整理と紐付けを行なっている。追記するスペースがない項目は新規に作った情報欄に紐付けて連動するようにされていた。まるで裁縫でもやっているかのようだ。


(……もしくは一般家庭でやりすぎたプログラマーさん)


 思わずそんなことを思ってしまい、本を経由して相手に考えが伝わる仕様でなくてよかったと伊織は小さく咳払いをしながら思った。



 ――合計330種。

 新たに書き込まれた魔獣・魔物の情報数である。

 ページはそれぞれとても薄いためまだまだ残っているが、こんなに捲られたのを見るのは初めてだとアイズザーラはまじまじと眺めていた。


 ヨルシャミは一仕事終えた顔で大きく伸びをし、最後に伊織と共に「結界の強化の足しにな」と魔力を流し込んで儀式は終了と相成った。

 ざわめきに包まれながら退室したところでナスカテスラが肩を叩く。

「イオリ! ヨルシャミ!! いやあ見事だった、危うく声を発しそうになったよ五千回くらい!!」

「本当にそれくらい発しそうだなお前は」

「それだけ凄かったんだよ! 俺様だって精々40といったところだ! 本当に大丈夫なのか?」

「ああ、消費した魔力はほとんどイオリのもの故な。ただ最後は――」

 そこへのしのしと歩いてきたアイズザーラがすっかり緊張の解けた様子で伊織を抱きしめた。


「イオリ! 時間が取れんくて予行練習も大分大雑把やったから不安やったやろ、ごめんな~!」

「お、おじいちゃ、くるし……」


 やはり静夏に豪快なハグを食らった時に近い圧力だ。

 じたばたする伊織を解放すると、アイズザーラはヨルシャミを見てにっこりと笑った。

「ヨルシャミもおおきに! ……今回は王の権限で許可出したけど、もし何か言うてくる奴がおったらいつでも言うんやで」

「ははは、その時は世話に――」

「ガツンと言うてやるわ、ヨルシャミはもうウチの孫の嫁同然やから家族やって!」

「ぶッ!」

 咳き込んだヨルシャミは手の平をアイズザーラに向けたまま後ろを向く。待て待てという意思表示のようだが待ったところで冷静な言葉が出てくるのだろうか。

 そう伊織が見守っていると、振り返ったヨルシャミは鼻血を滴らせていた。

 アイズザーラは衝撃を受けた顔をする。

「そ……そんなに興奮して……!?」

「ち、違う! これはだな、あれだ、最後なら温存しておくこともないからと結界にそこそこの魔力を注いだからであってだな――」

「ゼフヤ~! ヨルシャミが興奮して鼻血出してもうた! 医者呼んでくれ!」

「違うと言っているであろう!? というかナスカテスラがいるだろうここに! 呼ぶな呼ぶな!」

 騒ぐ二人を眺めながらナスカテスラは肩を揺らして笑った。

「また過負荷によるダメージか! ゴーストスライム戦でも酷かったな!」

「はい、けど今回は鼻血だけで済んでるみたいです、よかった……」

「いやー、しかし……」

 ナスカテスラは誤解を解こうと必死になっているヨルシャミを見る。

 今は鼻血を止めるのに何か栓はいるかと訊かれて「いらん! いらん!」と首を横に振っていた。そのたび鼻血が飛び散っているがいいのだろうか。


「……色んな意味で難儀だね!!」


 その言葉に、伊織は「ですね!」以外の返事をすることができなかったという。

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