第320話 ただいま
王都の多重契約結界に加わるための儀式が終わり、再び訓練や討伐の計画が進められた。
伊織の味覚異常の原因が呪いによるものだとわかり、一番初めにナスカテスラが口にしていた「最低でも三週間」という時間よりも大分早く予定が進んでいたが、諸々の準備や予定から結局そこに後から追加すると言っていた二週間も含めた日数に近い時間が経っている。
次の目的地はベルクエルフの里、ラタナアラートと確定。
目的は呪われたものを特定するための道具の回収と、強力な魔獣が現れたという噂の確認及び行方不明者の捜索。
出発時期は討伐が一段落し、騎士団の準備が整い次第ということになっていたが――ついに今日の朝、二日後に出発するという一報があった。
騎士団はあれから帰還したメンバーも含めてそれなりの人数になっていたが、ラタナアラートへ同行するメンバーはランイヴァルとその部下が数名のみ。
先行して里に交渉へ行っていたものの、大人数で訪れるのは控えてほしいと里長から言われたらしい。
噂はあれど里の者に被害はなく、そしてそもそも元から外の世界との隔絶を好む文化のため渋っているのだろう、とのことだった。
危険ではあるが今回の名目は魔獣退治ではなく調査の段階であるため、騎士団側も強くは言えなかったようだ。
「俺様たちが同行するって言ってもダメとは、ウチの里はどれだけ経っても変わらないね!!」
そう言って口を尖らせていたナスカテスラは怒っているというよりもどこか諦めているような雰囲気だった。
その後伊織たちは訓練の仕上げを終え、あとは個人で繰り返し鍛えられる点や課題をリストアップして各人に伝えておいた。これで今までより少しは戦いやすくなるだろう。
***
「――さて、ようやくあとは王都を出発するだけというところまで来たわけだが」
大樹の上に作られた小屋の中、眠ったままのセラアニスを見下ろしてヨルシャミは呟くように言った。
「お前の同胞の里に行くことになったぞ、セラアニスよ」
そう話しかけてみるが、もちろん返事は返ってこない。
あれからセラアニスを何度も見舞っていたが、仄かな反応はあるもののなかなか目を覚ますに至らなかった。
伊織は瞼を上げないセラアニスを見ながらベッドの脇に立つ。
(血色は良く見えるけど、……)
夢路魔法の中における見た目の状態がどれほど信用できるものなのかはわからないが、本人のイメージが反映されているのなら悪い状態ではないのかもしれない。
しかし眠っているセラアニスの顔を見ていると、伊織はつい入院していた前世の静夏を思い出してしまった。
普段から調子が悪く、眠りが浅いこともあれば薬の影響で深く寝入ってしまいなかなか起きないこともあったが、一時期昏睡状態になった時は呼び掛けにも一切反応しなかった。
あの時の恐ろしさは筆舌に尽くし難い。
父が死に、唯一残された母も死んでしまうかもしれない。
眠っているだけのように見えるのに、それは見た目だけの話。つまりいつ自分の元から消えてしまってもおかしくないということだ。
伊織は病室に泊まることを望んだが、幼さもありそれが許されることはなかった。
(あの時はなんとか持ち直したけれど、……)
幼心にとても強く思ったことがあったように思う。
なんだったっけ、と思うほど思い出せないということは大したことではなかったのだろう。そう思いながら伊織はセラアニスの布団の位置を正そうとし――同じことを母にしようとした時のことを思い出し、その時感じていた気持ちが喉まで出かかった。
はっとしたところでセラアニスの目が開く。
「……あ」
「ん!?」
「おや」
あまりにも突然の覚醒に驚いたのは声を漏らした三人だけではなく、セラアニス本人もハテナマークを大量に浮かべて目を瞬かせた。
そんな感情が伝わるほど彼女に意識がある。
そういち早く理解したヨルシャミが「おお、セラアニス!」と名前を呼んだ。
「ようやく目覚めたか! いや、目覚めそのものは当初の想定より早いが!」
「こ、ここ……は? 私、たしかヨルシャミさんに体をお返しして、……!」
まだ目覚めたばかりで混乱していたセラアニスは眠りにつく直前のことを思い出したのかハッとする。
そして体を起こすとヨルシャミと伊織を見て自分の口元を手で覆った。
「わ……私、ちゃんと目覚められたんですね……」
「うむ、うむ、言った通りだったろうセラアニスよ。お前はちゃんと『セラアニス』の魂を得ていたのだ」
自分と同じ髪色の頭を優しく撫でながらヨルシャミは微笑む。
伊織は安堵感に包まれながらセラアニスに笑いかけた。
「セラアニスさん、その……お久しぶりです。といっても見ての通りそんなに時間は経ってないんですけどね」
人間の体の自身を指し、成長してなさで一目瞭然でしょうと言うとセラアニスは泣きそうになりながら笑みを返した。
「お久しぶりです、イオリさん。……ふふ、でもちょっと身長が伸びてますよ」
「えっ、そ、そうかな?」
「隣の方が大きくてわかりにくいかもしれませんが……、あの方は?」
腕組みをしたまま一歩後ろに引いていたニルヴァーレを指してセラアニスは言う。
ニルヴァーレが「僕はニルヴァーレというよ、眠り姫さん」と片手を上げると、続けて余計なことを言う前にヨルシャミが言葉を継いだ。
「ここは夢路魔法の世界だ。あれはそこの先住民のようなものだと思っていい」
「そこは先輩にしてくれないかいヨルシャミ」
「……先輩だ。とりあえず詳しくは後でゆっくりと説明しよう。積もる話もあるからな」
「……! はい、いっぱい聞かせてください!」
そう言った後、セラアニスは僅かにもじもじとしてからベッドから出て立ち上がると、ふらつきながらも頭を下げてはにかんだ。
「こう言うのはちょっとおかしいかもしれませんけれど――ただいまです」
「ああ、おかえり、セラアニス」
「セラアニスさん、おかえりなさい!」
はっきりとそう返した二人の言葉を耳にし、セラアニスは伊織とヨルシャミの手をぎゅっと握る。
微笑んだ目尻からは一粒だけ涙がこぼれ落ちたが、嬉し涙を流すより早く話したいという気持ちが反映されたかのように――その後、セラアニスの目から涙が落ちることはなかった。
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