第278話 好きな相手の実家
「また暴走して王族の広間に突入してったとか、それを耳にした時の私の心労がどれほどのものだったかわかります!?」
「余った料理を一切れ貰ったけど美味しかったよ!! 舌鼓二百万回ものだね!」
「懲りてないでしょナスカおじさん!」
広間から離れ、伊織、静夏、ヨルシャミの三人だけでナスカテスラの私室兼研究室に訪れた伊織たちは、膨大な資料や実験器具――の前に、ナスカテスラとリボンを付けたポニーテールの少女による口論を見せられていた。
口論、といってもナスカテスラはまったく気にしておらず、叱られながら「ほら皆こっちへおいで!!」とイスを勧めている。
少女はナスカテスラやヨルシャミと同じ明るい緑色の髪で、目はやや暗い緑色。見た目は17歳ほどに見えた。
ジト目に見えるのは怒っているからというより生来のものらしい。
誰だろう、と視線を送っていると少女がハッとして頭を下げた。
「ごめんなさい、挨拶がまだでしたね……! 私はステラリカ、ナスカテスラの姪で助手をしてます」
「なるほど、姪御さんだったか」
静夏は納得したように頷く。
ナスカテスラは「最初は弟子として姉さんが同行させてくれって言ったんだけどね!」と言いながら緑色のお茶を淹れていた。それを三人に出し、向かいのイスに座ってメガネを押し上げる。
「さて、まずは診察からか! あとステラ、ここに書いてある検査の準備をしておいてくれ!」
追加があったら後で伝える、と言いながらナスカテスラは姪に紙を手渡した。
「っえ、準備って……これ全部今日中にやるつもりなんです?」
「そうそう!! 明日の朝には終わるだろう?」
「あ、明日の朝……」
長丁場になる、そんな予感というより確信が伊織の中を駆け巡った。
しかし少しばかり性格に難はあれど治療師だ、検査で体調を崩すようなことにならないよう注意してくれるはず。
そう考えつつ、少しでも落ち着こうと出されたお茶を飲む。香りは良い。自分には白湯のように感じるが、どんな味をしているのだろうか――と思っていると、両左右の静夏とヨルシャミが目を丸くして固まった。
きょとんとしている伊織を見てナスカテスラはパンッと手を叩く。
「味覚、本当の本当に機能してないようだね!!」
「……え? あの、このお茶もしかして」
「イオリ……それ以上飲むな、口内では大丈夫でも胃が驚くかもしれないぞ……」
「う、む。辛くて苦くて後味が甘い刺激物、といった感じだな。気絶しそうな時に飲みたいものだ」
無理やり感想を捻り出した静夏がそっとカップを置く。
育ちが良いせいか残さずすべて飲み干していたが、随分無理をしたのではないか。
伊織は冷や汗を流す。
(注意してくれるはず、って思ったけれど……)
この長丁場、試練じみたものになりそうである。
***
アイズザーラの計らいにより各人に手配されたのは個室で、普段は客室として使われているという部屋だった。
それを一人一室割り当てられたのだが――そっと一番手前の部屋を覗いたミュゲイラが変な声を漏らす。
「やっべぇ……族長の家よりデカい……」
「一室でか」
「一室で!」
見なかったことにしてドアを閉じたいな、とミュゲイラは口角を下げた。
豪華な部屋に泊まれるのはいいが、これだけの規模だとずっと気を遣うことになりそうだ。
「飾ってある絵とかさー、落としたらどれくらい弁償しなきゃなんないんだろうなー……」
「うわー、考えるな考えるな! 寝れなくなるぞ!」
耳を塞いだバルドは「もう勢いで入っちゃえよ!」とミュゲイラを促したが、ミュゲイラは一人で入って何も壊さない自信がないのかリータの袖を引っ張った。まるで夜中にトイレに行けない小さな子供のそれである。
「お姉ちゃん、一人一室って言われてるんだから」
「姉妹一緒がいいですって言えばきっと聞いてくれるって……!」
「色々手配し直してもらうことになるでしょ、……」
リータは数秒考え込み、そしてじっとミュゲイラを見て口を開く。
「――ここっていわばマッシヴ様の実家じゃない? 好きな人の実家なのよ。甘えたところは見せられないでしょ」
「……!」
「……!」
「リータさん、それバルドにも何か効いたみたいなんだが」
ミュゲイラとバルドは大きく息を吸うとそれぞれの部屋のドアノブを握った。それはもう素早い動きだった。
「そうだよな……そうだそうだ! いわば姉御のご両親に挨拶まで済ませて泊まらせてもらってるようなものだもんな! 迷惑はかけらんないよな!」
「こっちの世界での静夏の実家って考えると身が引き締まるってもんだ、一人でもヘマせず泊まりきってみせるぞ!」
そのままばたんっと部屋の中へ消えていった二人を見送り、サルサムとリータは顔を見合わせる。
「……思ってたより張り切りすぎてなかったか、あれ」
「両親に挨拶を済ませた、って名乗っただけですよね……」
二人の一抹の不安は部屋の豪奢さよりバルドとミュゲイラに対して湧いたが、それをどうすることもできないままサルサムとリータはお互い目を光らせておこうとアイコンタクトして部屋の中へと入っていった。
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