第318話 病める時も健やかなる時も

 それから数日後、伊織は衣装合わせに向かうべく廊下を急いでいた。


 多重契約結界への参加は儀式的であり、専用の衣装や手順がある。

 もしかして結界への参加そのものより手順を覚える方が大変なのでは? と後から湧いた疑問は見事当たっていたため、伊織は度々アイズザーラに教えてもらいながら予行練習していた。

 これはヨルシャミも同様であり「なぜパパッと終わることにここまでする!?」と嘆いていたが、文化そのものは受け入れるつもりらしく大人しく練習を重ねている。


(今日は訓練後にお風呂に入ってたからちょっと遅れちゃったな……!)


 騎士団の訓練も最終段階に入り、実技も交えているためどうしても汚れてしまう。

 儀式の練習のことやラタナアラートの調査のことをランイヴァルだけは知っているため「訓練を数日休まれてはどうですか」と心配からの提案を受けたが、伊織、ヨルシャミ、ニルヴァーレの三人はそれを断わった。

 最後の最後を適当に済ませてしまう形になるのは避けたいから、と。

 しかしそれを実現するためてきぱきと動き回った結果、この数日間は怒涛の大忙し期間であった。高校受験の時でもここまでじゃなかったぞと伊織は遠い目をする。


「……っと、あれ?」


 そうして廊下を進んでいると、渡り廊下の真ん中で窓側に肘をついて外を見ているバルドの姿が視界に入った。

 最近はこちらが忙しいか、あちらが遠征や自ら城の雑用を手伝っているかでなかなかじっくりと話す機会がなかったように思う。

 今もそう時間はないが、挨拶くらいはしておこうと伊織は口を開きかけ――足を止める。


 洞窟から帰還して以来、バルドは髪を縛るのをやめた。

 長い髪の跳ねも城に来てからは使用人に手入れされているのか今までより落ち着いている。

 その髪が風により窓側へなびき、顔の半分が隠れた瞬間、まるで別人がそこに立っているような錯覚を起こして声をかけるのが躊躇われたのだ。


 バルドがオルバートに似ている、という話をふと思い出す。

 別人のように見えるとしたら誰に見えているのか。件のオルバートなのか。伊織は一瞬の間だけ得たその違和感を意識的に手繰り寄せて一歩近づく。

 その足音に気がついたのか、ようやくバルドが髪を押さえてこちらに顔を向けた。

 伊織の姿を認めるまで感情の含まれていなかった目は――たしかにオルバートに似ている。

 伊織がオルバートと出会ったのはあの短い邂逅しかなかったが、それでも目元に面影を見てしまった。ただ目の色だけは随分と違う。焦げ茶の瞳はむしろ……と、そこまで考えたところでバルドが満面の笑みを浮かべて手を振った。

「おお、伊織! なんだよそんなところに突っ立って」

「へ……あ、いや、そういうバルドこそこんなとこで何してるんだ?」

 虚を突かれた顔をしつつ伊織はぎこちなく笑い返す。

 バルドは「外見てた」と窓の外を指さした。

「なんか最近、んー……夢見っていうのか? うん、夢見が悪くてな。あはは、豪華なもんに囲まれて寝てるとストレス溜まるのかもしれないなぁ。だからちょっと気分転換にさ」

「え、じゃああんまり寝てないのか?」

 思わず近寄って顔を覗き込むと、どことなく目元に疲れが現れているように見えた。ああ、きっとこのせいで他人のように見えたんじゃないか、と伊織は無意識に関連付ける。

「……なんか悩んでることとかあるなら話してくれよ、その、僕も母さんも 聞くからさ」

 おずおずとそう言うと、バルドはきょとんとしてから歯を見せて笑った。

「心配すんなって。悩みっちゃ悩みなんだけどさ、ただの夢かもしれないんだ。っていうか判別がつかなくて上手く話せないっていうか……」

「……?」

「とりあえず確信が持てたら相談する。そん時は聞いてくれるか、伊織」

 伊織はバルドの問いに頷く。

 正直言えば不確定な状態でも話してくれていいのに、と思ってはいたが、本人がこう言っているのだからあとは待つだけにしておいた方がいい。

 バルドはどこか安心した様子で伊織の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「……ところで伊織、お前どこかに向かう途中だったんじゃないのか?」

「あー!? 衣装合わせ!」


 目的を思い出した伊織はハッとして走り出すとバルドに手を振った。

「ちょっと行ってくる! ……バルド! いつでも相談してくれよ!」

 仲間なんだから、と言葉を重ねると、バルドは笑みを浮かべたまま手を振り返した。


     ***


 程なくして多重契約結界の加盟の儀が執り行われることになった。


 専用の衣装は白の布地に金の糸で刺繍が施されており、男女共に長い布を体に巻くようにして着るタイプのものだった。着物よりは南アジアのサリーに近い。

 足元は素足だが代わりに装飾品はネックレス、ピアス、腕輪や指輪など多種が取り揃えられていた。

 伊織は自前の腕輪と指輪に加えて普段はしないイヤリングタイプの耳飾りとチョーカーを着けている。

 ヨルシャミは故郷の衣装に似ているのか手慣れたもので、装飾品も惜しみなくつけていた。


 儀式には専用の地下広間が用意され、階段を下っていくと王族が円を描くように待っていた。多重契約結界に参加している者だけ腰帯が薄黄色をしているようだ。中にはイリアスとリアーチェの姿もあり、二人とも緊張して見える。

(もしかしてあの二人も初めて参加するのかな……?)

 参入者と見守る側では立場は違うが、伊織はほんのりと親近感を抱いた。


 円の中央には開かれた本――金でできた開かれた本が台の上で鎮座している。

 あれがヨルシャミの言っていた結界の要だろうか。

「コントラオールという名の特殊な金で出来たものだ。初めて見るだろう」

「うん、凄いな……これが結界の要?」

「うむ。これのおかげで多重契約が容易になっている。その分希少だがな」

 私も久しぶりに見る、と言いながらヨルシャミは伊織と共に本の前へと移動した。

 契約を結ぶ魔法はそれだけで高度なもので、ヨルシャミやニルヴァーレはまるで当たり前のように使っていたがナスカテスラ曰く「ゾッとするよ!!」とのことだった。恐らく褒めているが本当にゾッとしている可能性も高い。

 個人間の多重契約も例がないわけではないが、普通はこういった国に関わる事柄で使われることが多いという。

(それを三人で行なったと思うと不思議な感じだな……、っと)

 本の前で歩みを止めた二人はゆっくりと振り返る。

 すると間近に移動していたアイズザーラが低く響く声で言った。


「両者、名を告げよ」


 いつもの関西弁は鳴りを潜め、そう言い放ったアイズザーラはただひたすら『一国の王』という概念そのもののようだった。

 二人は事前に行なった予行練習通りに言う。しかし予行練習といっても「王がいくつか質問するからそれに答えろ」というざっくりしたものだ。


「伊織」

「ヨルシャミ」

「両名の名を刻むことをベレリヤ国王として許す」


 アイズザーラのその言葉をキーに本がパラパラと捲れ、まるで金箔のように薄いページの上に二人の名前が自動的に刻まれる。

 これでようやく『多重契約結界への参加が許された』ということだと前にヨルシャミが言っていたのを伊織は思い出し、呼吸を整えて台の方へ向き直った。

 アイズザーラも移動し、本を挟んで二人と向き合う形になる。


「多重契約結界への参加に際して両名に問う」

「は、はい」

「うむ」

「国とは土地、土地とは母、同じ母なるものに育まれた家族として――イオリ、ヨルシャミ。病める時も健やかなる時も、母なる国を守ると誓うか」

(……ん?)


 なんとなく聞いたことのあるフレーズが混ざっていた気がする。

 伊織は仄かに動揺しつつ、ヨルシャミが特に気にすることなく「誓おう」と言ったのを追うように「誓います」と言った。


「では富める時も貧しき時も、我らが母を慈しむと誓うか」

(ん、ん……?)


 やはり聞き覚えがあるどころではない。

 しかし愛し慈しむのは『国』である。何を動揺してるんだと伊織は心の中で頭を振ったが、ヨルシャミが「誓おう」と言うと心臓が跳ねた。

(いや、その、あれだ、け……結婚式を疑似体験してるのは僕だけみたいだからしっかりしないと、うん、しっかり)

 そう自分に言い聞かせていると思っていたよりも時間が立っていたらしく、ヨルシャミに肘でつたかれた。

 伊織は慌てて口を開く。


「ち、誓います!!」


 ――ナスカテスラばりに大きな声になってしまった。

 アイズザーラは一瞬きょとんとしたが、気を取り直して「では誓いの証を」と一歩下がる。

 誓いの証?

 証ってあれか?

 人前で?

 などと混乱している伊織を再びヨルシャミがつつき、見ておけ、と本の上に手をかざした。

(……あ、そうか、結界への参加が証か)

 どうにも先ほどの勘違いに思考が引っ張られてしまう。

 ヨルシャミは指先から本へ魔力を流す。どうやら魔力操作の応用らしい。それを説明されずともわかるようになっていることに伊織は少し感動した。

「……新手のゴーストスライムについて加えておいた」

「よし、では次はイオリ」

「はい。……」

 伊織は今まで会った魔獣の中から特に印象深かった不死鳥を思い浮かべる。まったく同じものが現れる可能性は低いが、加えておいて損はない。それに加盟するだけで結界の底上げにもなるのだ。

 不死鳥のことを思い描きながらぎこちなく魔力を流す。

 生き物のように破裂はしないと聞いているが、それでも緊張した。本はその魔力をするすると吸い込む。それと一緒に頭の中から不死鳥に関する情報が引き出されるのがなんとなくわかった。事細かに設定しなくてもこれで登録されるらしい。

「魔力はこの本に情報を書き込むインク代わりなのだ」

 隣でヨルシャミが静かに言った。

 さぞ神妙な顔をしているんだろうな、と伊織が視線を向けると、ヨルシャミは神妙どころか妙に不敵な笑みを浮かべていた。

 なにその顔? と思っている間にヨルシャミが「追加の提案の許可を」とアイズザーラに顔を向ける。

「……? 許可する」

「魔獣魔物の情報は私の方がより多く持っている。しかし訳あって大量に魔力を使うのは避けたい。そこで折角の機会だ、私とイオリの共同作業でもう少し追加をさせてくれないか」

 ヨルシャミは肉体との相性が悪いため、魔力を使うだけでも大なり小なり体内、特に血管を傷めているのだ。

 インク代わりに魔力を使う程度ならどうということはない。肌を緩く引っ掻かれているようなものだ。しかし回数を重ねれば緩く引っ掻いていようがその部分は傷むもの。そのためインクにする魔力は伊織のものにしよう、という提案だった。

 アイズザーラは声を潜めて訊ねる。

「……いや、他人の魔力使うなんて出来るんか? 魔力譲渡もヒトとヒトの間では無理やろ?」

「コントラオールの要があるではないか。これは中にインク壺のように魔力を溜めておける。さっきは情報と共に流して即使ったが、中に溜めたものを使えばよい。……し、仕組みを理解せずに使っていたのか?」

「いやあ、なんか手順通りやったら出来るなぁと思いながら書き込んどったわ……」

 人間は危なっかしいな、と目を剥きつつヨルシャミは伊織に本の左側に手を翳すよう指示した。


「兎にも角にもこれは多重契約結界を作り出すための魔法道具だと思えばいい。中に魔力を溜めて、他者がそれを好きなだけ使い書き込むこともできる。まあ行儀は悪いが――今だけ許せ」


 後悔はさせん、と再び不敵に笑うと、ヨルシャミは本の右側へと手を翳した。

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